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◆ 「欧州通貨統合のゆくえ」を読む

TFJへの定期寄稿者としてもお馴染みの坂田豊光氏が「欧州通貨統合のゆくえ」を中公新書から上梓された。副題に「ユーロは生き残れるか」とある。この問題意識は、前号で紹介させて頂いた拙書のそれと重複するところもあるが、同氏の著作はむしろ欧州の通貨体制に的を絞り、ユーロの生成過程をつぶさに観察し、その通貨としての行方を論じるところに軸足が置かれている。

何ゆえユーロがそれほど日本にとって問題なのか、あまり実感が沸かぬという方も多かろう。欧州は、日本から地理的にも政治的にも遠く、経済的にもそれほど近いとは言えない地域である。ユーロ取引が日本で活発化している訳でもない。テレビでは確かにドル円と同時にユーロ円の為替レートを報道することも多くなったが、それでもユーロを実感するのは欧州旅行を計画する時くらいなものだろう。

本書の紹介の前に、私なりのユーロの座標軸を描いておきたい。ユーロは、米ドルに対抗しうる唯一の資本通貨であり、各国中央銀行が今後増大させうる唯一の準備通貨であり、石油や天然ガスが取引されうる米ドル以外の唯一の決済通貨であり、また日本の投資家が対外投資を今後一層積極化しうる唯一の運用通貨である、というのが私のユーロ軸である。即ち、一昔の英ポンドや独マルク、スイスフランと一味違う「現代的金融力」を備えたユーロである。

こういえば、ドルの過小評価とユーロの過大評価であるとの印象が強いかもしれないが、敢えて言えば、日本が海外といえばあまりに「米国とドル」しか見てこなかった弊害を痛感していることの裏返しでもある。いまほど欧州が、或いはユーロが、中国・インド・ロシア・中東といった地域を通じて、日本に徐々に接近していることを体感できる時期はないのではないか。

ユーロの資本市場の米国化は、既に本誌で何度か紹介した通りである。それは欧州が、米ドルが身に付けた様々な金融力の要素を、欧州各国の経済発展の為に導入することが必要だと認めたということである。欧州におけるCDS市場の発展や証券化やローン流通市場の拡大を、米国流をそのまま輸入したという皮相的な形式的認識で捉えてはならない。そこには、金融力の獲得という密かな計算があったと見るべきである。

言うまでも無く、米国は欧州の歴史が産み落とした国である。米国人が唱える自由主義は、封建社会と戦って欧州人が勝ち取った自由主義とは異質のものである。或いは、米国が唱える保守主義も、欧州に連綿と横たわる保守主義とは相容れない。「ネオ」が付けばなおさらである。こうして欧州と米国は、同じ「自由」や「保守」を語りながらも、どこかで違和感を抱いている。

その欧州と米国は、金融に関しては共通した認識(それは軍事に通じると言えるかもしれない)を抱いている。或いは、金融力のあり方に関しては、思想を共有していると言って良いかもしれない。それが如実に現れたのが、ユーロ導入後の欧州による積極的な米国流金融方法論の輸入なのである。

第二次大戦後、経済力を疲弊させた欧州は、ユーロ導入以前には、金融力を復活させる余裕がなかった。ユーロ成立こそが、あらためて大西洋間の金融思想の共有化をもたらす契機となったのである。だがそれは、欧州が米国から輸入したというよりも、17−19世紀に英国が開発した金融力を、20世紀の米国という独特のフィルターを通して、21世紀に欧州に呼び戻したという方が正しいかもしれない。

その欧米金融論は別途どこかで論じるとして、坂田氏の新著に戻ろう。ユーロをそうした眼で見れば、同氏が几帳面に整理した通貨統合の歴史とその課題の数々は、極めて示唆に富む。氏は決して楽観論を述べている訳ではない。むしろ、ユーロの行く先を案じて、金融政策や財政政策、ECB制度などのマクロ政策での懸念や、EU拡大に伴う経済的な困難さ、英国の対応などを元為替ディーラーとして複眼的に分析している。

坂田氏は、ややもすればドルへの懸念の対立軸として市場評価されがちなユーロを冷静に観察し、欧州固有の問題を軽視すべきでないと主張、インフレ無き成長と国際収支均衡が維持できなければ通貨統合の完成とは言えない、と厳しい。特に多元的財政政策がこのまま維持可能なのかどうか、疑問符を付ける。

とは言え、氏は米国との対立軸としてのEUを評価し、ユーロの安定性を期待しているのである。その為にも、地理的拡大の中で「深化」を進めることが肝要であるとして、財政赤字に関して妥協に流れがちな独仏政権を強く批判し、経済構造の同質化を進める打開策の必要性を論じている。個々の議論にはやや厳しすぎる点を感じることもあるが、それは欧州系金融機関に長く勤務した同氏ならでは、の愛情の裏返しと見るべきだろう。

一方、ユーロが市場や企業によってどう評価され、どう期待されているのか、といった商業的視点に触れていないのはやや残念であった。それは、本書が同氏による学術論文をベースにしていることから止むを得ないことであったかもしれない。

ユーロと日本円は質的に大きく異なる環境に置かれている。膨らむばかりの財政赤字のような共通点もあるが、前述のように、ユーロが世界の市場で資本・準備・決済・運用の機能を果たす可能性を秘めているのに対して、日本円は閉じた空間で海外との裁定を拒絶する通貨になりつつある。坂田氏の著作のような愛情のこもった建設的なユーロ批判を読むと、日本円や日本市場に対するもっと実務的な評価やその存在意義への根本的な問いかけも必要かもしれぬ、と思ったりもする。 (中公新書 760円)

2005年01月28日(第091号)