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◆ 温室効果ガス排出権取引の含蓄

◆ 排出権と金融の接点

金融と温室効果ガス(温暖化ガス)とはいったいどういう関係があるのか、と訝る人も多かろう。それには確定的ではないが、いくつかの答え方があるように思う。一つは、京都議定書で主要国が合意した温室効果ガスの排出権を市場で売買するというスキームに、日本の金融市場が蓄積してきたノウハウをもっと利用できるのではないか、という視点である。

もう一つは、天候デリバティブと同じように、事業法人など金融機関の顧客が潜在的に抱えるリスク管理ニーズに応える、という意味で金融機関にとって新規のビジネス機会が生まれるのではないか、という期待感である。

更に踏み込んで三番目のポイントを言えば、金融機関や金融市場が温室効果ガスの排出権のような新しい取引対象を取り込むことにより、市場型ビジネスの幅を拡大する可能性である。金融産業における運用業や仲介業において、伝統的な商品(為替や金利・株式等)に止まらぬクロスオーバーの世界への、具体的には商品市況などへの進出の足掛かりを掴むための第一歩となりうるのが、やや早計かもしれないが、この排出権取引かもしれない。

排出権取引は金融ビジネスのためのものではない、との批判もあるだろう。確かに、排出権そのものは環境問題の重要なテーマであり、市場売買で儲けるための手段ではない。監督官庁も環境省であり、金融とは無縁である。上に挙げた三つの視点も、金融から覗き込んだ一方向の好奇心に過ぎない。

だが、市場取引であるからには「排出権を安く買いたい、高く売りたい」というマーケットの原理が働くのは当然であり、それを支えることができるのは弁護士や会計士、或いは経営コンサルタントではないのは明らかである。金融業界は、積極的にこうした市場取引に関与しても良いのではないか。以下、金融産業にとって排出権ビジネスとはどういう位置付けを持ちうるものなのか、環境問題を辿りながらレビューしてみよう。

◆ 京都議定書の歴史

京都議定書とは、単独で存在する自己完結的な条約ではない。1988年に設立された気候変動に関する政府間のパネルが出発点となって、1992年の地球サミットにおいて155カ国が「気候変動枠組条約」に署名、1994年に条約発効となった史実がその発端となっている。そして1997年の第三回会議(COP3)にて、2008‐2012年の排出量削減に関して数値目標を導入するという「京都議定書」が採択された。

だが温室ガスの大量排出国である米国が批准を拒絶し、中国やインドは参加せず、欧州や日本が批准するバランスを欠いた協定であると指摘されることも多い。確かに、そうした問題点はあるが、米国もその基本理念にまで反対している訳ではなく、昨年末の第10回気候変動枠組条約締約国会議(COP10)でも、米国が進める現実的な技術革新の重要性を強調している(必ずしも全面的に協力的だとは言えないが)。

こうした「大国不参加」で、全体の55%を越える先進国の参加を条件とされた京都議定書の発効も危ぶまれたが、昨年態度を保留していたロシアが、排出権取引で売り手になりうることを確認して参加を表明したため、発効が確実となった。因みにその発効日は来週の2月16日である。

また、京都議定書は2012年までの排出削減を条約化したものであり「京都議定書の次のステップ」はオープンのままとなっている。京都議定書の推進派として積極的に環境改善の路線を支持するEUは、2012年以降にも京都議定書の流れを汲む何らかの継続的な対応を導入しようとしている。

EUは実際の排出量においても削減を示している。COP10に提出された資料では、2002年の世界温室効果ガスの排出量は1990年比8.4%増で2002年以来の高い水準となったが、地域別で見るとEUは2.5%減となっている。特に英国やドイツでは14%以上の削減であるが、カナダは20.1%、日本も12.1%増という芳しくない結果になっている。温室効果ガスの排出権取引は、こうした国際的な枠組みの中で育成されようとしている。

◆ 排出権とは何か

排出権とは眼に見えない商品である。為替オプションやCDSも眼には見えないが、概念的にそして法律的に市場参加者が具体的なイメージを共有することが可能である。だが温室効果ガスの排出権を定義するには、その量に関する取り決め方法や排出量の確認方法などが合意されなければならない。金融商品でいうストライクや、デフォルト定義に値するものが必要となるのである。

排出権自体は、国や自治体、企業など温室効果ガスを排出する主体に、数量が割り振られることによって決定される。その権利を超過してガスを排出する国や企業は、その権利を下回る相手から、その権利を購入するという理屈である。それは、温室効果ガスの削減を達成するための道具であり、売買市場の創設は一つのメカニズムに過ぎない。

だが、その市場機能を使うことにより、削減へのインセンティブが向上する(削減が目標以上に達成されれば、その余剰分は金銭対価に市場で売却できるため)のは、経済的な競争社会においては自明であろう。この市場化は、やはり欧州、中でも英国が先行しているが、それは金融市場や先物市場で先端を行くDNAがなせる業と言っても過言ではあるまい。デンマークでも電力会社に限って、またあの京都議定書大反対の米国でも既に実験的な市場制度が導入されている。日本は、市場作りに大きく出遅れている感がある。

◆ 英国の排出権市場

英国にて排出権取引が始まったのは、2002年4月である。その背景には、世界レベルでこうした取引が活発化するまでに、在英国企業に実際の取引をまず経験してもらおうとしたこと、そしてそれが普及していく過程で、ロンドンを排出権の国際市場の中心地として認知させること、といった国策があったようだ(英国大使館のHPなどにもその姿勢が明記されている)。

EMS (Emissions Trading System) と名づけられたその制度の下で、自社の温室効果ガス排出量の目標値を自発的に定めた企業(直接参加企業31社)や気候変動協定に基づいて英国政府と協議の上で排出目標を定める企業(気候変動協定参加企業6000社)が中心となって、市場売買が実験的に行われている。英国政府は、実際の削減に対して報奨金制度を導入し、この取引を支援している。

この市場には、排出権削減を目標としないブローカーも「取引参加者」として35社が参入している。制度が導入されて1年間で約700万トンを超える取引が成約となったが、それには、こうしたブローカーの役割が大きいと読むことも出来よう。因みに、この英国市場には金融商品を取り扱うブローカーも参加している。

また、排出権がスムーズに市場取引として成立するには、排出量を客観的に審査する第三者機関が必要となるが、英国では政府が認可する6社のうち1社から証明を受けることを条件としている。この業務は企業監査や品質検査に近いため、日本ではトーマツなどの監査法人や日本品質保証機構(JQA)などが証明業務に進出することを決めていると報道されている。

◆ EU排出権取引市場

さて英国市場が先行して排出権取引の実験を進める中で、EUは2005年1月からEUは加盟国内の約12,000社に対して許容排出量を割り当て、独自の排出権の取引制度を導入した。イタリアなど4カ国は国内手続きが間に合わず、21カ国でのスタートとなったが、この市場に期待する声は強い。欧州環境庁は2010年までに各国の温暖化ガス排出削減努力により1990年比で7.7%減、さらにこの売買メカニズムの活用によって1.1%の削減が可能だと予測している。

この制度では、排出権の所有が電子データで登録され、取引に参加する団体はそれぞれの口座を通じてインターネットを介して排出権の受け渡しが可能となる。但し、EUで売買されるのは二酸化炭素のみであり、京都議定書が対象としている6種類の温室効果ガスをすべてカバーするものではない。また、対象業種も電力、石油・ガス、鉄鋼、紙・パルプ、セメント・窯業などエネルギー多消費型の産業に限定している。

石油関連企業の財務部門は、自社での削減努力か市場からの排出権購入か、といった経営判断のための市場情報をウォッチする仕事が増えたことになる。勿論、本来的な目的から言えば、削減目標に達しないペナルティが「排出権の経済価値」と等価になる訳だが、市場機能を通じて、「より安い価格のペナルティを買い込む」といった戦術が先行する可能性も否定できない。EUの売買市場は、買い手である西欧企業が売り手の中東欧企業を囲い込み、日本企業などライバル企業に国際競争力で差をつけようとするものだ、と見る向きもある。

◆ 日本企業と日本市場

日本の温室効果ガス「排出量」取引としては、カザフスタンやロシアとの取引実績があるが、より注目されるのはコスモ石油が行った「排出権」取引である。同社はオーストラリア南西部のユーカリ植林において排出権を取得し、それを同社ガソリンの小売販売で行使した。つまり、概念上は日本の自動車が排出した二酸化炭素を、オーストラリアのユーカリが吸収したと考えられる。

また三菱商事も、英国法人がロンドン市場にて直接参加企業として市場取引に参加しているほか、アジアでも韓国のプロジェクトから排出権を購入するなど取引に積極的な姿勢を示している。

だが、市場構想については出遅れ感が否めない。当初、市場整備の研究に着手したと言われた東証も東京金先も東京工業品取引所も、具体的な取り組みは進んでいない。環境省が音頭を取って2003年、2004年に約42社を対象とした仮想取引を行い、本年に本格的な市場を創設するとの構想を発表したが、具体的な青写真は提示されていない。

同省が昨年末に中央環境審議会に報告した総合対策案は、飽くまで環境税と企業努力による排出削減が主で、排出権売買は副次的な追加的手段との位置付けである。市場取引に対する期待感は、EUと比較すると極めて低いように思われる。また、EU市場での排出権取引がどの程度の規模になるのかを見極めようとする、昔ながらの保守的な姿勢も感じられる。

その一方で経産省は、新たな対策無しには日本の主要11業種で2010年までの排出量削減目標の達成は困難だとする調査報告をまとめた。石油・化学などは達成可能だが、鉄鋼、電力、ゴム、自動車、産業機械、建設機械といった日本の主要業種では、「努力が足りない」と結論付けている。

残念ながら環境省も経済産業省も、必ずしも市場取引に精通している訳ではない。市場機能のノウハウを持つ金融が積極的に参入していくことによって、こうした閉塞感に刺激を加えることも出来るかもしれない。縦割り行政の限界でもあるが、金融は、他産業に比べて市場機能が最も進んだ分野であり、その力をこうした他分野に応用することも視野に入れるべきではないだろうか。

排出権が欧米で「クレジット」と呼ばれるように、これもリスクの転売市場の一つと見做すことも不可能ではない。環境問題という根本認識から遊離してはならないが、それでもその目的を達成するための技術として「金融取引転売」のノウハウが利用できるのであれば、躊躇う理由はないだろう。これも広義のクレジット市場である。

温暖化ガスの環境への影響に関しては科学者の間でも異論が噴出していると言われる。今週号の英国エコノミスト誌は、欧米の学者の間でも温暖化ガス排出の減少がどれだけ効果があるのか、激しい論争があると報じている。これも金融と同じようなもので、リスクの処理を巡っては単純な結論が出るものではなかろう。だが、少なくとも温暖化ガスに関しては、専門的な知識はなくても直感的に削減の必要は感じる。

金融における信用力の市場機能は、プレミアムという尺度を通じて金融のシステムの安定化に寄与してきた。排出権における価格機能は、温室効果ガスの排出を世界的に削減させ、環境の安定化に資することが期待されている。やや「こじつけ」に近いことは承知の上だが、こうした排出権取引も、本号に別途掲載された「沖縄金融・情報特区」の構想に結びつく可能性はゼロではないように思えてくる。

2005年02月11日(第092号)