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◆ 何故ドルは下がらないのか
◆「貯蓄・倹約」と「投資・消費」
米国のファイナンスを日本が支えている、というのはもはや昔話である。米国経常赤字は1996年の1,200億ドルから2004年には6,660億ドルに急増したが、その5,460億ドルの赤字急増を埋めたのは1996年当時88億ドルあった経常赤字を2004年に3,360億ドルの黒字に転換したエマージング諸国である。その筆頭が中国であり、また石油高騰で外貨収入の増えた産油国だ。
バーナンキCEA委員長も、これらの新興国が純借り入れ国の立場から純貸出し国に転換して米国をファイナンスしていることを認めつつ、彼等が先進国に投資するというパターンは決して望ましいものではない、と述べている。彼が本年3月に放った”Saving Glut”(貯蓄過剰)なる言葉は、グリーンスパン議長の “Conundrum”に次ぐ2005年のヒットとなった。
18-19世紀に英国は、植民地であった北米、中南米、インドへ多額の投資を行い、20世紀の米国は、二度の世界大戦で疲弊した欧州を助けつつ中南米や東欧にも積極投資をした。だが高度成長から安定成長へ移行した日本は、先進国である米国一辺倒の投資を続け、中国やOPECはこれに倣った。こうして米国と新興国の間の不均衡は日々拡大している。
もっとも、新興国が投資するためには、貯蓄や倹約が必要である。そしてその貯蓄は米国による投資や消費に回される。当たり前だが、貯蓄・倹約は投資・消費でバランスされる。一国内ではこれが均衡しないが、世界を見渡せば均衡に至る。それが米国の経常赤字という数字で解りやすく表示されている。
これまで、金融界はその「投資・消費」にスポットライトを当てて、米国固有の問題として議論してきた。それに対して「貯蓄・倹約」にも同じように注意を払うべきだと警告したのがバーナンキ委員長(当時はFRB理事)の”Saving Glut” であったのだ。確かに米国に集中しがちな議論を緩和しようという政治的な意図もあっただろう。だが貯蓄を真剣な議論のテーマに持ち上げたことは、極めて重要な仕事であった。為替レートに代表される米国金融覇権の持続性を問う為の貴重な手掛かりが、その貯蓄の性質の中に隠されているからである。
◆ The Economistの診断
英エコノミスト誌は、この問題を採り上げて9月24日号の特集として約18ページにわたって掲載している。これを翻訳することは許されないので、かいつまんで要約してみよう。興味を持たれた方は、やや長いのだが、原文をご参照願いたい。(原タイトルは“The Great Thrift Shift”)
まず問題提起は、米国の赤字を支える海外の貯蓄の維持がどこまで可能かというポイントである。一般的に言って、これには二つの見方がある。一つ目は、現在の新興国や日本などの貯蓄水準はやや異常な状況であり、日欧などの投資の回復で早晩これが縮小、ドル資産からの流出が始まってドルは下落し金利は急騰するというお馴染みのHard Landing説である。これに対して、米国外の貯蓄水準は一時的なもので無く、高齢化や輸出依存による貯蓄増加はまだまだ継続する為、世界不均衡・貯蓄過剰の構図は当分変わらない、という見方も強まっている。
どちらが正しいのか。それを検討する為にはまず何故貯蓄が生まれ、何故貯蓄が蓄積されるのかという「解剖」を行う必要がある。同誌は貯蓄を説明するために6項目を挙げている。まず人口統計学的に高齢化は貯蓄を増加させる。次に経済成長プロセスにおいて、発展段階の新興国では貯蓄が増加する。また貿易黒字(中国の繊維製品やOPECの石油など)を生む国では貯蓄が増加するのも自明だ。さらに、不動産や株式市況が活況だと売買益で貯蓄は増加する。反対に、金融システムが発展すると借入れが楽になるので貯蓄が減少する。米国はその典型だ。また財政赤字が拡大すると人々は将来の課税に備えて貯蓄率を高める傾向にある。但し米国はこの点では例外的存在である。
これらの要因は複雑に絡み合うが、先進国と新興国によってどのインパクトが最も大きいかは、ある程度推測できよう。米国においては借入れの容易さによる貯蓄の減退が際立っているが、BRICsなどの新興国では経済成長・財政赤字・貿易黒字の三本柱が貯蓄の増大を支えている。
同じように、投資を「解剖」するとどうなるだろうか。同誌は投資が低迷する要因として4項目を計上する。まず人口統計学的に言えば、若い世代が投資を行い高齢層が貯蓄するため、世界的な高齢化によって投資不足に傾き易い。また先進国では、資本集約的企業のシェアが下がっており投資は減退していく傾向にある。更に資本財価格が他の消費・サービス価格に比べて低下傾向にあるため、投資活動が盛り上がらないということも考えられる。最後に、中国への投資シフト加速が他の地域での投資不足をもたらすという現象がある。だがこれらの要因だけでは、何故いま世界的な好景気の下で成長見通しに見合った投資水準が達成されないのかを正確に説明することが出来ない。そこで同誌はミクロな分析へと向かう。
◆ 日本と中国
日本は貯蓄の国だと言われ続けてきた。今でもそう思っている人は多いだろうが、統計を見れば明らかに間違いである。家計の可処分所得に占める貯蓄の割合は、1980年あたりから一貫して減少傾向にあり、1970年代に23%程度あった貯蓄率は現在6%にまで低下している。阪大のチャールズ堀岡教授のように、貯蓄率はいずれマイナスに向かうのではないかとの予想する人さえいる。
投資環境は改善し、財政赤字の縮小努力が進み、貿易黒字も縮小方向にある現状を考えれば、日本の貯蓄率の低下を止めることは出来ないだろう。勿論、団塊の世代の引退など高齢化社会への進行が一時的に貯蓄を増大させる可能性はあるが、長期トレンドで言えば低下は必然かもしれない。因みにIMFも、2010年までに日本の貯蓄率は3.5%まで低下すると予測しているが、エコノミスト誌はその低下の歩みはもっとゆったりしたペースになるのではないか、と見ている。
一方、中国はまだ高度成長期にあるため、貯蓄は増大する傾向にある。世銀の調査に拠れば、都市部の可処分所得に対する貯蓄率は1985年の8%近辺から2004年には25%まで上昇、その上向きトレンドはまだ継続中である。収入増加に対応する消費モデルがまだ確立していないことに加え、一人っ子政策がもたらす将来への不安が、貯蓄を加速させる方向に働いているという。老後・失業時の社会保障システムが完備されていないことも、教育に多額の資金が必要なことも、家計における貯蓄増加の要因の一つだ。
だがエコノミスト誌は、家計の貯蓄が昨今の中国における貯蓄増大の主因ではないと言う。それは政府と企業の貯蓄である。中国財政は表面上赤字だが、実際にはGDPの10%程度は政府の実質貯蓄であり、それが殆ど国営企業へ流れているので解らないだけだという。その国営企業が、低賃金を維持して貯蓄を行う。その巨大な国営貯蓄が国内の設備投資に向かった。結果としてこれが現在の過剰設備を生んでおり、経済成長ペースがやや鈍化すればその悪影響が懸念される。
問題はそれがいつ表面化するのかであるが、過去の投資の積上げ成果である輸出がまだ当分好調である限り、急激な企業収益の落ち込みはないとの見方が多い。従って、輸出構造に大きな変化が無い限り、国営貯蓄は増大する。家計の貯蓄を低下させるような消費革命が数年後に起こることもないだろう。従って、中国の貯蓄構造が急速に減少方向に向かう可能性は低い。
◆ OPECと東南アジア
日中両国の貯蓄が米国赤字の大半を埋めているのは事実だが、それでもそのシェアは40%程度と見られており、他国の貯蓄の集積を無視することは出来ない。産油国、特にOPEC諸国はその一つであり、もう一つは日中を除く東南アジア諸国である。
昨年来の石油価格高騰で、OPEC地域に流れ込んできた資金は2005年だけでも4000億ドルに上る。中東における投資や消費で捌ける金額ではない。まして現在の価格水準維持に疑問と懸念を抱くOPEC諸国は、これを積極的に投資へ向けようとは思わない。1970年代に蓄積されたオイルダラーを無用な消費に回した反省と後悔も色濃く残っている。2004年のOPEC諸国の貯蓄率は28%にまで上昇しているが、本年はさらにこれを更新するだろう。中東諸国の貯蓄過剰トレンドが反転する兆しは見えない。
東南アジアの民間貯蓄に、大きな変化はない。景気回復で企業部門の貯蓄は増加したが、家計の貯蓄は急減しているからだ。米国赤字の穴埋めの原動力は、輸出で急増する外貨準備である。一方、投資意欲は低迷したままだ。ここには1997年のアジア危機の記憶が鮮明に残っている。おいそれと投資が急増する地合にはない。輸出に関しては、各国の通貨安政策の継続性を疑問視する向きも多いが、1997年の危機の再来は誰も望むところではない。従って、東南アジア諸国の輸出増と地域内投資減のトレンドは継続しそうな気配である。
◆ 何故欧州ではなく米国なのか
欧州も米国も、1990年代まではそれほど貯蓄性向に差は無かった、とエコノミスト誌は述べる。正直言ってやや違和感もあるが、統計を見る限りは確かにそうらしい。1980年代の米国家計における対可処分所得貯蓄率は9%で、英国は7%、スペインは8%、フランスは9%でドイツは12%であった。その後20年間で欧州勢の貯蓄率が10%近辺で殆ど変わっていないのに、米国は不動産や株式市場での売買益と借入れ環境の改善で消費や投資が急増し、貯蓄率は1%まで急低下した。
欧州諸国の投資環境の低迷は、スペインやドイツなど一部に景況感の回復はあるものの、全体として飛躍するムードからは程遠く、貯蓄が域内投資に吸い込まれるようなエネルギーは感じられない。従って、欧州から米国へと向かう資金の流れも急変するとは思えない。また、欧州の財政赤字は、残高をGDP対比で見ると実は米国よりも深刻だという捉え方もある。税率も米国より高いため、税収での赤字補填にも限界がある。欧州における貯蓄は深刻化する財政赤字に備えて高まる気配さえあるという。投資機会が乏しければ、それは結局、米国に向かうしかない。
欧州と米国の大西洋を挟む経済関係は、言わば国際金融の礎となったものであり、日本や中国、OPECはそれに新規参入していったと考えても良かろう。通貨・投資・貿易といった取引インフラは、ポンド・ドルの「ケーブル」という死語が示す通り欧米関係が基本構造をなしている。ドルとユーロが向かう二極構造も、それが根底にある。その歴史ある大西洋の東西において、一方の欧州の貯蓄が他方の米国の消費を生む、という図式はやや単純化され過ぎではないか、との疑問も浮かぶ。それは、米国の経常赤字の持続性を解く鍵でもある。
確かに、欧州の貯蓄は米国に流れているが、米国の貯蓄も欧州に流れている。それは歴史の産物である。つまり大西洋間には、他の地域とは比較し得ない、そして無視できない規模のクロスボーダー取引の蓄積があることを忘れてはならない。IMFの統計は、グローバルな資産・負債の残高が世界のGDP合計比で急速に伸びていることを示している。1995年にはそれぞれ70%程度であったが、2003年には130%とほぼ倍増している。
米国の経常赤字は1997年にGDPの3%に達したと言って市場は大騒ぎした。2003年には5%になって持続不能だと頭を抱えた。だが赤字はそれ以降も増え続け、現在ではGDP比6%に達しているが、今や不感症になってしまった感もある。むしろ米国内には経常赤字は持続可能だとの声が出始め、財務長官が「経常赤字は強い米国経済の証だ」とまで言い始める始末である。
その背景に、こうした持ち合いの様なクロスボーダーで見た資産・負債増加があるのではないかとエコノミスト誌は述べている。世界の資本取引残高が増加した分、収支尻である米国赤字の耐震限度の許容度も拡大しているという解釈だろう。
だが、海外の貯蓄に依存する構造が仮に持続するにしても、それが米国経済にとって良い話だとは言えない。むしろ経済を蝕むリスクの方が大きい。安易なファイナンスは、将来の対外債務返済のための「輸出促進エネルギー」を殺いでしまうからだ。不動産市況のバブル化によるローンの増大・消費拡大によりは米国家計の貯蓄率は今や殆どゼロである。この構造は何とか維持出来るという仮説が真であるからといって、それを放置して良いという話にはならない。だが米国の政治家はどうやらその「悪魔の選択」に魅入られているようだ。
日本や中国の過剰貯蓄はすぐには修正されない。中東や東南アジア諸国が溜め込む貯蓄も、米国以外には向かない。欧州の構造改革もスピードは遅く、投資活動が急速に高まることは無さそうだ。そしてどの地域の貯蓄も、米国のStatus Quoを望んでいるかのようだ。米国はその期待に喜んで応えているのが現状である。従って、皆が恐れるが、皆の嫌がるドル急落は起こっていないのである。貯蓄の性格をも視点に置いて考えれば、当面ドル急落は無い、という結論になる。
◆ 過剰貯蓄が減少する日
だが、その「過剰で寛容な貯蓄」はいつまで続くのだろうか。これまでの米国Hard Landing説は、米国の不均衡を米国の問題として、巨額の資本を引き付ける構造は持続不能という論理回路を基盤にしていたが、貯蓄に問題があると見るならば、その貯蓄が減少して不均衡を支えられなくなった日が来てはじめて、米国経済とドルは破綻を迎えることになる。
米国は、人民元を切り上げない中国を責め、構造改革が大幅に遅れているユーロ圏を批判し、米国産牛肉の輸入再開に抵抗する日本を非難して、自国には罪が無いと主張する。バーナンキCEA委員長も、国際不均衡問題は“Made is the USA” ではない、と言う。
だがその言葉は、米国要人の趣旨とは違った意味で実に正しい認識なのである。他国の貯蓄過剰が米国の不均衡放置を許容しているに過ぎないからだ。これまで見てきたように各国の過剰貯蓄水準は当面維持されそうだが、永遠に続くものでないこともまた確実である。貯蓄大国と呼ばれた日本が急速に貯蓄率を下げているのは、その典型である。中国もOPECもいずれ国内投資転換への舵を取り始める。
従って、米国以外の貯蓄水準が修正されるまでに米国は不均衡縮小への道筋をつけねばならぬ、というのがエコノミスト誌の主張である。消費を抑制し、投資を促進するのがその王道である。だが、果たして米国にそれが可能だろうか。ハリケーンが来れば救済で財政赤字が膨らみ、石油価格上昇で輸入支払額は増える。米国金融力の要であったグリーンスパン議長は来年初に退陣、大手自動車の経営難や航空産業の破綻で社会保障問題が深刻化し、イラク撤退も踏ん切りがつかず、米国は大きな政府へ逆戻りしつつあるようにも見える。
刻一刻と変化する金融市場を眺めているだけでは、米国やドルへの信認の動きは明確に読み取れない。だが月単位や年単位で見れば、その軌跡には少しずつ変化が現れてくるだろう。我々はその微小な変化を見落とす訳にはいかない。その為には、米国だけでなく世界のあらゆる国の政治経済状況と金融市場に眼を向けていなければならないのである。私事で恐縮だが、筆者が2年前から「世界潮流アップデート」の編集を始めたのも、それが一つのきっかけである。