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◆ 「大砲と帆船」の教訓

◆ 軍事力の源泉

人民元改革に関する対米舌戦を通じて、通貨制度交渉とはまさに外交の一側面であることを中国は思い出させてくれたと言って良いだろう。為替レートとは、経常収支によって左右される国際金融論の中の一項目であると教えるのも決して間違いではないが、それは時に政治の道具として極めて貴重な役割を果たすという観点から説明することも必要だ。7月の切り上げ、そしてそれ以降の一連の対米牽制は、明らかに繊維貿易問題、北朝鮮問題などに絡んだ複合ゲームの中で演じられた「一手」であった。

もっとも、外交ツールとして最も歴史の古いのは何と言っても軍事力である。勿論、現代世界においては(一部誤解している国もあるが)軍事力だけでは外交にならない。だが軍事力の伴わない通貨ゲームに迫力がないのは、誤解を恐れずに敢えて言えば、日本の対外戦術と中国のそれとの対比で明白だと言えるかもしれない。以下、やや軍事力の話になるが、それは現代における軍事力の必要性を訴える為ではなく、中世における軍事力装備の為の戦略策定の重要性と、今日の資本市場構築の重要性との共通点を示す為であることをまずお断りしておこう。

軍事力にもいろいろある。現代の軍事力の代表と言えばミサイルや核兵器だが、遡れば第二次世界大戦では航空機が威力を振るっていたし、それ以前には軍艦の時代があった。

軍艦の歴史は旧い。通貨が古代から存在したように、軍艦も古代から存在する。現代的軍艦の鋼鉄のイメージを捨てれば、古代の軍艦も容易に想像できよう。よく文献に登場するのが、「ガレー船」と呼ばれる軍用船である。200人もの乗員がオールを使って漕ぐという原始的な構造ではあるが、香料貿易などの長距離運送にも利用されていた貴重な船である。1571年のレパントの戦い(オスマン帝国とスペイン・ヴェネチア連合国と戦争)では、このガレー船が主役であったのは有名な話だ。中世ヨーロッパの軍事力といえば、まずガレー船だったのである。

だがモノの本に拠れば、船が軍事力を代表する戦力となったのは、大砲のおかげであるという。言われてみればその通りかもしれぬ。古代の海の戦闘は、船を体当たりさせたり、船を横付けにして乗り込み武器で相手を圧倒したりする幼稚な作戦に基づくものであったが、それはたいして効率的な戦闘方法ではなかったからだ。軍艦による戦法が急変するのは、大砲が、それも船に積み込めるような大砲が開発されてからである。

即ち、軍艦といえども大砲が無ければ中世の地中海での戦争には勝てなかった。その大砲は14世紀には既に戦争の道具として利用されていたと「大砲と帆船」(平凡社)の著者であるC.M.チボラ氏は語っている。イタリアで、パリで、或いはドイツ、イングランドで製造された大砲はイスラム圏にも普及し、オスマントルコは強力な大砲作りに成功する。1453年のコンスタンチノープル陥落は、この大砲技術と無縁ではなかった。

だがトルコ軍が陸地での大砲開発に専念したのに対して、イタリアやオランダ、イングランドは船に載せる大砲の開発へ向かった。同じ兵器でも、その応用の環境に差が出たのである。それが、近代の西欧の台頭とイスラムの没落に大きく関係してくる。

また同じ軍艦への大砲の積載でも、伝統的な「ガレー船」に拘った地中海沿岸の国と、「ガレオン船」と呼ばれる機動力に優れた新型船の開発に向かったイングランドとオランダでは、また差がついた。

どの国も軍事力強化の必要性を感じ、どの国もその兵器の開発に注力する時代であったが、その方向性の判断の差が、その後の国力の盛衰を決していく。当時結果として勝者となったのは、新型船を活用したオランダであり、イングランドであった。大砲の開発に始まって、軍艦への大砲積載、軍艦の改良といった施策判断が、中世においては殆ど取るに足りない国に過ぎなかった両国の軍事的・政治的台頭を現実のものとした訳である。この点は、オランダとイングランドにおける金融力の台頭を導出する史実としても重要である。

◆ 軍事力の選択肢

上記を整理してみると、まず「陸地戦での大砲と海上戦での大砲」という戦術的比較検討、そして「海上戦で大砲を効率的に利用するための軍艦仕様」についての比較分析、という二つの点が浮き彫りになる。やや大袈裟に言えば、そこでの取り組み方の違いが、国の興亡の分岐点となったのである。

中世ヨーロッパの軍隊組織は、実はそれほど強力ではなかった。確かに大砲技術の進展はあったが、それはいとも簡単に中央アジアのイスラム軍に模倣されたどころか、彼等に欧州製を遥かに凌ぐ性能をもつ大砲を与えてしまったのである。トルコ軍の大砲は、城壁の破壊に大きな威力を発揮し、西欧を脅かし続け、1529年、1683年の二度にわたってウィーンを包囲するところまでいった。

だが、陸上では負け続けていた西欧社会も、海洋戦ではトルコを追い詰めていく。それは帆船に大砲を積載する技術や、攻撃の正確性を増す技術を向上させることに専念した戦略が奏功したものである、とチボリ氏は解説する。当時の大砲はフランスやドイツの青銅製の大砲と、英国の鉄製の大砲とに大別されていた。前者は錆もなく軽量で実践に向いていたが、後者は安価だけが取り柄の代物であったという。

だが財政破綻が頻発していた当時の国家には、この経済的メリットは無視し得なかったのであろう。性能はともかく、英国産の安い鋳鉄製の大砲は欧州を席巻する。そして軍用船としての帆船に積み込む際の重量の問題が表面化し、次第に技術革新がなされていくのである。こうした試行錯誤は、陸上戦を専門とするトルコ軍では起こらなかった。

こうした判断の差は、自らが置かれた地政学的な条件に左右されることもあろう。また自分の得意とする戦闘方式、戦闘環境に固執するという習性も影響したかもしれない。いずれにしても、歴史は「場の選択」として海の重要性を認識した西欧に軍配を上げたのであった。

また陸上での戦法と海上での戦法とは大きく違う。陸上で豪快な破壊力を見せる大砲を、そのまま軍用船に載せる訳にはいかないのである。因みに西欧が軍艦の大砲に鉄弾を利用するようになったのに対し、トルコは陸上戦と同じように石弾を込めていたと言われる。なぜか、トルコ軍に80-90年代の邦銀が重なって見える。邦銀は、「資本市場」という海の重要性を過小評価してしまったからである。

◆「場の選択」の重要性

どこで勝負すべきかという「場の選択」は、まさに金融にも日常茶飯事である。例えば運用すべき「場」をどこに置くか。日本国債や日本株への拘りによって大きく期待収益を逸したのがここ5年ほどの機関投資家の失敗であろう。或いは金融商品の運用に限定して、「商品の時代」や「不動産の復活」に出遅れたとすれば、それは「場の選択」に失敗した例である。

銀行のバランスシートがプレミアムの小さな優良銘柄のクレジットに集中し、Lower Creditに眼を向けてこなかったのも「場の選択」の重要性が認識されなかった結果だったと言えるかもしれない。昨今の株式市況の活況も、結果的に外人投資家に「絶好の買い場」を教えて貰うしかなかったのが日本市場の真の姿である。相場の強さに浮かれて、この感覚の乏しさから目を背けてはならない。

トヨタのハイブリッドやシャープの液晶など、最近の「勝ち組」を見れば、それが「場の選択」の勝利であったことが解る。そこには、マーケティングの貢献度もあっただろうが、良い意味での思い込みもあった。社会は何を求めているか、人々の欲求はどこにあるか、という問いに対して相当の強い信念がなければ、巨額の設備投資など出来るものではない。だが「場の選択」においてはその判断を強いられる。その切迫感無しに、市場の海を乗り切ることは出来ない。

一方、バブル期における日本の金融機関の「設備投資」の主な対象は海外金融機関の買収であった。方向性それ自体、決して間違いではなかったと思うが、それが顧客の求めているものかどうか疑わしい買収も多かったように思う。投資銀行化、グローバル化といったトレンドに乗り、他社他行に遅れまいとして、それが顧客対応であるかどうかの吟味無しに「場の選択」判断を行っていたケースが目立ったのは否めない。結果として、日本金融の「設備投資」は殆どが失敗に終わった。

現在、金融機関の眼差しはリテールに向けられている。漸く、本来の顧客ニーズに応えるべく、選択する場を見つけたということかもしれない。消費者金融、住宅ローン、資産運用といった地味ではあるが、安定的収益力の期待出来る分野への経営シフトを開始したかのように見える。その中でも、資産運用部門は金融の中で数少ない潜在的成長力を持った分野であり、そこに標的を置くのは正しい。だが日本の保有する大砲と石弾では、残念ながらまだ数年間は勝負になるまい。

◆ 金融システムの再検討

軍事力のアナロジーで言えば、現在の金融機関の棲み分けが時代に即したものとなっているかどうか、再確認することも必要だ。最近、証券会社と銀行の垣根が徐々に崩れつつあるのは歓迎すべきことである。それに加えて、郵貯の民営化と政府系金融の縮小化という問題に着手されつつあるのも大きな進歩ではある。だが国家的金融戦略の観点からすれば、それよりもメガバンクと地銀という二層構造は守るべき与件なのか、という点を優先的に再検討すべきではないのか。

地銀には、地域にコミットするという義務が据えられているのに対し、メガバンクにはそれに相当するものがない。前者はその意味でより厳しい経営を迫られている。と言えば、メガバンクから反論があるだろう。日本のコア企業や重要な産業を育ててきたのはメガバンクの前身であった興長銀・都銀であったのは事実だ。そして今でもまた上場企業の殆どはメガバンクとの付き合いが深い。つまり、メガバンクは日本経済にコミットしているという反論はありうる。

だが、それは日本の過去を引き摺った議論のようにも見える。米国ではシティもJPモルガンも、米国経済にコミットなどしてはいない。やや皮肉って言えば、経営者は株主と格付け機関に怯えているに過ぎないのである。米国に限らず、もはや銀行が国家経済を背負う時代ではない。資本成熟国においては、大手銀行も大手証券も金融サービス会社に徹するしかないのである。

そう考えると、地銀とメガバンクの存在意義は明らかに違って見える。地銀はやはり地域経済の為の金融機関である。そこにメガバンクが中小企業融資や住宅ローンで競争的参入するのはおかしい。メガバンクの主要機能は証券会社機能と融合して本来的に大手企業や機関投資家にサービスを提供するものに絞られ、地銀に対してはむしろサポート供給の基地になる必要があるのではないか。メガバンク・地銀並存構造の放置は、戦艦・巡洋艦に拘って空母を作れなかった日本海軍の轍を踏まないだろうか、と要らぬ心配もしたりする。

2005年11月04日(第110号)