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◆ Globalizationと経済文化
◆ 文化としての経済
以前、「TFJ世界潮流アップデート」に書いた一文を再掲する。
「Globalizationを批判する経済学者や経営者がよく使う論理の一つに、それが各国の伝統的文化を破壊するというものがある。例えばAnglo-Saxon流の経営は日本の年功序列や終身雇用を否定し、欧米流の株主資本主義は日本の中小企業経営を圧迫するといった考え方である。だが金融制度の動向で揺さぶられる程度の伝統を文化と呼ぶべきかどうか、疑わしい。本当の文化とは、むしろ資本や交易を呼び込む魅力のことではないのか。」
金融や企業経営の革新のプロセスにおいて市場機能の導入が図られてきたここ数年、それに反発する人々が「日本らしい文化」という言葉を人質にして西洋的な市場主義を駆逐しようとした。だが「日本らしい文化」を破壊してきたのは、歪んだ教育であり、不公平な社会の創設であり、また倫理感を失った大人達であって、金融市場ではない。
たしかに資金移動は文化に無縁ではない。金融が「非市場的文化」の一部を滅ぼすことはあろう。だがそれを文化の破壊と大騒ぎするよりも、むしろ資本を呼び込む力を有する文化を再考し評価する方がよほど建設的である。余談ではあるが、日本のアニメなどをはじめとするサブカルチャーに見られる「日本らしい文化」は、金融・資本市場において過小評価されているように思う。この問題はいずれ採り上げてみたい。
ここではそうした一般文化ではなく、「経済文化」というコンテクストに焦点を当ててみよう。経済的な生活様式や価値観という意味での「経済文化」である。その文化と金融との関連を考えてみると、ユダヤの社会と華僑の社会という世界の二大金融勢力は、それぞれの経済文化が金融取引や資本活動を呼び込んできた典型例ではないかとも思える。但しその経済文化の力は、自らの文化社会に資本を取り込んだというよりも、その文化が資本取引の場としての誘引材料になったという点で観察すべきだと言った方が正しいかもしれない。
もちろん、だからといって巷間語られるユダヤの陰謀説とか華僑の秘密のネットワークといった怪しげな金融小話を取り上げる訳ではない。個別の寓話に興味をそそられる部分がないでもないが、それは学術的にも実践的にも大して意味はない。米国における今日の金融制度の発達がユダヤの人々の活躍と無縁でないことは紛れもない事実であり、また米金融界の要職につくユダヤ人も多いが、それはユダヤ陰謀説を支持するものでも何でもない。
ユダヤ人は金融だけに得意な才能を発揮した訳ではなく、自然科学、社会科学などの学問分野、音楽や絵画などの芸術分野などに多くの傑出した人材を輩出している。しかしながら、こと金融に関してはやや特殊な事情が作用した。即ち、中世キリスト教社会が商業活動特に利息を取る金融業を卑賤視したために、ユダヤ人がその職を一手に引き受けることになったという背景や、封建領主が領民の移動を制限した一方でその対象から外れていたユダヤ人による自由な移動が、交易や金融にとって極めて重要な役割を果たしたという歴史があったのである。
また華僑は、故郷を捨てて東南アジアだけでなく世界中に離散し、そのネットワークとフットワークを活かしてあらゆる産業に食い込み、商業的な成功を遂げたというイメージが強い。ここでも華僑の秘密のネットワークが過大評価されている。そのために華僑は「東南アジアのユダヤ人」と呼ばれることさえある。だが、冷静に見れば華僑の「経済文化」がユダヤ民族のそれと似ていた、という事実に収束するように思える。
以下、主にユダヤ人の商業活動というコンテクストから、Globalizationと金融市場における「経済文化」の意味を考えてみたい。
◆ 見えざるユダヤ
ユダヤと金融の話題は、多くの書物に記されているのでここでは繰り返さない。だがその殆どは、西洋に流れたアシュケナジームと呼ばれるユダヤ人が築いたものであって、東欧に流れたスファラジームや中東・アフリカに移り住んだミズラヒームと称されるユダヤ人の活動は捨象されている。アシュケナジームは、まさにAnglo-Saxon流の金融を支えたものだが、スファラジーム・ミズラヒームはIslamの金融を支えてきた。我々が目にするユダヤ金融の物語はAnglo-Saxon社会を通じて流入したもの、つまりアシュケナジームの活躍であって、スファラジームやミズラヒームについては殆ど知識がない。
堀内正樹教授は「文化としての経済」(山川出版社)の中で、その「見えざるユダヤ人」がイスラム社会で果たした役割を観察し、西洋社会に定着したユダヤ金融と対比させることにより、金融・経済のGlobalizationが実は「幾多のローカル経済様式の相互接触プロセスとなっているのではないか」と指摘している。つまり現代のGlobalizationは経済文化を破壊する怪物ではなく、むしろ固有の経済文化に基づくソフトウェアを時代に合わせて書き換えを促すもの、という観点で捉える必要があるのではないかという視点を提起している。
例えば、「見えざるユダヤ人」の人口が最も多いのがモロッコである。紀元前後に先住民族の間にユダヤ教徒が入り込み、8世紀には東方から第二弾のユダヤ教徒流入が始まる。そして15世紀末にはレコンキスタの余波で、イベリア半島から追われた数万人規模のユダヤ教徒がモロッコに流れた。このスペイン系ユダヤ人の中には、既に商業的成功を収めていた者も多く、オスマン帝国やイタリアに逃げた同胞との強力なネットワークも築かれていたようだ。その商業網は、19世紀には西洋諸国で活躍するユダヤ人にまで拡張されていく。
そのユダヤ人の商業的役割は、モロッコでは特別な存在ではなかった。何故なら、イスラム圏においては、西洋諸国で普及したキリスト教のように金融や商業を特殊な(野卑な)活動と見做すことはなかったからである、と堀内教授は指摘している。だがその中でもやはりユダヤ民族固有の「経済文化」は特異であったように思える。
モロッコではスークと呼ばれる「市場」構造が社会システムに組み込まれ、ユダヤ人に限らず、すべての人々が商業活動に参加していた。モロッコの政治・経済体制に、特にユダヤ・イスラムの宗教の区別は無かったのである。だが18世紀後半以降、英仏の貿易商の代理人となって輸出入取引を独占的に扱っていたのはユダヤ教徒であった。
「見えざるユダヤ人」のイスラム世界での商業・金融活動は、むしろその「スーク」への組み込みを通じて覗いた方が、その特色を掴むことが出来る。人類学者のギアツに拠れば、この地域のユダヤ教徒はイスラム教徒とともにスークを通じて「一つの内的意味世界」を形作っていたという。
スークには得体の知れない多種多様な人間が集まり、様々な情報が飛び交い、二つとして同じ品質・形態のものがない商品が取引される。そこでは人間の分類、情報の選別が優先課題とされる。商談は、価格設定のプロセスではなく、信頼できる安定した情報ルートの確保のための場となる。それが信用取引に繋がる場合もある。ユダヤ教徒はこの「内的意味世界」をリードする存在であった。
こうしたモロッコの商業・経済・金融慣習は、キリスト教社会に根付いたものとは大きな違いがある。1950年代にモロッコからイスラエルに大量輸送されたユダヤ人は、アシュケナジームが構築した経済世界が全く異質なものであることに気付いた。同じユダヤ教徒でありながら、作り上げた経済の姿はその風土の違いによって大きく異なっていたのであった。だが、底流に流れる「経済文化」には「市場原理」という共通項があった。
◆ 二つの金融経済構造の共通点
今日、我々が眼にしている欧米金融に、ロスチャイルドやロックフェラー、ゴールドマンといったユダヤ系グループが大きく関与してきたことは否定できない。このアシュケナジームが関わってきた西洋型金融は、均質で大量生産される商品世界に付随して急速に発達してきたものである。一方で、モロッコでの経済活動は、「情報収集・選別・判断」に第一義が置かれたものであった。
こうした相違点は極めて興味深いものがあるが、実はより重要な点は、その相違ではなく、どちらも市場経済に立脚しているという共通点であろう。イスラム社会は非市場型経済システムによって成立っているという分析もあるが、前述したスークは紛れもない市場社会である。少なくともハードウェアとしては市場経済が整っており、欧州社会とはそれほど変わりがない。
堀内教授は、イスラム社会では市場原理が必ずしも普遍的原理となっていないことが、西欧型経済との相違点を浮き彫りにしていると指摘する。スークが内包するその「内的意味世界」というソフトウェアだけが大きく違っているのである。その市場運営は、ある意味では情報そのものが商品化しているという、現代社会を先取りしたシステムであったと言えなくもない。
アシュケナジームがキリスト教社会で構築した経済・金融様式と、スファラジームやミズラヒームがイスラム教社会で醸成したそれは、表面的には大きく違ったが、その市場メカニズムを重視する姿勢は共有しうるものであった。後者は現在、Globalizationの進行に伴う西洋式の均質的商品の大量流入によって、そのソフトウェアの書き換えを要求されている。個別交渉や個別情報処理という従来の方法論が影を潜め、効率性や合理性を重視するマーケティングに置換されようとしている。
これは華僑の経済文化にも共通して見られるものだ。中国経済圏の急成長の裏には家族主義に代表される「儒教的資本主義思想」があったとの説もあるが、むしろ華僑ネットワークは1997年のアジア危機によって大きな痛手を被ったため、その親族的経営方法の見直しが進んでいるのが実態である。
華僑独特の経済文化が構築した金融経済構造もまた、Globalizationの中で変質を迫られている。だがそれによって、市場原理という彼等のハードウェアが破壊される訳ではない。ここでもソフトウェアの書き換えが要求されているだけなのである。
前述の通り、キリスト教経済社会とイスラム教経済社会は、少なくともユダヤ民族の「経済文化」の一要素である市場原理で結ばれている。双方に根を張るユダヤ教徒は、それぞれの経済文化の下で、異なるソフトウェアによってその市場経済を司ってきたのであり、Globalizationはそうした異なる市場経済間でそれぞれのソフトウェアの整合性を問うものだと言ってよい。つまり、固有の経済文化とは、市場経済を動かす為のソフトウェアを書き直すDNAのようなものだと言う事もできるのではないか。
日本の経済文化はユダヤ・華僑のそれとは大きく異なって見える。だが、中世社会の「市場構造」には市場原理の萌芽が見えるのも事実であり、単に近代社会建設の過程でそれを喪失しただけのことかもしれない。日本の経済文化に市場経済が馴染まないというのは、作られた幻想に過ぎないのではないか、ソフトウェアの書き換えは十分可能ではないか、と思いたい。