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◆ イデオロギー主導の危険度

◆ 飛行機と飛行船

JALが揺れている。航空機が揺れるぶんには慣れているが、航空会社の経営が揺れるとなれば、いよいよ飛行機会社も米国並みになったということだろうか。米国の航空業界の波乱は半端ではなかった。その昔、海外旅行の代名詞でもあったパンナムが消え、最大手のユナイテッドが破綻するなど、業界再編や企業浮沈は目まぐるしい。日本への影響が無かったことが、むしろ不思議なほどであった。

JALと言えば、日本のNational Flagとして君臨した企業である。国営企業として格付けはAAAで、外債発行となればいつも瞬間蒸発であった。スワップのハラキリ要請も凄かった。そのJALも、今ではB+(S&P) の沈没寸前の企業になってしまった。民間金融機関のエクスポージャーが少ない(メインは政策投資銀行)ので市場での話題にはなりにくいが、だからといって破綻リスクが無い訳ではない。あの経営陣と社内の混乱振りを見る限り、銀行危機とさして差は無いように見える。

さて飛行機の歴史とは、実は飛行船との戦いの歴史でもあった。いや、むしろ飛行船が失敗したために結果的に浮かび上がったと言うべきかもしれない。鳥のように羽ばたくことを願い、様々な失敗を度々重ねた末に漸く現代技術の粋を極めた飛行機が完成した、と我々は教わってきたが、実際の飛行機の歴史とは、自転車修理業の気分転換のためにライト兄弟が始めた道楽が高じたようなものである。

飛行機に限らず、「楽しみ」が巨大産業に転じた例は少なくない。オリンピックを見ていても、そうしたケースは枚挙に暇が無いことに気付く。別にそれが悪い訳ではない。だが現代の航空会社の経営を見ると、飛行船が自滅したことによって「楽しみ」からの脱却を迫られ、結果として不本意ながらも現代社会を支える重大な存在になってしまった、という皮肉な歴史を背負っているようにも思える。

飛行の歴史は、飛行機ではなくむしろ政治が主導する飛行船から始まった。物理学者フリーマン・ダイソンの弁によれば、「冒険の夢よりも帝国の夢」が飛行の実現を促したのであった。1920年代、海軍頼みの帝国維持の限界に気付いた英国政治家達の選択は、帝国の端々まで飛行できる堂々とした体格の飛行船であった。飛行機はあまりに「小さく、うるさく、不恰好」で高尚さのかけらもなかったとダイソン教授はその著作「科学の未来」(みすず書房)の中で述べている。

その飛行船が失敗した理由として、技術的な失敗を挙げるのは簡単だろう。それよりも、何故技術的な失敗を避けることができなかったのか、が問題である。そこには、我々が陥りがちな、イデオロギーによる制度設計の危うさが漂っている。以下、英国生まれのダイソン教授のその書物から、英国における飛行船と飛行機の小話をご紹介しておこう。

◆ 飛べなかった飛行船

英国が軍事・金融の覇権を握った大きな要素の一つに海軍力がある。第二次世界大戦後は世界一の座を米国に譲ったが、明治時代の日本海軍が範としたのはこの英国海軍であった。現在でも英国海軍は航空母艦・原子力潜水艦を中心に大英帝国時代の名残を留めているが、歴史を紐解けば、1920年代には海軍力ではなく空軍力が軍事の中心戦力になることが予想されていたと書いてある。海軍で覇権を掌握した英国も、既に空軍を強く意識せざるを得なくなっていたのだろう。

そこに登場するのが上院議員で航空相のトンプソン卿である。当時、王立飛行船工場で飛行船建造のプロジェクトが進行中であり、典型的な帝国主義者であった同卿はこれを積極的に推進する立場にあった。飛行船は、ノンストップでインドや豪州にまで飛ぶことの出来る、英国の新時代を飾る旗艦となるべき宿命を帯びていたのである。

R101と呼ばれたこの飛行船プロジェクトは、政府の威信にかけて成功することを義務付けられていた。政府お抱えの事業であるから、コストが嵩んでも誰も文句は言わない。だが、権威を裏打ちするための「規模」と政治的パフォーマンスに利用するための「納期」は、厳格に規定されていたのである。飛行船は、技術や理念ではなく、政治的イデオロギーによって推進されたプロジェクトであった。

その結末をご存知の人も多いだろう。トンプソン卿を乗せた飛行船は、ガス洩れ対策への十分なテストも出来ぬままに処女飛行に飛び立ち、8時間後には北フランスに墜落してしまった。プロジェクトの推進者も亡くし、その後飛行船が主役に抜擢されることはなかった。だが、それですぐに飛行機が飛行船に代わる帝国の旗艦として浮上した訳ではない。

ライト兄弟の道楽から飛び立った飛行機にも、英国においてイデオロギーに巻き込まれていく悲劇が襲った。第二次大戦後、英国は米国などに先駆けてジェット機時代を先導しようとしたのである。英国は、長距離空路を独占する国有企業を設立し、南ア、インド、豪州を結ぶ空路を支配することに大英帝国の復活を夢見たのであろう。

だが、ここでも「規模」と「納期」は政治的に厳重に定められた。飛行船と同じ過ちを犯したのである。特にこの飛行機プロジェクトに関しては、米国を意識した1952年という期間設定が重要なパラメータとなった。その結果、十分なテストを行わないままアフリカとインドで空中分解を起こし、プロジェクトは中止に追い込まれた。その成り行きを注意深く見守り、慎重なテストを繰り返した米国ボーイング社が、英国の国有企業に代わって成功を収めることになったのである。

ダイソン教授は、この二つの事件に共通する「二つの文化の衝突」を指摘している。つまり政治という文化と工学技術という文化の対立関係だ。政治家は、「拙い決定を下してしまう危険を冒すほうが、優柔不断であるよりまし」なのである。だが工学技術の世界では、技術者は「後悔するくらいなら大事を取れ」と教わる。技術世界への政治の介入は、二つの文化の衝突を生み、飛行船も飛行機も地面に激突させてしまったのである。

◆ ミスの許されぬ飛行機

その後、こうした政治介入の失敗を乗り越えて、航空機業界は飛躍的な発展を示す。そこには、ボーイングの成功で民間業者による航空機製造が促されたとともに、再び失敗は許されないという強い命題が業界に植えつけられたことが背景にある。飛行機は、たとえ小さな失敗でも、致命傷になる。組織運営までもが乱気流に飲み込まれたJALは、その基本を忘れてしまったのかもしれない。

さて、読者の皆さんがある新興国のアドバイザーに任命され、道路を作るべきか空港を作るべきか、と聞かれたらどう答えるだろう。経済学者的な発想を取れば、道路である。道路はまず多数の人に仕事を与え、あらゆる人々に役立つ存在になる。空港を作っても、一握りの富裕層の役にしか立たない。経済学的には、空港は不経済である。

だが現実問題として、道路建設に充当される資金は賄賂として役人の懐に入ることも多く、むしろ腐敗や権力集中を生みやすいとダイソン教授は指摘する。一方で、空港建設は専門家の育成を要求する。外人スタッフが帰国すれば、国内でその安全性を維持しなければならなくなる。システム制御や機体の安全確保など、一歩間違えば一国の統治制度までも崩壊させてしまいかねない。

航空機の運航にミスは許されず、人々は真剣にならざるを得ないのだ。その結果、職場の厳格な規律や近代的労働環境が整備されていく。そして道路建設では生まれなかった「経済価値以上の間接的効果」がもたらされる。空港は、道路以上に社会を変えることが出来るのである。

勿論、ミスを防ぐという観念は決して新興国だけに有益だということではない。どんな国でも、どんな産業でもミスを未然に防ぐことは重要だ。政治的なイデオロギーのもとに進められた英国での飛行船や飛行機のプロジェクトも、ミスは絶対に許されるものではなかった。

だが往々にして、政治が定義するミスとは、技術的な失敗というよりも「規模と納期という条件を満たさない」失態を意味するものである。英国の場合、これが飛行の計画を大きく狂わせたのである。技術的な失敗を防ぐことを第一に考えていれば、違う展開もあっただろう。金融に関しても、同じことが言えるのではないか。

◆ 政治介入が歪める金融制度

金融制度設計のミスにもいろいろある。日本の社債市場において、投資家を保護するために設けた、発行体を制限する適債基準もその一つとして挙げても良いだろう。政府が市場秩序を管理すべきという考え方は、同制度が撤廃された今もまだ余韻を引き摺っている。ライブドア事件で証券取引所のスクリーニングの甘さが指摘されているが、それは監査法人問題や個人投資家の甘えのすり替えであり、何でも制度不備の所為にしたがる風土はそれと同根である。

日本で、民間主導で発達した金融市場の好例は、スワップやオプションなどのデリバティブズである。勿論この市場にも少々の欠陥はあり完璧に稼動しているとは言えないが、行政の余計な介入がなかったお陰で健全な発達を遂げたと言っても良いだろう。反対に、商品規制のある銀行商品にデリバティブを持ち込むことは出来ず、銀行を通じた運用商品の発展の道は閉じられてしまった。

英国の飛行船・飛行機のプロジェクトの失敗原因となった「規模」と「納期」は、どうしても郵政民営化の議論を思い浮かべてしまう。西川社長は、郵貯・簡保の法外な規模を縮小することは毛頭考えていないようだ。また民営化のスケジュールは政治的に固定化されており、日本の金融の制度設計へのテスト飛行など話題にも上らない。そもそも民営化によって「政治的勲章」以外に何を獲得しようとしているのか全く不明である。

既に何度も述べたように、すべての銀行を平等に救済しようとした公的資金注入も、制度設計として正しかったとは言い難い。政府系金融機関の改革にしても、民営化というイデオロギーに先導されて、十分な議論を尽くさぬまま結論を急いだとしか思えない。JALの経営破綻リスクを抱えた政府系機関の経営力には大きな疑問符も付く。民営化を決めた商工中金に買収防衛策を導入しようとする政府案は、支離滅裂である。また、現在一部で盛り上がっているアジア債券市場の設立構想にも政治的イデオロギーが色濃く染み込み、本来のアジア地域の経済安定化への議論から遠ざかっているように見える。

さて今国会では、いよいよ金融商品取引法案が上程される。「貯蓄から投資へ」の掛け声の下で運用商品の多様化を進めるのは良いが、投資家保護を語るあまりに、社債の適債基準と同じ思考に陥ろうとはしていまいか。例えば、個人向け運用商品の投資顧問業務は証券会社に集約させるという金融行政は、相変わらず民間金融を信用しないお上の発想のように見える。投資家保護の為に市場や業者をはじめから厳しく規制すべし、というのが基本理念では、自由度を生むエネルギーを殺いでしまう。

この辺には、金融庁が不自然な金融コングロマリット室を設立したのと同じように、所詮は既存組織体系の秩序維持を優先させたいとの本音が透けて見える。郵政公社も基本的には公的な匂いを残したまま存続する。JALの経営危機も、政府系金融機関の不良債権問題に発展させることはしないだろう。真の金融ジャーナリズム無きまま、政治のイデオロギーは、日本の金融に静かにそして深く染み込んでいくのだ。

日本の金融システムは落ち着きを取り戻したと言われるが、私には英国の飛行船墜落事件がとても他人事とは思えないのである。

2006年03月10日(第118号)