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◆ 金融市場のメッセージ力
◆ 村上ファンド再考
村上ファンド問題の総括が固まらないまま、福井総裁のスキャンダルによって社会では問題のすり替えが起こり、今では村上ファンドの悪行とはいったい何であったかが深堀りされないまま、単なるインサイダー疑惑という狭窄な視点での集約過程に入ってしまったようだ。まあ、こうした問題点の錯乱や矮小化、嫌悪感と感情論だけでの結論というのは金融に限ったことでもないので、問題意識が日々淡白化する現代社会では仕方ないことかもしれぬ。
総裁問題という引込み線の話はさておいて、村上ファンドに関する論点を本誌なりに整理しておこう。同ファンドの行動形態に関してはBMA109号(2005年10月21日)に掲載された「村上ファンドの存在意義(松本隆)」をご参照願いたいが、好意的に捉えれば、単に一ファンドマネージャーに過ぎなかった村上氏が、出来ることとやるべきことを混同したことが誤りの原点だと言うことも出来る。その意味では自称「プロ中のプロ」は所詮アマチュアの域を出なかったと言って良い。
もちろん現象面で見ても、同氏の言動には絶えず危ういイデオロギーがまとわりついていた。怠慢な経営に警告を発し企業の株価を上げて同ファンドの利益を高めることが、結果的には日本経済の活力につながるという発想がその骨子である。それは単純化の好きな小泉支持社会と見事に同期していった。
村上氏の「企業価値とは株価である」という論理は、確かに明快だった。同ファンドが設立されたのは、日本社会に閉塞感の強かった1999年であり、企業価値すなわち株価に鈍感な経営者を叱責する村上氏の姿にエールを送った政財界、金融界の人は少なくない。福井総裁もその1人であった。
「企業価値=株価」なるテーゼは「企業価値向上=株価上昇」という結論を演繹するものである。解り易さを求めた日本社会は、同時に木村銀行を歓迎し、ライブドアを支持した。こうして市場社会における改革理念は、燎原の炎の如く燃え盛ったのである。手前味噌ではあるが、筆者が会社を設立したのも似た様な動機ではあった。彼等の主張に若干ながらも共感を覚えたのはそうした背景がある。大きな違いは、幸か不幸か大儲けする機会がなかったことである。
閑話休題。それでは村上ファンドの理念の何処が間違っていたか。一つには企業価値の定義方法である。企業価値とは、社会におけるその会社の役割或いは存在意義を表現するものであり、それを市場が株価という数字で表現するものである。市場とはその意味で社会の媒介者なのであって、指揮者ではない。市場はメッセンジャーである。つまり市場が奏でる価格は、メッセージソングの歌詞のようなものだ。
◆ 1960年代の反戦歌
メッセージソングというのはもう死語に等しいかもしれない。意味不明の歌詞に、数回聴いた程度では覚えられぬメロディーが色づけされた奇妙なオトの集団が飛び交う現代の音楽シーンを憂いても年寄り呼ばわりされるだけだが、本来、音楽とは何らかの心の叫びを自分なりに表現した芸術である。そこにはいつの時代にもメッセージが込められている。現代の若者音楽にもメッセージがあるのだろうが、筆者には多分それを読み取るセンサーが欠落しているのだろう。
1960年代のメッセージは、単純と言えば単純であった。ベトナム戦争に反対する反戦歌として、ボブ・ディランが「Blowin’in the Wind(風に吹かれて)」を歌い、ジョーン・バエズが「We Shall Overcome(勝利を我らに)」を歌い、ピート・シガーが「Where have all the Flowers gone (花は何処行った)」を歌った。こうした曲の数々を、ピーター・ポール&マリー(PPM) やブラザーズ・フォーなど有名なバンドがカバーして、世界中で大ヒットした。日本でも小室等らがPPMフォロワーズなどを結成して、こうした反戦歌を日本に紹介していた。
もちろん、米国の音楽界はそうした反戦歌一色だった訳ではない。ポピュラー界ではあのベンチャーズ、ロック界ではヤードバーズやアニマルズ、因みに英国ではローリングストーンズやビートルズの時代でもある。だがギター一本を抱えて歌うという単純なメッセージソングの演奏スタイルはポップス界やロックとは違った意味で画期的であり、当時の若者世代の心を一瞬にして捉えていったのだ。
こうしたメッセージソングは日本の音楽界にも影響し、日本独自の反戦歌が生まれて行った。有名なところでは先般亡くなった高田渡の「自衛隊に入ろう」がある。五つの赤い風船は「血まみれの鳩」を歌い、加川良は「教訓」を垂れた。中川五郎は、私の田舎の高校にまで出張してきて「いつのまにか」を歌った。フォークルも「何のために」「イムジン河」と反戦姿勢を打ち出していた。そして真打ち岡林信康が「友よ」を歌って、60-70年代全国の高校・大学祭のテーマソングになった。その後の全共闘運動にも、メッセージソングは何らかの影響を与えたと考えられる。
但し、日本の反戦メッセージの波及度は極めて限定的であった、日本は、米国のようなベトナム戦争当事者でなかったから当然でもある。日本ではむしろ1960年に締結された安保条約の1970年改定に向けて、その是非を巡る政治意識から生まれ出たメッセージが主体であり、米国ほどの切迫した社会現象にまでは至らなかった。
日本の反戦的メッセージソングは短命に終わり、吉田卓郎や井上陽水に代表される、ポップな音楽に押し潰されていく。吉田卓郎も、当初はボブ・ディランを意識してハーモニカとフォークギターを引さげて反体制的な「イメージの詩」でデビューしたが、広島フォーク村を出た後はポップス路線をひた走った。和製ボブ・ディランの先駆者である遠藤賢司や和製ジョーン・バエズと言われた森山良子も、反戦歌で貫徹することはなかった。
日本のメッセージソングは、社会へのメッセンジャーとしての役割を捨てて、大衆に売れる路線、つまり経済成長のもとで豊かでかつ安定的な社会が定着する安心感を担保するような音楽への変身を選択した。岡林信康が音楽の世界を去ったのも、それが原因だと言われている。北山修の「戦争を知らない子供たち」は、反戦歌というよりも牧歌的社会の訪れを示唆するものであった。もっとも米国においてさえ、反戦を主とした音楽活動は、ジョン・レノンとヨーコ・オノの平和活動あたりで途切れてしまった。
音楽はそれ自体が政治を動かせる訳ではない。自分自身が座標軸の原点で無い限り、社会へのメッセンジャーであり続けることは、やはり難しいことなのだろうか。
◆ 金融市場の役割
つい筆が滑ってしまった。
金融市場は経済社会への、いやもっと広く資本市場社会へのメッセンジャーたりうるか、という問題を考えると、村上ファンド事件はかなり重たい意味を持つ。実は、株価を絶対の社会的尺度だと考えた方が市場の運営は楽なのだ。だがそれは極めて危険な発想でもある。民主主義の中で社会的貢献を果たすべき存在である企業を、株価という社会の従属関数である尺度によって、数人がコントロールするということになるからだ。これを早稲田大学の上村達男教授は「ファッショ的行為」だと切り捨てている。
上村教授は法学専門家ではあるが、むしろ証券市場の幼稚な世界に会社法など持ち込んでも本末転倒だとして、日本の行政を批判してきた。また今回の村上ファンドの事件に関しては、証券市場に最も相応しくない検察を呼び込まざるを得なかった、としてその証券市場の未熟さを憂慮している。つまり、メッセンジャーとしては足腰が弱過ぎるという証券市場の欠点が露呈していると見ているのだろう。
検察とは、金融の監督庁とは違って違法を摘発する機関である。明らかに「勝てる」との確信が無ければ検察は動かない、というのが常識だ。つまりホリエモンでも村上ファンドでも、証券市場で大手をふるって違法行為をしていた、逆に言えば証券市場を監視する機関は何も手を打てなかった、と言っても良い。
上村教授の言を借りれば、検察が頻繁に入るということは「今日までは合法、明日からは違法」という何とも情けない状態が市場に放置されている、ということでもある。これではメッセンジャーの役には立たない。まるで麻薬を常用している歌手が改革の旗手として社会へメッセージソングを歌っているようなものだ。
村上氏も、結局は違法行為を隠しながら歌い続ける、似非メッセンジャーに過ぎなかったとも言えるだろう。だが他人を批判するだけでは己は正当化できない。金融市場は、社会に対して何かメッセージを送っているのか。自己完結的な悦楽に浸っているだけではないのか。反戦メッセージを貫徹できず平和ボケ社会に同期する音楽社会を批判することなどできないではないか。BMA第113号で述べたような「保守化する市場」は、社会のメッセンジャーとしての機能を忘れているのではないか。筆者なりの村上ファンド問題の総括は、その点に集約されている。