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◆ ポラニーが見た「大転換」の縮図
◆ 天才ポラニー兄弟
本年9月東証マザーズに「ミクシィ」が上場されて、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が一気に注目されることとなった。世界潮流第160号で述べたように、これは米国のMySpaceがそのビジネスの開拓者である。ネット社会はホームページからブログ、そしてSNSへと進化を見せるが、それはあたかも経済社会において、貨幣が様々な派生商品に進化していく過程を想起させる。
貨幣を媒介とする経済社会は、ソーシャル・コミュニケーションの一形態だと喝破したのは編集工学者の松岡正剛であった。松岡は、「経済の起源には言語にも見られるようなソーシャル・コミュニケーションの本質が関与している」と述べ、貨幣を言語の交換的性格という文脈で解釈しているが、その思想的先駆者として、経済における人類学的なアプローチの相貌に革命的な変化をもたらしたカール・ポラニーを挙げている。
ポラニーといえば、「暗黙知」で一躍有名になったマイケル・ポラニーを思い出す人の方が多いかもしれない。科学者であり哲学者でもあるこの天才は、カール・ポラニーの実弟である。世の多くの兄弟に見られるように、世界的に評価されて不動の地位を確保した要領の良い弟と違って、社会的に不器用なこの兄は一生補助教授のまま、そして晩年にはアカデミズムからもやや孤立するなど、不遇な一生を終えている。
筆者も、マイケル・ポラニーの「暗黙知の次元」を読んで唸った1人だが、カール・ポラニーの大著「大転換」は本棚に眠ったままであった。その浅学を悔いたのは、奇しくも同書を翻訳された野口建彦教授から、拙書「金融史がわかれば世界がわかる」を読んで感銘を受けたと過分なるお褒めを頂戴したからである(これは単なる自慢)。
野口教授からはその後、「長い19世紀の終焉」という論文を送って頂いた。そこには、まさにポラニーが指摘した資本市場の特異性、つまり社会が経済によって規程されているとの視点に基づく国際金本位制の解釈がなされている。その内容についてはここでは触れないが、教授が語る「市場機能を批判的に見るポラニーの思考」は、市場を当然の存在として認識する現代経済社会批判論として、マルクスなどとはまた異なった視座による知見を与えるものである。
これを機会に、埃を被った「大転換」を読み返してみた。そこには、1944年の著作ながらも現代への示唆に富んだ指摘が溢れている。社会に埋め込まれていた筈の経済が、反対に社会を飲み込んで行くという描写は、「日本的な資本市場」を求めて彷徨する現代の日本経済の姿をも上手く表しているようにも見える。
◆ 自己調整的な市場
普段生活していると、市場は人間社会にとって普遍の制度のように思えてしまう。経済学も、まず需要と供給の曲線を描いて市場価格を説明するところから始まる。だが現実には18世紀半ばまで、市場を通じた交換という行為が経済行動の中心に据えられたことはなかったのである。
確かに15世紀以降の欧州には重商主義が存在していたが、それは「国家間」という特殊な空間にのみ適用される考え方であった。つまり国内での経済関係とは、社会的諸関係の中に埋め込まれていたのである。ポラニーは、それを互恵、再配分、家政という三つの原理で説明している。
互恵とは主に「社会の血縁的組織にかかわって機能するもの」、再配分とは「共通の首長の下にあるすべての人々に関して効力をもつ」もの、そして家政とは「集団諸成員の欲求を満足させるため」に生産・貯蔵することである。ポラニーは、西欧で封建制が終焉するまでの経済システムは「この三つの原理の何らかの組み合わせに基づいて組織されていた」と論じている。このあたりは、レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」における文化人類学に通じるものがある。
16世紀以降、そこにもう一つの原理が加わる。それが市場であり、その特徴に目を向けること無しに、19世紀に生じた経済の突然変異を理解することは出来ないとポラニーは言う。市場は、以前から存在した三つの原理とはまるで違う性格を有しているからだ。
互恵とは、対称性を意味するものである。再配分とは、中心性を浮かび上がらせる。また家政とは自給自足のイメージを焼き付ける。三つの原理は、それぞれが抽象性を帯びたものであるのに対して、市場は飽くまで具体性を表現したものだ。だからこそ、市場は社会に埋め込まれる存在に甘んじることなく、社会を飲み込んでいくプロセスを辿ることが出来るのである。
ポラニーは、こうした市場経済主導のシステムを「自己調整的市場」と呼んでいる。それは「すべての生産が市場での販売のために行われ、すべての所得がそのような販売から生まれる」市場社会である。そこでは、生産手段である土地や労働、貨幣についても市場が存在することが要求される。そうした市場メカニズムは権力などによって阻害されてはならない。つまり、市場の自己調整作用が保障されなければならないのである。
この要請が、社会を経済的領域と制度的領域に分割していく。そして、人間と自然を表徴する労働と土地を市場メカニズムに包摂することを通じて、社会実体そのものが市場に従属させられていく。だが、労働も土地も本来、商品ではない。市場が占領する社会では商品でないものを商品に見立てる必要がある、という点で脆弱性を内包している。
その悩ましい擬似商品性において、19世紀の平和な100年間とは、実は自己調整的市場を完成させようとするエネルギーと、労働立法や貨幣管理などを通じてその擬似商品性を制限しようとする逆方向のエネルギーがぶつかり合う、過渡的な時代であった。
ポラニーはこの二つの方向性を「二重の運動」と呼んでいる。そして、「社会は自己調整的市場システムに内在する様々の危険に対し、自らを防衛したのである」と、19世紀の社会が崩壊した事象を独特の視点で描写している。
◆ 21世紀に大転換は発生するか
ポラニーの大著「大転換」は、「19世紀文明は崩壊した」という一文で始まっている。それはまさに「自己調整的市場が崩壊した」という意味である。ポラニーは、その市場コンセプトを「全くのユートピアであった」と一蹴し、市場文明は危機的な転機に立たされたと述べた。そして現象面で見れば、19世紀文明を崩壊させたのは国際金本位制の瓦解であったが、究極の基本要因は自己調整的市場に亀裂が入ったことだと主張している。
一般的に、市場とは資源配分を促す機能だとの解釈に慣れている身にとって、市場はむしろ「その矛盾を通じて変形するものだ」というポラニーの視線は奇異だが同時に新鮮だ。間違えることの多い現代の金融市場は、確かに矛盾を抱えている。だがその間違いは間違いとして認識されず、市場は市場であるといった禅問答によって正当化されているのが現状であろう。
19世紀の自由主義体制の崩壊が、その市場経済の抱える矛盾の破裂によって発生したのならば、20世紀に勝利を収めた新自由主義のイデオロギーに基づくグローバル金融に支えられた現代経済もまた、その矛盾を通じて崩壊する可能性があるのだろうか。そのシナリオが起こりうるとすれば、それは米国市場において初期症状が現れる筈である。可能性の高いトリガーは、言うまでも無く不均衡問題である。
米国批判が強まる中で、「日本的資本主義のあるべき姿」を問う声も増えているが、実際にそのモデルを差し出す勇気のある人は少ない。現代のグローバリゼーションを前提とした資本主義を多少なりとも批判すれば、時代遅れの社会主義のラベルを貼られるか、保守反動として蔑まれるかのどちらかであるからだ。ここにも悲しい二項対立の影響が及んでいる。
「大転換」においてポラニーは、自己調整的市場が崩壊した後の理想の社会像として社会主義を選択している。「複合社会における自由」と題する終章において、自由の拡大を求めながらもそれを達成できるのは自由主義ではなく社会主義であるといった議論を展開しているが、その論理にはやや理解し辛いところがある。その議論の中で述べられた「市場経済の消滅が先例を見ないほどの自由の時代の幕開けとなる」との一文は、現代社会においては説得力に欠けるように聞こえる。
だがポラニーの思考は、BMA第131号で述べたように、現代資本主義が「自由度の適度な束縛」によって発展してきたとの考え方と決して矛盾するものではない。また、自由主義者が述べる自由の概念とは「単に自由企業の擁護に堕落している」との批判は、自由主義が大企業の利得において語られることの多い現代社会に対する鋭いテーゼとしての威力を保っている。自由な社会とは市場主義を礎とした資本主義社会であるとの米国流の恒等式的通念に強い疑念が寄せられ始めた21世紀において、ポラニーの市場批判の中に、警告としての意味を読み取る必要があるのではないか。
「大転換」した後の20世紀経済は、ケインズによる政府介入の経済モデルの台頭で、ポラニーが見立てた経済社会の道筋を辿るように見えたが、その後は大きく変貌し、1980年代からは再び市場経済が社会を飲み込んだ世界観が普及し始めた。だがポラニーの深い思索は、決して埋葬された訳ではない。徐々に我々は「20世紀の市場文明の大転換」の時期を迎えつつあるのかもしれないのである。
市場経済を原理とする資本主義に対峙して、マルクスはその制度内部の矛盾に光を当て、ウェーバーは人々の内面に潜む問題を抉り出し、ポラニーは市場経済の特殊性を抽出してみせた。これらを色褪せた思想と見るか、先達の鋭い洞察と見るか。市場は時々刻々と動くが、その裏側に日々堆積する塵の山にも時々目を向ける必要もありはしないか。