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◆ オルタナはバブルか闇か

◆ 代替投資の規模

代替投資、つまりAlternative Investmentという言葉がいつ頃から人口に膾炙し始めたのか、よく覚えていない。少なくとも筆者がスワップションの取引相手にヘッジファンドの名前を見出した1990年代前半には、そうした単語は存在しなかった。但しAlternative とは、市場取引の観点ではなく投資家の視点から発せられたものであるから、筆者の耳に入って来なかっただけかもしれない。1990年代後半には、既に「オルタナ」という言葉が金融市場の一般用語になっていたように記憶する。

投資の世界だけでなく、金融業界において今やAlternativesの存在を知らぬ者はいないだろう。その代表的存在はヘッジファンドであるが、現在ではプライベート・エクイティ・ファンドもその一角を占めている。また商業用不動産や、コモディティ関連の投資も、伝統的有価証券に対する代替投資の位置を確立している。そのうち、Alternativesこそが投資の主流だと思う世代も登場するかもしれない。そうなれば、もはやどちらがオルタナだか解らなくなるだろう。そんな心配をしたくなるほど、その隆盛は凄まじい。

現在、世界の投資市場の規模は約60兆ドル(約7,000兆円)であると言われている。その内訳は、株式が38兆ドル(Datastreamの推計)と債券が22兆ドル(Lehmanの推計)である。その規模と比較すると、Alternativesは約3兆ドル(JP Morganの推計)であり、5%に相当するに過ぎない。従って、世界の機関投資家の多くがAlternativesへの配分を数%に置いているのは、規模に見合った投資だと言えるかもしれない。

この3兆ドルの中で、最も規模が大きいのが運用資産残高1.2兆ドル(HFRの推計)と言われるヘッジファンドであり、次いで急速に残高が膨張しているプライベート・エクイティ・ファンドである。JPモルガンは、EVCA(European Venture Capital and Private Equity)の調査結果で得られた欧州PEファンド残高1,730億ユーロから、世界のPEファンドの規模を9,000億ドルと推定している。

またREITの普及によって、投資対象としての商業用不動産市場が急拡大した。NAREIT(全米不動産投信連合)の調査では、REITも含めた世界の不動産投信市場は8,000億ドル規模(うちREITが5,000億ドル)に達しているという。但し商業用不動産自体の市場は約15兆ドルと言われるから、証券化されているのはその5%に過ぎない。

さてAlternatives3兆ドルのうち、残りの1,000億ドルが商品市場だ。これは殆どがGSCIやDJ-AIGの指数に連動した債券である。この金額は、約2兆ドルと言われる現物商品市場の5%であり、奇しくも不動産市場における証券化比率と同じ水準だ。

◆ 代替投資の捉え方

Alternativesは、市場全体に占める規模は小さいにしても、その金融システムへの影響度は決して無視できるものではない。商品市場においては、天然ガス取引だけで運用金額のほぼ7割を吹き飛ばした大手ヘッジファンドのアマランス・アドバイザースと、分散投資の哲学のもとでその無謀なる賭けに参加していたファンドオブファンズとは、あらためて「最大の自由」の背後にある「極度の危険」の存在を浮き彫りにした。

ヘッジファンドのリスクと言えば、誰しも1998年のLTCMを思い出す。あれはロシア国債価格の急落を契機として同社が破綻寸前に至り、システミック・リスクという文脈で国際金融を震撼させた出来事であった。当時は、マクドナーNY連銀総裁がやや強引に欧米金融機関に召集をかけ、緊急融資などでその破綻が世界中に波及するのを防いだ。それを契機に米国の金融ダブルスタンダードが指摘され始めることになる。

それはさておき、21世紀に入って少なくとも金融市場では市民権を確立したAlternativesに対して、欧米市場では二つの視点での興味深い観察が始まっている。一つは、この分野は「バブル進行中」ではないかという懸念であり、もう一つは「闇世界の拡大」ではないかという疑念である。前者は運用世界から見た座標、後者は金融システムの視点からの座標であるといっても良いだろう。

出る杭は打たれるのが世の常である。今ではあまりに当たり前の存在になった金利スワップやオプションでさえ、発生当時は胡散臭い目で見られたものだ。「派生商品」や「新商品開発」といった部署は、当局検査や税務検査などでしつこく締め上げられた。ジャーナリズムは、一斉に錬金術や黒魔術といった形容で、デリバティブズを糾弾していった。金融機関の経営ですら、その「怪しげな部門」から上がる収益の基礎資源がどこにあるのか、訝しげな表情で見ていたのである。

そんな金融ビジネス史を振り返るだけで、こうした警戒感が生まれる背景はすぐに理解できる。但しそれは、デリバティブズやオルタナが全く問題のない清廉で完璧な金融取引であるという主張には繋がらない。それぞれに、バブル的な要素や暗闇的な不透明さが存在することは否めないのである。

おカネが絡む世界に、清貧の思想は馴染まないことは言うまでもないだろう。その常識の見極めこそが、先端産業に問われる最も難しい力量なのだ。20世紀後半は、デリバティブズにそれが求められた時代である。その意味でオルタナは、21世紀金融人の真の技術力と倫理感が問われる最も重要なアジェンダであると言っても過言ではなかろう。

◆ 代替投資のバブル度

さて、上記に挙げたオルタナとしてのHedge Fund、PE Fund、不動産関連投信、及び商品関連の「バブル度」に関してJP Morganが興味深い分析を行っているので紹介してみよう。結論から言えば同社の判断は、前者二つのファンドのリターンには「バブル度」は乏しいが、商業用不動産と商品を対象とする二つのオルタナ商品にはやや警戒が必要だ、とするものだ。

だが「バブル度」を定義するのは難しい作業である。一般的に、市場価格が本源的価値を大きく上回っていれば「バブル」と言うのだろうが、その客観的尺度をどう設定するのか、通説すらない。「バブルらしい」価格の上昇が延々と続けば、それはむしろ基礎的条件の変化に価格が追いつこうとしていると見ることも不可能ではない。グリーンスパン前FRB議長が述べたように、バブルは破裂して初めてその現象を確認できるに過ぎない。

そうは言っても、何かしら「バブル」の気配を感じることはある。経済や金融市場において第六感は馬鹿に出来ないものである。博才なきまま、感覚的なTradingである程度の収益を上げてきた経験から、しみじみそう思う。だがそれでは小論にならぬ。

JPモルガンは、9月8日付け“Are Alternatives the Next Bubble? ”と題するレポートの中で、バブル計測の変数としてリターン、評価(Value)、そして投機的取引量の三つを、標準偏差を判断基準として用いながら分析を行っている。その概要だけ以下に整理してみよう。

まず商業用不動産市場に関しては、リターンと評価の面においてバブル的な色彩が強いが、資金流入量に関しては過去のバブル期と比べて過熱感は無いとしている。REITのレバレッジ・レシオも40%程度であり、異常値とは言いにくい(但し、商業用不動産と住居用不動産では世界が違うとも付記している)。

一方商品市場に関しては、高いリターンや取引量の急増の二面において、バブル度がかなり高まっていると述べている。特に前者はWTI市場で顕著に見られる。また後者は金融機関や個人投資家の新規参入が主因だ。

この二つの市場に共通するのは、ネガティブ・キャリーが悪影響を及ぼす心配だ。引締め政策の結果、米国不動産のキャリー・コストは増加中である。また商品市場でも先物のバックワーデーションからコンタンゴへの移行が、ボディー・ブローのように効いているのは懸念材料であろう。

こうした二つの市場における「バブル的な匂い」に比べると、PEファンドにはその兆候が見られない、とJPモルガンは結論している。客観的なデータの取りにくい分野ではあるが、Cambridge Associatesの調査やLPX50指数などを用いながら、三つの指標それぞれにおいて、異常値は見られないとしている。

最後にヘッジファンドに関しても、レバレッジがやや上昇気味にあるとは言ってもその水準は許容範囲で、他の二点においても目立ったバブル性は無いとする。収益機会の減少という業界の過熱を示す弱点に関しても、アルファは減少中だがまだ魅力が残る水準を維持していると述べている。

◆ 不透明化する金融

さて、オルタナを全く別の観点から見て分析したのが英エコノミスト誌である。JPモルガンは投資対象としてそのバブル度を観測したのに対し、同誌はその取引の透明度に焦点を当て、金融システムという面からの危険性を論じる。そこには、最近CDSやCDO取引の急増に神経を尖らす欧米金融当局の懸念が共有されている。オルタナ、特にヘッジファンドやPEファンドが、金融システムの破綻を引き起こす可能性があるのではないか、という警告である。注目されるのはやはり「クレジット市場」だ。 

債券や銀行ローンなどのクレジット市場には、定期的に危機が訪れる。1980年代の累積債務国問題は、その衝撃の大きさを世界に知らしめた。その後、1990年代にもメキシコ、アジア、ロシア、2000年に入ってアルゼンチンと国際的に波及する危機が続いた。だが、現在の金融市場では、そうした国へのリスクよりも企業へのリスク問題の波及効果が注目されている。それは、CDS・CDO市場やファンド規模の拡大と密接に結びついている。

企業のクレジット問題が注目されるのは初めてではない。既にITバブル崩壊の契機となったEnronやWorldcomの破綻、最近のGMやFordの経営危機など、クレジット市場への揺らぎは何度も体験済みである。だがこうした事象から市場を救ったのはCDSやCDO市場などのヘッジ機能であり、それは金融当局も承知している。だが現在では、逆にCDS市場の急拡大が市場混乱を引き起こす可能性が高まっているという見方が強まっている。

但しそれはCDS・CDO市場そのものが原因ではない。その市場の主な利用者がHedge Fundなど、従来の金融機関ではないことが一因である。当局から見れば、銀行や証券会社と違ってHFは隔靴掻痒の存在だ。それに加えて、最近のPE Fundの急速な拡大も懸念材料になっている。銀行はBISで縛ることが出来るが、Fundとなればお手上げである。観測地点からやや離れたところで金融の亀裂が発生する事態は、金融当局には耐え難い筈だ。

エコノミスト誌は、クレジット市場が当局の手の届きにくい“Dark Matter”を組成していると述べ、世界経済にとって有効な機能を発揮している一方で、歓迎されざる一面が浮き彫りになりつつあると論じている。規制のある市場と規制が緩やかな市場が共存していれば、規制を逃れてその「闇」に参入する動機付けが生まれるのは事実であろう。1998年のLTCMや先般のアマランスの大失態は、ともに集中リスクと過大なレバレッジの産物である。その意味で言えば、この二つの事件は「闇」が生んだ負の遺産でもあった。

クレジット市場は「過去10年間に三つの点で大きく資本市場を変革した」と同誌は述べている。資金が借り易くなったこと、銀行以外の貸し手が増えたこと、そして買収を通じた非公開化が増えたことである。CDSやCDOという先端技術とFundという新たな金融主体の登場が、この変革の中で市場の「闇」を拡大しているとの分析だ。

金融当局はHedge Fundへの懸念を強めるが、PE Fundも要注意である。特に買収ファンドの新規組成ペースの拡大は凄まじい。2001年には50億ドル程度であった調達額は2005年には3,000億ドルに達し、本年も既に上半期でほぼ同額に達している。こうした資金が、公開企業の非公開化を加速する。米国が主流だったLeveraged Loanは欧州にも広がり、もはやジャンク債を大きく上回る市場に育っている。CDSやCLOと並んで、こうしたローンもまた「闇」に包まれている。

だが、こうしたトレンドはBISルールなど益々複雑化し教条化していく規制の流れと裏腹の関係にあるのではないか。エコノミスト誌の論調は、金融の不透明化は自由主義経済の進展へのブレーキだと描写するが、それを促した理由の一つに当局による「規制哲学の欠如」が指摘されても良い。水は低きに流れ、金融は束縛を逃れ自由を求めて動く。日本の金融行政は勿論のこと、欧米当局にすら、金融に向かい合う上での柔軟性が欠け始めたように見える。

金融を自由化することは、1980年代からの現代的Globalizationに即した政策であった。その結果、様々な問題が噴出して各国行政は金融の取り締まりに着手する。それは必要なことである。だが規制が市場を縮小させる方向に働けば、市場は闇を求めて動き始める。それは当然のことである。

バブル度と不透明度は、全く異なる分析視座ではない。同根の問題から派生し増殖するオルタナの二つの側面を別の角度から見た現象に過ぎない。行政の市場理解度が向上しない限り、その二つの醜さは増大する一方であろう。日本はおろか英米の行政当局の姿勢にさえも、ペースの早い市場変化に対応が追いついていないように見えるのが気懸かりだ。

2006年11月17日(第135号)