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◆ 日本の金融産業は成長しうるか
◆ アジア・ゲートウェイ構想
従来、日本の金融産業は金融機関経営を含めて様々な意味で低い評価付けがなされてきた。例えば、経営水準が高くないのは認めざるを得ない一方で、技術水準のようにどう見ても不当に低い評価だと思えるものもあった。また、金融業は主要産業への資金提供を行うインフラとしての位置付けが長く続き、自らが自動車や電機などと同様に日本の主要成長産業の一つであることが意識されてこなかった、という面もある。
更に、金融業は外交的な意味において国家戦略の一つのツールであることがあまり意識されず、政治的に金融のグランド・デザイン的構想がなかったことも指摘できよう。英国や米国は、金融業をややダブルスタンダード的に政治利用してきたが、日本では金融が円借款やODAのようなやや片務的で収益性度外視の援助目的利用に限定されてきた。また1997年のアジア危機の際には、米国や中国から日本主導のアジア金融戦略「封じ込め作戦」に屈するという恥辱も味わってきた。
金融を、成長産業として見る座標と外交ツールとしてみる座標とは、全く異質のものではない。それどころか、日本の将来の経済成長源泉はアジアなど海外途上国の発展に求めるしかないという視点に立てば、その二つを組み合わせて新たな金融戦略を描く必要にも迫られる。
政府が唱える「アジア・ゲートウェイ構想」に「金融」が一戦略項目として認識され、内閣府からその「戦略会議」への進言を求められたので、政府に対して2月23日に以下の内容で提言を行った。この戦略会議自体は非公開ではあるが議事要旨は既に公開されている。以下は発言そのものというよりも、筆者の考えを戦略会議の場において口頭で述べる前に事前に整理したものである。
アジア・ゲートウェイ構想に関しては既にBMA第140号で若干触れているが、この中には「人流・物流ビッグバン」、「国際人材育成・受入戦略」「国内市場型産業の競争力強化」「アジアの活力を取り込む地域戦略」「日本の魅力の向上・発信」「アジアの共通発展基盤の整備」そして「日本・アジアの金融資本市場機能強化」という7つの重点政策が盛り込まれている。
その金融戦略に関しては、「日本の国際金融センター化とアジアの金融資本市場の育成」といったサブタイトルが付いている。前者に関する私見は既に述べたので、特に後者に関わる部分についての提言内容を以下、要約しておきたい。
◆ アジアの成長は次世代年金原資だ
個人的な経験則で恐縮だが、長期にわたって英国や香港の市場で仕事をしながら或いは海外の金融機関で働きながら日本を客観的に眺める立場に置かれていると、発展速度のあまりに遅い日本の金融産業に対する歯痒さを感じずには居られなかった。さらに言えば、英米型の金融市場とは全く歴史過程を辿ってきたにもかかわらず、均質的なグローバル市場という平面的な一種の固定概念に囚われやすいのも東京市場の特質である(日本版シティ作りなどという発想の貧困は、その典型であろう)。
そこに、「成長するアジア」と「日本に蓄積された資本」とを基本軸に置いた金融戦略構想が生まれつつあることは、素直に歓迎したい。これは大変建設的で意味のある目標であるとともに、日本の金融産業が成長産業として脱皮できる可能性を示唆する数少ない視点であることも、付記しておきたい。
現在日本では、メガバンクから地域金融までまるで金太郎飴のように住宅ローン、中小企業、運用業務といったお題目を並べている。そこにはアジア戦略が抜け落ちている。一つくらいは英スタンダード・チャータードのような海外専門銀行があってもよい。興長銀や為銀制度が時代遅れになったのは明らかだが、専門色豊かな金融機関というコンセプトまで排除すべきであったかは疑問であろう。さらに、国内産業の成熟度や人口構成を考えれば、日本国内で完結する金融産業が次世代を担う成長産業に飛躍するとも思えない。日本の金融産業はまさに衰退産業としての入り口に向かいつつある。
やや俗世間的に言えば、我々の年代よりもやや若い世代の年金源泉は、海外の成長力、就中、アジアの成長力に依存していることは明らかである。アジアなどの途上国の成長が底上げされ、インフラが整備され、消費力が加速されていくという過程で、日本の経済力が維持されるのである。従って、アジアの潜在力と日本の資金力とを、金融戦略の両論とすることは、日本に取っても不可欠な作業である。
但し、以前香港で資本市場に従事した経験から言えば、アジアで欧米のような直接金融型の資本市場が急速に発展するのは難しいのではないか、という印象を持つ。アジアは伝統的に銀行融資が主流の市場であり、それは現代に於いても殆ど変化していない。そうした間接金融市場を、証券化などの技術を利用して直接金融とのパイプを強化していく、というのが「アジア・ゲートウェイ金融」一つのあり方であろう。
中でも、アジアのインフラ強化を目的とするプロジェクト・ファイナンスは、こうした戦略の最も現実的なターゲットになる。既に中東での長期インフラ・プロジェクトに、多くの欧米投資家がファンドや証券化を通じて資金を投入していると言われる。特に負債期間の長い年金基金などには、格好の運用対象となっている。こうしたプロジェクト・ファイナンスを特定金融機関が実行し、証券化によって幅広い投資家に販売していくことは、金融産業基礎固めの出発点として取り組み易い筈である。
だが一方で、ファイナンスに於いては必ず通貨の問題が出てくる。ドルやユーロの調達であれば、日本市場の出番はない。中南米や欧州では途上国はローカル通貨での調達を増やしており、アジアもその方向に向かうとすれば、そうした為替リスクを誰が取りうるのか。或いは当面は円建て市場を考えざるを得ないとなれば、これまで日本が避けて来た円の国際化という問題に直面する。いずれにしても、「アジア金融市場と通貨問題は表裏一体」であるという認識を持って臨むべきである。
現実問題として、弱い通貨を好んで選択する投資家は居ないと考えておくべきだろう。余談だが最近の世界的円売り傾向を見ると、金利差だけでなく日本の通貨に対する政治的無関心を見透かされているような気もする。円相場の上方硬直性が構造的だとすれば、民間ベースのアジア戦略はむしろ円ではなくアジア通貨のリスクを取りに行く、という路線を考えるべきかもしれない。
◆ 国の出番も
提示された基本構想の枠組みに異存は無いが、幾つか高いハードルもある。例えば「安心して投資を行う環境整備」は最も重要だが同時に最も難しい課題でもある。特にアジアが絡んだ多様な商品を投資対象として受け入れることが出来るかどうか。為替リスクのみならず、信用リスク判断・評価が出来る信頼感のある第三者機関が存在しない限り、アジアへの資金還流は進まないのではないか。世論に逆行するが、民間金融への信頼感が低い現状では国際金融での政府系金融機関の役割を見直すことも重要ではないか。
また言語や慣行面でのバリアフリー市場、例えば英語で取引可能な国際証券市場構想といった点も理解出来なくはないが、そうしたバリアの意味に限って言えば既に香港やシンガポールが先行しており、正面勝負するには無理がある。むしろ税制や会計面でのバリアの垣根を低くしながら両市場に無い強みや工夫をアピールすることが必要だろう。メディアや法曹・会計界、観光業など金融周辺分野を総動員して、東京に居なければ不便だと海外勢に言わせるような環境作りに踏み込むことが不可欠である。
更に、直接の金融業ではないが、温室効果ガスの排出権市場への検討なども、日本の金融的総合力をアピールする一つの方策になりうる。特にアジアはその成長過程で必ずガス排出に対する施策を要求されることになり、問題意識は必然的に高まっていく。日本からの進出企業もガス排出抑制事業への投資によって排出権の獲得に踏み出している。その売買市場創設を日本で検討することも、アジア・ゲートウェイの考え方に即したものではないか。
総論として、「利用者に魅力的なアジア・ゲートウェイ」という場合、金融で言えば資金調達者ではなくもっと投資家の視点に重点が置かれるべきであろう。お金はプラスからマイナスに流れる電流のようなものであり、環境整備という回路設計の「必要条件」だけでは通電しない。そこに電圧を加える「十分条件」が加わらなければ、金融は動き始めないという基本をまず抑えるべきではないか。つまり、投資家を動かすためのエネルギーをどう作り出すかが大きなポイントであり、具体的な施策を検討する際には、投資家をどう動員するかといった観点を重視しなければ、構想自体が壁に突き当たるリスクも否定出来ない。
以上が提言の骨子であった。
◆ アジアの構造問題
さて、アジア金融の問題としてしばしば指摘されるのが資金循環構造だ。例えば、欧州での資産運用はEU域内が65%で米国向けが約15%程度そしてアジア向けが約10%、米国では国内が約40%で欧州向けが30%、アジア投資は20%程度と言われている。これに対してアジアの投資は米国向けと欧州向けがそれぞれ40%と大半を占めており、アジア向けは8%程度に過ぎない。域内投資という観点から見れば、かなり歪曲した姿になっている。
つまり、アジアの貯蓄は主に欧米市場に流れ、その一部がファンドや銀行などを通じてアジアに還流していると言うことも出来る。政府がアジア・ゲートウェイ構想の中に金融を挿入したのも、何故アジアはアジアに直接投資しないのか、何故その収益性をアジアで収穫出来ないのか、という疑問が発端になったものと推察される。
その構造を説明する答えは人様々であろう。だが欧米の金融力がアジアのそれを比べ物にならぬほど勝っている事実をまず認めない訳にはいかない。アジアの金融収益を欧米市場に「搾取」されているのは、必然的な優勝劣敗の結末であるとも言える。単純な環境整備でアジア金融を通じた日本の金融産業力育成を夢見るのはあまりにナイーブだ。
そこに、ややアナクロニズム的な明治時代の列強への対抗の為の富国強兵的軍事イメージをダブらせることには抵抗を感じる人も多かろうが、その程度のことを考えずに金融産業がアジア展開出来る筈もない。欧米にとってもアジアは宝の山なのであり、そう簡単に日本の金融に収益機会を譲ってくれる訳が無いのだ。
やや辛辣にそして過激に言えば、革命的に欧米からアジアでの収益機会を剥ぎ取るような理論武装と、実弾の備わった国家的サポートが無い限り、残念ながらアジア・ゲートウェウイの金融戦略構想が日本に、そして日本の金融産業に豊かな果実をもたらすことはないだろう。