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◆ マネーロンダリング対策

◆ マネロンへの問題意識

例によって10年以上も前の英国勤務時代の昔話で恐縮だが、ある中東の銀行の商品開発担当者と名乗る男から、ビジネスの相談に乗って欲しいとの電話が入った。派生商品のプロダクツ開発に絡んで同業他社の人間とミーティングするという機会はそれほど多かった訳ではないが、ひょっとして潜在的な顧客かなとも思って、彼が英国に来る際に会うことにした。

今でも覚えているが、タイもスーツも身にまとわず萎びたジャケットを着たヒゲモジャのその男は、デリバティブズのプレゼン資料でも商品開発のシートでもなく、かなりの金額が記された手形のコピーを持ち出して、この手形を買い取ってXX銀行に送金出来るかと言い始めた。こちらも心の準備が出来ていなかったので、それが何の話だか良く解らない。

直感的に怪しい取引だという事くらいは判断出来たので、丁重にお断りしてお引取り頂いたが、その一部始終を同じ職場の先輩であったA氏に話をしたら、お前そりゃマネロンの手先だよ、と一喝された。応接室などに通して合うべき人間ではなかったのだ。

Money Launderingという言葉は聞いたことがあったが、それが実際にどういう取引なのかは正直言って想像したことも無かった。当時は麻薬関係の資金洗浄が主な金融犯罪であり、日本の金融機関が関与するようなケースも滅多に無かったように思う。

実際に、薬物以外のマネロンに関して国際的な協議が始まったのは、1995年のハリファックス・サミット以降のことである。その後、1998年のバーミンガム・サミットで各国においてマネロン情報分析機関を設置することを決定し、日本でも2000年に特定金融情報質が新設されている。

だが、世界の政治家や金融機関がマネロンに対して本格的な問題意識を抱き始めたのは、2001年の同時多発テロ以降のことである。あの事件は、アルカーイダという名前とともに、そのテロ活動を支える資金源に対する疑惑をも高めることになった。そもそも彼等の活動資金は富裕層の出であるビンラディン一族の遺産であったと言われるが、そのテロ組織拡大に伴うコストは、密輸や偽ブランド商売、麻薬販売といった資金を洗浄して得られたものと見られている。

米国はこうしたマネロンに対する警戒を強めていったが、それは本年注目された北朝鮮におけるマカオ銀行の「25百万ドル問題」にも連なっている。日本の金融機関も米国の要請を受けてマネロン対策に協力してはいるが、その管理実態はと言えば、昨年三菱東京UFJ銀行がそして本年は三井住友銀行がそれぞれ米国当局の検査で「ダメ出し」を喰らったように、かなり問題意識が低い。金融庁の対応も、金融活動作業部会(FATF)の「40の勧告」に基づき、窓口で10万円を超える現金取引を監視する、といった石器時代のような対策でお茶を濁しているのが現状である。

◆ あるチェック・モデル

マネロンもいわば金融リスクの一つであり、リスク管理の対象となるべきものであることは誰にも異存あるまい。だが、市場リスクや信用リスクに対する管理の精緻化に時間と資金を注ぎ込んできた邦銀勢は、マネロン対策という最も現代的なリスク管理には完全に立ち遅れた感がある。前述の「現金10万円管理」は、真面目に企画した当局の人々に対して失礼だとは思うが、殆ど冗談としか思えない。

因みに、英国バークレー銀行は同時多発テロが発生した2001年に、疑わしい取引を自動的に検索するシステムを導入している。マネロン対策といえば、日本で話題になるのは「疑惑の口座管理」をシステム化してモニターするといった方法であるが、それはグローバリゼーションの下ではもはや時代遅れであり、一日10百万件以上の資金取引がある大銀行にとっては全く別の切り口から管理する必要性が生まれている。

バークレーズもまた平均して一日16百万件、多い時には20百万件を越えるという資金取引において、どのように怪しい取引をピックアップするのかが課題であったという。因みに彼等が導入したシステムは、「Fortent」という米国企業が開発したアプリケーションである。そのコンセプトは一種の統計処理であり、通常の取引をプロファイル化した上でアノマリー的な現象が発生した時に警告を鳴らすという考え方である。

想像に過ぎないが、これは金融市場でトレーディングをやっていた人の発想ではないかと思う。通常のリスク管理の感覚では、こうした考え方は出てこないような気がする。アノマリーを追いかけるのは、相場を統計的に見ることが好きな人々の癖であり、リスク管理とはアノマリーを切り捨てるのが仕事だからだ。この逆転の発想に、個人的にはちょっと感動したりする。

バークレーズの公開資料に拠れば、現在70万口座にのぼる預金口座のすべてに対し、毎日16百万件の取引を30名の専門スタッフが管理しているようだ。システム的には社内開発のネットワーク・プログラムとFortentのプログラムを並列に走らせて、これをFortentのシステムに統合して管理する。これによって一日平均500件の「疑わしい取引」がピックアップされるという。

マネロンに関わる取引は、口座が開設されてから数か月という期間が最も多いと言われるが、Fortentのシステムによってこうした特定期間を集中的に監視することも可能になる。但しその機能の最大の利点は、やはり異常取引発見のアルゴリズムであろう。当然ながらそこは企業秘密のようだが、この辺に詳しい友人の話に拠れば、その論理設計には複雑系の概念も応用されているらしい。一応カオスやフラクタルを齧った身としては、その詳細を知りたいのは山々であるが、その個人的興味はさておいても、複雑系的リスク管理にはまだやり残した点があったという意外さと、己の理論応用感覚への鈍感さとを痛感しないではいられない。

◆ 金融環境リスク再考

そんな戯言は兎も角として、米国では大手銀行は既にこうしたシステム的なマネロン対策システムを導入済みであり、現在は地方銀行が導入段階に来ていると聞く。地方銀行がマネロンに無縁だという保証はない。大手に比べればリスクは小さいかもしれないが、マネロンはむしろ「管理に無防備な銀行」を使う方向に動くのである。それを考えれば、今後は日本の銀行や民営化へと猛進する官製銀行が「利用しやすい」と彼等に狙われても不思議でも何でもない。

因みに、金融庁も本年初に「テロ資金供与・マネーロンダリング防止に関わる主要行等及び中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針の一部改正案」を提示し、3月13日から適用開始してこうした問題意識に対応する姿勢を見せているが、銀行界からのパブコメに対する回答をちらと眺めてみれば、「常にシステム対応が必要とされるものではありません」と「明快に」システム導入の緊急性を否定している。

2001年のバークレーズの対応や現在の米銀における対応など見られる海外の空気との感覚落差は大きい。因みに英FSAは、昨今欧米市場で大流行のアルゴリズム・トレーディングの手法を借りてマネロンやインサイダー取引など怪しい取引を抽出する作業を検討している、との報道(6月23日Economist誌)もある。当局の意識の落差もまた悲しいほど深い。

また今回の金融庁の改正も「本人確認、顧客確認、採用職員確認」というアイデンティフィケーションという面に特定されており、結局はタリバーンやアルカーイダ云々といった「制裁対象者」の抽出に力点が置かれているように見受けられる。そして最終的には「まずは銀行が判断すべきもの」として独自の判断に委ねている。それはそうだが、「出遅れ国」の当局としては、もっと厳しく「システム対応を含めた早期の管理体制を求める」というくらいの姿勢を見せるのが当然だろう。

流石に、米国で指摘を受けたメガバンクの在米支店ではシステム対応を余儀なくされたようだが、その危機感が日本に本格上陸するまでには今しばらく時間がかかりそうだ。別にマネロンなど時間がかかっても仕方がないと侮る勿れ。収益基盤の磐石でないところに大きな経費を掛けたくないというのが邦銀の共通した発想だろうが、コルレスというのは「世界標準」を備えていなければ相手にされない世界なのだ。ここで島国根性に拘れば、タダでさえ出遅れた邦銀は益々置いて行かれることになる。因みに、民営化予定の「ゆうちょ銀行」がマネロン対策を検討している様子など、聞いたことも無い。

日本の自動車業界は、環境時代に備えて世界をリードする技術開発に先行投資を行い、大きな果実を得た。金融もまた、「金融独自の環境問題」を見据える時期に来ている。

2007年07月06日(第150号)