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◆ 金融資産の流動性とは
◆ ディスガイズド・ローン
昔、欧州市場にDisguised Loanという言葉があった。私が英国で仕事をし始めた頃だから、1980年代前半のことである。隣の英人ディーラーが盛んにDisguised Loanという言葉を使うので、それは何だと聞くと、ローンみたいな債券で本当の債券じゃない債券だ、という訳の解らぬことを言う。債券とは何かを英国で勉強し始めた身にはよく飲み込めなかった概念であるが、変動利付債券とシンジケート・ローンの両方の市場を見ているうちに、やっとその意味が解るようになった。
もうお解りであろうが、Disguised Loanとは、全く流動性のない債券のことである。どうしてシンジケート・ローンでやらないのか、と言えば一つには当時拡大中であった債券取引の引受リーグテーブル狙いであり、もう一つは銀行が自己のバランスシートに抱える際に適用される準備率の違いから来る要請であった。当時の英国では、債券であれば積まねばならぬ自己資本が低率であったのである。BIS規制などまだ影も形のなかった時代であるが、英国市場は既に英中銀が定めるギアリング・レシオには敏感であった。
こうして売り捌きリスクのないDisguised Loanが市場を席巻するようになる。市場では「XXが幹事の場合は似非ボンド」といった風評が聞こえるようになった。そして実際に、XXが市場でTwo-Way Marketを出さないので、益々その声は強まることになる。ローン代替債券で下手なビッドを出せば、打たれるに決まっている。債券市場では徐々に二極分化が起こるようになった。
だが、資本市場の「有価証券化」が進むにつれ、徐々にDisguised Loanは消えていく。シティの花形はローンからボンドに移って行ったのである。そしてその後「ローンをリパッケージする」という取引が流行し始める。同時に、米国では大手米銀を始めとする「ローンのセカンダリー取引」が生まれる。米国市場では不良債権の売却を契機にローンの流動化が進み、そのノウハウを利用しながらLBO案件でのシンジケート・ローンの流動化が活性化するようになる。ここにおいて、ローンは債券と似たような流動性を確保するに至った。
資産の流動化は、さらに証券化技術の発展という支援を得て、金融経営を変えていく。バランスシートを機動的に利用して、リスクヘッジすると同時に新たな収益機会を探るという、まさにアングロサクソンが得意とする経営モデルの完成である。キーワードは流動化であり、流動性であった。「動かぬものを動かす」という技術は、古代から文明のジャンプ過程を促してきた力である。ローンが動くというのは、Disguised Loanという「動くべきものを止めてしまう」不自然な商品を見てきた私にとって、オプションに劣らぬ革命的商品のように思えたのであった。
◆ ローンは「動いた」のか?
勿論、今でも社債と融資のプライシングには流動性プレミアムの差がある。ローンが市場流動性の意味において債券と同じだということが難しいのは、日本だけではない。但し、「ローンを流動化しようと思えば簡単に出来る」という金融土壌があるのとないのとでは大違いである。特に銀行債権の場合は、経営マインドに大きな差が出る。
こうしてローンの流動化は欧米市場中心に拡大していくが、証券化商品に限定して言えば、市場流動性はそれほど進化しなかった。いわば証券化におけるローンの流動化は一次取引で終わったのであり、社債のように「持ち手が次々に変わる」という取引が生まれることはなかった。つまり証券化に限って言えば、動かぬローンが動いたように見えたのは証券化作業におけるその一回きりであったのだ。
ローンの流動性の限界は、ローンの流動化という言葉に我々が幻惑された結果でもある。ローンの流動化とは、言葉の印象からすると「動かぬものが動いた」という宣言に近い。だから、一度動けば二度、三度転々と動くような気もする。だが、日本のシンジケート・ローンにおいても見られるように、ローンが最初に動く時と二度目以降では、それに要するエネルギーの質と量が違いすぎる。
ローンの流動化とは、「ローンが動いた」のではない。証券化とは「ローンという動かぬものを動く証券というハコの中に入れた」ということであり、日本のシンジケート・ローンにおける取引も、「一度動くように作った」ローンが動いただけだったのである。
証券化のハコは特に動くことを要求されてはいなかったし、最低一度動くことを想定したローンにそれ以上の期待をかけるのは酷なことである。こうしたローンの流動化とは、いわば新たなDisguised Loanを作ったに過ぎなかった、と言えば言い過ぎかもしれない。だが、流動性がありそうで本当は流通しない、という点では昔の似非ボンドと良く似た商品になった。
もちろん、今日の流動化取引に大きな社会的意義があることは公正に認めるべきだろう。その信用の集中リスク分散効果も、世間からかなり過小評価されているのは少々問題である。CDSも証券化も、等しく金融・経済社会の「パレート向上」には大変大きな貢献をしている。但し、流動化商品の流動性を高めることなく、その商品量だけを増やしてしまうと、目詰まりが起こるようになる。今回のクレジット危機には、そうした限定的な流動性を改善しないままDisguised Loanの規模が加速度的に肥大した、という背景が見え隠れしている。
流動性のない金融商品をバランスシートにしこたま抱え込む、というのは、1980年代以降の日本の銀行が得意としてきた商売である。それをABCPのような短期資金で賄う、というSIVやHedge Fundの手法も、ある意味で日本のバブル期に流行した財テク・スタイルの踏襲だ。欧米金融当局が悩むのは、それをリスク感覚の甘い管轄外のノンバンクがやったからである。超低金利とカネ余りの日本でこれが起きなかったことは、本邦当局にとって不幸中の幸いであった。
モーゲージ証券化の問題には格付けやプライシングの問題など技術的な点も多いので、すべてを網羅的に論評するのは本論のページでは不可能である。敢えて焦点を商品流動性に集約してこの流動化問題の本質を考えれば、自ずと目線はプーリング手法の観察に落ち着いていく。
◆ ファンド形式の優位性
やや話はそれるが、3年半前に沖縄金融特区の専門家会議で筆者が主張したのは、中小企業向けローン・ファンドであった。実は、個人的には日本での証券化というスキームの完成度にやや疑問があったので、証券化ではなくローン・ファンドを紹介したのである。証券化は、まずエクイティを売らねばならぬ。一方でAAAが欲しいという機関投資家に向けた設計をしなければならない。そして、いろいろな制約条件を受ける中で、格付け会社と相談しなければならない。証券化とは結構厄介な手続きが多いのである。
筆者の直感は、ファンドの方が作り易く売り易い、というものであった。だが当時の市場認識では証券化手法支持が圧倒的であり、筆者が選んだ「中小企業向け融資」というテーマが実行に移されることになった際に、方法論としてはファンドではなく証券化が選ばれることになった。大手投信会社に相談に言った時も、ローン・ファンドは日本では売れない、と冷やかな対応に遭ったこともその結論を支持した。
筆者が意固地にファンドを主張したのは、当時ブームになりかけていた投信やJ-REITの姿を思い浮かべていたからである。そこでは様々な投資家が売買するイメージがあった。一つのハコに「動かないローン」をプーリングして、その証券を自由に売買するというのが私なりの一つの理想系であった。それは流動性に富むエクイティ的な発想でもあった。
中小企業向けのローンは、反語的な意味でまさにDisguised Equityであった。これを本当のエクイティのハコにしてしまおう、アップサイドの潜在性はやや欺瞞ではあるがリスクを取った成果として政府に補助してもらおう、と企んだのである。だが、ローンの流動化には投信やREITのように売買できる形態にすればよいのだという発想は、残念ながら受容れられなかった。実際には、私の案もまだ中途半端であった。
沖縄ローン証券化案件は無事に一件組成された。これは金融特区にとっての金字塔である。その成功を疑う者はいない。素案を提出した筆者にとっても、大きな誇りとなった。だが唯一心残りなのは、その商品自体に流動性がないことである。
ローンの流動化とは、銀行のバランスシートの自由自在を取り戻すとともに、投資家に新たな利益機会を与えるという意義がある。現代の証券化は、そこまでの成功を収めたと自慢して良いだろう。だがその次に、その証券化の交換価値はどのように担保されるのか、という難しい宿題を与えられることになった。米国サブプライム問題がこの重要性を浮き彫りにしたとも言える。
流動化とは、ある一時点で流動化されればそれで済むという時代を経て、常に流動性が保たれているという次段階にジャンプすることが要請されている。証券化商品がその課題をどう克服するのか、金融業界はもう少し頭をひねる必要がある。金融技術とはそうした進化過程を先導すべきものであり、技術者は目先の利益を極大化することだけに追われていてはならない。商品流動性への問題意識なしに、次世代の金融の発展は期待できないだろう。