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◆ 外貨準備の資本化

◆ 中国の経済システム指向

外貨準備世界一といえば日本が定番であったことを、いずれ忘れてしまう日も来るだろう。それほど、中国の外貨準備増加のペースは異常とも思えるスピードである。2006年初に日本を追い抜いた後は、あれよあれよという間に1兆2000億ドルというとてつもない金額に達し、今ではほぼ一日に10億ドルずつ増加している状況だ。今週末のG7では政府系ファンドについての議論も出るらしい。

外貨準備の意味や適正水準に関する議論は、拙書 で既に述べたので繰り返さない。だが普段あまり話題にならず、国際経済の教科書にも数行の解説しか載らないこの「外貨準備」が、国際的な金融市場で大きな存在になろうとしている。それを決定付けたのは、本年5月に中国が公表した、外貨準備を使ったブラックストーンへの出資決定と言って良いだろう。

この報道に対して米国専門誌などは、「高値で買う素人投資家の如し」と酷評して、日本の不動産企業が高値で米国の不動産を買い漁った事例に重ねあわせるような皮肉な受け止め方をしていた。だがそれは完全に中国の意図を見逃している。中国の意図は、マルクスを超越した資本主義の獲得なのである。

外貨準備は国の純粋な貯蓄でないことは指摘済みであるが、その実態に関しては不明瞭なことも多い。従って外貨準備に言及する場合は、国際収支や国のバランスシートという会計面と、運用利回りという市場面からなる立体的な角度からその定義づけを確認しておく必要もある。 本稿では、まず外貨準備という解りにくい存在を教科書的に捉え直し、中国がそれをどのように戦略化しようとしているのかを推察してみたい。

◆ 外貨準備とは何か

外貨が絡む、という点では外貨準備も国際収支の面からほどいてみるの適切だろう。国際収支会計は、周知の通り財やサービスを集計する経常収支と、資本を集計する資本収支とに大別されるが、それ以外の項目として外貨準備の増減が挙げられる。経常収支や資本収支もまた細分化されるが、恐らく本誌の読者には解説不要と思われるので省略する。

国際収支会計では、企業会計と同様に複式計上がルールとなっており、輸出が貸方に輸入が借方に計上される。資産の減少や負債の増加は貸方に、反対に資産の増加や負債の減少は借方に計上されることになっている。輸出が増えれば実物資産が減少するので、貸方になる。一方で、その輸出によって海外から支払を受けると、それは金融資産が増加、換言すれば対外資産が増えるのでそれは借方に計上される。つまり、輸出という一つの取引に関して言えば、経常勘定は貸方に、そして同額が資本勘定に借方に記帳され、プラスマイナスはチャラとなる(経常黒字と資本赤字)。

さて、外貨準備の場合はどうだろうか。外貨準備は政府・日銀のような通貨当局が管理する対外資産であり、資本収支の概念と同じではあるが、民間取引と区別する為に別項目として記帳されることになっている。ドル買い介入や利息収入などによって外貨準備が増えれば、会計ルールによって金融資産の増加(つまり対外資産の増加)と見做されて、借方で処理されることになる。

つまり最近の外貨準備増大を国際会計的に見れば、「外貨準備増減」の赤字が急激に拡大している、ということになる。更に注目すべきことは、よく見過ごされるように外貨準備の増大をもたらすドル買い介入には、反対取引となる「自国通貨売り」が必要であることだ。日本であれば、当局は売るべき円を用意しなければ介入が出来ない。その為に市中に発行される債券が、政府短期証券(FB)と呼ばれるものである。

以前は、大蔵省証券、食糧管理特別会計発行の食糧証券、外為資金特別会計発行の外国為替資金証券の3種類があったが、1999年にこれらが統一されて政府短期証券となった。この所謂短期国債は、財務省による数兆円規模の入札を通じて、その都度資金繰りに応じて不定期に発行されている。因みにその残高は、外貨準備増加のお陰で昨年末にはほぼ100兆円という途方もない規模に達している。

既に拙書の中で主張したように、外貨準備は決して国家の貯蓄ではない。外貨準備とは、こうした対内債務の増加と引換えに対外債権を増やしているに過ぎないのであり、その意味では国家ベースのキャリートレードのように見ることも可能である。日本や中国は、自国金利を意図的に低水準に維持している為にポジティブ・キャリーとなるので外貨準備の増加にそれほど抵抗がないとも言えるが、反対にインドなどでは国内金利が相対的に高いため、中国のように為替介入で通貨安を維持するのにコストがかかってしまう、という面も否定できない。

◆ 外貨準備の使い道

今年6月初旬だったと記憶するが、英国のエコノミスト誌が世界各国の公的機関に蓄積された外貨による運用が世界の市場を駆け巡っているという記事を組んだ。これにやや過剰反応した人々が「世界の中銀によるテマセック化」で金融市場は各国の外貨準備によって振り回される時代になった、と警告していた。

テマセックとは、1974年にシンガポールで設立された外貨準備の一部を運用する公的機関である。投資原理という意味ではほぼ民間ファンドの哲学に近く、同国内だけでなく日本など国外にも幅広く運用対象を広げており、投資金額は約1,000億ドルと推定されている。

テマセックは、中国の大手国営銀行に出資したりして注目されたのも記憶に新しい。産油国のオイルマネーや中国の外貨準備、ロシアの石油価格安定基金などの「国家ファンド」が、このテマセックと同様に、リターン向上の為に世界中で積極的な投資を開始することになるだろう、というのがその警告の論旨である。

それは、市場のボラティリティ上昇や国家による企業経済への介入といった現象面の予測としては必ずしも間違いではないだろうが、外貨準備を資本化するという事実は、もっと深遠なところで解釈すべきである。その一つは既に市場の懸念材料とされているロシア国営企業のエネルギー戦略であり、もう一つが中国のPEファンド出資を契機とする国家資本主義への設計図である。どちらも、新自由主義のイデオロギーに染まった西欧型資本主義への挑戦であり、資本主義という概念に滅法弱い日本にとっても、大きな脅威となりかねない。

そもそも、ソ連の崩壊や中国の市場主義経済導入を、資本主義の勝利とか歴史の終わりといった文脈で処理し、その内部分析にまで踏み込まなかったのは自由主義国の失態であった。勿論、ロシアも中国もマルクス主義の敗北を認め、市場経済の優位性を認識したという点では疑いのないところだ。だが、だからといって彼等が米国型資本主義を以って目指すべき体制だと考えた訳ではない。資本主義には本来、教義となる聖書などないのである。

10年ほど前まで外貨準備といえば、必要物資輸入の為の必要外貨の備蓄、或いは為替市場における自国通貨防衛のために必要な外貨の備蓄、といった目的意識のある概念であったが、現在では輸出の急増や海外からの投資資金流入によって需給の崩れた為替市場で、自国通貨安維持の為に介入した結果の積み上がりとしての受動的な概念になっている。従って外貨準備大国の先鞭を付けた日本に代表されるように、その運用も受動的でしかなかった。その「硬直的な伝統意識」が、中露などの経済新興国によって崩されつつあるのが現状だ。

中国は、剰余価値を資本化するというマルクスの教えとは全く違った、外貨準備という国家負債見合いの対外債権を資本として使う方法を発見したのである。それは、保有資本の回転によって剰余価値がブルジョアジーに再流入する19世紀型の資本主義ではなく、資本化された国家債権の回転によって剰余価値が国家に再流入するという21世紀型の資本主義である。

国家が資本を自由に扱うことが出来れば、国家を不要とするアナーキー主義や、プロレタリア国家建設のマルクス主義など、無用である。ロシアも中国も、国家資本主義を淡々と進めれば良いだけの話である。ある意味で、マルクスの資本論は書き換えが可能になったのだ。だが、これ以上の議論展開は現時点の筆者の能力では不可能である。あとは、淡々とこれらの権威主義型の金融資本がどう拡大するのか、或いはどこかで失敗するのか、じっと見守ること以外にない。

2007年10月19日(第157号)