HOME > 2008

◆ 黄金のルーブルと黄昏の日本円

◆ 究極のアセット・バック・セキュリティ

サブプライム問題のおかげで、証券化の評価が随分下がった。そして資産担保証券というカテゴリーもやや割を食う格好となった。証券化商品が消滅することは無いだろうが、その発行頻度が落ちれば人員削減などによって市場のムードも悪化するかもしれない。ジャンク市場がミルケン氏の逮捕やドレクセル破綻で急縮小したのを思い出す。必要な金融ツールはいずれ見直されるので心配はしていないが、そのプロセスはやや辛いものになるだろう。

資産担保証券というのは、証券化市場が独自に発見したものではない。通貨はそれ自体がある意味での資産担保証券であったからだ。兌換紙幣は、文字通り金に担保された紙切れであった。不換(信用)貨幣は、それが明日も流通するだろうという期待感を担保に設定するという、思想史的に革命的な商品である。現代の1万円札も、10ドル紙幣も、広い意味ではABSの一形態であると言えよう。

もう少し一般的には、信用貨幣は中央銀行の信用を「担保」としていると言われるが、1970年代に流行した「ペトロ・カレンシー」が市場で人気を得たのは、中央銀行の信用ではなく、石油が産出されるという事実、つまり間接的ながらも石油を一種の担保と見做した紙幣であるという理由からであった。

ペトロ・カレンシーの代表が、北海油田を擁する英国のポンドであった。基軸通貨の座から転落したポンドが激しい凋落を見せる中、一転してポンド買いの動きが始まったのは1960年代に開発が開始されたその油田のおかげである。ノルウェー・クローネもまた、ペトロ・カレンシーの仲間になった。因みにペトロ・ダラー(或はオイル・ダラー)は石油を売って入手した資金であり、今回の主題とは全く関係が無い。

北海油田ももはやピークを過ぎ、ポンドも高金利通貨として買われる事はあってもペトロ・カレンシーと呼ばれることはなくなった。その一方で、新たな「資源担保通貨」が不気味に浮上しようとしている。ロシアのルーブルである。何を馬鹿な、と嘲笑されるかもしれないが、プーチン大統領は意外に本気で通貨戦略を考えている気配がある。

日本に通貨戦略があったかどうかは議論のあるところだが、少なくとも最近では日本円の存在感が日々薄くなっている。キャリー取引では売られっ放し、貿易通貨としても頭打ち、ドル・マルク・円の三大通貨市場はユーロ・ドルの二極市場へと構造転換した。まだ準備通貨としてはポンドやスイスなどと対等に戦っているが、逆に言えば、「黄昏通貨」の仲間入りをしたと見ることも出来るだろう。

世界の資本市場への「新通貨」として人民元に注目が集まっているが、通貨を担保証券としてみた場合は、ルーブルの方に面白味がある。だが、「黄金のルーブル」を提唱したのはプーチン大統領が最初ではなかった。

◆ ルーブル復権へ

2003年のロシア年次教書などに注意を払った人などあまりいないかもしれないが、プーチン大統領はそこで次のような発言をしている。

「もう一つの重要な課題は、ルーブルを国内のみならず海外でも完全に交換可能な通過とすることだ。それも、資本移動においても、だ。(中略)ロシアには国際金融システムと結びついた強いルーブルが必要だ。」

1998年に実質的にデフォルトを起こした国が、その5年後にこんな発言をしても誰も本気にしなかったのは当然であろう。当時の外貨準備もまだ700億ドル程度に回復したばかりであった。当時のロシア国内は、ルーブルよりもドルが選好される事実上のドル本位制であったのは周知の通りである。年次教書はプーチン大統領の夢物語に過ぎなかった。

だが大統領の頭の片隅にあったのは、ロシア帝国のセルゲイ・ウィッテ蔵相であった、とNHK解説委員の石川一洋氏 は述べている。ウィッテ蔵相といえばポーツマス条約締結時のロシア代表である。1892年から1903年までの在任中に放漫財政を一気に改善して金本位制への移行に成功し、「黄金のルーブル」体制を作り上げた立役者でもある。

強いルーブルが外国からの投資を促すと考えたウィッテ蔵相は、通貨改革こそが最重要課題だと主張した。もっとも、改革には何かの材料が必要である。当時のロシア帝国に有利に働いたのは、穀物輸出の増加であった。それが金の蓄積を生み、金本位制へのステップとなり、安定感を得た「黄金のルーブル」が目論み通り外資導入を誘った。プーチン大統領の目に、原油と天然ガスの順風に恵まれた現在が、ウィッテ蔵相の時代と重なり合うのは当然のことかもしれない。

実は、エリツィン前大統領もウィッテ蔵相の政策をコピーしようとした時期があった、と石川氏は述べている。閉ざされたソビエト経済時代からロシアへと移行した時期に、ロシアはドル・ルーブルの変動幅に一定の目標圏を設定し、外資導入を通じた経済発展により、財政赤字補填の為に巨額発行せざるを得なくなったルーブル建て短期国債を返済していく、という計画を立てた。

確かに為替市場の安定は外資流入をもたらしたが、その中心はアジア・ショックでも見られたとおり、短期的に動くホットマネーであった。またポピュリスト政治に傾かざるをえなかった前大統領に、財政赤字を縮小させる力はなかったのである。その結果、大手ヘッジファンドのLTCMは経営危機に追い込まれ、国際金融システムの未曾有の流動性危機を呼び込んだ、あの「ロシア・ショック」が発生することになる。

ルーブルの復権は、ロシアの夢である。そして原油と天然ガスを背景に、国内ではカリスマ政治を、海外では反欧米の姿勢を明確にしつつ専制君主の道を歩み始めたプーチン大統領が、本年5月以降の院政への展開を睨みながら、「黄金のルーブル復活」プロジェクトに着手し始めている。

◆ 通貨の担保力とは何か

事実上の国家破産という屈辱を味わったロシアは、ルーブルの暴落を背景に徐々に経済成長を回復していく。そして前述したプーチン大統領の2003年年次教書と平仄を合わせるかのように、ロシア中銀は「強いルーブル」を宣言する。そこには、上昇トレンドを描き始めた原油相場があった。2003年は、原油上昇と強いルーブルの起点なのである。

そのプーチン戦略を現実の計画として描いて見せるのが、その後継者であるメドベージェフ第一副首相であろう。弱冠42歳にしてガスプロム会長を務め、欧米金融にも詳しい同氏は、今月2日の選挙で予想通りの圧倒的支持で新大統領に選出された。5月に就任する新大統領が経済政策を、プーチン首相が外交政策をそれぞれ担当することになるのだろう。

海外紙の報道を見ていると、そのメドベージェフ氏は数年前からはっきりと「双子の赤字を垂れ流す米国が世界の不安定要素になる」と述べているのが判る。そしてドルに偏重した外貨準備のポートフォリオ修正の必要性を指摘してきたのも同氏である。その言に従い、ロシアは既に大胆なユーロ・シフトを敢行済みである。メドベージェフ氏は一歩進めて、ルーブルもまた準備通貨の仲間入りをすべきだ、とも主張している。そのくだりは、先日プーチン大統領もどこかの演説で使っていた。

ロシアの通貨戦略は、世界市場での通貨の多様化を先取りしたものである。ドルの一極体制から多数の通貨が入り混じる通貨体制に移行するのは必然だ。その中で、ルーブルを交換可能通貨にし準備通貨に育成することで、原油及び天然ガスをルーブル建て取引に、というのがロシアの最終ゴールであろう。日本もいずれ、ロシア産のガスを購入するために、外貨準備でルーブルを保有する必要に迫られるかもしれない。財務省や日銀に、そんな問題意識がどこまであるのだろうか。

日本円の国際化を嫌がり、円高を嫌がってきた日本は、それが積極的な通貨戦略なのであれば構わないが、旧大蔵省や財務省はそうした説明を一切してこなかった。政治家も誰一人として、日本円をどう位置付けるかといった発言をしてこなかった。結局、日本に通貨戦略は存在しなかったに等しい。それは、担保にすべき資源(資産)への意識が無かったことの裏返しだったと読めなくもない。

ルーブルは新たな「資源担保通貨」として、10年も経てば見違えるような存在になっているかもしれない(勿論、ならない可能性もまだ60%くらいはある)。中国の人民元は、成長潜在性を担保としてその通貨力を伸ばすことだろう(こちらの可能性はもっと高いだろう)。日本の通貨は、さて何を担保とすべきなのだろうか。

モノづくりもよい。マンガ輸出も結構だ。だが、それらは通貨の担保になりうるだろうか。現在ドル円は100円を割れているが、それは飽くまでドル急落の結果であり円高と見る人は多くないだろう。1970年代以降の日本円の担保は、驚異的な成長力であった。それに代わる担保無しに、国家負債としての通貨はどこまで「信仰」されうるだろうか。

2008年03月21日(第167号)
 
s