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◆ 為替取引税と炭素税
◆ タバコは1000円時代へ
新聞報道なのでその真偽の程は良く解らないが、6月辺りから自民党の中でタバコ1000円説が急浮上しているらしい。その先導役がヘビー・スモーカーの中川秀直氏だというから消費税増税への牽制論に過ぎない可能性も高く、俄かには信じ難いのだが、嫌煙派には朗報であろうし、禁煙したい人には絶好のチャンスになるかもしれない。
日本のタバコの安さには「定評」がある。今どき、200円程度で買えるタバコなどどこにもない。増税論が起こるたびにタバコ値上げは俎上に上ったが、その都度「愛煙家」の集まる税調などで無視されてきた。また、タバコを値上げしても禁煙者が増えるだけで増税には寄与しない、という論調も強かった。別に増税にならずとも禁煙者が増えればそれで良いのでは、と以前は1日三箱吸っていた元ヘビー・スモーカーの筆者は思うのだが、政治の世界はそんなに簡単なものではなさそうだ。
読者の中にもチェーン・スモーカーがおられよう。1日一箱でもコストは月に6,000円から一気に3万円へと急増、三箱吸う人は9万円の出費になる。嗜好は人それぞれとは言うものの、本当に1000円になれば流石に禁煙を考える人は急増するだろう。私の愛煙家友人3名に聞いてみたら、3名とも止めると言っていた。因みに筆者は10年前に完全禁煙に成功したので値上げには全く無縁(無煙?)である。
財務省に拠れば2003年と2006年にそれぞれタバコ1本1円(一箱20円)の増税を行った際にも禁煙増で税収は殆ど増えなかったらしい。1000円ともなれば、さらに禁煙者は増える筈であり、税収対策にも限界はあるような気もする。
日本学術会議の試算に拠れば、税金を現在の一箱あたり約189円に300円加算すると、喫煙者は300万人減の3310万人になってタバコ消費量は800万本減の1910億本になるが、税収は2.05兆円増えて4.29兆円になるという。もっとも、この辺りの推計は「アート」の世界であろう。
税収の増減は兎も角、増税で悪習を減らせるとすれば結構なことである。今日の禁煙傾向を「ファシズム」だと言い張るジャーナリストもいるが、そこまで吸いたいのであれば、防煙マスクでもかぶって他人の迷惑にならぬように吸えば良いだろう。タバコ増税が社会のパレート改善に資することを否定することは難しい。
ここでタバコ増税を採り上げたのは、税収論や嗜好論が目的ではなく、増税は市場正常化や社会安定化に役立つかどうか、というテーマを考える為である。具体的に我々が真剣に検討しなければならないのは、タバコ税よりもむしろトービンの為替取引税や温暖化防止の為の炭素税である。
◆ トービンの為替取引税
ジェームズ・トービンの名前は、そのノーベル経済学賞の受賞理由よりも、投資理論におけるトービンの分離定理やq理論、或いは為替取引税の提唱者として知られているのではないか。特に1972年に主張された取引税の構想は、新自由主義や市場のグローバル化に逆行するものとして強い批判に晒されたが、その理念は金融市場の暴走への批判が再浮上している中で再びクローズアップされる可能性が高い。
トービン税は、当時の市場規模でも0.1%程度の取引税を課するだけで年間3,000億ドル以上の税収が生まれ投機的な取引も抑制されるという画期的な主張であり、カナダや英国、フランスなどではそれなりの評価を受けたものの、自由な市場取引を阻害すると抵抗する金融界や、新自由主義を経済成長の源泉にと主張する米国政権には不評であった。1990年代に勤務先の英国でこの議論を聞いたときには、正直言って何を馬鹿な、というのが筆者の感想であった。市場取引の抑制は、経済成長の阻害要因だという思いが強かったからだ。
今でも意図的に取引を制限する規制法には賛成しかねるが、市場から理性が失われ始めた現況を見れば、現状放置もまた不作為の罪を問われることになるだろう。金融における「信の構造」がひび割れた今、金融市場はある程度のブレーキ機能の導入を受容れざるを得ない。その観点でトービンの為替取引税は一定の効用を持つように思う。
勿論、無限に広がる為替市場の中で、誰が徴税するのか、徴税対象の定義をどう決めるか、歳入は誰のものか、といった制度論を纏めるのは大変な作業である。さらに、トービン税は主要各国が協調しなければ効果が薄い。日本国内で導入しても、外為証拠金取引が香港やシンガポールに逃げていくだけである。ヘッジファンドが日本を避けてアジアで運営されているのと同じ構造になるに過ぎない。
同様に、トービン税への意識が比較的高いと言われるベルギー(既に為替取引税を導入)やフランスなどが制度を整えても、英国という世界最大の為替市場がこれに背を向ける限り、効果は得られないだろう。自由主義を世界標準にして国際金融の覇権を形成してきたアングロ・サクソン社会が、トービン税の概念を受容れるにはまだ相当の時間がかかりそうだ。
だが、いずれは起こるであろう「ドル急落」の局面において、米国が為替市場に何らかの手段を講じる可能性はある。それは、自由主義を標榜する米国が高騰する原油取引に苛立って市場の自由度抑制に動いていることを見ればわかる。短期資本移動の抑制のため、米国主導でトービン税構想が浮上することは否定できない。
ドルと人民元との兼ね合いにおいて、米中がそうした税金導入による「スムージング」への制度設計を開始することも考えられる。日本の当局も、そんな米中為替外交に慌てふためくことのないように、このシナリオを一つの思考実験の材料として認識しておくべきだろう。
◆ そして炭素税
トービン税よりも現実性の高いのは、炭素税かもしれない。環境問題への意識は、過去に比例が無いほど昂揚している。相変わらず温室効果ガス排出量の規制や市場取引導入に反対する抵抗勢力は少なくないが、世論の支持は徐々に米国より欧州へ、経済産業省よりも環境省へ、経団連から同友会へ、と変化しているように見える。
但し排出量取引という市場導入への反論は、東電の勝俣会長のように「幻想に過ぎない」と斬って捨てる意見や中部大学の武田邦彦教授のように「二酸化炭素の削減には意味が無い」と温暖化対策そのものを否定する意見もあるが、宇沢弘文教授のように「それだけでは解決しない」という指摘もある。前者二つの意見は論及に値しないので無視するとしても、宇沢教授は何を言いたいのか気になるところだ。
中央公論7月号に掲載された取材記事を読むと、宇沢教授の「比例的炭素税構想」が解りやすく記されている。温暖化対策としての最も有効な方法は炭素税であり、それを一律ではなく大気中への二酸化炭素排出に対してかけられる炭素税を、その国一人当たりの国民所得に比例させる制度が望ましい、と教授は主張している。
これに加えて教授は「大気安定化国際基金」構想を持ち、炭素税収の5%をプールして発展途上国の環境問題や新エネルギーの開発また都市再生のために使うという提案をしている。実は、こうした構想が京都議定書への下敷きになっていたのだ。
だが、日本も米国もこれに真っ向から反対した為に、結果として欧州が主張した排出量取引への流れが出来上がったのである。そして現在、世界中で排出量取引の導入が検討され、日本でも侃々諤々の議論が起きている。筆者も排出量取引の導入には賛成である。だが、恐らくそれは必要条件を満たすものの十分条件にはならないだろう。
宇沢教授は「市場取引は人間として最低の生き様」と批判するが、筆者はそうは思わない。排出量取引はもはや世界の共通認識になりつつある。重要なのは、炭素税もまた共通認識にならざるを得ないということだ。排出量取引と炭素税の二本立てが、恐らく21世紀最大の制度設計になるだろう。
為替取引税と炭素税は、世界経済の仕組みを大きく変化させる可能性が高い。金融市場はこの流れと決して無縁ではない。今日の延長が明日、という認識はそろそろ捨てる時期に差し掛かっている。大袈裟に言えば、我々はいま金融史の転換点にいるのかもしれないのである。そしてクレジット・プライシングも、環境格付けや優遇金利などの議論を超えた価値観の転換を迫られているような気もする。