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◆ 米国GSEの憂鬱

◆ どこかで見た幻想的構図

金融市場は、昨年のサブプライム問題発覚以来、様々な局面に次々と直面してきた。高格付けの証券化商品の価値が想像を絶する水準に急落し、疑心暗鬼に陥った市場では資金調達が出来なくなり、モノラインの保証能力への疑問も噴出した。ベアスターンズ救済で一服したと思ったのも束の間、損失穴埋めの大型増資に不安が募り、米大手地域金融には破綻も出始めた。そして、金融不安は遂に米国政府との関係の深いファニー・メイとフレディー・マックにまで達したのである。

このGSE(政府支援機関)と呼ばれる2社の政府救済は、起こるべくして起こったというべきだろう。それは、サブプライム・ローン市場が突然の「交通事故」ではなく、宿命的に自壊したのと同じである。長年堆積されてきた米国流金融の問題が、マグマの暴発として、ついにGSEのバランス・シートを直撃したということだ。

約12兆ドルの全米住宅金融のほぼ半分を、彼等が融資や証券保有・保証といったバランス・シートで支えている。この負債構造は、民間企業ではありながら暗黙の政府保証があるという慣行的な認識に寄り掛かった制度であり、従前、日本の自治体による資金調達が「暗黙の政府保証」で支えられていた幻想的構図と良く似ている。

「持ち家推進」を国策とする米国に、この「金融的な神話」は必要不可欠であった。意地悪く言えば、GSEもサブプライム問題と同じく、AAA/Aaaという格付けが支えた金融虚像の一つである。政府は直接関与しないが、「暗黙の政府保証」という非合理的な市場機能を上手く利用することで、政府は財務負担無しに大規模な住宅金融市場を構築してきたのである。今回のGSE経営不安は、そのスキームに限界が来たことを示したものだ。

◆ 高格付け神話の揺らぎ

昨年夏以来、金融市場は米金融当局と同様に、まずサブプライムという特定分野の問題だという誤った認識を抱いた。特に株式市場は「グリーンスパン流の処方箋」つまり流動性供給と金利引下げで対応可能と考えていた。だがSIVなど簿外取引を含む証券化商品の評価損は想像以上に巨額であり、「各金融機関の損失がどこまで増えるか解らない」という恐怖感に包まれたのが第一幕であった。高格付け神話の揺らぎである。

そして次に、モノラインへの戦慄が走る。米国地方債と証券化商品にわたるその保証残高は2兆4000億ドルと言われ、その高格付けが失われれば、評価損は更に拡大する。金融機関だけでなく、機関投資家にも大きな影響を及ぼすかもしれない。こうして高格付け神話の揺らぎが、世界的な金融システム不安を引き起こす可能性に対する警戒感が強まっていった。これが第二幕である。だが、それでも市場にはFRBや欧州中銀が何とかしてくれるだろう、という期待感が残っていた。

そこに思惑通りの「小休止」が入った。米財務省とFRBがベアスターンズの救済に踏み切ったからである。3月中旬以降、市場はやや落ち着きを取り戻したかに見えた。だが銀行間市場は凍結したままであり、経済面でも消費減退、企業業績悪化との見通しから評価損問題は、サブプライムからLBOローン、ホームエクイティ・ローン、不動産担保融資など幅広い分野に拡大するとの警戒感が生まれ、市場不安は拡大していった。

そして、損失を増資で埋めるという「金融再生増資」には限界があることを、市場は薄々と気付き始めていた。小休止は単なる相場の踊り場でしかなかった。

FRBは、投資銀行の受け皿構想や低利融資の続行を検討し始める。不動産市況の悪化で、地域金融機関の破綻懸念も強まっていく。金融機関のアナリストは、他の金融機関の損失予想や増資の必要性を執拗に主張するようになる。欧米金融への出資に当初は熱心だったSWF(ソブリン・ウェルス・ファンド)も一斉に沈黙してしまった。第三幕の幕開けである。その主役の中に、このGSEが見える。

◆ アマチュア化・無防備化

欧米の資本市場は、上述のように次々に「信用」を裏切られ狼狽することになったが、それは、高格付けという神話を安易に受容れてきた「盲目的行動のツケ」でもある。サブプライムをベースにした証券化商品、取引相手としての金融機関、保証会社としてのモノライン、そして今回のGSEと、すべては「高格付け」という記号が作り上げた世界であり、そこに安住してきたのが現代金融だ。

また株式市場が「欧米クレジット構造の脆弱さ」を過小評価し、「中銀の役割」を過大評価していたことも大きな問題であった。急膨張したレバレッジの解消がどれほど悲惨な危結末を生むのか未だに想像し得ないことも、市場が激しく動揺し続けている一因でもあろう。

それは、現代の金融ビジネスが、如何にリスクの本質を見ないで単純拡大し続けてきたか、を端的に示している。格付けや数学的リスク管理法などの「制度的セーフガード」に過度に依存してきたことが「金融のアマチュア化・無防備化」を促進したと言っても良いだろう。住宅問題を源とする金融不安が最終的にGSEへと伝播することはほぼ自明であったが、金融市場は次から次へと生じるそんな「信用の自壊プロセス」を予測する現場感覚すら失くしてしまったのである。

両社が発行する債券残高は世界中に5.2兆ドルという巨大な規模で存在しており、その経営不安への恐怖感は、年末年始に市場を騒がせたモノラインの比ではない。2社が実際に債務超過であるかどうかについては異論もあるようだが、市場不安を放置すべきでないことは間違いない。

また住宅政策上、GSEの経営破綻も有り得ない選択である。今回米財務省とFRBが取った政策は国有化ではないにせよ、ベアスターンズ救済に続く実質的な「公的資本投入」である。現在の全米住宅金融が政府の支援無しには成立しないことを、米政府が正式に認めざるを得なくなったということだ。もはや保証は「暗黙」ではなくなったのである。市場不安を最終的に抑えることが出来るのは、「国家」しかない。

◆ 米国は健全化宣言を

だが、その「国家への信認」に絶対的なパワーがある訳ではない。米財務省が2社の国有化を避けたのは、米国政府の潜在的負債額が5.2兆ドル分増えて米国自体の最高格付けが怪しくなることを回避する為だろう。つまり、「国家の威信」こそ格付け神話の崩壊で揺らぐ市場を安定化させる源泉である限り、米国もその高格付けに依存せざるをえないというトートロジーを孕んでいるのである。

海外からの資本流入に大きく依存する米国には、金融が格付けに依存したように、国家すらも格付けに依存せざるを得ない、いう構造が滲み出ているのだ。従って、市場不安が今後、民間金融から米国の財務体質へと裾野を広げる可能性もないではない。格付け神話の崩壊による津波は、FRBへ、米国債へ、そしてドルへと波及していくシナリオも有り得る。

FRBといえども、神様のようなオールマイティな存在ではない。ベアスターンズやGSEへの救済策が仮に失敗すれば、財務省がFRBの損失を補填するしかない。その補填原資は税金である。税収にも限界があり、不足分は借金、つまり国債で賄う。海外から借りるならその通貨はドルである。逆に言えば、通貨、国債、FRBへの信認がなければ米国金融自体が成り立たないところまで来ているのである。

だが市場にとって「高格付けというリスク・フリー」とはもはや幻想でしかない。米国も「高格付け」を頼りに信認を維持することは難しくなるだろう。信認の裏付けとなるのは、米国がバブル的な消費経済から一線を画し、バブル的な金融モデルから脱却し、健全な経済成長をコミットすることだ。今回の「金融不安劇場」の幕引きを行うのは、米国自身の「健全化宣言」以外にない。

<お断り:本稿を大幅に加筆修正したものを、本日、日経ビジネス・オンラインに掲載しております。悪しからずご諒承下さい。(倉都)>

2008年07月18日(第175号)
 
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