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◆ 先進国の富とは何か
◆ 仕組み債再考
先般、拙書を読んだと言って電話をかけてこられた「元輸銀」(いま国際協力銀行)の方々と飯を食う機会があったのだが、そうなると仕事上「旧東銀」のことも思い出さざるを得なくなる。私が資本市場に目覚めたのは、ディーラーとしてというよりも、私募債のアレンジャーとして、である。当時、輸銀も東銀も海外市場で借り手に融資するのが一つの主流であったが、民間にはそれに加えて貸し手(即ち投資家)の為に商品を作る、という仕事もあった。私がやっていた仕組み債組成はその典型的なビジネスであった。
借り手に向かってカネを貸す仕事は、生産を促進し、所得を増加させ、消費と貯蓄そして資本の再生産をもたらすという意味で、古典的な資本主義の成長源となる。だが投資家に向かって投資商品を作るという仕事は、投資家の懐を膨らませるという点に比重が置かれるために、それが経済的生産にどう貢献しているのか判りにくい。
晩飯を食いながらそんな話をしているうちに、筆者らが1980年代に手掛けていた仕組み債組成が、昨年来世界を揺さぶり続けている証券化問題の根源に位置することを再確認するとともに、投資家の富を増やすことや先進国の富が増えるということはいったい何を意味するのか、考えざるを得なくなった。
仕組み債も、借り手の面からすれば二つある。一つは企業や国際機関、自治体など実態のある経済主体の借入れという通常の経済取引であるもの、もう一つはSPCが借り手となってその資金は国債など流通市場に追加的に資本投入されるものである。
前者は確かに借入金となって生産や投資に向かうこともあるが、仕組み債発行の常連客は基本的に金融機関や国際機関が多く、彼等の金融を間接的に手伝っているに過ぎないことが多い。プロジェクト・ファイナンスやタイド・ローンなどと大きく異なる金融取引である。後者のSPCに至っては、アレンジャーにとって資金の使用用途など「そんなの関係ない」である。
私募債作りという投資家ビジネスとは、かように投資・消費・輸出といったGDP項目にはかなり縁の薄いものなのである。だが、金融社会の収益性には欠かせない。そのギャップが、金融市場と実体経済の落差を表徴していると言えるのではないか。仕組み債ビジネスが急拡大していけば、金融と経済の関連性はさらに薄まっていく。その終着駅としてのサブプライム証券化がリアルな世界と接点を失くしてしまったのは、そうしたメカニズムが仕組み債ビジネスの中に胚胎されていたからである。
◆ ゆたかな社会とは
はるか昔の学生時代に、ガルブレイスの「ゆたかな社会」を読んで感動した覚えがある。そこで述べられた「ゆたかさ」は物質経済とは一線を画すものであり、講義項目に並んでいた新古典派経済学の教えとはまるで異質の経済論であった。仕事柄、富や豊かさをGDPで測る事に慣れてしまったが、米国の金融と経済の虚構性が暴かれた今、ガルブレイスを見習って、もう一度富とは何か、豊かさとは何か、成長とは何か、を再考すべき時期に来たような気もする。
国家の富は、GDPで測る(ことになっている)。個人の富は保有資産額で、企業の富は内部留保で測る。蛇足ながら、政府や自治体にはそもそも富がないのに無駄遣いの止まないのは、彼等が富の保有者だという大きな勘違いをしているからだ。富を作るのは、そうしないと生きていけない経済主体である。徴税権の上に胡坐をかく連中は、それすら理解できない。
閑話休題。歴史上、国の富が一気に上昇する契機となったのは産業革命ではなく、商業革命であった。貨幣的な冨が蓄積され、それが結果として産業革命を生むのである。西欧における商業による貨幣的価値の蓄積は、アジア交易で更に高まっていく。19世紀の帝国主義の延長線としての20世紀における二度の世界大戦は、米国という巨大な「富の国家」を生むことになる。
今日的な意味での「富の国家」の発祥は、オランダ資本主義であろう。オランダの成功を英国が剥ぎ取り、それを米国が収奪する、というのが世界システム論的な意味での「国富史」である。米国はドイツや日本の挑戦を簡単に跳ね除けたが、中国の猛烈なチャレンジには動揺を隠せない。中国の人口は、何と言っても米国の約4倍である。100年経てば、経済景色は相当変化している筈だ。但し、同様に(あるいは言い訳的に)国の富の定義も変わっているかもしれない。
その中で、金融もまたGDPに縛られない発展可能性を模索しても良かろう。仕組み債は確かに「経済成長」とは縁が薄かった。但しクレジット・リンク債は、市場型間接金融の域に収まらない、高邁な理想を内包していた筈だ。金融は、収益力や経済貢献も重要だが、免罪符的な大義名分も必要なのだ。それはいつも悪事と背中合わせとなる産業が背負う宿命でもあろう。けれどもそれは「ゆたかな社会」に接木されるものでなければならない。
◆ あなた買う人、私作る人
さて、仕組み債アレンジの虚構を嘆くのならば、それを買った人はどうなのだ、という指摘もあるだろう。為替や株式の動向に賭けて市場金利を上回るプレミアムを得ようとした行為は、「富の形成・蓄積」にどう貢献したと言えるだろうか。仕組み債が首尾よく償還されて投資成果が上がったならば、年金基金や保険会社は配当利回り向上に役立ったというかもしれないし、金融機関も自己の収益力が向上したと胸を張るかもしれない。
そうした数字は積み重なってGDPにはプラス要因として組み込まれていく。もっとも金融業は、製造業と違って「生産」や「輸出」に直接影響しないので、直感的な貢献度が捉えにくい。ルクセンブルグのように金融貢献度の高い国では、雇用を通じた消費という面が特に評価され、英国などでは加えて国際金融会議などの付加的なサービス部門の貢献が強調されることもある。では具体的に日本の仕組み債のリターン向上は、GDPへどのように影響すると考えるべきだろうか。
敢えていえば、保険や銀行のリターン改善が受益者の消費増の要素になる、ということかもしれないが、いかにも「こじ付け」の域を出ない。投資家の本音が「低金利の穴埋めとしての仕組み債利用」であるとすれば、その貢献度は期待値のマイナス分を埋めたに過ぎず、経済成長という意味では殆ど役割を果たしていないようにも思える。仕組み債を買う人も、作る人も、所詮は自己満足に過ぎないのだろうか。
そもそも、私募債アレンジャーは公募債の引き受けと違って運用ニーズがあるから作るのだ。基本的には、注文なしには製造しない、という高飛車な商売ではある。逆に言えば、投資家心理が冷え込めば仕事がなくなる。今の金融環境はそれをものの見事に象徴している。
例外もあった。クレジット・リンク債はその走りかもしれない。為替や株式、金利などを相手にする仕組み債は、別にアレンジ側から積極的にマーケティングすることもないのだが、クレジットはちょっと話が違ってくる。そもそも1992年頃、バンカース・トラストが我々にクレジット・リンク債に興味はないか、と話しかけてきたのは、彼等の保有するクレジット・リスクをヘッジする必要性が背景にあった。
仕組み債が営業対象になったのである。これを皮切りに、様々なクレジット商品が私募債として誕生した。紆余曲折を経て、それがクレジット投資への巨大なニーズを作り出すことになったと見てよい。バンカース・トラストは消滅したが、その私募債マーケティングは残った。その後、異様な商品に変質したその仕組み債の派生的商品群は、資本市場に無残な爪跡をも残すことになったのだ。
投資家に「買って下さい」と頭を下げるのが公募債の世界であったが、それが私募債の世界にも広がっていく。それが市場構造の一つの転機だったのだろう。クレジット市場は罪作りなことをしたのかもしれない。だが、当時の発想から言えば、「クレジットの集中から分配」こそが金融システムを守る手段であったのだ。
つまりクレジットの仕組み債は、GDPにはそれほど貢献しなくても、金融システム維持に貢献するという大義名分があったのだ。それこそが唯一の精神の置き所であったと言っても過言ではなかろう。サブプライム・ローンの証券化に代表される商品作りは、その視点すらも欠落した、単なる「自己満足の金融ごっこ」への堕落であった。その反省が金融の「ゆたかな社会」への貢献法を思い出す契機になるのであれば、高い授業料であったとはいえ、今回の混乱も無益ではなかったと思いたい。