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◆ 資本主義の起源とは

◆ 時代認識の難しさ

大化の改新は645年、鎌倉幕府は1192年、コロンブスの新大陸発見は1492年、日英同盟は1902年というように、幾つかの年号は未だに語呂合わせのお陰で覚えている。歴史とは年号と戦争を覚えるものではない、と散々聞かされたが、ある程度の年号を知らないでモノは書けないのも事実である。結局、歴史を学ぶことの意味が掴めぬままに、人生半世紀を費やしてしまった。

◆ 時代認識の難しさ

大化の改新は645年、鎌倉幕府は1192年、コロンブスの新大陸発見は1492年、日英同盟は1902年というように、幾つかの年号は未だに語呂合わせのお陰で覚えている。歴史とは年号と戦争を覚えるものではない、と散々聞かされたが、ある程度の年号を知らないでモノは書けないのも事実である。結局、歴史を学ぶことの意味が掴めぬままに、人生半世紀を費やしてしまった。

金融史の重要性も現役を引退してから漸く再認識出来るようになった、と言う意味では私も完全な「手遅れ」ではある。それでも金融は、ブレトンウッズ会議は1944年、ニクソンショックが1971年、ブラックマンデーが1987年といったように年号が明確なので、後付けのように学習することはそれほど難しくない。

金融史よりももっと把握が難しいのが資本主義の歴史である。そこには年代がない。どんな歴史書をみても、YYYY年に資本主義が成立したとは書いてない。経済史は金融史よりも研究が深いし文献も多い。だが、資本主義がどのように誕生してどう育成されたかという点に絞って時間的に網羅してくれるのは、経済学ではなく、世界システム論くらいしかない。

そもそも「資本主義とは何か」と聞かれてスラスラ答えられる人は、よほど勉強が好きな人であろう。資本主義という言葉を、実体経済構造の定義として使ったのはマルクスである。だが、それ以前に資本主義が存在しなかった訳ではない。資本主義が生まれた当時、その経済構造を表す言葉は存在しなかったのである。マルクスは事後的にその社会をCapitalismという言葉で表現したのだが、ではそれはどういう社会に対比する「主義」なのか。

現代に生きる人々に一般論として「資本主義でない社会は何か」と聞けば、恐らく「共産主義」という答えが返ってくるだろう。だが資本主義は共産主義に対抗して出来たものではない。共産主義は、資本主義の次の段階としてマルクスの史的唯物論が描いた社会である。従って、非資本主義=共産主義という公式は正確ではないだろう。

では資本主義は何に対抗して出来たのか。ウォーラーステインは、大航海時代を産んだ15-16世紀の欧州で資本主義が芽生えたと認識する。産業革命を資本主義の動力として捉える説もある。マルクスは搾取の構図を資本主義の完成と見做し、マックス・ウェーバーはプロテスタントによる勤労精神の評価が資本主義を支えたと見る。いずれにしても、中世欧州の王朝が崩れて次の王朝が権力を奪取するように、資本主義が先行するXX主義をYYYY年に転覆した、という歴史記述を期待することは無理そうだ。

◆ 中世資本主義の誕生

世界システム分析は、大航海時代の結果として欧州が搾取対象としての「非欧州を発見」し、その交易の増大に立脚した富によって資本主義の論理が強化されたと見る。そこでいう資本主義の社会が対抗するのは封建主義的社会であろう。或いは、封建主義的生産様式に対抗して、資本主義的生産様式が生まれたと言っても良い。つまり、非資本主義=封建主義である。とすれば、資本主義の発生は封建主義の崩壊と共に認識される必要がある。

だが前述したように、それが1500年に発生した、というような理解は不可能だ。そこで一般には、経済が世界レベルに拡大する16世紀以降に資本主義が発生したという考え方が現れる。筆者自身もぼんやりとそんなイメージを抱き、その裏側に付着する国際金融が同時代的に発展し、現代の資本主義と金融市場の土壌となったと考えていた。

これに対して、ウォーラーステインの門下生である米フェアフィールド大学のエリック・ミラン准教授は、資本主義は既に11-15世紀に基礎が作られていた、という新しい視点を提供している。以下、同准教授の「資本主義を再歴史化する」という論文(山下範久訳:藤原書店季刊誌「環」第34号に掲載)から、その論旨を紹介しよう。

資本主義の兆候は、一般に賃金労働や階級闘争。資本の再配置、周辺農地の搾取、労働コストの最小化、労働力代替手段の開発、物質世界の商品化、精神世界の合理化などにおいて観察される。ミラン准教授は、それらのすべたが中世封建社会の中で既に観察される、と述べている。それは中世欧州の「都市国家の政治システム」と深く関わっている、というのが主張の中核である。

当時のブルジョワジーが都市構造を「権力の容器」として認識していたことが、資本主義の萌芽を呼び、その後の成長・繁栄を通じて究極の経済システムとして拡大した重要な理由であると位置付ける。その時期に蓄積された都市国家の資本主義的ノウハウが、16世紀以降の「国民国家」のエリートによって、不断の資本蓄積を進めるために用いられた、という訳だ。

因みにミラン准教授が、14世紀初頭に教会や市庁舎に機械式時計が出現したことを、資本主義勃興の一現象として見ているのは興味深い。時間の価値を重視する商人や銀行家の合理的態度が、そうした時計の設置を促すことになったという。正確な時間把握は労働者を管理する道具となり、労働の資本家従属を強めていったのである。現代に照らして言うならば、時計は労働を変質させるパソコンのような「激変要素」だったのかもしれない。

確かに封建制は、既に中世から衰退の兆しを見せていた。フランスでは12世紀には農村地域での封建制の崩れが指摘されており、13世紀のローマでは高利貸しを巡る神学論争も起きている。つまり、農業と金融の面において搾取の概念は中世から既に大きな問題として浮上していたのだ。そこに資本主義の萌芽を読むのがこの論文の主旨であり、資本主義は11世紀以降に誕生したあと連綿と引き継がれて21世紀に及んでいる、という鳥瞰図が描かれている。

◆ 金融市場の誕生

為替と高金利融資を上手く結合させて金融システムを作ったのはイタリアの銀行であったのは周知の通りだ。ブローデルは、こうした銀行資本に加えて13世紀のイタリア(特にフィレンツェ)には商業資本や産業資本といった形態が存在していたことを示していることから、中世イタリアには既に原始的資本主義が生まれていたと見做すことも出来るのだろう。

それが、非資本主義社会を発見して欧州システムに吸収されるという形で、世界的な資本主義へと展開していく。日本もまたそのプロセスにおいて、欧州的な資本主義システムの中へと併合されていくのである。そうして見れば、11世紀から21世紀という連続的かつ壮大な歴史パノラマの中で、資本主義が封建主義を打ち倒し、共産主義を退けて、世界に浸透していく様子が概観される。

その構図のもとで金融市場はどのように発展したのかを考えると、日本の金融の立ち遅れや異質性などをもっと説明的に分析することが可能になるかもしれない。なぜクレジット市場が成熟しないのかという「ミミタコ的疑問」も、資本主義の発生が「都市国家」という日本には存在しなかったプロセスから生まれたというミラン准教授の指摘を前提にすれば、従来とは異なる回答を用意することが出来るのではないか。

因みに、「都市国家」という公共性概念は我々日本人の頭から完全に欠落している。滅私奉公、官か民か、といった二極構造が「個人VS国民国家」という社会構造を作り上げているが、西欧流に言えば、それに加えて「市民社会」がある。ミラン准教授が強調する「都市国家の政治システム」とは、この官でもなく民でもない公共性の概念なのではないか、という気もする。

つまり、資本主義の発祥が官でもなく民でもなく、共有概念がもたらす市民社会であったとするならば、日本の資本主義が欧米とは異質であり、かつ金融市場のプロファイルが独特であることも自明なのかもしれない。クレジット市場も同様であろう。さらに西欧経済構造にはキリスト教という宗教が大きく作用しているが、この問題については、また来年以降の課題としておきたい。

2008年11月28日(第184号)