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◆ 財政赤字バブルの開宴
◆ 憂鬱な持続不能性
世の中には、「勧善懲悪」で計れないものが沢山ある。金融市場はそうした曖昧な事象が溢れている場所だと言っても良いかもしれない。適度な借金は生活を豊かにするが、度が過ぎれば悲惨な人生が待っている。その境目を示す明確な尺度はない。プロであるはずの金融機関ですら、そのレバレッジの適温測定に失敗したくらいである。どこまでが健全でどこからが危険というのは、人生同様に経験則でしかない。自己資本比率などという怪しげな健全尺度も、所詮は試行錯誤の域を出るものではない。
現在、資本市場の注目を一身に集めているのが、金融支援や景気刺激対策で急増中の主要国の財政赤字である。とは言え、財政赤字は新しい問題ではない。米国は双子の赤字という文脈で散々財政問題を突かれてきた。日本もGDP比の政府債務が軽く100%を超えてしまい、借金王国のラベルを貼られてしまった。
だが1950年代以降、先進国に限定すれば財政赤字が大問題に発展することはなく、21世紀に入っても、主要国家は巨額の赤字を抱えながらも破綻することなく存続している。これも、どこまでが健全でどこからが不健全なのか、理論的な証明など誰にも出来ない事例の一つである。現代のパラドックスの一つに挙げてもよい。
問題は、それが「持続可能」であるかどうかに尽きるだろう。持続不能性は、米中間の不均衡、ドルの基軸通貨性、中国の安定的経済発展、中銀による巨額流動性供給など、数多くの重要な問題において浮上している。日本をはじめとする財政赤字の増加に歯止めがかからないことも、この持続不能性問題の一つ、それも極めて深刻な事態を生みかねない持続不能性であると言って良いだろう。
因みに、各国の財政赤字がどの程度になりそうか、6月にIMFが公表した試算を見ると以下の通りである。(数字は各国政府のグロス債務の対GDP比)
何とも憂鬱な数字である。3月末で国債発行残高が846兆円となった日本では、あと5年もするとその残高が1,000兆円を超えてしまうのだ。それ以前に個人金融資産もピークを迎え、「国債は国内ですべて消化可能」という日本流の逃げ口上が通用しなくなる日は意外に早く来るかもしれない。
◆ さらに深く追求する
ここまでは週刊誌的なお話であるが、実は財政赤字はもう少し突っ込んで考えるべき問題でもある。たとえば、上記の表に使ったグロス債務額は、国債発行残高をイメージするには良いが、市場力学の尺度としては、ネット残高つまり政府内で保有される国債残高を差し引いた残高で見た方が、需給の崩れなどを予想するには適切だ。
仮に日本郵政を政府部門だとして捉えると、そこで保有されている残高を差し引いたネット国債残高の対GDP比率は2007年で86%になる、と英エコノミスト誌は指摘している。米国でも公的年金保有の国債を除くと2007年は43%へと低下する。因みに、上表には無いが、ノルウェーの国債発行残高はGDP比60%あるものの、原油収入を運用するSWFの資産額はGDPの150%の規模であり、ネットでは実質黒字国である、とも言える。
つまり市場力学として長期金利がどう動くかをより慎重に検討する場合は、ネット債務で見るべきだ、ということになろう。だが現実問題として、日本や米国の場合はネットで見たところでどれだけ精神的に楽になる訳でもない。郵政部門を差し引くという論理には賛成できない。差し引くべきはむしろ政府保有の資産である。もっとも、ネットですらGDP比100%を超えるような債務比率は持続不能だと考えておくべきだろう。
またよく言われるように、自国通貨でファイナンス出来るかどうかも重要で、日本はこれまでは幸せな環境下にあった。米国も海外資本に依存しながらドルで調達可能という基軸通貨の恩恵を浴びてきた。この構造も持続不能性を孕んでおり、両国においては金利負担が急速に上昇するリスクに直面する可能性もある(個人的にはほぼ確信している)。
また、英エコノミスト誌は先進国の厄介な問題として、高齢化を挙げている。公的支出の増加が大きな財政圧迫要因になるからだ。成長鈍化も税収面では逆風だが、社会保障の急増はそれよりもインパクトが大きい。ここでも日本や米国は厳しい状況を想定せざるを得ない。フランスは遂に定年延長の議論を本格化させているが、財政対策としては当然のことだろう。日本のメディアはどうもこういう議論をタブー視する傾向が強い。
IMFは長期金利が成長率を1%上回るという仮定のもとで、債務比率が持続可能な水準に止まるにはどの程度のプライマリー・バランス改善が必要か、という試算を行っている。持続可能な債務比率水準は、GDP比60%との前提が置かれており、日本がおそらく世界最大の努力をせねばならない、という結論は容易に想像できる。因みにIMFの算定は、日本は2014年にGDPの14.3%即ち「約70兆円の改善」を行う必要がある、とのお達しである。これは国家予算に近似する金額であり、ほぼ絶望的な数字だ。
財政赤字は、現時点においては急速に悪化している米国の問題であるように見えるが、数年後には日本の問題として再認識されるだろう。いつまでも国内消化という隠れ蓑で逃げている訳にはいかない。持続不能問題は、忽然として登場する。そして一度出現すると、消え去るまでには長い時間と鈍い痛みが続く。二日酔いのない呑み過ぎなど、ないのだ。日本の放漫財政は、次世代の資本市場と経済成長に暗い影を落とす可能性が極めて高いと言わざるを得ない。