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◆ 2005年と2009年の総選挙

◆ ぶっ壊れた自民党

小泉元首相の「自民党をぶっ壊す」という宣言は、今般の総選挙で「自民党がぶっ壊れた」という結果論で実現されることになった。郵政民営化のみを争点にした2005年9月の総選挙から4年が経過し、政治とともに経済環境や金融情勢も大きく変化した。ここしばらく米国発の大騒動に巻き込まれて経済的視座が危うくなっているが、金融を含む日本の企業経済を凝視してみた場合、反動的な足踏み状態にあることは明らかである。

2003年にりそな国有化を契機として金融システム修復が一段落し、中国や米国の消費拡大で輸出が復活する。こうして「構造改革」への足場を固めた小泉政権の風向きを利用するように、日本でも「株主の論理」が声高に主張されるようになった。その代表がライブドアのホリエモンであり、村上ファンドであり、また新興企業の雄である楽天であった。

株式持ち合いに慣れた機関投資家に代わって、こうした新興勢力が「物言う株主」として表舞台に登場する。2005年のライブドアによるニッポン放送買収計画は、古い日本の企業体質を突き刺す「新しい旋風」を予感させた。村上ファンドは大証に狙いを付けて証券市場の胴元を揺さぶり始めた。楽天は2004年に既に球団経営に乗り出し、2005年にはTBSへ食指を伸ばしてメディア戦略に打って出たことは、まだ記憶に新しい。

中でもホリエモンが、2005年の総選挙の際に無所属ながら自民党の支持を受けて広島6区で出馬したことを覚えている人も多いだろう。結果的には亀井静香氏に敗れたものの、ホリエモンの一挙手一投足に全国が注目することになり、「日本の変化」を予感させる新興企業勢力としての名前は確実に定着していった。

だが、2006年1月に東京地検がライブドアへ強制捜査に入り、堀江氏ら幹部4名が証取法違反の容疑で逮捕されることになって事態は急変する。市場にはライブドア・ショックが走って株価は急落、特にIPOで沸きあがっていた新興市場は思わぬ冷水を浴びせられることになった。その余韻は今でも市場に侘しく漂っている。

続いて村上ファンドの総帥である村上世彰氏にも司法の手が及ぶ。危機を予感したように同ファンドは5月にシンガポールへと移転したが、翌月にはインサイダー取引で同氏が逮捕されるに至り、日本経済における「新興勢力」の信用度は地に落ちた。検察側の強引な捜査に疑問を呈する声も上がったが、市場のルールを踏みにじったことは事実であり、弁明しようのない「新時代のあっけない幕切れ」となった。楽天も株安の猛烈な逆風を受けてTBS買収に事実上失敗し、身動きの取れない状態に陥ってしまった。

こうして、銀行問題の解決、輸出業の復活、企業再建の進捗といった折角の回復ムードの中で期待された「新風」は、日本経済の「神風」になり損なったのである。

◆ 定着する反動主義

郵政民営化という単純化された政策を「構造改革」の旗頭にして2005年の総選挙で大勝した自民党と、株主の論理と怪しげな錬金術を武器にして経済界に殴り込みをかけた新興勢力は、ともに自らの失敗で自爆したと言って良いだろう。

どちらも方向性は間違っていなかったように思うが、その方法論はあまりに未熟であった。ホリエモンや村上ファンドは、ゴルフで言えば、正しい方向にスタンスを取りながらフェアウェーをキープする実力の無いままに力任せにクラブを振ってOBを連発したようなものである。端的に言えば、改革者としての実力が無かったのだ。

その後、格差拡大議論や未曾有の経済危機などの猛風が日本を襲い、改革路線はすべて「市場原理主義」「新自由主義」という現代の悪魔に仕立て上げられて、否定されるようになる。今回の民主党の大勝利もその延長線上にあるのは明らかだ。だが本当にこれで良いのだろうか。

確かに金融市場の途方もない自惚れや株主資本論理の飛躍は問題である。だが俗に言う「市場原理主義」などごく一部の過激派が主張しているだけで、一定の経済知識を持つ国民の大半は「穏やかな市場主義」に賛同しているに過ぎない。日本の知識層は、ありもしない敵対勢力を悪魔に仕立てて批判することで、論点を意図的に外している。その結果、大衆に媚びるメディアは市場メカニズムが如何にも「悪」であるかのような主張を始めるのだ。

小泉流の構造改革と、ホリエモン、村上ファンド、そして楽天の「新興三点セット」は、日本経済には改革が必要であることを植え付けた、という功績がある。だが、彼等の大失敗が「日本に改革は不要だ」という筋違いの議論を生んだのも事実である。その誤謬からの脱却はそれほど容易でない。2007年以降の金融危機と経済危機が、保守反動や保護主義化を強めていることも厳しい逆風になっている。

だが、それを逆手に取る方法もあるのではないか。今般の危機は、借金を積み重ねてもGDPだけが拡大してれば良い、という英米流の成長主義が破綻したことを証明したものであり、日本が理想とすべき経済モデルでないことが明確になった。その認識から出発すれば、「市場主義」が悪いのではなく、「レバレッジ」に問題があることは容易に説明できるだろう。論点のすり替えを、今こそ是正すべきである。

リスクテイクとレバレッジは論理的に峻別する必要もある。現在、リスクテイクすら否定する風潮もあるようだが、問題なのはリスクテイクした挙句に失敗しても税金で救済して貰える、という精神の退廃である。少なくとも日本経済は、一部の飛行機や電機を除けば、そこまで腐ってはいない。暗黒の1990年代を経て、レバレッジもほぼ適正水準にある。日本は、欧米問題に振り回されて自らを見失ってはならない。

日本には、強風の下でフェアウェーをキープする力はまだ無いかもしれない。だが天候の悪い日にはプロですらアイアンで刻むこともあるのだ。いま、大向こうを唸らせるような一足飛びの大改革を狙う必要もない。地道な変革もまた重要な歩みであることを、我々は忘れるべきではない。

2009年9月4日(第203号)