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◆ リーマン破綻は失敗だったのか

◆ 投資銀行の変質過程

2008年はベア・スターンズ、リーマン・ブラザーズ、メリル・リンチという投資銀行3社が姿を消し、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーの大手2社が銀行持ち株会社に移行するという、米国金融史上の歴史的な転換期となった。そこには、投資銀行が従来の仲介型ビジネスからバランス・シートを利用したリスク・テイク・ビジネスへと変貌して「投資銀行バブル」を形成していったプロセスが観察された。

その過程で中でも最も象徴的だったのがリーマンの破綻である。櫻井氏の小論にあるように、あれから1年が経過したが、市場はその事実を整然と総括しているようには思えない。リーマンなどの大手投資銀行が自壊した理由としてウォール街の「強欲さ」が挙げられることも多いが、強欲さは現代金融に特有のものではなく、そこに注目するだけでは投資銀行の躓きを発端として発生した今回の金融危機の特質を見過ごすことにもなりかねない。

実務的には、投資銀行は商業銀行との競争においてその経営モデルを柔軟に修正してきたように見える。その優位性が明確化し始めたのは資本市場が急速に拡大する1980年代であり、商業銀行はビジネス・シェア低下の焦りから、競って投資銀行業務の取り込みを図るようになる。対抗上、投資銀行の中には顧客の利益よりも自己収益力強化を優先させるところも出始めた。1997年のバンカース・トラストの実質的破綻(正確にはドイツ銀行による救済買収)は、10年後の投資銀行の躓きの明らかな兆候であった。

投資銀行がビジネス・モデルを変質させた理由には、社内の権力競争、M&Aなどにおける商業銀行との競争、クレジットという新たな収益分野の発見、現在価値会計の波及などが挙げられる。また外部的な要因として、投資家を偏重するビジネス・ムードの醸成、株式公開による経営の変質、商業銀行イメージの低落、政治と金融の急接近といった点に注目する必要もある。そうした中で生まれた「自由を曲解した強欲さ」が、投資銀行の経営を狂わせていったと見るべきだろう。

だが、投資銀行への批判や非難が渦巻く中で、基本的な投資銀行ビジネスの重要性や投資銀行が培ってきた金融技術の有効性が過小評価されがちであることは懸念される。従来の証券引受け・売り捌きは資本市場の要であり、経済の安定化に伴ってこうした伝統的な業務は回復するだろう。だが証券化などの分野は投資家アレルギーも手伝って機能回復が相当遅れることも予想され、投資銀行が発展させてきた「浮力」としての金融機能が低迷することも考えられる。

ただ、一部では既にリスク・テイクが復活し始めており、欧米における金融規制も当初考えられていたほどの厳しい圧力がかからないとの見方も出始めている。特に資本市場への依存度の大きな英米は、金融を必要以上に収縮させることには抵抗が強い。高額ボーナス支給を復活させた投資銀行が「バブル性」を蘇生させながら禁断の道を追及し始める可能性は小さくない。

◆ リーマン・ショックの位置付け

いま米国では「リーマン・ショックなかりせば」という論調も増えている。財務省とFRBがリーマンを救済していれば、世界経済がこんなに混乱することは無かった、という講釈である。ベア・スターンズ破綻から半年の間に受け皿さえ準備しておけば、人々は恐慌の再来などとパニックになる必要もなかった、という意見は日本でも聞こえる。

これには元IMFエコノミストで現在ハーバード大学教授のケニス・ロゴフ氏が、明快に反駁している。みな2008年9月のことばかり話しているが、NBERが景気後退入りの判断を下したのは2007年12月であったことを忘れたのか。リーマン・ショックが無くても米国は既に住宅バブルが崩壊してリセッションに入っていたのだ。あの壮絶な住宅バブルとそれを引き起こしたレバレッジ金融が「Non-Event」などと言えるものか、と教授は厳しく叱責し、サブプライム問題が表面化する前に既に米国経済は深刻な景気後退に向かって進行中だったのだ、と主張している。

話は違うが、筆者は昨年から、1年前のデイリー・メルマガをウェブサイトに記載することにした。これは自分の頭の整理の意味もある。その効果もあって、ロゴフ教授が語るところがよく理解できる。スナップショットの市場に生きる人々も、やはり過去に何を考え、何に怯えていたか、定期的にチェックした方が良い、老婆心ながら。

仮に昨年9月のリーマンの破綻が無かった場合、何が起こっていただろうか。以下は筆者の単なる邪推に過ぎないが、ベア・スターンズに続くリーマン救済は、即座にメリル、モルスタ、ゴールドマンの政府救済を連想させただろう。大手投資銀行の一斉救済は、GSEという途方も無い国有化に続く巨大金融産業の国有化である。市場はその財政赤字に動揺し、世論は大型救済に反対し、シティ、バンカメなどを含めて政府が全米金融を救済することは可能なのか、といった不安が世界中に浮上する。そしてGMとクライスラーの破綻懸念がこれに続く。結局、同じことなのだ(これを書いていたら、ゴールドマンのブランクフェインCEOが似たような話を講演で喋っていた。彼は、世論反発を通じてリーマンよりももっと悲惨な破綻が起こっていただろう、述べている)。

リーマンの破綻やAIGの救済といった不透明な判断が「市場を疑心暗鬼にさせ、結果的に経済危機まで招いてしまった」とは言うものの、リーマンを救済したところで既に破裂していた住宅バブルの状況が改善する訳でなく、自動車メーカーが復活するでもなく、過剰設備・失業増大・消費急減といった事態が回避されたとはとても思えない。不良資産も不良債権も同じように増大していた筈である。米国は、やや異なったスピードやプロセスを辿って、厳しいリセッションに陥っていただろう。

リーマンの破綻・救済は、いわゆるターニング・ポイントではない。次世代の優れた金融史家は、恐らく2008年9月ではなく2007年8月を危機の起点として認定するだろう。リーマンの破綻は、経済危機の発端ではなく現代金融の徒花たる「投資銀行バブルの終焉」の象徴的事象として把握されればそれで良いのである。だからこそ、経済状況に関係なく投資銀行を含めたレバレッジ規制強化は、粛々と進められなければならないのだ。

2009年9月18日(第204号)