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◆ ハイマン・ミンスキー再考
◆ ミンスキー・モーメント
マルクスの「資本論」を除いて、資本主義を語る本に資本主義の危機の本質を手繰り寄せた本を知らない。特に金融・経済危機以降に出版された経済本は、筆者の眼に触れた範囲で言えば総じて俗論である。ノーベル賞受賞者やテレビでお馴染みの経済学者らが何を語ろうとも、今回の危機の根源に関するマルクスの恐慌論に次ぐ本質論といえば、故ハイマン・ミンスキー教授の金融不安定仮説しかない、と言っても過言ではあるまい。
ミンスキーは「ポンツィ金融」の名付け親として思い出されたようだが、それでは余りに寂し過ぎる。世界各国は危機に瀕してケインズを復活させ、大胆な財政支出で需給ギャップを埋めようとしているが、金融危機の本質を喝破したその直弟子であるミンスキーに対しては、それほど多くの敬意が表されているとは思えない。
ケインズの教えを忠実に踏襲したケインジアンと違って、ミンスキーは貧困の探求を目的に経済学を志したことから、主流派とは違う道を歩むようになった、とジョージア大学のスティーブン・ミーム教授は語っている。それは彼がベラルーシの貧しい田舎にメンシェビキの社会主義者であった父親の下で育ったからかもしれない。ケインズ流の「数量モデル」には目もくれず、経済学界においてすらそれほどの注目を浴びないままに、1996年に他界した。
出版された本は少なく翻訳も限られるために、ミンスキーの日本での知名度も低いかもしれない。昨年、金子勝慶大教授が「閉鎖経済」(ちくま新書)でミンスキー・モデルを滔々と後講釈していた(弊誌182号の書評参照)が、ミンスキーによる予言性を見事に解説した先駆者は金融危機研究の大家であるキンドルバーガーであった。
そしてPIMCOのポール・マカリー氏は10年ほど前に、同社のビル・グロス氏が1980年に書いた「プランクトン理論」とともにミンスキーの「金融不安定仮説」を、危機の前兆を記す貴重な論考として採り上げていた。因みにプランクトン理論とは、住宅購入者を食物連鎖の始点としてのプランクトンに見立てながら市場構造の脆弱性を指摘したものであり、今回の住宅バブル崩壊による危機連鎖を鋭く予言したものであった。
マカリー氏は、プランクトン理論とともにミンスキーの仮説を高く評価し、債務スパイラルによって市場価格体系が突然崩壊し、流動性が枯渇するポイントを「ミンスキー・モーメント」と名付けたと言われる。
だが、なぜいま再びミンスキーか。サブプライム問題の解析としてはすでにその役割は終わったのではないか、という疑問もあろう。確かにこの「ミンスキー・モーメント」と呼ばれる瓦解の瞬間は説明された。だが、同時に警戒された「ミンスキー・メルトダウン」のリスクは完全に払拭されたとは言えないからだ。それは、欧米政府や金融当局が、ミンスキーの警告を無視したまま金融市場安定化を宣言しようとしているからに他ならない。
◆ ミンスキー・メルトダウン
ミンスキーの論旨については本誌182号の書評欄で触れたが、再度簡単に纏めてみると、以下のような主張になる。
金融形態は、「ヘッジ金融」「投機的金融」そして「ポンツィ金融」という三種類に大別される。「ヘッジ」は自己キャッシュフローで賄い、「投機」は元本返還が出来ないかもしれないが利払いは可能な状態だ。つまり「投機」は債務借り換えによって継続可能となる。そして「ポンツィ」は元本だけでなく利息も払えないので、新規借入れや資産売却を行うことになる。
金融には経済システムを安定させる状態と不安定化させる状態の二つあり、長期的な経済安定は金融状態を前者から後者に移行させる重力が働く。それは、長期的安定や繁栄が借入れ増を通じて投機やポンツィを増加させるからであり、結果としてある時点でキャッシュフローが決定的に不足する。そして新規借入れ要請や資産売却が殺到する。
2008年秋に全世界は、ミンスキーが示したとおり、身の毛もよだつような信用収縮や資産価値暴落を体験することになった。これを欧米中銀の積極策が(タイミングとして大幅に遅延したとはいえ)救ったことは評価して良いだろう。問題は、市場機能回復プロセスの中で、ミンスキーが提示した「金融が胚胎する資本主義の脆弱性」を各国が自省して学んだかどうかである。
19世紀後半は、資本主義の弱点が帝国主義と植民地政策に現れた時代であった。それに対してマルクスが共産党宣言を発したのである。これはイデオロギー的に熱狂的な支持を得たが、結果的にスターリンとレーニンの劣悪な新覇権主義を生んだだけに終わった。
20世紀前半の大恐慌の際には、ケインズが登場して処方箋を書いた。それは戦争という特殊要因も加わって大成功を収めたが、1970年代の石油危機の前には無力であった。その時代を救ったのがフリードマンであろう。その極端なマネタリズムを上手く袋詰めにして現代の危機に対処しているのがバーナンキFRB議長である。
市場はバーナンキ流の金融政策を評価しているが、その貨幣増刷策は決してミンスキーが指摘した金融不安定仮説に対する適切な処方箋ではない。そもそもミンスキーは、現代の主流派経済学者と違って、金融とは「悲劇をもたらす必然性を備えた、安定化という幻想を生み出す機構である」と考えていたのである。バーナンキ流の処方は、金融は貨幣の十分な存在によって安定化することを前提としている。いわば、ミンスキーとは正反対の金融システム解釈なのである。
ミンスキーが絶対に正しいという保証はない。だがバーナンキ流処方箋で「ミンスキー・メルトダウン」が回避されるという主張も証明されていない。確かなことは、「成功は失敗の可能性を隠蔽する」との認識に基づいたミンスキーの予想は正確であった、という事実である。その洞察に敬意を表する為には、ミンスキーを再評価するだけでなく、如何に「ポンツィ金融」を政府・企業・家計から締め出すべきかのプロジェクトに着手せねばなるまい。それはつまり、主要融機関における大胆な規模縮小に他ならない。
そしてサマーズ・ガイトナー・バーナンキの「SGBトリオ」が主導した損失先送りの成功も、まさに次なる失敗の可能性を隠蔽していると言えるだろう。