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◆ 先進国のデフォルト

◆ 「今回は違う」シンドローム

本年からソブリンCDS市場の気配値を本誌に掲載するようになったのは、2009年が「先進国の財政不安が本格化する年になる」と思ったからである。市場の危機感がピークに達した2-3月には、確かに5年米国リスク・プレミアムが100BPを超えた。日本も同様であり、英国は160BP、イタリアは新興国並みに200BP近くまで上昇した。

だがその後は不安感が急速に後退し、米国は20BP、日本は40BP程度にまで改善した。絶望的な雰囲気に覆われていた英国やイタリアのCDSも急速に縮小し、財政懸念など吹き飛んでしまったかのようであった。新興国のソブリンCDSも安定化し、誰もCDSなど見向きもしなくなった。

だが10月以降、再び風向きが変わってきたように見える。火をつけたのは、財政赤字ブラックホールの米国ではない。他でもない、我が日本である。長期国債利回り上昇と連動するように日本のCDSプレミアムは70BP以上まで拡大し、海外ブログでは「財政問題で注意すべきは米国ではなく日本だ」という論説が目に付くようになった。

日本では以前から財政懸念が指摘されてきたが、為替市場のドル安懸念と同じようにその警告は「オオカミ少年」になっている。国家は限りなく借金が可能だという奢りは米財務省の特権ではない。日本のブレーキの効かない借金構造は、政権交代によってあらためて深刻な問題として浮き彫りになった。

確かに先進国のデフォルトは想像し難い。IMFは日本の2009年財政赤字がGDP比10.5%へ悪化すると述べ、2014年時点の公的債務残高がGDP比245.9%にまで拡大するとの見通しを公表したが、恐らく誰も日本がデフォルトするとは思っていない。CDS市場はその鈍感さに警鐘を与えているとも読める。先進国と呼ばれる国々は、実は過去に何度もデフォルトを起こしてきたのである。

Carmen Reinhart教授とKenneth Rogoff教授の共著である「This Time id Different」は、ソブリン・デフォルトの歴史を集めた書籍として貴重な資料である。いずれ翻訳が出るかもしれないが、この本は資料を眺めるだけでも十分価値がある。表やグラフが満載で、英語の苦手な人にも苦痛は少ないだろう。以下、そこから少しばかりエピソードを紹介させて頂こう。

因みに原書タイトルは「今回は違う」という意味だが、著者らの意図は「今回は違うシンドローム」、つまり「以前はこうだったが今は当時とは違うのだ」と言いながら過去と同じ過ちを繰り返してきた財政・金融の失態を指摘することであった。過去のソブリン・デフォルトを歴史上の悲劇と見るほどに、我々はたぶん賢くはないのである。

◆ ソブリン・デフォルト

我々に馴染み深いソブリン・デフォルトは2001年のアルゼンチンであろう。1998年のロシアも記憶に新しい。少し遡れば、1982-3年のメキシコやブラジル、チリといった中南米危機もある。だがこういう断片的な歴史の知識は、「ソブリン・デフォルトは新興国の宿命」といった軽率な印象を与えがちだ。

1800年から2009年まで、対外債務のデフォルトは250件、国内債務デフォルトは確認されるだけで68件ある、と同書は述べる。その統計の中で、当時先進国であった国々がデフォルトしなかったかといえばそんなことは無い。先進国経済の場合、利払い遅延などを含むデフォルトは、対外債務ではなく国内債務に対して起きている。

例えば英国は1749年、1822年、1834年、1888-9年にそれぞれデフォルトしている。その殆どは金利の強制引き下げであった。そして1932年には、第1次大戦で膨張した国債を一律3.5%クーポンの永久債に変更している。

また米国は、1790年に金利支払いの10年間先延ばしを行った後、1841-2年には3州政府が債務支払いを拒絶、1873年には10州政府が支払不能に陥った。また1933年には国内でドル紙幣の金兌換を停止し、パナマに対しては1903年の協定に背いて金の受け渡しを中止、1936年に漸く再開している。

先進国の「デフォルト王国」ともいえるスペインは、1936-9年に内外への金利支払いを停止した。第2次世界大戦も敗戦国となったドイツでは、1948年6月20日にレンテンマルクからドイツマルクに切り替えられた際、上限は一人40マルクに限定された。オーストリアでも1945年に同じような旧紙幣切捨てが起きている。

日本政府はデフォルトしたことがない、というのも神の国の寓話に過ぎない。1946年の幣原内閣による新円切り替えは「立派なデフォルト」である。旧円紙幣を強制的に銀行へ預金させ、一人当たりの引き出し額を100円に限定し、旧円の市場流通を差し止めるなどの政策を通じてハイパーインフレを抑制したが、結局戦前に保有していた預金は無価値になったのである。

一般に、企業と違ってソブリンのデフォルト予測が難しいのは、赤字やインフレなどがどんな水準になれば国家はデフォルトを選択するのか、という閾値のような基準が無いことである。同書も新興国の対外債務デフォルト分析を行っているが、GDP比で12.5%しか対外債務がないのに1991年にデフォルトしたロシアのようなケースもあれば、1982年のギニアのように214%という水準まで達したところで漸く両手を挙げた国もある。

現代の先進国がデフォルトを選択しない理由はいろいろあるが、最終的にはメンツの問題でもあろう。米国や日本が簡単にデフォルトを決断するとは思えない。だがそれは2009年時点での常識に過ぎないとも言える。低成長長期化が宿命になりつつある現代経済において、税収に革命的な変化が起きて急増しない限り、いつか恒常的赤字構造は破綻するだろう。どこかの国が何かの軌道修正を始めれば、ここぞとばかりみなが追随することになるのは目に見えている。

さて先般のドバイ・ショックは、日本に続いてソブリン・リスクを意識させる第二波となった。そしてこれがギリシアにも波及し、海外クレジット市場はリーマンショックを思わせるような「次は誰?」の状態に近づいている。

ソブリンCDS市場には来年も注目したい。但しそれは近未来のデフォルト予想というよりも、「真面目な国」と「救いの無い国」を峻別する為のメルクマールとして捉えておく、という意味である。さて日本は、どちらの国に判別されるのだろうか。

2009年12月11日(第210号)