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◆「通貨と国力」続編

◆ 覇権的ドル優位論

既にお読み頂いたかもしれないが、先週発売されたPHP研究所の「Voice」9月号に、谷口智彦氏との対談「通貨と国力」が掲載された。割と評判が良かったらしく、Yahooニュースなどウェブにも転載されている。雑誌を購入できない方は、サイトを探していただければ見つかるかもしれない。「Voice」とはもう10年以上のお付き合いになるが、時々こういう面白い対談も企画してくれるので有難い。

だが谷口氏との通貨論は、雑誌の10ページ程度には収まりきらないものであった。そもそも安全保障を語らせれば当代きっての批評家でもある同氏が、通貨に一家言あるのは当然であり、それを請けて立つこちらも通貨に関しては言いたいことが山ほどある。というわけで、対談をきちんと記録すれば多分3倍くらいにはなっただろう。勿体無いので、弊誌を借りて、「Voice」の対談記事から零れ落ちたポイントを取り上げてみたい。

ご存知とは思うが、谷口氏は現代コリアなどを経て日経ビジネスの名物編集委員となり、町村外相に請われて外務省の副報道官を務めた人物である。拙本を大変高く評価して頂き、日経ビジネス時代には弊誌にも時々ご寄稿して頂いたりしていた。そんなご縁ではあるが、米国に関する立ち居地は筆者と180度違う、日米同盟死守論者である。従って、通貨論においてもその差が明確に出る。「Voice」ではその相違点があまり出ていなかったので、少し補足しておきたい、というのも本論の目的の一つである。

谷口氏は従来から「Security and Securities」という気の利いたフレーズで、安全保障と証券の共通性を説くという独特の視点から通貨論を演繹していた。ドルの一極主義はいずれ終焉するという筆者に対し、外交上それは有り得ないという厳しい反論を何度か受けたことがある。

今回の対談を前に、同氏から筆者に「宣戦布告したい」という、強烈なメッセージが届けられた。実際に対談においても意見がぶつかり合うことも少なくなかったが、出版社は二人の論争ではなく、通貨と国力の相関性を浮かび上がらせることが目的だということで、そのあたりのニュアンスが剥げ落ちてしまったのである。

まずは同氏の「ドル優位論」を主張する根拠を挙げておこう。一つは「ドル決済網のネットワーク慣性」である。同氏は、ドル決済のインフラは世界最強であり、これに匹敵するものは世界に存在しない、と論じた。

二番目は「英語世界情報網の透明度と充実度」である。ギリシアで何が起きているか、日本語世界では容易にわからない。まして中国、ブラジルにおいておや。世論を作るのも英語であり続けるだろう。幾ら中国人が13億人いて、中国のGDPが米国を追い越す日が来たとしても、英語の重要度は変わらない。とすれば、金融は情報とともに生き、情報は英語によって流れるのだから、やはり準備通貨はドルしかない。

そして三番目は「米国の覇権安定性」である。覇権が分散すれば世界は不安定になる。集中してこそ、世の中は安定するものである。この「Hegemonic Stability議論」はいまその祖国である米国では旗色が悪いけれど、これも民主主義同様にそれ以外のシステムをもたないのだ。

四番目に同氏が挙げるのは「ドルへのハラスメントは所詮政治的嫌がらせ」という点である。例えば中国がベラルーシやパキスタンと決済同盟を組み、ドル離れしつつあるとか、金をどんどこ掘って外貨準備に組み入れつつあるとか、いうのはすべて政治的自己主張であって通貨体制論議には無縁である、と氏は語る。

◆ 筆者の反論

この四点に関し、筆者が述べたのは以下の通りである。

まずドル決済網に関して言えば、そのインフラが地理的・機能的に他を超越していることは認めるとしても、ユーロや円、ポンド、スイスなどの決済機構もまた強靭であり、この論点を以って「ドル優位論」とするのは説得力が無い。またSDRなどバスケット通貨の決済システムが脆弱なのは現時点で必要がないからであり、それが制度的に不可欠となれば銀行はその制度設計に取り掛からざるを得ない。インフラは必要に応じて創設されるものであり、既存インフラが絶対的優位性を担保するとは言えない。

英語に関しては、以前このコラムでも書いたように、その重要性の認識は谷口氏と全く同じである。英語が共通語であり続けることはほぼ確実だ。だがそれがドルの主役としての役割を支える存在であるかどうか、断定は出来ない。谷口氏は情報という切り口で金融と言葉の連立性・結合性を指摘するが、金融のパラメータには政治・軍事・経済という非情報的要素も多く、言葉だけが金融を仕切るとは言い切れない。むしろ、英語は様々な通貨を載せて走る便利なオペレーティング・システム(OS)のようなものである。従って、英語を取り込むことによってドル以外の通貨も準備通貨になれるのだ。日本は決定的にその理解に欠けていたのである。

また覇権の安定性に関して言えば、谷口説には全く賛成出来ない。覇権はむしろ複数あることで世界は安定化するのである。一本足打法は王選手にしか出来なかった。誰も二本足の方が安定度を増す。三本あれば(カオスが生じるリスクはあるが)もっと頑強になる。覇権が一極集中すれば、逆にその力が弱まったときに世界の不安が増幅することになるのである。

最後の政治的自己主張に関しては特に異論は無いが、だからといって対米批判の強い中国やフランス、或いはロシアには未来永劫通貨力が無いとは言い切れないだろう。所詮ブラフに過ぎないとは言え、そういう発言を積み重ねることによって世界における存在性は高まっていく。仮に将来的に4-5通貨によるバスケット通貨構想が浮上した際に、通貨制度論に全く参加してこなかった日本は「どうせ円などドルの一種」として扱われる可能性もゼロではないだろう。GDPが世界で三番目といったところで、金融力が無ければ議論の場にも呼ばれないかもしれない。そんなことを考えると、日本も政治的自己主張をどこかで発揮しておく必要があるように思う。

以上、やや簡単ながら対談の中で二人の意見が対立した点について、備忘録として残しておくことにした。通貨論に終わりは無いし、正解もない。二人のうちどちらが正しいという話ではない、ただ、こうした思考実験無しに金融ビジネスを漫然と続けていくことは、「マネー敗戦」の気だるい精神から抜け出す契機を、自ら放棄しているのと同じことなのである。

2010年8月20日(第227号)