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◆現代錬金術の持続性
◆ 5つのC
危機感が渦巻いていた2008年には、Depression、Deflation、De-Leverageといった「D-Word」がメディアを席巻していたが、金融市場や経済が徐々に回復するにつれて、楽観的なムードを示す他のキーワードも勢力を増している。Employment、Equity、Earning、Exit、Ecologyといった「E-Word」を新時代への基準に取る人もいる。もっと前向きにいけば、Recovery、Reset、Revival、Rebound、Reflationといった「R-Word」で表現することも可能だろう。
だが慎重派の筆者としては、敢えて他のアルファベットで2011年の注目点を指摘しておくことにしたい。それはCredit、Currency、Commodity、China、そしてCentral Bankの「五つのC」である。それぞれについては、説明する必要も無いだろう。敢えて補足するとすれば、最初のCreditは勿論Sovereign RiskとしてのCreditである。
こじつけ気味に「C」を並べただけ、という印象を持たれたかもしれないが、この「5つのC」には、20世紀以降に編み出された「バランスシート型経済成長」と「現代錬金術」という二つの不安定なマグマの上で揺れ続けている、という共通点がある。残念ながら、我々はその二つの構造を否定して生活する訳には行かない。もっとも最近では、チュニジアやエジプトの政情不安が他国へと伝染するのではないか、といった「Contagion」という頭の痛い六つ目のCも考慮せざるを得なくなっている。
さて、現在の生活水準を最低限でも維持しながら、次世代に不満の鬱積することのない経済社会を残す義務を果たすには、この怪しげな二つの魔術的要素を上手くコントロールしなければならない。五木寛之氏のように「ゆっくり下降線を辿る生き方を」といった人生哲学で悟りを開くわけにはいかないのだ。
簡単にその二つの構図を説明しておこう。アンガス・ファーガソン教授に倣って、GDPで計測する世界経済が1820年代から急速に拡大し始めたと見るならば、そこには「借金」つまり負債を上手く利用して「レバレッジ的経済社会」を築き上げてきた英米を中心とする「バランスシート型経済発展」の原型を抽出することが出来る。筆者はこれを「負債立国」と呼んでいるが、もう少し上品に「金融浮力型経済」と言っても良いだろう。
当初は健全であったこの発展モデルは1929年に一度挫折して修正を余儀なくされたが、1980年代に再び暴走し、2006年の住宅バブル崩壊で二度目の挫折を迎えた。これがどう軌道修正されるかが注目される。財政改善を旗印に挙げた英国には変革の意思が鮮明に現われているものの、米国ではまだその気配は見えず、むしろ反対に「逆噴射」し始めたような感もある。
一方で現代的錬金術というのは、言うまでも無くペーパー・マネーの濫発である。これはFRBの量的緩和だけではない。中国もまたこのカテゴリーに入ると言って良いだろう。GDPだけが注目される中国経済だが、そのマネー・サプライの異常な増加にも注意を向けるべきである。政府統計に拠れば、M2は1978年から2009年までの間になんと700倍以上に膨張している。因みにその間のGDPは92倍である。GDPの伸び率も凄いが、マネー・サプライは、それをはるかに上回る、度肝を抜かれる規模にまで増加しているのだ。
◆ 錬金術の精神
また、各国政府が「錬金術だ」と強く批判したSub-Prime LoanのCDOも、形を変えてEUによって導入されることになった。「欧州金融安定化ファシリティ(EFSF)」がそれである。CDOとEFSFの相似性については、Chicago大学のLuigi Zingales教授が鋭い問題提起をしている(ブログ:Project Syndicateの「European Financial Alchemy」)。
同教授は、CDOとは「一つの健全な原則」と「二つの不安定な原則」に基づいて設計されるものだ、と解説しながら、両者に共通する「錬金術性」を浮き彫りにしている。まず前者の原則は「Over-Collateral」である。例えば元本120%の担保があれば、返済可能性を大いに強化しうる。
それに対して、担保物件の相関性と格付け会社のAAA・Aaaという後者の二つの原則が、前者の原則を揺るがすことになる。担保間の相関性が高ければ、そして格付け会社の「意見」が信頼に足るものでなければ、CDOの強靭性は脆くも崩れていく。我々はその市場が実際に瓦解する現場を見たばかりである。
Zingales教授は、EFSFの構造もCDOと全く同じ「錬金術」だと指摘する。支援がアイルランドだけなら問題ないが、波紋が広がればEFSFの担保力に疑問が生じる。EU諸国による担保における相関度は、Sub-Prime Loan寄せ集めのケースとさほど変わりない。またEUに規制される側の格付け会社が、EUと全く独立した客観的判断を貫徹出来るとは思えない。
錬金術と批判されたCDOを揺さぶった二つの不安定な原則は、EFSFの中にそのまま生きているのである。FRBの量的緩和も錬金術以外の何物でもない。民間の錬金術は失敗したがSovereignなら成功する、という保証はどこにもない。
だが同じ錬金術とは言いながら、中世の錬金術と現代の錬金術を同一視することは適切でないかもしれない。世間の風評とは違って前者には「崇高な哲学と精神」があったからだ。それに比べれば、後者には俗欲的な経済的嗜好しか見出せないように思える。
一般に錬金術論は、怪しげな人物像をフィーチャーすることで中世の暗黒性を醸し出し、無知で強欲な金儲け主義という色彩の中で語られることが多いが、澁澤龍彦は「不当な蔑視を受けている」と憤慨しながら「アンドレ・ブルトン論(1970年)」の中でその「崇高な冒険的精神」を評価している。
オカルト・サイエンスといえば、錬金術、占星術、魔術の三本立てと相場が決まっている。澁澤は、錬金術は別物であることは明らかだ、と述べて、それが単なる化学の前身であっただけでなく、ユングの精神分析から人類学・民俗学などを経てシュールレアリズムなどの美術史や文学史にまで影響を与えた、と鋭い分析を加えている。
一方で現代錬金術は、バランスシート型経済成長の維持のために、さらにその魔術性に磨きをかけようとしているかのようだ。負債を利用することによって大きな果実を獲得した錬金術は、正当に評価すべきである。新興国が先進国と同じ権利を行使しようとするのは当然である。我々はバランスシートを否定し続けることは出来ない。だがそれが過大な負担になるならば、早急に修正に動かねばならない。
米国の危機対応策は、銀行などの民間バランスシートを政府のバランスシートに置き換えただけであった。その綻びへの不安を錬金術によって麻痺させようとしている。それは確かに冒険的精神に満ちてはいるが、その前に「崇高な」という形容詞を付すことを、中世の錬金術師達は恐らく許さないのではないか。