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◆金利・資本規制による債務削減

◆ Financial Repression!

日本の長期金利が今後どうなるか、といった論点はもはや議論の対象にすらならなくなった。普通に考えれば、何年先になるかは解らないがいずれ大幅に上がるに決まっているからだ。それは米国など他の先進国も同じであり、この世界同時的な財政危機は現代史の新しい1ページを切り開くことになるだろう。

日本では東日本大震災による財源問題で国債増発が不可避となり、4月上旬には日銀引き受けの議論すら浮上した。復興議論の最中に不謹慎のそしりは免れ得ないが、日本の財政危機の到来は早まったかもしれない、と思っている。復興に資金は必要だが、それを国債で賄うという発想から脱皮できない限り、そのコストは確実に上昇する。

長期金利は来年か再来年あたりに2%前後にまで上昇するかもしれない。だがそれはまだ危機とは言えない。上昇スピードに拍車が掛かり始めて3%へ接近するようになれば、漸く国民の1/3くらいがおかしいと思い始める。でもそれはまだ「危機感」であって「危機」ではない。将来への不安は、警戒感に過ぎない。危機とは、今日あるいは明日の切羽詰った問題意識のことなのだ。10年債が3%を超えて4%に接近し、国民の2/3くらいがそう思うようになれば、本物の危機到来と言えるだろう。

だがそこまでには、まだ3-4年の猶予がありそうだ。そして、内外政府も金利上昇を黙って見ているはずが無い。特に「金融的離れ業」を考え出すのに長けている英米が、何らかのウルトラCを捻り出そうと知恵を絞るのは想像に難くない。国債のエクイティ化もその一つだが、もっと簡単な方策がある。インフレ率を下回る低金利で国債を購入させる、という一種の資本規制がそれである。これは実際に英米などで戦後に実施されたものである。

金融史は歴史マニアの為のものではない。今日の金融システムや経済思考の位置付けを確認するのに、金融史は必須である。そして今後何が起こるかを想像するにも、史観が役に立つ。さらに、政府が何を考えそうかを推測する際にも歴史はヒントをくれる。カルメン・ラインハート教授が同僚のべレン・スブランシア氏と共同執筆した「The Liquidation of Government Debt」という最近のIMFの報告書には、「Financial Repression」という表現を使いながら、先進諸国が第二次世界大戦後の負債を、如何に事実上の資本・金利規制を通じて縮小させたか、の実証分析が記されている。

一般的に、政府負債を管理可能な水準にまで縮小させるには(1) 経済成長による税収増(2) 大幅な財政改革による財政均衡(3) インフレによる実質的負債削減(4) デフォルトといった選択肢が挙げられ、(1) も(2) も期待できそうにないのでいずれ(3) か(4) による危機(そして悲劇)が始まる、と語られる。確かに、筆者もそう思う。

正直に言って、日本の財政赤字が改善する見通しは10年単位で見てもゼロに近い。20%程度への消費税引き上げもハードルが高すぎる。景気対策は財政出動でという狂信的イデオロギーが消滅することも考えにくい。いずれ金融危機も再発する。それは米国なども同じであって、日米と一部欧州が債務地獄から抜け出すことは、奇跡でも起きない限り、ほとんど不可能だろう。

ではやはり、原発事故に見習って危機に備える必要はあるのだろうか。それを考える前に、政府がどんな行動に出るかを考えておくことも必要だ。彼等が「Financial Repression」を再度発動することは、十分に予想されるからである。

◆ 超債務時代への対応

1930年代以降の大恐慌と戦争は、先進国の負債をGDPの90%程度へ増大させた。原因こそ違うが、今日の先進国の負債も同じようなレベルにある。前者の負債は、戦後の経済復興によって解消されたように思われている。だがラインハート教授らはそれだけが要因ではない、と指摘する。

英米などが導入したのは、政府が大手投資家にインフレ率を下回る利率での国債を無言の圧力で購入させるという、事実上の資本規制であった。同時に、海外投資などにも制限を課し、国内投資を優先させたのである。

この「実質金利マイナス」の効果によって、英米は1945-1980年の間に年間GDP比3-4%の債務削減に成功した、と報告書は述べている。単純にいえば、10年間でGDP比30-40%の債務残高が消えたのである。こんな魔法のような処理法を、現代の政治家が見逃す筈はない。既に米議会では「Financial Repression」が流行語になり始めているという。投資家サイドとして、PIMCOはこのリスクを大きく採り上げている。日本で誰もこの「手法」と「リスク」に言及しないのは何故だろう、と不思議に思う。

思えば、1920年代までは第一次金融グローバリゼーションの時代であった。それが大恐慌を契機に保護主義へと一変する。資本政策もその動きに沿って規制され、民間資本は国債消化と事実上の債務削減に駆り出されたのである。現代の状況と酷似していることは、敢えて指摘するまでもないだろう。

仮にこうした金利・資本規制再導入への動きが出てくれば、金融市場から一斉に悲鳴と批判の声が上がるだろう。だが市場も所詮は安定性あってのモノダネである。日英米のデフォルトなど、ニヒリストやアナキスト或いは一部の投機家を除けば、歓迎せざるものである。政府から強い要請があれば市場は受容せざるを得ないのではないか。特に国債と心中するほどのポートフォリオになっている日本の銀行は、間違いなくデフォルトよりも財政救済を選ぶだろう。公的年金基金も大幅に国債保有を増加させることになるだろう。

それは経済成長の芽を摘むという批判も出よう。個人的にも、デフォルト実施による負債削減と出直し経済、という方法が好ましいとは思うが、サラリーマン化した政治家にそんな判断が出来るとは思えない。金利が上昇し始めると、市場感の薄い政治家らは原発事故並みにパニックを起こす可能性は高い。金利・資本規制の導入は、決して歴史上の出来事ではなく、反復される宿命を帯びた経済政策なのだ。

では実際にそうした規制が導入されれば何が起きるだろうか。機関投資家のみならず個人投資にも規制は適用されるだろう。従って、銀行や証券など金融仲介業は厳しい方向転換を迫られることになる。運用業者も一段の再編・縮小を余儀なくされるかもしれない。自由な金融というイメージは消失し、金融に「冬の時代」が訪れることは十分に想定される。

だが、財政危機とはそもそもレバレッジ社会が終焉に向かうことを意味するものであり、その解消の為に金融業に重大なストレスが掛かることを考えてみれば、筆者のやや悲壮的観点が決して突飛なものでないことはご理解頂けるのではないか。むしろ、今からそうした状況を想定しつつ、来るべき時に「自分は生き残れる」ように検討しておくことが、福島原発事故からの教訓である、と言っても過言ではないように思う。

2011年5月27日(第246号)