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◆米国格下げの意味するもの

◆ 格下げに対する論説

S&Pが米国の格付けを引き下げた。正直言えば、数か月前まで大手格付け会社が米国の格付けを引き下げるのは政治的に困難だと思っていた。実際にはAA-かA+あたりが信用度の実力と思われる米国も、政治的圧力としてはAAAの力を持っているからだ。

その構図が瓦解したのは、Debt Ceilingを巡る議論で米国政治の危機的状況が露呈したからに他ならない。S&Pは、2008年のLehman Shockの際に実行できなかった「念願の格下げ」を、ドサクサに紛れて3年後に漸く成就したと言えるかもしれない。

この格下げが世界同時株安を招いたとの見方には異論があるが、これは別のメディア(ダイヤモンド・オンライン、エコノミスト誌など)にも書いたので省略する。ここでは格下げを巡る、他の主な論点を少し整理してみよう。

(1) いつまで格付け会社に振り回されているのか

これは市場に根強く残っている思いである。民間企業の「意見修正」に過ぎない格付け変更に、世界経済や金融市場が右往左往するのはどう見ても変である。その格付け会社の「意見」が信頼性を失ったのは最近のことではない。1980年代の累積債務問題や米銀問題から1990年代のアジア危機、そして最近ではRMBSやCDOでミソを付けたばかりである。今回も、S&Pは財務省から2兆ドルの財政赤字推計ミスを指摘されて慌てる場面もあった。格付け会社の分析力などたかが知れている、との批判も増えつつある。歴史的汚点の責任者となった米政府や米議会にも、この考えは広く支持されている。

(2) 格下げは現状追認に過ぎない

米国がAAAであるというのは虚像であって、S&Pの格下げ判断はむしろ遅すぎたという見方も少なくない。その意味では、英国やフランスのAAAも怪しいものである。もっとも、AAAがAA+に引き下げられたとしてもそれほど大騒ぎする必要は無い、メディアなどの報道は過剰反応だ、というのも恐らくプロの大多数の見方であろう。市場不安を封じ込める為に、G7が徹底的に防衛措置を行う姿勢を示すことも、当然予想されたことである。米株は下落しても米国債は買われる。つまり、格下げはかなりの部分「織り込み済み」の事象なのである。

(3) とはいえ、やはり格下げは無視できない

金融市場は、米国債というリスク・フリーとそれに対する信用力プレミアムという構造を内包している。株式も不動産も商品も、リスク・フリーに対応するプライシングが想定されている。従って、やはり米国債が格下げされるというインパクトを過小評価すべきではない。絶対基準を無くしたリスク・プライシングに、何の根拠もない。米国の格下げがAA+で止まる保証も無く、市場メカニズムは一種の「大空位時代」に突入してしまう。これはやはり問題だ。米国は腐ってもAAAであって欲しかった、という声も聞こえそうだ。

(4) 格下げは米国政治経済システムの劣化を意味している

米国は、格下げをもっと真摯に受け止めるべきだろう。米経済のシステムが大幅に劣化していることは否めないからだ。雇用を生めない社会は、どんなにGDPが大きかろうが政治経済的には落第生である。雇用と格付けは直接関係ないが、失業者への支援コストや成長機会の喪失といった観点から、無関係のものとは言えない。雇用はFRBの専管事項といった政治的態度は問題外である。そんな政治が許容されるような経済に魅力はない。このまま放置していれば、いずれ資本も米国離れの時期を迎えるかもしれない。その時が本当の信用危機・ドル危機であろう。今回の格下げは、そうならぬようにとの警告として受け止められる必要があろう。

◆ 金融史の転換点

筆者の思いは上記いずれにも当てはまる。つまりそうした複雑な心境を抱かざるを得ない、というのが正直なところだ。それは逆に、これまでの金融市場機能が如何に脆弱な基盤に支えられていたのかを如実に物語っている。具体的には、持続性の無いAAA概念に金融メカニズムのすべてを委ねていたということだ。その意味で、米国の格下げを金融史の転換点と呼んでも、決して大袈裟では無いように思う。

そもそも論として、我々は「市場」をどう位置付けるべきなのだろうか。特に金融市場に的を絞った場合の筆者の「市場イメージ」は以下の通りである。

つまり、経済構造単位としての国家・国民・資本を有機的に結び付けているのが金融市場であり、本誌が創刊以来焦点を当ててきたのがこの部分である。金融市場が接着剤のような役割を果たしているのが、今日の経済の特徴である。当たり前のように見えるが、こうした構造は大昔からあった訳ではない。共同体時代に国家は存在せず、貯蓄なしに資本は存在せず、市民革命なしに国民は存在しなかった。

世界史の変遷に言及出来るほどの力はないので、この構造が定着したのが1世紀ほど前でしかないことだけ、指摘しておこう。中でも、金融市場が相対立するこの三者間の接点を取り持つ重要な存在になったのはここ数十年に過ぎない。その中心的な役割を果たしたのが米国債市場である。AAAという絶対価値は、米国のイールド・カーブとクレジット・カーブというインフラを築いた。いわば、金融版のダムや高速道路みたいなものである。

米国格下げがそうしたインフラでの機能障害をきたすとすれば、上図で言えば国家と対立する国民と資本がそれぞれ保守化し、資金流通速度を下げ、マネーの滞留を引き起こす可能性がある。結果として、資本不足、市場機能低下、ゼロ成長化、そして税収不足などの症状を慢性化させるかもしれない。1-2年では表面化しないかもしれないが、4-5年後にはかなりその病状が鮮明になっているのではないか、と危惧している。

上図で示した経済構造は、いわゆる「自由主義的思想」が推し進めてきたものだ。金融市場を自由化し、市場機能を拡大させて、国家・資本・国民すべてが豊になる、というのがこれまでの理想像であった。だがどうやらそれも「AAAの幻想」に基づいた帝国主義的な虚像であったような気もする。

「自由主義」とは「自由帝国主義」に過ぎなかったとすれば、格下げによってもたらされる経済像は、我々が追求してきたイメージとはかなり違ったものになることを覚悟しておくべきかもしれない。それが市場経済の縮小なのか、市場経済の暴走なのか、正直言って、現時点ではまだ判断を下しかねている。

2011年8月18日(第002号)