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◆管理下に置かれる金融市場

◆ 弱体化する市場システム

日本のGDP比200%に垂んとする公的債務残高、欧州のギリシア第2次支援を筆頭とする各国債務危機、米国のイデオロギー的財政赤字論争、と先進国は軒並みに「債務問題」に振り回されている。筆者は昨年からこの状況を「超債務時代のソブリン・クライシス」と呼んできた。

残念ながら、これは数年では解決できない長期入院の必要な症状である。そしてその治療と処方箋のために金融抑圧が起こり、ゼロ成長近辺の経済低迷が長期化するであろうシナリオは、先般の「WEDGE 8月号」に掲載されたOPINIONで示した通りである。

欧米経済・金融の「ジャパナイゼーション」や景気後退ムードについても気になるところだが、それは昨年来指摘してきたことなのでここで繰り返すつもりは無い。むしろ新たな問題として提起したいのは、経済同様に資本市場自体もまた脆弱さを露呈し始めていることである。

そこには株式市場や国債・社債市場、為替市場まで含めて良いだろう。これまで低成長時代の金融システム問題は「銀行経営」に絞られてきた感が強いが、今や銀行だけでなく有価証券や通貨などの「市場システム」も甘やかされて弱体化していることは、かなり深刻な問題である。

「市場システムの弱体化」とはどういうことか。日本で言えば、例えば何をするにも日銀動向を気にする癖がついてしまったことだ。リーマンショックのような外部衝撃を受けた場合や大震災など悲惨な自然災害に遭遇した時など、緊急事態においては市場が中銀に何らかの期待を掛けることは不自然なことではないが、それが常態化することは、己の判断能力を下げるリスクを伴う。いわば、「市場免疫力の低下」である。日銀が買うから俺も買う、日銀が買わないなら諦める、というのは「市場メカニズム」でも何でもない。

これには日銀にも責任がある。政治へのアリバイ作りの為に打ち出す施策は、市場にとって心地良いものになるかもしれないが、それは市場を殺しているのと同義ではないだろうか。

勿論、昨年末に打ち出したJ-REIT購入のように「不動産市況を活気付ける」ことを念頭に置いたと思われる施策などは評価されて良いし、大震災直後の買い入れも非常時の市場を救うという意味はあった。だが総じていえば、日本の有価証券市場は長い間日銀を頼りにし過ぎてきたので、思考停止に陥ってしまったように見える。日銀が政治的アリバイ作りに専念するあまり、この症状を看過しているとすれば、厄介なことである。

やや形は違うが、米国市場も同じように客観的な判断が怪しくなってきた症状が見え始めている。それが明確に示されているのは米国債市場だろう。昨年来、米国の「Debt Ceiling」問題は共和党にとって大統領選挙を有利に運ぶ為の重要な「政争道具」になる可能性が指摘されてきた。だが市場はこれを全く無視し、Tea Partyの強硬な姿勢が明らかになってきた4月以降も、殆ど材料視しない日々が続いた。ホワイトハウスと共和党の間の溝が埋めきれないほどに問題が深刻化した7月になっても、市場は「100%問題ない」としてこれを軽視し続けてきた。

だがこの「Debt Ceiling」を巡る赤字削減協議は、収拾の付かないところまで発展していった。一時的なデフォルトという技術的問題だけでなく、果たして米国は債務削減に向けた舵取りが可能なのかという点を疑問視せざるを得ないほどの状況になった。S&Pも遂に米国を格下げした。それでも米国債市場は「解決」を信じている。

逆に言えば、国債市場が動揺しないのだから格下げやデフォルトが起きても問題ない、というTea Partyの持論を裏付けることにもなってしまったのである。これは市場が政治を甘やかしている構造だと言っても良いだろう。ここ数か月の米国市場を巡る騒動の過程で観察された市場機能の鈍化は、想像以上のものであった。

その背景には、やはりFRBが市場を甘やかしてきた、という事実がある。そして、甘えから鈍感になった市場が政治を甘やかす、という悪循環に陥ったのだ。日本もまた、機能低下した市場が日本の財政再建や電力政策軌道修正などへのインセンティブを失わせているようにも見える。欧州の酷い状態は、市場の機能低下が爆発した結果でもある。

◆ 市場管理へと動く各国政府

数年前から筆者は「米国はAAA・Aaaに値しない」という見方を論じてきたが、市場はそれどころか「困ったときには米国債」という行動を普遍化し、米国債は最も安全な資産であるとの認識を示してきた。FRBの「QE2」は市場にとって破滅的政策のようにも思われたが、逆に10年債利回りは1%台へと低下し、市場は米政府・FRBの思うままに「操作」されてきたのである。

だがここ数か月の財政赤字削減に関する政府・両党の協議を見る限り、同国にまともな財政赤字削減が実施されるとはとても思えない。その事実からして、AAA・AaaどころかAAクラスにも値しない信用力であると言ってよい。何故なら、同国の財政赤字が急増した三つの要因つまり「ブッシュ減税・イラク/アフガン派兵・危機対応の景気対策」のそれぞれをどう処理していくか、政治家らはきちんと整理しようとしていないからだ。財政赤字を巡る協議は、増税を拒否する共和党、軍事費・景気対策をタブー視する民主党という双方の甘さを露呈することになった。

だがこの甘さを放任しているのが市場なのである。株式市場はミクロの企業業績への視点に徹し、国債市場は景気後退懸念から「リスク・オフ」の避難市場と化している。ドルも、ユーロなど買えない通貨ばかりの中ではそれほど強い売り圧力に晒されることもなく、逆に騰勢を強めている。

市場の弱体化は、政府にとってまたとない贈り物である。超債務時代への対応策を放置していても金利は上昇しない、株価は下がらない、通貨も価値を維持している、という状況にあるのは政府にとって有難いことである。無能な政府が愚鈍な資本をコントロールしうる環境が整った、とも言えるだろう。市場は暴走しないどころか益々鈍感になり、いずれ意図的な金融抑圧に直面してもその事実を飲み込めないままに「不自由化」を受け容れることになる可能性もある。

9月に発表されたスイス中銀のユーロ・フラン上限設定は苦肉の悪ではあるが、視点を変えれば、同国が為替管理に舵を切ったとも言える。6月のFRBによる2年間の低金利継続という事実上の「金利市場管理」に続いて、各国の「市場管理」は今後のトレンドになりそうな予感(悪寒、というべきか)がする。9月に決定されたFRBの「Operation Twist」も、長期金利の封じ込めという新たな市場管理だと見てよいだろう。

市場がパニックに陥らないことは、ある意味では平和なことである。それを歓迎する人は少なくないだろう。だがそれは市場の資本配分機能が失われ、政府が資金フローを掌握するという意味で、もはや市場経済ではなくなり、時代は国家による搾取的経済に逆戻りする、ということにもなりかねない。市場が市場でなくなる時、民間金融もまたその資本主義的な使命を失うことになるだろう。それこそが本当の「100年に一度の危機」なのではないだろうか。

2011年10月20日(第004号)