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◆金本位制復活への思考実験
◆ Lerhman氏の金本位制復帰論
バーナンキ議長の金融政策に不満を示す保守派が勢力を強める米国に、Lewis Lehrmanという金本位制への復帰を主張し続けている人物がいる。といっても、日本でもよく見かけるような怪しげな経済論者ではない。1960年にエール大学を卒業し、ハーバードで博士号を取得した学究肌でもあり、かつ1982年にはレーガン政権で「ゴールド委員会」の委員を務めた人物でもある。FRBを廃止せよと叫ぶRon Paul議員らとも信条が近いように見受けられるが、モルガン・スタンレーのAdvisorや同社資産運用会社の役員を務めるなど、金融実務界との接点も深い。
そのLerhman氏が最近「The True Gold Standard」という本を出版し、金本位制復活に向けた具体的なステップを解説している、とある友人から教えて貰った。まだその本を読んではいないが、政府とのコネクションが強いその氏から「これが本当になったらどうなるか、心の準備をしておきたい」と質問されたので、ざっとその構想を眺めた上で、拙いながら思考実験してみることにした。
金にご興味のない人には申し訳ないが、今回はその備忘録ということでご海容願いたい。現実論として金本位制への復帰はまず99%ないとは思うが、想定外という言い訳が許されない現代にあって、その1%が起きた時のリスクはやはり頭の隅に置いておく必要もあろう。
因みに英国にはBIS省(Dept. for Business Innovation & Skills)という官庁があり、そこのForesight Projectという部門にHorizon Scanning Cetreという研究所がある。そこでは、政治家に想定外などと言わせぬような長期的な「思考実験」をきちんとやっているのである。金融・経済問題も例外ではない。
さてLerhman氏が語るステップは以下の通りである。
(1) 米国は4年以内のある時点で単独で金本位制に復帰する、と世界に宣言する。つまりドルはある一定のレートで金と交換される、と法的に定められることになる。財務省とFRB、そして銀行はこのシステムを守る義務を負う。ドルは金との交換性を保証されるが、そのドルとはFRBが発行する紙幣と銀行預金に限定される。海外政府が準備通貨として保有するそれ以外のドルは、米国の関知するものではない。
(2) 財務省と政府に認定された民間造幣会社が法定通貨としての金貨を鋳造する。これに税金は一切課されない。
(3) 米国は金本位制復帰の発表後、速やかに国際通貨会議を開催し、各国にドルベースの準備通貨制度を廃止ともに各国が保有するドルの整理・償還について慎重に協議する。つまり準備通貨の存在しない多極的な金本位制の通貨システムが協議されることになる。
(4) これにより、各国間の収支尻決済は金で行われることになり、金が事実上の唯一の準備資産となる。
(5) 各国が通貨の兌換性を保証することで国際的な金本位制が誕生する。これにより、変動相場やドルペッグなどの制度は消滅し、安定的な為替相場と公平な貿易関係が構築される。
◆ 金本位制はワークするか
まず米国が金本位制に戻ると言われて何を考えるだろう。真っ先に浮かぶイメージはやはり「金本位制=デフレ」という図式だ。通貨価値の維持とは、金融政策の自由度を奪うことでもある。それがLerhman氏の狙いでもあろう。だが成長力を失い始めた米国経済にはこれは大きなマイナス材料だ。市場は「金融政策の神話」を名実ともに捨てることになり、米国信仰をベースとする単純な資本投資は逆流が起きて株価は大きく下落するだろう。経常赤字が膨らんで米国から金流出、という思惑も強まる。従って、直感的にはドル売りが起こる。
だがその議論を進める前に必要なのは、今米国の金保有量がドル換算でどの程度になるか、を確認する作業である。WGCに拠れば、9月末の米国保有量は8,134トンである。これをグラム換算すると、約81億グラムとなる。1トロイオンス(約31グラム)が1,700ドルとして計算すると、約4,442億ドルである。因みにFRBのバランスシートは2.8兆ドルなので、米国はベースマネーを約1/6に縮小せねばならない。これはとんでもないデフレを生むだろう。他国が追随できるかどうか、疑問でもある。
普通に考えれば、金本位制への回帰が発表された時に起きるドル売りの相手側は経常黒字国の通貨だ。ドル円は一時的に50円台まで突っ込んでしまうかもしれない。世界に一種の為替管理が起きることも想定される。中国は為替市場を閉鎖する。金スポット市場でドルを売って金を早々に手当てしておこうという動きも出る。金は軽く5,000ドル程度にまで吹っ飛びそうだ。いや、米国にとっては金が10,000ドル位になれば、金保有高とFRBの負債高が釣り合うことになるので、金の高騰は大歓迎だろう。そうなると他国も追随しやすい。困るのは、金を持っていない日本などの国々だ。
但しデフレとなれば米国の実質金利は上昇するので、金利観では為替市場でドル買いが起こる可能性もある。それがドルを下支えする。金に兌換出来るドルを評価してドル選好を強める人もいる筈だ。だが金の市場調達が可能であれば、そうしたドル評価には限界がある。とすれば、経常黒字国でもありまた金の世界一の生産国でもある中国の人民元に買いが集まると考える方が現実的だ。米国にとっては願ったり叶ったりである。
だがより重い問題は、10兆ドルに上る外貨準備である。IMFに拠れば6月末でアロケーションが解っている5.4兆ドルのうち「ドル建て」は3.2兆ドルである。不明部分を加えれば恐らく約6兆ドル程度であろう。同氏のステップではドルの交換性を紙幣と銀行預金に限定し、この外貨準備は対象外となっている。海外中銀は保有する米国債をすべて換金して一斉に銀行預金に置き換える、という選択肢もあろうが、市場混乱やドルの急激な流出を避けるべく恐らく米政府は売却制限を導入するかもしれない。或いは、公的部門による米国債売却代金は別管理され、金との兌換には応じないという措置が採られる。
従って各国は外貨準備をそのまま米国債で保有するか、自国通貨に戻すか、他通貨に乗り換えるかの選択を強いられる。その際に考えるべきは外貨準備の本質だ。それは民間の貯蓄の一部を政府が借入れて外貨で保有しているものであり、政府の為替ポジションに他ならない。ドルが準備通貨として使えないなら、そんな無駄な為替ポジションを抱える必要はない。
Lerhman氏のシナリオでは公式準備は金のみ、ということになるので日本もその1兆ドルの為替(腐れ)ポジションをどう整理するか考えねばならない。金に換金できない米国債で保有することにあまり意味はない。高金利であればキャリー取引でそのまま稼ぐ選択もあるが、世界同時低金利の現状では意味がない。従って米国債を売って金のスポット市場で金現物を買うか、ドルを日本円に戻して100兆円の短期債を償還するか、儲かりそうな人民元建て国債を買うか、といった選択肢になる。ここではやはりドル売りが誘発される。
だが各国が金市場に殺到すれば大混乱となるので、民間の金は市場閉鎖されるかもしれない。そのマネーの矛先は、鉄鉱石や石油などの資源になる。各国の外貨準備戦略が現物資産確保戦略へと大きく変化することは間違いない。
日本も1兆ドルのうち早急に金手当を含む現物資産確保を急ぐ必要が出てくる。但し1兆ドルすべてをそこに投入するのではなく半分以上は自国債務縮小に向けるのが賢明だ。恐らく中国も同じである。やや異なるのは中東などの石油売却資金としてのドル資産である。これは外貨準備ではなく、純粋な国家資産であるからそのまま米国債にとどまることになるだろう。もっとも経常赤字から抜け出せないドル価値の下落を見越して、ユーロ国債や日本国債への分散が進むことは考えられる。
ドルの金本位制復帰、外貨準備制度の変更、各国の金本位制追随というシナリオは、ドル急落と金の高騰を生みつつ、世界経済をデフレへと呼び込みかねない。その中で、19世紀末のような保護主義傾斜は避けられず、結局は通貨の切り下げ競争を誘発することになり、同氏がいう「為替市場の安定化と公平な貿易関係」の理想は簡単に打ち砕かれるのではないだろうか。金だけに通貨制度のアンカー役を求めるのは、悲しい歴史を繰り返すだけだ。
思考実験のきっかけをくれた友人には、以上を要約してメールしておいたが、実際に何が起こるのか正確に想定するのは難しい。ただ、筆者の歪んだ水晶玉には金本位制ではなく、依然として金を含めたバスケット準備通貨のシステムが映し出されているのみである。