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◆キンドルバーガーの慧眼
チャールズ・キンドルバーガーの名前をご存知の方は多いだろう。日本でも「熱狂、恐慌、崩壊」「経済大国興亡史」などのベストセラーがある。国際経済学の碩学であると同時に、金融危機の史的分析の権威でもあった(2003年没)。その学識に触れた二人の著名な経済学者が、昨今のユーロ危機を巡り、このキンドルバーガーの卓見をもとに一文を記している。金融界に席を置くものとして、これは必読であろう。翻訳に関して許諾を取るのに時間が掛りそうなので、やや勇み足ではあるが、主要な部分を抜粋した要約を掲載しておきたい。ただ、やはり読者の皆さんには原文に当たられることをお奨めしたい。
VOX : http://www.voxeu.org/index.php?q=node%2F8082 (2012年6月13日)
New Preface to Charles Kindleberber, The World in Depression 1929-1939
ブラッド・デロング UC Berkeley 教授
バリー・アイケングリーン UC Berkeley 教授
1930 年代の欧州と今日の欧州の類似点は、ますます恐ろしさを増している。青年の失業は前例のない高さであり、金融不安や苦痛は拡大中だ。政治的には過激派政党と超保守の極端な左右への支持が高まっている。
この状況はまさに1973 年に出版されたキンドルバーガーの「World in Depression 1929-1939」に描かれたものだ。彼のカンバスは世界であったが、その焦点は欧州であった。多くの識者らの指摘と違って、彼は病巣が欧州にあると診断した。政治・経済の問題は、適切なリーダーシップを発揮できない欧州にあった、と彼は言う。
この見識は、当時多くの学生を魅了した。1980年代、この話題に興味のある学生は、MITのスローンに行って、キンドルバーガーの講義を聴けたのだ。我々はその中の二人であった。理解できたのは講義の半分で、歴史的な言及を認識できたのは1/4だけであったが、その講義には圧倒された。その後ノーベル賞をとったクルーグマンもそこにいたが、彼は教授の講義がとてもタフだったので国際経済学の専攻を辞めようかとも思った、とも語っている。キンドルバーガーの講義は、それほど「知に満ちていた」のだ。
その講義では、如何に市場が機能し管理されそして間違えるか、が見事に示されていた。2011年にFT紙のコラムニストであるマーチン・ウルフが、ローレンス・サマーズに対して「経済学は如何に金融危機に役に立たないか」と攻撃した際、サマーズは「役に立つ経済学もある」と反論したことがある。だがその有用な経済学とは、理論と数字で固められたものではなく、19世紀の英国ジャーナリストであるウォルター・バジョット、20世紀のハイマン・ミンスキー、そしてこのキンドルバーガーのものであった、と言って良い。
キンドルバーガーが残した資産は、金融市場にはパニックが付き物であること、それは感染力が強いこと、それを食い止めるのはヘゲモニー(覇権)であること、の三つを明記したことであった。(太字は訳者)
まず「パニック」である。彼はパニックを極端な行動を引き起こす突然の圧倒的な恐怖として定義し、金融市場に本質的に存在するものと主張する。キンドルバーガーは、そもそも本質的に市場は安定的だとする効率的市場仮説への「背教者」であった。フリードマンのような、投機によって均衡が達成されるといった考えには与せず、市場は極めて長期間にわたって間違い続けることがある、と主張した。それは、ブーム・クラッシュ・パニック・収縮というサイクルを描写したミンスキーの理論で補強された。それはしばしば、「ミンスキー・キンドルバーガーのフレームワーク」として言及される。
二番目の教訓は「感染力」である。キンドルバーガーに拠れば、大恐慌の核心は1931年の金融危機であったが、それはウィーンというややマイナーな都市から発生した。それがベルリンへ、ロンドンへ、そしてニューヨークへと飛び火したのだ。当時の独銀はウィーンに多くの預金を持ち、英国のマーチャントバンクは独銀へ融資を積み重ねるなど、金融の結び付が深かったが、同時に心理的な結束も強かった。それが危機を伝染させたのだ。21世紀も同様に、ギリシアという小国から始まった危機が他国へと感染している。
その連鎖はキンドルバーガーの三番目の教訓へと繋がる。「ヘゲモニー」である。彼に拠れば、1920-30年代の世界の問題は、「覇権の欠乏」にあった。当時、19世紀に栄華を誇った英国は既に衰退の過程にあった。新興国の米国は、その役割を担う覚悟も認識も無かった。1914年以前は英国が、1945年以降は米国がそれぞれ果たした「覇権国家」という主役を、この時代は誰も演じることが出来なかったのだ。
キンドルバーガーはその著書の中で「British Inability and United States Unwillingness」という表現で当時の「覇権の欠乏」を描いている。覇権国家が危機対応としてなすべきことは、自由市場の維持、反景気循環的な融資、そして金融緩和である。だが英米ともに主役を拒絶したことで、世界は保護主義と収縮経済に陥った。
今日の欧州の状況は、この反復を見ているようだ。パニックが市場を覆い、資産価格は下落している。そこに覇権は無い。ECBはそんな権限を与えられていないという。EUは所詮27各国の寄合所帯であり、コンセンサスはなかなか生まれない。欧州最大の経済国であるドイツは潜在的な覇権国ではあるが、彼ら自身は自国を単なる自由市場の一角に過ぎない、と考えており、常に「欧州を一国で支えるのは無理だ」と叫んでいる。他国に対する覇権に関しては、同国特有の歴史観がそれを許さないところもある。欧州は集団的行動を採る必要があるのに、それを可能にするヘゲモニーが存在しないのだ。
IMFも、十分に資本を抱えているとは言えない。新興国には欧州支援に反対する意見も根強い。欧州のことは欧州で、という空気は米国にもある。もっとも米国には戦後のマーシャルプランを再現させるような資力はない。
ある意味で、キンドルバーガーは1973年に既に現代の危機を予見していたのである。彼は、後の厳しい時代に米国が覇権国家としての役割を担うことが出来なくなる可能性を想定し、その場合のシナリオとして三つのポジティブな可能性と三つのネガティブな可能性を指摘している。
プラスの見方は、(1)米国の指導力の復活、(2)欧州の覇権そして(3)ソブリンから国際機関への覇権譲渡、である。その中で(3)が最も望ましいと考えたが、現実には困難だろうと予測した。
マイナスの見方は、(1)欧米の共倒れ(2)誰も責任を取らない1929-33年の再来、そして(3)誰もがNoという世界、である。
今や世界はネガティブな(3)へと向かいつつあるが、これを止めるにはポジティブな(3)へ切り替えるしかないのではないか。
以上、簡単ではあるが二人の教授による、キンドルバーガーの追憶的な警告をご紹介した。これが、ドイツ批判に陥りがちな世界各国の「ユーロ危機」への視点を変質させ、世界協調への道を再認識させる契機となり得るだろうか。