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◆「終わりなき世界金融危機(岩波書店)」に寄せて
いま欧米を中心に銀行が苦境に立たされている。ユーロ圏の債務危機の渦中にある欧州大手銀行に余裕が無いことは周知の通りだが、2008年のリーマン・ショックからいち早く立ち直ったように見える大手米銀も、決して楽な経営状態には無い。7-9月期決算でも明らかになったように、好調なのは住宅ローンや消費者金融の部門であり、企業金融や市場部門そして海外取引などでは軒並み苦戦が続いている。そして大手邦銀も国債売買に依存する構造から抜け出せていない。
先進国経済の不調は長期化が予想されており、金融機関では製造業と同じようにアジアや中南米など成長の見込める海外市場に着目する動きが見られたが、その戦略が稼働しているようには見えない。欧州大手は、自己資本比率向上の為にむしろ海外資産を売却する方向性を強めており、IMFは今後2年間で2兆ユーロ規模の資産売却が予想される、と分析している。ECBによる過剰なサポート・サービスで売却スピードは思ったほど加速していないが、それでもスリム化は時代の要請である。
大手米銀は、欧州銀行が売却する米国内資産の受け皿となるのが精一杯である。健全性を重視する中で中南米資産を売却するなど、海外拡大路線には慎重だ。ここ半年のドル高地合いは彼等の海外収益を目減りさせており、新興国経済の動向次第では、海外取引がさらに重荷になる可能性すら指摘されている。
その裂け目を縫うように邦銀の存在感が高まっているのは事実であるが、邦銀には1980年代に海外取引を急拡大した後、急縮小を余儀なくされた苦い思い出がある。欧米銀行から売りに出される海外案件についても、現在はかなり選別的な判断を下しているように見える。邦銀への注目度上昇も「欧米金融のエラー」による現象に過ぎない、とも言えよう。
さらに当面主要国の大手銀行は、海外取引よりも国内基盤の充実を優先させる可能性が高そうだ。これは一時避難的な判断というよりも、2007-8年以降の新しい経済トレンドに沿った「海外融資(クロスボーダー取引)縮小」の動きと見るべきだろう。
19世紀に入って進展したグローバリゼーションは、産業革命に伴う工業力の発展と物流の拡大などで国際的な経済交流が急速に発展したと解説されることが多いが、その背後に銀行による膨大な信用拡大があったことも見逃せない。むしろ銀行の対外融資増加が無ければ、貿易や投資の拡大も無かったのである。
金融の世界では、国際化の進展が当然視されることが多いが、歴史を振り返れば、海外融資は安定的なペースで増加してきた訳ではないことが判る。大手銀行の対外投融資の急縮小は、1873年の大不況や1931年以降の大恐慌においても見られたし、1970-80年代のスタグフレーションや累積債務国問題処理の最中でも観察された。それらは、グローバリゼーションの反動・逆流という実体経済の裏側でもある。
グローバリゼーションは、世界の距離を短縮させる。その原動力として通信技術や輸送機関などの工業的発展が挙げられるのは当然だが、経済的な成功の為には商業力と金融力の発達も不可欠である。事実、産業革命以降の様々な段階において、工業・商業・金融の三条件が揃った時にグローバリゼーションが進展したのである。そしてその局面は、決まって金融破綻によって終焉を迎えている。
それは過去に何度も目撃されている。1873年の恐慌の始まりはその一つであったし、1931年の大恐慌も同じ現象であった。2008年は「100年に一度の危機」ではなく、単に資本システムが繰り返すグローバリゼーションの新たな縮小局面入りだと言った方が適切だったかもしれない。各国では雇用の減少や産業の衰退をグローバリゼーションの行き過ぎに求める保護主義的な主張が強まっているが、それは単なる一時的で感情的な反感に過ぎない、と軽視してはなるまい。
リーマン・ショック以降の経済は1930年代の大恐慌と対比されることが多いが、国際的な交易急拡大の反動の収縮としては、1873年の大不況を原点だと見る方が恐らく適切だろう。因みに世界各国がこの暗黒の局面から完全に脱出したのは、23年後の1896年である。実に長いトンネルであった。
当時の銀行融資の目玉は、何と言っても鉄道事業である。だが、無限に続くかと思われたそのブームにも陰りが到来し、銀行破綻が急増する。海外への融資も当然ながら縮小に追い込まれていった。1930年代の大恐慌も、実体経済の縮小と銀行信用の収縮、それに伴う「クロスボーダー取引」の急減という構造は同じであった。
19世紀末には植民地主義・帝国主義の流れの中の拡大主義によって、20世紀には巨額の財政支出と戦争によって、それぞれ苦境を脱した。グローバリゼーションの逆行は、構造改革や金融緩和で簡単に対応できるほど軟な相手ではないのである。
グローバリゼーションは、流動性拡大の産物だという考え方もある。英国では1860年代のマネー増量時代に銀行与信が急膨張して海外融資を促進し、第一次グローバリゼーションを演出した。同様の現象として、1870年代の普仏戦争の賠償金支払い、1920年代の米国金準備の急増、1970年代のオイルダラー、1980年代の日本の巨額経常黒字などが挙げられる。それぞれの事象が、金融のクロスボーダー取引を誘引したことは明らかだ。
金融取引の拡大は、裏返せば投資家によるリスクテイクの増大である。前述のように、1860年代の鉄道プロジェクトは、現代のハイテクやナノテクと同じ「稼ぎのネタ」であった。だが当然のことながらブームは何時か潰えるのだ。金融に拡大と収縮が必然であるとするならば、所詮は金融的現象の一つに過ぎないグローバリゼーションも拡大と縮小のメカニズムを胚胎していることになる。つまりグローバリゼーションは一方通行ではないのである。2008年以降の世界は、我々に「その事実を再確認せよ」と教えているのかもしれない。
19世紀以降の資本システムは国際化の伸縮機能を胚胎することとなった。そしてそのプロセスは人々が予想するよりも長い周期を持つ。1873年の恐慌が20年以上続いたように、2008年に始まった大不況も長期化する気配を見せているが、それはまさに金融収縮がグローバリゼーションを縮小させる過程でもあろう。2009年にバーナンキ議長が放った「Green Shoot」発言は如何にもナイーブであった。現在は、正常な状況からの「逆流」ではなく「新潮流」に直面しているに過ぎないのかもしれない。
今日、各国政府は危機の傷跡が癒えぬまま次の一手を攻めあぐねているように見える。不安材料があまりに多い中で企業経営者は投資への決断には踏み切れず、政治も更なる財政出動には躊躇せざるを得ない。資本市場は中銀依存度を高めるだけでリスク資産への自信を取り戻せていない。そんな中で大手銀行の「国際化修正」も、まだ軌道修正の途上にある、と考えざるを得ない。
世界経済がリーマン・ショック以前の形状に戻ることは、少なくとも向こう数年間は期待できず、世界各国の大手金融機関が、株主から新たな環境に適用することを求められるのは必至である。新環境とは、収益源泉が縮小する経済社会だ。米国の住宅市況は底を打った感じだが、欧米金融の規模縮小はまだ底が見えない状況である。