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◆ クレジット市場を巡る座談会 その1

日本の金融市場と金融システムは、経済発展のために果たして機能しているのだろうか。CMA月刊創刊号の特別企画として、去る7月4日に3人の実務経験者に本誌が提示した質問に基づきながら、討論して頂きました。分量の関係で、二回に分割しての掲載とならざるを得ないことを予めお断り申し上げます。

対談参加者 

猪田 義浩氏(シグマベイス・キャピタル 主席研究員)

八須 賀雄氏 (RPテック シニア・リサーチャー)

櫻井 豊氏 (RPテック 取締役研究開発部長)

司会 倉都康行 (CMA 編集人)

(司会)本日は節電中なので、皆さんの議論が白熱すると益々暑くなるかもしれない。まずは、その節電の主原因でもある東電問題からお聞きしたい。同社に関しては債権放棄、社債保護、賠償責任、更には解体・清算・発送電分離といった話が飛び交っているが、ここでは市場の観点から、東電問題をどう考えるか、実務体験に基づいたご意見をお聞きしたい。まずは猪田さんからどうぞ。

(猪田)現在、東電を投資商品として見た場合、法的な枠組みが不明確・不透明だと思う。従前の原発関連法としては国に責任ありと読めたのに、事故を契機に原子力損害賠償法16条に基づく支援要請を行った時点で賠償責任を認めたことになるので、建て付けが分からなくなった。リスク判断が出来ない投機的世界になってしまった。さらに政府が司法判断に任せるといったことで益々不明瞭になった。流れで行けば解体や清算の可能性も出てこようが、一方で東電債には先取特権という特異性もある。そこをどう読むべきか難しい。

(八須)私は法的にはかなりクリアだった、と思っている。原子力損害賠償法の規定上、今回程度の津波は想定されていたので、東電の全額負担責任は明らかであり国も「想定外にはさせない」とのスタンスであった。実際のところ東電には1兆円以上の補償財源があるが、リストラも不十分でいい加減なまま、そして補償総額も分からないままに、負担金額の不明確な機構法案を作ってしまった。さらに枝野長官の債権放棄発言があってCDSの水準が跳ね上がった。つまり、本来法律で決まっていることを済々とやらなかったために状況が複雑化したのだ。市場はそこで困った。社債保有者も一般担保で守られている筈なのに揺らいでしまった。特に枝野発言は、被災者への補償も銀行債権も金銭債権としては法的に同順位なのに片方だけ負担しろという法的に公平性を欠くものであった。弁護士資格を持つ政治家らが、法的建て付けを恣意的に歪めようとしているのは警戒すべきだ。

 (司会)ただ、国民感情としては債権者が負担を免れてユーザー負担が増えることへの抵抗がある。法的な問題とは別として、銀行や市場がある程度譲歩せねばならないという社会的判断も有り得るとも思うが、その点はどうか。またこんな事態になっても東電債が保護されるのならば、本来電力債はリスク・フリー扱いの低金利商品として見做されるべきではなかったか。

(八須)過去、日本の金融市場は法的建て付けを無視することが多く、それが海外からの不信を買ってきた。東電債を毀損させるとなれば、憲法上の財産権の侵害になる。不可能だろう。東電債にリスク・プレミアムが付くのは、発行体がM&Aなどで第三者に承継される可能性があるからだ。発送電分離などで既存の東電債のクレジットが大きく変わることは有り得る。もっとも、これは修正すべき日本独特の欠陥的債券条項ではあるが。

(櫻井)東電は典型的な「Too Big To Fail」の問題だ。電力は民間の顔をしてはいるが、その公共性や政府との密接な関係からすれば本当は民間ではない。電力債の保護など、法律を細かく読んでみたらこうでした、と後で分かるような制度は納得できないところがある。制度的なストラクチャーの作り方の拙さがいま顕現化したとも言える。本当に民間企業ならば、こういう事件を起こして債権者が無傷というのは有り得ない。公共性の高い民間企業には必ず「TBTF」が起こることを踏まえて、制度を大胆に変える必要がある。

(司会)メディアはあまり指摘しないのだが、今回の東電の場合に「貸し手責任」を問う必要はないのだろうか。

(八須)明確にある。せいぜい数年先しか分かる筈のない格付けを頼りに30年の東電長期債を買っていた投資家は、やはり判断ミスだと思う。国のインフラだから、とリスクチェックしないで巨額のカネを貸していた銀行も同じである。その責任を問えないのがいまの日本の法律である。

(櫻井)貸し手に対し、超法規的に10-20%程度の負担を強いるというやり方はあっても良いだろう。今回全く無傷で終われば、将来的に同じような貸し手責任の問われない惨事が起こる可能性がある。ギリシア問題に似ているところもあるが、何らかの政策的な割り切りが求められるケースもある筈だ。

(司会)では次の質問に移りたい。東電資産処理や震災復興には証券化も一案と思うが、一方で資産流動化市場はそれほど拡大しておらず、この手法・手段はもはや有効性を無くしたのか、と個人的に危惧している。「大震災復興=国債発行」という発想から抜け出すことは不可能なのか。

(猪田)東電資産売却に証券化を用いるのは既存の担保設定上無理だろう。但し資産流動化は先進国金融としては必須の道具であり、証券化は日本でもやや挫折した感があるが、軌道修正したうえで復活させる必要がある。特に、復興事業には様々なアプローチが有り得る。アップサイドを狙ったアイデアはある筈で、やや奇異に聞こえるかもしれないが、寄付金にレバレッジを効かせて復興プロジェクトに使う、という手もある。

(八須)東電は猪田氏と同じで難しいと思う。証券化も沈滞している。但し、PFIやインフラ・ファンドは始まっており、6月に茨城県が発行した産業廃棄物処理施設の収益を元利金とするレベニュー債(指定事業収益債)は、事業の証券化を応用したではないが復興への民間マネー吸引という意味では参考になる。5月のPFI法改正などもあり、東北のインフラをファイナンスする手法は今後出てくると思う。

(櫻井)金融危機以降わかったことは、証券化において新しいストラクチャーをやることは難しくなったということだ。ただし、以前から定着して理解が広まっているものは確実に生き残っている。従って、証券化に限定して言えば、震災復興という新しいファイナンスに大急ぎで拵えることは難しい。旧来の仕証券化の仕組みを積み重ねて定着させていくしかない。

(司会)証券化は難しいかもしれないが、私募リートのような仕組みは出来るのではないか。ギリシア・スキームのように追加配当のようなスウィートナーを付けるやり方もあるかもしれない。

(三人)それは可能だろう。

(司会)皆さんから頼もしい「YES」を頂いたところで、次の質問は日銀。危機対応として社債やETF・REITの購入から成長資金供給と、資本市場から銀行融資まで手を広げている日銀の政策に関して、皆さんのご意見をお聞かせ頂きたい。

(猪田)金利政策以外の中銀政策は基本的に反対だ。ただ市場は不完全なので機能不全の際に日銀が緊急出動するのはやむを得ないと思っている。FRBも日銀のやり方を踏襲している。だが一回やった後、ズルズルとその政策を引き摺るのは抵抗がある。そこにブレーキを掛ける議論がないのは不安がある。

(八須)日銀の役割に通貨の番人などのほか「市場の番人」を挙げてもよい。マーケット機能のラスト・リゾートとして社債やETF・REITを買う意味はある。札割れでも構わない、という姿勢は正しいが、金額を徒に増やすのは危険である。より大きな問題は成長資金供給だ。これは本来的に日本政策金融公庫のような公的金融の仕事であり、日銀の仕事ではない。政治家に対するアリバイ作り、予防線作りであり、あまり実質的な効果は無い。当面は害にならないからまあ良いか、という風潮もあるが、いつ政治家に悪用されるかもわからない。日銀は自分の役割から逸脱するべきではない。

(司会)銀行はむしろ資金が余っている状態で、そこにわざわざ日銀が資金供給するというのは理解に苦しむところがある。政治的ポーズをとる必要性もわからなくないが、これが、融資という本来業務に対して銀行を受動的にさせてしまうという、一種のモラルハザードを生むリスクもある。また株価のサポートも株式市場以外には評判が悪いようだが、どうだろうか。

(櫻井)REITは、売られ過ぎたところを修正したと言う意味で良かったと思う。極端な状態に置かれた市場の恐怖感を払拭する意味はある。だが成長資金供給という政策には大反対だ。金融政策で経済再建可能だという幻想を拡大させる、という悪い効果もある。またETFで株をサポートするというのは、震災や原発事故でパニック的に急落したような場合に限定されるべきであり、あまり良い政策とは言えない。

(猪田)株式市場支援は、評判の悪かった昔のPKOと同じような印象を受ける。

(八須)株と社債は明らかに違うと思う。日銀が出動したことによる社債リスク・プレミアムの修正は、発行体の資金調達を促したという意味では評価してよいのではないか。

以下、8月号に続く。