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◆ クレジット市場を巡る座談会 その2
先月号に続き、7月4日の座談会(後半部分)の要旨を掲載いたします。
対談参加者
猪田 義浩氏(シグマベイス・キャピタル 主席研究員)
八須 賀雄氏 (RPテック シニア・リサーチャー)
櫻井 豊氏 (RPテック 取締役研究開発部長)
司会 倉都康行 (CMA 編集人)
(司会)さて4番目の質問は世界的に注目の的の国債市場(笑)。これだけ公的部門の借金が大きくなると、普通はクラウディングアウトという声も聞こえる筈だが、日本ではそれほどでもない。となればこの状況はある程度長期に継続するのか、それとも巷間言われているように、個人貯蓄減少に伴っていずれは金利が上昇するのか。危機回避策も含めて皆さんの意見をお聞きしたい。
(猪田)金利は上昇していないので、日本ではクラウディングアウトは起きていないと見るべきだ。勿論、政府債務の返済能力に関しては疑問もあるが、公的部門と民間部門の資金ニーズは分断されていて、その関連性が薄まっているように思う。マネーが増え過ぎているのが問題なのではないか。その構造は長期に続くだろう。金利上昇のトリガーとなるのは個人貯蓄の減少ではなく、中国不動産バブル崩壊などの外部要因なのではないか。従って時期は早ければ来年という可能性もあると思う。財政危機回避の秘策はアジアとの関係強化による成長という路線に求めるしかなさそうだ。
(八須)クラウディングアウトとは、政府調達に圧迫されて企業セクターが低利で資金を調達できないという状況であるが、日本の企業は金余りであり、現時点では、様相が異なる。企業が投資をしないのは、効率の悪い内部留保を許しているコーポレート・ガバナンスの問題でもある。それが国債消化を助けているのだ。逆に言えば、企業投資が始まれば日本でも順調に金利は上昇し始める。ただ現実には、法人税や電力不足などの問題もあって国内での投資機会は乏しいので、主な投資は海外向けになるだろう。この資金の海外流出こそが国債金利変化へのトリガーになる、と見ている。金利急騰を回避するには、法人税減税のほか、金融・財政フル出動でマイルド・インフレを作るのも一法かと思う。日本共産党が主張して話題になった企業の内部留保課税なども考えて良い。もっとも、これは資本主義経済で導入するのも恥ずかしいのだが、そこまでしないと、日本企業の行動は変わらない可能性が高い。
(司会)資金が資本になるための「命がけの跳躍(マルクスの言葉)」を行うビジネス環境が日本にないことは大きな問題だが、金融にも問題がありはしないか。
(櫻井)確かに銀行にも責任がある。銀行が信用されていないので、中小企業に借りようとするインセンティブが起こらない、という点にも注目すべきだ。いつ「カネを返せ」と言われるかわからない状況では借金は出来ない。それはアングロ・サクソン流の金融経営を目指した銀行だけでなく、それを要求した行政の問題でもある。最近は軌道修正しているが、これはまだ悪夢として産業界に残っている。
(司会)国債の問題は、単なる需給関係だけではなく、実は企業と個人、銀行という全体システムの中で総合的に考えねばならないというイメージだろうか。
(猪田)個人資産が減って企業の流動性が増えそれが銀行へ行って国債に流れている、というのが現在の構図だ。
(櫻井)若者の反乱でもなければその構図は壊れないかもしれない。
(八須)日本では市民革命の歴史がない。大学生がデモなどを行って主張するフランスなどとは違って、後退し始めたときの日本社会の脆さが垣間見える。情報をきちんと伝えないメディアの問題もあって、ブレークスルーが出来ないところもある。
(司会)いま話題に上った銀行について。現在の銀行は、嫌味な言い方をすれば日本経済の閉塞感を守る役割を果たしているようにも見える。いったい現在の大手・地銀・第二地銀・信金・信組といった銀行制度は、実体経済の成長を促す機能を果たせるのだろうか。
(櫻井)過去20年間で、邦銀は英米流経営の輸入によって「良い部分」を無くしてしまった。もともと文化も歴史も違うのに、無理やり変化しようとして座標軸を無くすという失敗を犯した。特に中小企業金融を支える地域金融への悪影響は大きかったと思う。バーゼル規制などを地銀などに押し付けたり、二期連続赤字の企業にカネを貸すなといった指導をしたりして、金融を壊してしまった。銀行と行政は相当の意識改革をするしかない。
(猪田)銀行業界に気概が感じられない。また、足で情報を稼ぐというビジネスを忘れている。アングロ・サクソン流経営の輸入は確かに響いているが、行政も含めて「勉強が足りない」という面もある。新人時代、ベテランが勉強させてくれたことを思い出す。最近はそれが少ないのではないか。マニュアル化が蔓延し、蓄積されたノウハウが活かされていない。
(八須)未だに銀行が多過ぎると思う。所謂オーバーバンキングだ。銀行数も店舗数も大幅に調整すべきだろう。メガは2行で十分。全体像でいえば、アングロ・サクソン的金融と日本的な助け合い金融の二つの構造で分ければよい。地銀・第二地銀がこの中にどう埋め込まれるかが最大の問題。米国ではCommunity Bankが多く残り、中途半端な地銀がかなり淘汰された。日本の地域金融は、道州制の議論とともに整理すべきだろう。東日本大震災は、そういう議論を行う一つの良い機会であったのに、それが出来ないのは情けない政治の問題だ。本来ならば、その中で地域金融を有機的に抱合していく新しいメガバンクの姿があっても良い。
(司会)電力の発電・送電分離のアナロジーのようだが、銀行の融資・決済分離という古くて新しい問題も再検討する必要はないだろうか。
(櫻井)決済機能が融資部門と結びついている必要性はない。海外送金など銀行の決済力は低い。国内でも既にコンビニなどで決済業務は可能になっている。競争力のある決済機能を考える必要はあるかもしれない。
(八須)決済は「決済会社」でという発想でいける。コンビニの利用に慣れた人々から見れば、既に銀行である必要はない。
(司会)そんな銀行も、自己資本増強に関しては「経済への逆風になる」と反対している風潮がある。欧米だけでなく日本でもそうした声が聞こえるようだ。それは正しいのだろうか。
(猪田)やってみないと判らないところもあるが、資本増強は必要だろう。米国などではその主張は理解できるところもあるが、日本では説得力がなさそうだ。資本増強しないのであれば業務縮小するのが筋である。やはり銀行は最終的には公的支援がなされる存在なのであるから、責任ある経営を心がけるべきだ。そのコスト増が多少ユーザーに転嫁されるのはやむをえないところがある。
(櫻井)今回に限定すれば、日本の銀行に増資の必要はないかもしれない。世界同一基準で片付けようとするのはおかしい。個別の状況を見るべきだ。勿論、公的支援を二度と入れることに無いようにとの規制当局の姿勢は判るが、本当にどこまで資本が必要なのかを世界の目線ではなく日本の目線で見る必要もある。
(八須)私は猪田氏の意見に賛成だ。世界的に過剰リスクと過小資本の状況での資本増強は必至だ。リスク・イベントに備えるというのが金融危機の教訓であった筈。公的な役割を果たす為の必要コストだと考えるべきであり、やや極論だが銀行を減らして資本増強を行う、というのが理想的だ。目先の成長を重視し過ぎて危機の再来を呼ぶというのは最悪だろう。日本の貸出金利は低すぎるので、コスト増を金利増に結びつけることは特に変だとは思わない。企業はより高いリターンを求める行動を取るべきだろう。
(司会)ただ金利のユーザー転嫁を考えた場合、海外進出できる企業とそうでない企業には対応にギャップがある。後者の場合、金利負担増が廃業・失業を強いるといった状況も出てくるのではないか。
(八須)後者のようなドメスティックな企業を助けるのが、先ほど言った「助け合う金融」であり、ここで資本コスト上昇の影響が出ない世界を作ればよい。むしろ前者のような企業の尻を叩いて効率性を追及する投資を促すことが、日本経済全体の活性化になる。
(猪田)アジア市場とのアクセスを強めれば前者の拡大余地は大きいのに、まだ十分育っていない感じがする。金融経験者がそこをサポートしていくという発想も必要だと思う。
(司会)そこは日本経済問題の本質でもある。その日本は「失われた20年」と蔑まれ、更にそれが30年に延長しかねない、とも言われているが、この間、金融市場の性格や位置付けも変わってしまったのだろうか。
(猪田)過去20年でいうとデリバティブの影響が甚大だと思う。会計や規制が追いつかないほどめまぐるしい変化を与えた。高度成長期と同様に、かなりの短期間で思考様式も含め多くの技術を導入したことでキャパシティを超えてしまった。それは銀行を通じて不動産市場にも影響を与え、金融政策では世界に影響を及ぼすところまで行ってしまった、という印象だ。その意味では、日本が世界の先端を走っていった、という感も抱く。だがアカデミックな面からすると、日本から新しい指数取引などや大胆な発想が出てこなかったのが残念だ。
(八須)高度成長期の金融市場は規制に守られ、産業と歩調を合わせながら発展する世界であったが、その後産業が低成長期に入る一方で、金融は自由化へと走った。成長期は普通にやっていれば金融は儲かったが、低成長期は何をすべきか考えないとけない時代だ。だが今でも試行錯誤している状態で、上手く回答が出ないまま今日に至っている。結局、日本の産業・企業を助ける金融を目指すしかないのではなかろうか。
(櫻井)金融の自由化で東京市場をロンドン・ニューヨーク並みにという印象で走ってきたが、結果的には市場の活気は下がってしまった。逆効果であった。自由化の目的が明確でなかったように思う。盲目的に欧米追随をしたことが失敗であったことは間違いないが、米国金融が自由化で失敗したことを見ると、自由化自体に問題があったのかもしれない。
(八須)金融は果たして儲けなければならないのか。欧米にはそんな発想はないが、日本では自由化による収益追求とは違った、近江商人の心得のような「三方一両得」的な金融の姿を想定してみることにも意味があるのではないか。それは決して原始共産主義を意味するものではない。マイクロファイナンスの評価にも関連する。
(司会)マイクロファイナンス事業には興味があって個人的にも参加しているが、これは所謂アングロ・サクソン金融が「儲からん」と言って斬り捨てた部分だ。だがこれは金融の原点であり、かつ「Greedy」にならなければそこそこ収益性が確保できる。まさに経済を支えるという金融の本来像にいち早く回帰したモデルだと思う。
(八須)信金・信組などがそういうマイクロファイナス的なプロファイルになっていくのが望ましい。今の地銀は上場しているところが多いが、中小企業金融をやる際に何処を見据えるかという点を考えれば非上場であることも重要かもしれない。大企業向け金融は、全く別のフィールドでやればよい。
(司会)さて最後の質問だが、日本が抱える金融市場の問題を各自一点だけ挙げて欲しい。
(猪田)金融市場における創造性の無さだ。自戒を込めて、という思いもある。繰り返しになるが、当局も参加してアジア市場を創ることで閉塞感からの脱皮を図るべきだろう。
(八須)銀行行政の在り方だ。自己資本など規制一本やりの監督主義ではなく、企画力を持った行政であるべき。金融庁のトップには市場実務家を据えるべきだろう。
(櫻井)三方一両得の心得を失ったことだ。客よりも自分の利益を優先する姿勢を大きく転換し、投資家との共存を図ることが最重要課題だと思う。
(司会)みなさん、長時間どうも有り難うございました。