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◆ 国際投信 駒形会長との対談

今回は、日本初の為替オプション開発者でありまたスワップ取引の創始者の一人でもある国際投信投資顧問の駒形康吉会長との対談です。同氏は、編集人が東銀時代にデリバティブズの指南を受けた師匠でもあります。対談では、金融業界の話題から市場、経済の一般論まで、幅広く自由奔放に語って頂きました。

<倉都>どうもご無沙汰しています。先日トルコにご出張だったと聞いていますが、イスタンブールで会議とは羨ましいですね。あのアヤソフィア寺院には一度行ってみたいと思っているのですが。今回はどんなコンファレンスだったのですか。

<駒形>Investecという南アを起源とする英系運用会社が企画した新興国をメインテーマとするセミナーで、ソロスが来られなくてビデオ参加したり、トルコの財務相が熱弁をふるったり、ドイツのシュレーダー元首相が講演したり、といった豪勢な顔ぶれでしたが、中でも二―アル・ファーガソンの「経済社会がどう進化してきたか」という講演が印象的でした。

歴史学者らしく、オスマントルコがなぜキリスト教社会に敗北を喫したのか、から説き始めて、西欧が勝利した要因を、競争、科学、財産権、薬、消費、労働観の確立という六つのポイントを挙げていました。これが近代化の要素だという訳です。

そして、キリスト教社会以外でこのコピーに成功したのが日本であった、というのです。彼の言葉を使えば「日本はオープン・アーキテクチャーの模倣に成功した」ということになります。その重要性を認識し、即座に取り入れたからこそ、日本の驚異的な経済発展があった、という解釈ですね。

でも日本は一通りの装備を終えたところで停滞してしまった、というのが彼の史観でしたね。講演後に彼を捕まえて、日本経済の将来について聞いてみたのですが、いま日本に投資する意味は見いだせない、と言っていました。一方で中国など新興国は、財産権の問題などまだ不十分なところは多いにせよ、今後先進国に追い付いていく力は十分にある、という期待感を語っていました。

<倉都>やや視点は違いますが、ファーガソン教授にしてもルービニ教授にしても、自分で情報提供会社を作るなど、そうした議論を上手くビジネスに仕立てていますね。一昔前はショールズ教授のように資産運用会社で稼ぐモデルでしたが、今はアドバイザリーのモデルに変質しているようです。したたかというか、自分たちが作った資本システムは絶対に壊れないぞ、という確信や信念が底辺にあるようにも思います。

<駒形>まさにその通り。彼等は凄いですよ、やっぱり。貪欲かどうかは別にして、活力という面では日本人はなかなか太刀打ち出来ません。基本的に拡張主義なので、最後のフロンティアとも言えるアフリカまで侵食してしまえばもう成長の余地が無いですが、まだ100年くらいは大丈夫だと思っているのでしょう。彼等のことだから、今とは違うタイプの成長モデルを考え付くかもしれませんし。

ユーロにしても、当時は出来るとは思っていなかったものを作ってしまった、という感です。正しいかどうかは別として戦略を貫き通した、という意味では凄いことだと思います。今、ユーロ危機で大変な思いをしていますが、あのコミットメントの凄まじさを考えると、崩壊することはないでしょう。欧州人がそんな半端な決断をするとは思えない。ユーロの復活再生には5年或いは10年かかるかもしれないですが、ルールを修正しつつ、ギリシアの離脱も現実化させ、といった形で存続していくでしょう。

<倉都>私も似たような印象です。来年1月1日にギリシア退場といったシナリオももう出来ているような気がします。欧州は、日本人だけでなく米国人にも理解出来ないところがありますね。馬鹿にしてはいけない、というご意見には全く同感です。ユーロなど、12年間の第一実験段階が終わって、次の段階にシフトする準備体制だと思えば、何の不思議もありませんね。ただ今のところは買えない。であればやはり買えるのはドル、ということになりますか。

<駒形>なんだかんだ言ってもドル、というのが正直なところです。消去法ですが。ユーロも良い通貨になる可能性はありますが、当面は苦しいでしょう。米経済が極端に悪化しない限り、ある程度世界経済が成長するとの前提に立てば投資にはドルを中心に据えざるを得ません。それに新興国をどう加えていくか、というのが基本的なスタンスになります。

<倉都>そうなると、日本での投資という立場からはドル高歓迎論になりますね。それは輸出産業の思惑とも同期します。ということは、日本という経済社会にとってはやはり円安が良いのだ、という結論になるのでしょうか。

<駒形>現在の投信商品や投資家のスタンスは、ホームバイアスの反対の「フォーリン・バイアス」とでも言うべき構造になっているので、円安は歓迎です。但し、この3年間は円高が続いており、誰も勝てない状況になっている。唯一豪ドルが例外的存在で、他はすべて負けの資産になってしまっています。つまり現実の資産運用は円安待望論ではダメだ、ということです。為替相場など予見できないものであり、その前提で資産運用も企業経営も対応せねばならないと思います。

<倉都>となれば、資産運用も少しホームバイアスへ修正しても良いように思うのですが、どうでしょう。日本株は配当利回りが4-5%といった銘柄が安値で放置されており、J-REITの分配金もかなり魅力的な水準です。ここに目が行かないのは、先ほど言及されたファーガソン教授の言うような、日本悲観論があるからでしょうか。

<駒形>日本の投資家は、ゼロ金利の時代に二桁リターンを要求しています。それは我々投信や販売会社が作った罪ではあるものの、変革するのは容易ではありません。修正はしなければならない、でも5%程度の利回りがあっても魅力的に思ってもらえない、という現実があります。従って、残念ながら日本株やREITでは勝負できないのです。

毎月分配金を出す投信のように高齢者のニーズを上手く救い上げた例もあったのですが、それを本当の運用商品に育て上げていくことがまだ出来ていない、という苦しみがあります。何とかしたい、どこかでこの陥穽から脱皮したい、というのは、業界の本音です。

<倉都>シティグループのプリンス前会長が、「音楽が流れているうちは誰も踊りを止められない」と言っていましたが、運用業界にもそういうところがあるのでしょうか。投資銀行などと同じように、どこかで躓いてそこから新局面が現れるということもあるかもしれません。

<駒形>ただ、昨今の個人投資家は極めて敏感です。正確に言えば、勝ち負けを気にするタイプの投資家は、とてもうまいタイミングで売買している。ブラジル経済や日銀の為替介入への対応など、見事なものです。単純化すれば、こうした相場観の優れた少数の人々とサイレント・マジョリティがいる、という構造です。

問題があるとすれば、その少数派が投信を株のように売買している、ということでしょう。そして多数派に対しては安定的な運用商品を提供しなければならないのに、なかなかそこに焦点が当たりません。資産形成とは本来そんな人達を対象とすべきなのに、日本の行政や世論は「投資は金持ちの為の話」といった偏見に染まっているように見えますし、我々もそれに流されてしまっています。

日本株はPBRも低く、配当利回りを見れば確かに魅力もあるのですが、投資家の中には日本株は嫌だという人があまりに多い。過去の悪夢はそう簡単に忘れられないのでしょう。日本株で投信を作っても販売額は金利系の商品とは比較にならないのです。

<倉都>その金利系の話でいけば、ゼロ金利や国債の低金利がいつまで続くのか、特に最近、国債への関心は高まっていますね。金利に関してはどう見ておられますか。

<駒形>個人的には、低金利時代は5年続くが10年は続かないと思っています。続かないというのは、国債暴落ではなくむしろ良いシナリオで、雇用が改善することで経済は活性化するという方向性を見ています。勿論、財政懸念で国債暴落というシナリオも有り得るでしょうが、その際には銀行破綻で金融恐慌が起こり、みな現金化しようとする。カネが外債に向かうといった単純な話ではない。そうなると政府・日銀は超低金利を続けざるを得ない。むしろ氷河期的な、或いはブラックホールのような超低金利時代になってしまう。これは絶対に避けるべき事態だと思いますよ。

<倉都>私は国債が暴落する前に、国債を国株に転換してしまうシナリオを描いています。いわゆる永久債ですね。GDP連動の配当にして、償還はしない。日本だけでなく先進国はどこでももう債務の急激な削減というのは不可能だと思っていますので。どこかの時点で国債の新発債は永久債になり、売り手に対しては財務省または日銀が最終的なマーケット・メイカーとしてビッドを出す、というイメージです。これで国債暴落を回避するというアイデアですが、今一つ受けがよくないですね。

<駒形>国のデット・エクイティ・スワップですね。面白い。ただ既存債をエクイティにするのは難しいでしょう。エクイティとしての商品性を工夫して、新発債から永久債として始める、ということでしょうか。今度、ファーガソンに入れ知恵しといてやりましょう。

いま、大量の国債を抱える地銀が15-20BP程度の金利上昇で顔が青くなるであろう状態を考えれば、超低金利の中で「量で勝負する」という状況は大変拙いと思っています。テールリスクが極めて大きいからです。でも、儲けようとすれば量で勝負せざるを得ない。そしてリスク管理に失敗する。この繰り返しは、低金利の中では避けられないでしょう。

こうなると、リスクを完全に回避するのではなく、事故が起こり得ることを前提とした経営が必要になる、ということでもあります。リスク管理は容易でない、という謙虚な姿勢が必要だと思います。

<倉都>リスク管理の失敗は、組織とか人材とかの所為にされることが多いですが、リスクテイクしている以上事故はいつでもどこでも起こり得るのだという、切羽詰った危機意識が経営者に乏しいという印象はありますね。ただ、その背景にはオプションやデリバティブズなどの急速な拡大があったことも否めません。私は1980年代にロンドンで駒形さんにスワップを教わった人間ですが、商品開発第一世代として、デリバティブズが世界を揺るがすような商品へと変質した状況をどうご覧になっていますか。

<駒形>あまりにデリバティブズが便利過ぎた、ということでしょう。キャッシュフローだけで評価出来るというのは革命的でありましたが、そこには多くの前提があり、当時はみなそれを知っていたのですが、世代が交代していくうちに、その留保条件をどんどん忘れていった、或いは無視していったことが原因なのでしょう。その夢から覚めた瞬間に、デレバレッジが起きて収縮が始まった訳です。デリバティブズで多くの人が損失を被ったことは事実ですが、より正確にはデリバティブズが引き起こしたデレバレッジこそが金融問題の中核です。

<倉都>ただ、収縮が一定の水準までくれば、また拡大に行きますよね。

<駒形>電気などもそうですが、人間は、一度得た利便性を捨てられる筈がありません。キャッシュフローをベースに資産価値を考える方法は大変便利であり、デリバティブズの利便性は確かにマイナス効果を生みましたが、それなしの金融市場や市場経済は考えられない。数値化の技術を如何にコントロールするかが重要なのです。そこを見ないでデリバティブズを批判する無知な人が多過ぎますね。

この点について先日ある大学院で講義をしたのですが、レバレッジについての質問があって、そこを詳しく説明してあげたら、デリバティブズに対する理解も少しは深まったように思いました。

<倉都>駒形さんの講義を聴ける学生は幸せものですね。デリバティブズの有用性と限界を学生時代から正しく理解することは重要だと思います。それが、経済の再拡大へと繋がっていけば良いのですが、一つ懸念もあります。その縮小から拡大への転換を、日銀のリスク資産購入が邪魔している可能性があるからです。危機的状況に中銀が介入することは重要ですが、それが常態化することで市場のダイナミズムが失われつつあるように思います。いわば「市場の国有化」です。この点はどう思われますか。

<駒形>私はそこまで日銀に否定的ではありません。むしろ景気浮揚や雇用拡大などの経済的な点において政治が全く機能していない中で、これまではよくやってきた、と評価しています。従来の日銀の枠を超えて政策発動している姿は適切な危機対応だ、と支持したいと思います。但し、やりすぎると副作用が出るのはご指摘通りでしょう。市場メカニズムが重要だという点は理解出来るし、結果的には日銀は何もしない方が良かった、という判断もあるかもしれません。失敗が付き物の為替介入と同じになると困りものです。何のために日銀が出動しているのか、という状況把握を皆が共有する必要がありますね。

<倉都>市場も失敗しますが、政府も失敗する訳です。中銀も常に正しいとは限りません。たまたまとはいえ、日本経済はいま世界で最も経済状況が良い訳で、こういう時期にまで追加資産購入などの要請が出てくる社会環境は、極めて不健全であると思います。低成長が続く中で、日本は経済状況の判断力すら失ってしまったのではないか、と危惧するほどです。

<駒形>確かに政府・日銀が動くべきなのは、先ほど言ったように「収縮の暴力」が起きている時期でしょう。緊急避難対策として、ここは中銀が支えねばなりません。ユーロ危機はまさにそういうタイミングですね。日銀の場合、そこの見極めができているかどうかでしょう。それが最大のポイントだと思います。

但し、業界の市場説明力低下もまた嘆かわしい。「リスクオン・オフ」って一体なんだ、と思いますね。我々も使っているので言いにくいのですが、こんな言葉は使用停止した方が良いですね。そんな単純化で市場を説明できる筈がない。何でも簡単に説明できる方が良いという雰囲気が金融業界全体を覆っているように思います。特にリテール部門はそうですね。でも「解りやすいのが良いもの」だとは限りません。投信で言えば、本当に時間を掛けてリスクを解って頂ける方が良いのですけどね。

<倉都>リスク意識が個人投資家に浸透していけば、日本でもヘッジファンドが投信のライバルになるような時期は来るのでしょうか。

<駒形>大金持ちがいない日本では、難しいでしょう。絶対値型のヘッジファンドが育つ可能性はあるかもしれません。但し金融資産の2/3を保有する60歳以上の高齢者が「ヘッジファンドだから買う」ということにはなりません。むしろヘッジファンドを内包した投信という形でしょうね。

むしろ最近懸念しているのは、金融資産の構造が全く変化しないのではないか、という点です。というのは、現在投信など金融資産の多くを保有する高齢者が亡くなって相続となった場合、その相手はやはり60歳以上の高齢者になるからです。高齢化社会の相続構造です。つまり、おカネが下の世代へ降りてこないのです。年金問題も絡みますので、これが世代間抗争を引き起こす火種になる可能性があるでしょう。

また、別のシナリオもあります。生前贈与など相続制度を変えても簡単に孫の世代へと相続はされません。むしろ高齢者はおカネを持っていた方が孫に慕われます。また資産を相続せずに終身介護施設に入る為に使ってしまうケースも増えるでしょう。いずれにしても、高齢者のおカネは若い世代には回ってこなくなるのです。

こういう事態が逆に若い世代に資産形成を促すトリガーになる可能性はあるでしょう。そうなれば、まさに長期的な視野に立った適正な商品設計がもたらされます。我々も積み立て型に向くファンドとか、その促進に努力したいと思っています。業界全体が目先に追われてしまっていますが、本当に世の中に役に立つ投資商品を提供するという使命を果たしていないと猛省すべき時だと思います。

<倉都>若い世代が資産形成として貯蓄を行うとなれば、それが上手く投資へと流れる必要がありますね。ただそのカネが「フォーリン・バイアス」で外へ流れたきりであったり、国債市場に吸い込まれるだけであったりでは、経済成長に繋がりません。ややこだわるようですが、その資金で日本の社債・株・証券化などの直接金融を刺激して欲しいと思います。結局、いまの投資家層に日本株嫌いが多いのは、政治家やメディア、評論家らがあまりに日本経済の将来性を悲観的に語り過ぎていることが原因のように思います。デフレという言葉が一人歩きしているのも、大きな欠陥だと思います。

<駒形>その通りですね。皆、実は日本株ファンドをやりたいのが本音ですが、環境がなかなかそれを許さない、それは投資家が日本経済の行方に自信を持っていないからです。日本経済は暗くない、むしろ非常にバランスのとれた状態にあると思います。デフレに関しても、それは結果であってむしろそれが雇用拡大を妨げていることが問題なのです。地方は特に深刻です。「プラス・ゼロ」の雇用機会が必要なのです。

安いものを買うというのは消費者の合理的行動であり、それがデフレを招いたとしてもその行為自体を悪とは言えないでしょう。やはり経済の最大の問題は雇用なのです。

<倉都>最後に、直接金融の問題に関してのご意見をお聞かせ下さい。1980年代から、直接金融というビジネスを意識して仕事をしてきましたが、30年経っても日本の資本市場は飛躍しませんでした。やはりこの市場はアングロ・サクソンに特有なシステムであったのでしょうか。

<駒形>そうかもしれませんね。東インド会社で株を発明したというのは、やはりおカネを持っている人の「貪欲さ」を示したものだと思います。おカネを持っている人が、自分で何とかそれを増やそう、という自意識或いは参加意識が強かったのです。そういう意識のない人は、銀行に預けるだけです。日本は後者ですね。

また日本人には「おカネは汚いもの」という意識があります。西欧で労働観が確立したと同時に貨幣観も生まれたのですが、日本は後者が無かったのかもしれません。労働観は精神的に「モノづくり」へと行ってしまいましたから。おカネに対する価値観が、英米では努力の裏側にある必然的存在なのに、日本では必要悪、という違いを生んだように思います。

<倉都>直接金融の欠乏と資産運用の低迷は、やはり底辺で繋がっている、ということでしょうね。本日は貴重なお話をどうも有難うございました。