今でこそ、国債投資家懇談会の主要メンバーであり、超長期国債の主たる投資家の一角と考えられている生命保険会社であるが、必ずしも古くから国債の投資家であったとは言い難い。高度経済成長期における生命保険会社の資産構成を見ると、国債をはじめとする国内債券の投資比率は決して高くない。そもそも国債の発行残高が少なかったこともあるが、生命保険会社の資産配分における優先順位を考えると、まず、企業向けの貸付であり、次に、国内株式への投資であった。前者については、国内債券と同様の円金利資産投資であることから容易に理解できるが、かつての国内株投資は高い配当利回り水準に支えられて、インカム収益を目当てに投資する対象としても、何らの支障がなかったのである。しかも、企業貸付と株式投資は、相互会社形態を採用する生命保険会社にとっては、企業との親密な関係を構築し、企業保険や年金、更には、職域での個人保険営業に不可欠な存在だったのである。
このような状況において、国内債券への資産配分は調整弁の位置付けにあり、株式・企業融資の他、長期的な観点からの不動産投資に振り向けて、更に資金の余った場合に、国債を中心とする国内債を購入したのである。あくまでも資金調整といった位置付けであるから、金利の先高感が高まり起業の資金需要が高まった場合には、保有債券を売却したり売現先に飛ばしたりして、資金確保のツールとなっていたのである。現先や売却を考えると、流動性の高い10年物国債が保有国債の中心にならざるを得なかったのである。しかも、つい10年ほど前までは、長期国債には当初の転売制限があったり、シ団引受制度があったりして、必ずしも自由に売買できるものでもなかったのである。一方では、銀行が公共債ディーリングを認められるようになったことに刺激されて、自己保有ポジションの中で指標銘柄の売買による短期的な収益確保を行うといったことも行われていたのである。
生命保険会社の国内債投資に最初の転機が訪れたのは、バブル経済の交流のそう以前のことではない。国内株で時価発行増資が主流になり、また、株価の上昇によって、配当利回りが低下したことから、国内株式はインカム収益資産の位置付けから陥落したのである。また、簡易保険との価格競争の結果として、販売する保険契約の予定利率を引上げたために、外国債券を中心とした外貨建資産への投資が増加した。また、期を同じくして、短期金利である公定歩合と長期金利である指標物国債の利回りが一致する等債券バブルが生じ、更には、財テクブームの中で、タテホ・ショックが発生する等国内債を主な投資対象とする環境にはなかったのである。
次の転機としては、バブル経済の崩壊である。株式・不動産といったエクイティ投資が大きく価値を減じ、為替が円高に振れて損失が発生したこともあって、生命保険会社の資産運用は一から見直さざるを得ない状況となったのである。(この項続く)
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