読者の声
 
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選挙の洗礼は何を意図したかったか。
ムササビ(2009年12月21日)
 

先の衆議院選挙で結果が出てからもうすぐ100日が過ぎる。 たった100日くらいのハネムーンでほころび始めた政権のかたちとは何で あろうかと疑念が生じてしまった。  総理を誰にしたいかが小選挙区の可 能性の一つであったが、いま総理は何処にいるのであろうかと思わしき異常 事態がこの国を覆っている。

世襲議員がすべてとは言わないが、どう見てもこの停滞する状況をこねてい るのが振り返ってみれば世襲族に他ならない事は明らかである。チョッと前の 麻生、福田、安部、などの短命内閣に比較して小泉政権は違っていたが、政策 の混乱を招いた。 「門前の小僧」であるうちは良いだろうが、リーダーとし ての力量が必ずしも備わっているかと言えば、どうも相に非ずのようだ。

政治は変えたかったが、それを担保するには「鳩山氏」で良かったのだろうか と大衆は思い始めているだろう。たぶん最初から不安の方が多かったに違いな いが手の届かない人事であるから、仕方なく受け入れたが正直な気持ちに違い ない。 以前から言葉遊びをするしぐさを見せつけられていたからである。

「私が決断をする」と言わなければ成らないような事態が如何に異常な事かを 当の総理が解っていないと大衆が判断すれば冷やかな風が世に敷き詰められて しまい、どんな政策に対しても斬新さの色気は錆ついてしまうだろう。民主主 義は議論で成立する仕組みであるにも拘らず、小沢氏は形だけの議論に終始し ようとしている。  党の内閣への政策提言にしても事業仕分けの時のような 開かれたかたちは無く、ただただ胡散臭い政治臭を票の砦に持ち込んで、こね くり回しているとしか観えない報道に成ってしまっている。

政治主導でと言っていた内閣には主導者の影も見えないが、政治家主導でと 置き換えれば「小沢氏」が観えてくる権力の集中が起きている事は明白である。 政治の要は「配分」に尽きる。 富の配分でもあり、責任の配分でもある。 そこに至るには妥当性が担保されなければ成らない。民主党に入れた自民票の 多くは国民新党や社民党に入れたつもりも無いのに、政治の主導権が薄められ てしまっていると感じているだろう。  この数ヶ月間の国家予算の迷走ぶり を観て何が起きると考えるが妥当であろうか。 この国の基本と成る骨格に亀 裂が生じているのではと考えたくも無いが、客観的な事実を積み上げていくと どうもその可能性が大きく観えてしまう。 リフォームする人を探し続ける旅 はもう少し掛りそうな気配が寒空に立ち込めてきたようだ。

 
 
最大最強の圧力団体
ムササビ(2009年12月16日)
 

日系のネットで「最大の圧力団体」と揶揄された「小沢幹事長室」とは、ど んな嗜好で政治を考えているのかが一部の報道を観ていると垣間見える。 報道の仕方によっては何らかの「意図」を含んでいるのは確かなようである。

さて、その意図とは何であろうか? 間違いなく権力に蔓延る力学である。 報道はすべての事実関係を省略して伝えようとするから、要点の部分に特化 した情報を過大にしかもこま切れして編集する。 実はここに何の防御能力 が無い者が情報の受け手に成ると断片化された情報が異質なる新たな事実を 作り上げてしまう事が多い。  大方の庶民は自分に対して「心地よい」情 報に対しては寛大に受け止め、気分悪い情報に対しては急いで排除しようと するのが当たり前である。 それは人間の本性にだからに他ならないし、自 己防衛本能の一部でもある。

しかし、ここに「意図」が仕込まれていれば、情報の選択吸収の仕方によっ てはよっては、気が付かないうちに大衆は有る一定の時間軸に於いて管理さ れる事にも成りかねないと言う訳だ。 今起きている国内での情報合戦に おいて誰が得をして、誰が損をするのかを客観視する事が今後の海外からの 情報操作の関与を客観的に監視できる事に成る。新政権は色んな事をしてく れる事で、今までに見え難かった情報の力学の「てこ」が垣間見えてきたよ うだ。

先日、米国国防関係の専門家の話を聞く機会があった。 今回の普天間に絡む話が周辺事態法との絡みで積み上がって来ている事や あくまでも日本からの強い「要請」で動いてきた事実であるとの説明を聞き、 ほんの一部を取り上げて騒ぎたてるマスコミの情報商売の被害者が大衆であ る事を感じてしまった。彼が静かに語っていた中に「吉田ドクトリン」は、 あの周辺事態法で終焉し、新たなる「柔軟」な日米安保に変わっていますと 言っていた事が意味深に受け止めた。 柔軟と言うグレーな協力関係はどん な国益に影響を与えるのかを報道する場面には未だ出くわさない。

鳩山一郎氏がやりあった吉田氏の亡霊が又、彼の子孫に雲を被せようとして いるのだろう。見え難い、もう一方の最大で最強の圧力団体と「幹事長室」 は遣りあって居ると観てしまうのだが、土台の無いこの国の政治情報管理が 揺さぶらされて久しいのが何んとも気がかりである。

 
 
浮いた指導者達
ムササビ(2009年12月14日)
 

政治の司令塔の筈の官邸が機能不全に落ちいった感が世の中に知れ渡って 来たかに観えてきた。哲学無き政治主導に先が見えてきたようだ。

今までは、海外からの仕手筋による国債戦への対応には豊富な国内資金 で対応して来て難無くを過ごしてきたが、その評価も金利が上昇傾向に あるのを見ていると盤石の仕掛けに歪みが生じ始めている。

経済の源泉は「こころ」に在る。 しかも心理という様に「理」が同伴 している。何がしかの理屈か理にかなう正体不明のエネルギーが移動する 事が経済である。 さて、大量のJBの引受人である国民の心理は如何に であるが、とりあえず支持率は高止まりしているが、土台のすそ野は、 どうも侵食されていると観ている。 何に侵食されているかと言えば、ほ んの数か月前に起きた期待感の逆目であろう。

総理は、選挙後に出た世論調査の数字に隠された意味を履き違えているの だろうし、選挙後に獲得した票の中身を分析したであろうかと思えて仕方 が無い。どの様な意思が票に結びついたと思っているか分からないが、大方 の国民の中で動いた心理は、「変えたい」の想いであったろう。しかも、 安定した「住み家」にであった筈であろう。 しかし、現実は真逆に動いて いる。 誰に国家の決定権が在るかが不明として映る映像を見せられ続けて いる選挙賢者の行動は、次の参議院選挙で大きく揺れる事であろうと予想さ れる。とすれば、何が起きるか?

また数年前の不安定な国家運営がこの国に成され、指揮者不明の公共曲が 不協和音を奏でながらこの国に蔓延する事に成りそうな気配である。 このタイミングを狙い国債の仕手筋が海外から虎視眈々と利得のチャンス を狙って居る事に対して危機管理が官邸に在るのだろうかと思えて仕方が 無い。政治主導の国家運営の傘の柄は外れてしまっているし、ずぶ濡れの 総理の「はだかの王様」は自分では判らないのだろう、11億円を頂いても 「知らなかった」と上申書を書ける金持ちはそれでも風邪をひかないが、 8割の庶民には新型の不満が連続して鬱積して居るとみている。

決断が出来ない政治主導こそが国家の一番の危険因子であり、また大きな 利得を得るチャンスで在る事を国際金融ブローカーは経験則から知っている。 国家を脅かすのは何もミサイル等の眼に見える武力だけでは無い、「心理戦」 は経済を動かす何よりも有効な核弾頭である。英国で揺らぐシティ金融問題 を見るにつけ、対岸の火事と受け止めたくも無い気がしているのだが.....。

そう言えば今年の漢字は「新」だそうだ。その新連立の代表達が集まったの が料亭であるのを観て、国民がどう受け止めたであろうか、何も変わらない 映えしない「疹」がそこに在ると小生はみたのだが如何であろうか。COP 15でオバマに会見を蹴られた総理だが、オバマも成果を持って来てくれな ければ外交に成らない訳があった事を冷静に判断すれば、急速に支持率を国 内で下げつつあるロックスター外交かと揶揄される二人の新指導者に暗雲の 新年が待ち受けている気がするし、ハネムーンも終盤に入って来た。

 
 
仕分けの本質とは
ムササビ(2009年12月3日)
 

本年の流行語大賞は「政権交代」だそうだと家族から聞き、なるほどと頷いた。 直近で思えば私としては政権交代にて派生した「事業仕分け」に軍配を上げた い気もしないでは無いのだがとつぶやいてしまった。

事業仕分けは良い悪いはあるであろうが、何らかの転換点には成りそうな気が している時なのに、知り合いから「さすが!」と思わしき天下りのマジックが 在る事を聞かされて驚いてしまった。 彼によれば要は限りなくステルスな組 織に形を変えて税金の配分をするそうだ。いわゆる官庁所轄の財団では無くて 、あくまでも民の香り高きNPO法人を立ち上げて、色んな事務委託をして行 く仕組みが大流行りだと聞き、何とも執念深い寄生虫が行政に蔓延っているの を垣間見た気がする。しかもそのNPO理事には所轄官庁の席が用意されてい ると聞き、彼らの存在が健全な公務員の活動を阻害してしまっている深い根が あるようだ。

日銀総裁がようやくデフレを承認したが、後で観ればこの日を境にインフレに 動き始めたと数年後の論調が出てくる気がする。 滅多に観ないTVのお昼の ワイドショーで「お!変わって来たな!」と思われる現象があった。

物価が下がり続けると、回り回って自らの生活を下げる事に成るからデフレは 良くないと言う事を真顔で多数のコメンテーターが話をしていた。 あそこの 何は安い!が、この時間帯のメインテーマであったのがいつの間にか潮目が変 わっていた。 「失われた10年」が、いつの間にか「失った15年」を過ぎ て進み続けていたが、ようやく「失った」事やモノが何であったかが議論の俎 上に上がって来るのだろうと思えてきた。 そんな話が出始めるとようやく回 復の兆しが出始めると言うものだろう。

どんなにカネをばら撒いてもちっとも内需が元気に成らないのは、腹いっぱい の何とも言えない鈍痛が庶民に在るからだろう。それは幸福に満たされた満腹 感とは程遠いような鈍痛である。付き過ぎた遊離脂肪分に苛まれながら生き永 らえているメタボな状態に他ならない。自らの足で立ち軽快なフットワークで 世界を駈けていたあの昭和が懐かしく思い出される。 元気が戻るには付き過 ぎた非常時に必要な脂肪分を償却して身軽に成る事が先なのだろう。もっとも っと負債を増やし、緊張感を高めるまで至らなければ崖っぷちの心境が官にも 民にも出て来ないのかも知れないが、それを案じてか記者会見で秋篠宮は皇族 の減少は、国費の負担が減るから必ずしも悪い事ではないと言われた。

この一年の最後に成って、つい、考えさせられた発言であった...。

 
 
五感の崩壊
ムササビ(2009年11月25日)
 

振り込め詐欺グループに売りさばいた闇口座から、振り込まれたカネを、かす め取ると言う新たなビジネスがあるそうだ。 一部で窃盗事件として報道され ているのを観て、はて、この国の中で何がどうなってしまったのかと呆れてし まいそうな気分になってしまった。

本来、治安の安定を一義とした警察の業務行為が犯罪のモグラ叩きの為に費や されているとすれば、本末転倒な異常事態に他ならないことでもある。 殺伐とした世相の中に染み込んで行くデフレの悪臭は、もはや五感をも崩壊さ せてしまいそうな劇臭へと成りつつあるようだ。

昨日、地下鉄で何気なく前の男性が読むスポーツ紙に「覚せい剤SEXの体 験談」と大きな見出しで描かれているのを観て気分が悪くなってしまった。  確かに報道の自由はあるが、公共の受益に対しての配慮は全くと言って良いほ ど成されて居ない無秩序なカネ社会に変化して行く今の日本の姿ではと気に成 るのは小生だけであろうかと疑問視する。

昨日、ドイツ在住の日本人環境ジャーナリストの話を聞きながら、日本に消え 失せかけている「公共心」と言う無形の宝物の存在が気に掛っている。 先の大戦で分割されたドイツ国家を20年前に取り戻したゲルマン民族が今、 一番危惧して居るのは自国が安定した国家を運営する為の「エネルギー」分散 投資だと聞き、国家戦略とは何かを垣間見た気がした。 ロシアに牛耳られて いる今の石油や天然ガスの比率を他のエネルギーと相対的に下げる事で、ロシ アから聞こえてくるエネルギー戦略からの影響度を薄めたい気持ちがドイツ国 民の中に湧きあがっているそうだ。 そう言えば、プーチンが戦略的に冬のE Uに対してガスの配給コックを突然閉めた事があった事を思い出した。

食料自給率100%のドイツにとって、産業の基盤と成るエネルギーに対して の分散投資は、以前から引きづっていた連立与党とのしがらみがメルケル政権 でやや安定し、原子力発電政策の転換点にも成って来たのは、そんなロシアの 影が大きく観えたせいなのかも知れないようだ。ZDFを観ていると、ドイツ でも下野してしまった前与党陣営には色んな反省集会が広まっている様だ。 民主主義を標榜する国家として、次の選挙で何を訴えていくかや、何が間違っ ていたかと論ずる新党幹部の姿を画面で見て、分断された国家に蓄積されてい たドイツ国民の健全性が羨ましくも観えてしまった。

一方で、この国の中で起きている異様な国家の姿は何に起因して居るのであろ うかと思う日々である。小沢氏は相も変わらず自民党衆議院の一部に誘い水を 注ぎ込み、次の参議院選挙で安定多数を狙う事に終始しているそうだが、その 傍らで、政権を預かっている筈の内閣には国家の安定した機能は伺えない現実 が渦巻いている。政治にとって「ことば」は命であるが、舌足らずの大臣が余 りにも多過ぎはしないかと画面で見る限り思えてしまう。リーダは言葉でビジ ョンを語り、行動で示すものだろう。思いつきでは困ります総理!

国会議事堂には中央政治に軸足を取った伊藤博文と、民衆の声に軸足を置い た板垣退助の銅像がある。これが何を意味しているかを大臣は知っているの だろうかと危惧してしまった。 ウエストミンスターで戦没者に花束を捧げる バイオレットの衣装を身にまとった女王の存在が当たり前のようにある英国 の立憲君主制度やワイマール憲法を学んで持ち帰った明治の若き政治家たちの 眼が輝きを未だに光っている事は何であろうか。 即位20年目のメッセージ に込めた天皇陛下の思いと近い気がするのだが....。

ドイツから観えるロシアの存在と、日本から観えるアメリカの存在は似たモノ があるが、陸続きで無い為に根拠の無い安心感と言う無臭の体臭に包まれてい る。しかし自分でカネを稼いでいた筈と思っていたのがカネを稼がせられてい たと気が付くまでには、かなりの加齢臭が漂っている国家に成っているのかも 知れないとおもってしまう。くせものは加齢臭だとは自らが感じない事である。

 
 
友愛への疑問
ムササビ(2009年11月6日)
 

総理の政治信条としているらしい「友愛」と言う2文字には、いつもながら 消化不良を起こしてしまう。 なるほど響きはソフトであるが、明治以降の 行財政システムを改革すると意気込むのであれば、当時でも命を張ったよう な緊張感が歴史から伺えるのに、何かしら甘ったるく白けてはいないだろう かと首を傾げてしまう。  チョッと前の小沢氏が仕掛けた細川政権当時の お殿様の雰囲気に似た空気が内閣や官邸にちらついている。 要は金持ちの たしなみ程度では政治に緊張感は産まれない筈であるからだ。

政権交代へ何を民衆は期待を込めたであろうか? 残念ながら、政治の中枢にガバナンスが伺えていないのが現実のようである。 またか...と思えるような政治の揺らぎが外交でも内政でもフツフツと湧き 上がって来ている。 確かにキャスティングボートを小政党に握られている 不便さはあるだろうが、世論をバックにした小泉スタイルでやれば済むこと も多い筈である。 どうもあの小泉時代に政権戦略を練り上げて来なかった ツケが予想外に早く得た決勝本塁打の選挙結果を曇らせかけている。

事業仕分けだと意気込む姿や、そこに横槍を入れたがる党幹事長の言動を観 ていると、自民党時代の権力の二重構造や官僚主導を何ら変わらない事が浮 かび上がってくるのは近い気がする。  本来、事業仕分けなどの税金の使 い道を論ずるのは「会計検査」の世界や「国会論戦」の場である筈なのに、 何故か正規の場所で当たり前の事が成されて居ない現実の混乱が続いている ようだ。在るものを使い切れない無駄がある。

何も形だけ雇用能力開発機構が所轄する大学校を観たところで、その存続基 盤と成る多額の助成金の正当性が解る筈も無い。 かえって馬鹿にされるだ けであろうと思えるのは、地方行政システムと長年かかわって来た者からす れば、容易に推察が付くものである。

「友愛」の心でと振りかざす言葉には上から目線と感じて止まない民衆が多 い事を総理はあまり感じて居ないのだろう。 それは国内にとどまらず、ア ジアに於いても同じ空気が流れている。 ASEANは中国とインドに軸足 を置き、賞味期限切れの東アジア構想を口にした鳩山総理のバランサーに、 米国の介入余地をさっそく提案してきた。そこには角さんにあったう泥臭い 政治臭や小泉氏が放っていた覚醒作用がある刺激臭とはまったく違う京風な 雅やかさとも感じられる匂いが漂っている。  そこが日本のケネディー家 と称される所以かもしれないが、投票場で一票を積み上げていた庶民感覚と 乖離して居る速度に政治の中枢は気が付いているのであろうかと思ってしま う冬前の木枯らし日和りである。

あの細川氏は今何を想っているだろうか聞いてみたいものだ。 もしかしたら、いつに成っても、未だ準備不足ですとロクロを回しながら言 いかねないかも知れないようだ....。 政治主導とは、政治の大局に対して 緊張感を持って振り回す事である。決して周りのセミに振り回されない事で もある。

 
 
期待値の耐力
ムササビ(2009年10月13日)
 

「政権交代」の4文字と「脱官僚政治」の5文字に始まった政治劇場は 大衆の色んな期待値を合成したエネルギーがある。 しかしその原動力に は劇場内の喧騒で気が付かない劇場主宰者の社民、国民、民主党内の政治 への思惑を含め、それに絡む民主党内での政治手法の色違いが政治の停滞を 招こうとしている様だ。

政権が変わるから致し方ない事は大衆は理解して居るだろうが、限度がある 気もする。そこには「違和感」という3文字が、大衆感覚で、そこかしこに 湧き起っている。 選挙後の調査で自民党の復活があると思うかの質問に 対して、意外や半数以上が「ある」と答えていた。政党支持率のバランスか らすれば?と思えるが、いかに今度の政治劇場で「支持政党なし」の勢力が 大きな仕事をしていたかが良く観えていた。 それらのサイレント勢力に 流れている想いは「安定」に他ならないとも想像できる。デフレ経済で育っ てきた世代が30代に成って来た今に於いてインフレ経済からの転換組世代 との社会構造に対してや、経済感性はまったく素性が違うことを政治は理解 しておく必要があるだろう。

先週、生保の見直しが大衆に於いて盛んに成って来ている統計が出ていたが、 買うと言う消費行為とその源泉である収入と言う生活行為に於いての経済感 性に対して「大いなる違和感」は、ダイエー創業者中内氏が唱えた「価格破壊」 のデフレ軌道が未だに延々と続いている事に成っている。

たくさんのモノが移動する消費行動から、ヒトや情報が移動する事で消費する 生活行動へと日本は動いている。そこには無いモノを売る仕掛けを待つ新しい 消費者が存在し増加しているにも拘らず、いまだに百貨店やスーパーはモノを 売る事に執着している。自民党と言う政治の百貨店にも同じ事が言えたが、新 人事にはいまだにその転換が望めそうにもない古臭い政治加齢臭が漂って居る。

「脱官僚」のお題目を如何に素早く転換して「政治」のリフレッシュ度数を高 める仕掛けが内閣を含めた司令塔に要求されている。マニュフェストへの執着 も一理があるし、予算凍結、執行停止も一理がある。 しかし経済は今、車の ミッションで言えば「オーバードライブ」の惰力で走行中である。直近に観える 坂道の手前から自然と減速を始めて停止へと向かうだろうが、その準備を怠っ て居るような緩い政治劇場に成ってはい無いだろうか? ガソリンと電池の ハイブリットエンジンの筈が、試験走行中にレースに出て来ざるを得無かった 未完成のエンジンだったと気が付かされるのでは大衆はたまったものでは無い し、そうなれば、陰湿でうつろな不満が蔓延するし、期待値を支えている耐力 は限界を超えてしまう。  しかもそれを待っている筋が太平洋の向こう側と、 日本海の向い側に居る気がしてならないのだが....。想い過ごしであって貰い たいもんだ。

 
 
ドル揺らぎのつけ
ムササビ(2009年10月5日)
 

最近、基軸通貨のドルに対して、あちこちから色んなマーケットの反応を 観る気球が上がっては下がっている。多極主義者たちが政治の舵を握り始 めた数年ほど前から出始めていたし、その流れはスイッチバックする形を とりながら新通貨管理体制へと移動している様だ。

ここ数か月でも、世銀総裁のドル離れ発言や周総裁のSDR論、ガイトナー 氏の金融管理対応を含め国際関係でのドル紙幣の存在感を相対的に下げる ための圧力が目立ってきている。 G7がG8に成り、今やG20と成って いるのに、国際金融に関しては未だG7というギャップが存在して居る。

シカゴが有力視され始めていた矢先の第1回目での落選は、単純に五輪開催 都市選定だけでは無い色んなメッセージを世界中に与えているだろう。 G7では、ドル基軸体制維持のためのお決まりのメッセージが流されている が、そのメッセージ性には、ひと昔前の力は伺えない。間違いなく流れは出 来つつあると思われてしまう気配が見えてくる。

このままの財政出動が国際間で拡がっていけば何れのタイミングで揺り戻す 安定板が働くのが歴史であったから、いずれその装置は自動的に動き出すで あろうが今でも不気味なキシミ音を立て続けている。

本来、経済の血液と言われていた「マネー」が血液の癌に冒されている為に 必要では無い血流が起きてしまい、それに見合う血管の肥大が起きてしまっ ている。こんな事がそういつまでも続いた試しは無いながらも、この国は 未だに「失われた10年」を2度めの更新時期を過ぎて久しい。 「ローン」で将来所得を先食いし、そのバランサーとして「保険」と言う 支払いを重ねている矛盾がある事を消費者たちは当たり前のようになって しまって居る現実がある。 自分が使う為のマネーが、気がつけば他人に 使わせて自らがそのリスクを負担して居ると言う悪魔のようなサイクルに 気が付かない不思議さがこの国に横たわっている。

自らが生産できない多くのモノを大量に消費している事に気がつくときは 「円」の存在感は今とは比較に成らないほど低いものに成っているだろうし 、ようやく国家の真の再建が語られているだろう。 あの時....なぜ自分 たちは気づかなかったのかを痛いほど反省する日はそう遠くは無いようだ。

通貨と国民意識と補完する武力との強固な3角関係が壊れたら国家の存在 は望めない。すべてのツケが若者にしわ寄せされている事を、大人が無関 心に成ってしまっている異様さが長引いている。

 
 
政治主導の本懐
ムササビ(2009年9月28日)
 

今回、UNでの演説と新総理の行動姿を画面で通して観る限りに於いては 少々外交への不安感が芽生えてきた。 まず、総理が個人的な嗜好で演説 に際して母国語を使わなかったとすれば、観る者に於いては民俗文化の根幹 である国語を大事にしていないとのメッセージにも成る。 もし、総理が あの様な嗜好で演説に臨もうとしたのであれば、「本来、国家を代表する 立場のリーダーが語る言語は母国語を使うのが正しいのです」と進言しな かった取り巻きが居るとすれば、そこには何らかの「意図」を自然に感じ てしまう。

国連演説で母国語を使わずにメッセージを投げるとすれば、はて?受け取る 側の心理にはどう映るであろうか? 外交の駆け引きは「言葉」が大いなる 武器であるが、UNが非武装な平和ゾーンであると勘違いされているので あれば、国際感覚に大変な誤解を持って出かけた事に成る。

中国の胡主席が英語を使ったであろうか?サルコジ大統領が英語で国連改革 を唱えたであろうか?リビアのカダフィー大佐が延々と英語で愚痴をぶちまけ たであったろうか? 外交の真理を考える者にとって、日本のリーダーの発言 の姿は色んな想像を膨らませる事が出来る話題であったに違いない。

演説に於いて「誕生して未だ少しですから....」なんて言うのは内政に於 いてだけはハネムーンの許しがあると思えたであろうが、国際舞台では、 私は未熟者ですからと公式に認めるわけである事を御承知では無いのだろう が、国際感性にはハネムーンは無しである。

このUN外交演説にはスタートから「日本」の姿を浮かせながらも薄める効果 があった。ここが「足元からの意図」すら感じを受けてしまうのである。新総 理を取り巻く行政官の真理を垣間見た演説だった。しかし、その後のオバマ氏 との会談の前のセレモニー会話では日本語を使っていたので、連続しない違和 感が残ってしまった。しかもG8感覚で望んだG20の「ひな壇」では、やた らと金色のハンカチーフが胸ポケットから食み出していてしまい、他のG19 とのバランスが壊れていたのも国際感性を疑われかねなかった。

あの英語の演説が実は国内向けの英語力のアピールだとすれば解らなくも無 いが、そのレベルで外交や内政に携わるとすれば「ワイドショー政治」の弊害 そのものであろうし、まともに政治を掲げている民主議員諸氏にとっては、頭 が痛い難題がまた一つ増えた事にも成る。 亀井氏が采配を振るいたがってい る庶民の金融問題でも大きな波乱が起きてもおかしくは無いし、ダム中止の 問題においても同様の地雷が撒かれている戦場である。

情報の質を取捨選択するスタッフが国家の中枢に配置されて居ないとすれば 政治主導とは絵に描いた餅であり、その餅にもカビがすぐに生えてしまう事に 成りかねない。 イランの秘密核施設情報は米英仏は数年前から察知していた が、その情報を効果的に出すタイミングを計っていただけで、今回、情報を 国際間に伝搬する前には中ロ独の情報機関に事前説明を行い、その後の根回し も成されていたとの新聞記事を観て、表の劇場と裏方の厚みの違いを歯がゆく 感じてしまうし、次の安保理入りする独の姿も観えてきた。

いつまでも「宇宙人」と許されるものでも無いだろうから、年末までの100 日を注視したいものだ。しかし、「今度は参議院選挙だ」と走りまくっている 選挙オタク幹事長を含めた2世議員には、失業や貧乏を経験した事が無い人が 多いだろうから、貧乏の話をしても言語が違うから解ら無いだろうし、UNを 平和の象徴機関と誤解して居るマスコミや学者が居る限り、日本の底力は世界 から消費され続ける事に成る。    そう言えばチョッと昔、ドルのヘッジ 先としてスイスフランがあったが、いつの間にか何処かに行ってしまったのだ ろうか。

ライフル弾の代わりに情報と言う散弾が飛び交って居る世界である事を知ら ない「鳩」が居るとは思いたくもないが、まさか、豆鉄砲でも食らってきた なんて事はないだろう......。政府内情報収集力の整理統合と機関化が求め られて久しいのに、その価値を無力化したがるオタク政治家と縄張り役人が 多過ぎる「大いなる無駄」がそこに在る。

 
 
冷めた目線から始まる
ムササビ(2009年9月4日)
 

大勝すればしたで色んな処から引いた視点で次期政権の動向が騒がれ続けて いる。 はて?と思うにネクストキャビネットとは何であったのだろうか? との疑問符があちらこちらに浮遊している様だ。

郵政選挙でも当時の民主党はそれなりの獲得票はあったのだが小選挙区の 仕組みで大敗した。 その隠れた票はその後の参議院選挙で表面化しただけ であり、郵政選挙から自民党の敗退の歴史は加速していた。 ただ、これを 実感として捉えなかった安部、福田、麻生と使い捨て総理をやってしまった から総スカンをくらってしまった訳だ。消去法でいけば民主党へと向かわざ るを得ない大衆心理には冷めた目線がある。

矢継ぎ早の人事をすべき戦略である筈なのに鳩山氏は何かを躊躇して居るの か、指導力に欠けるのか今朝のTVで「おかげですから..」発言で小沢氏の 幹事長起用を出してきた。 ネクストキャビネットがしっかり機能して居た のなら、選挙勝利に伴い素早くキャビネットの移動が可能であった筈である が、人事が停滞して居る不思議さがある。そこには大衆の眼にさらしたく無 いお家事情があるとすれば、リーダーとしての資質が問われ始める事になる。

そもそも英国流で明治に起きた議会制度は日本型の民主主義を積み上げてきた のだろうが、女王と天皇の在り方の違いが英国流を真に取り込めなかった訳が 在りそうにも思える。英国でも議員歳費が矢面に晒されてイカサマ会計が露呈 し、窮地にハマっている議員諸氏が多いとのBBCの嘆き報道を観るにつけて 、いやはやシステムのコアを輸入して国体を保っているこの国にも同じような ウイルスが蔓延して居るのは当然の話かも知れない。 まして両国とも緊縮財 政の矢面に立たされている中で、何を削るべきかの判断を大衆は固唾をのんで 見守っているのが現実であろう。

両国とも経済政策では限界があり、かと言って金利政策も打つ手は無い。 ただただやたらとバラマキながらデフレからインフレへの陰陽の転換を果たさ ねば成らず頭の痛いことだらけである。 20%の金利から下がり続けている ブラジル通貨レアルの金利が8%台に成った事を聞きながら、インフレで痛め つけられたブラジル金融当局の余裕が羨ましく観えて来てしまった。

もう、「宇宙人ですから」と訳の分からない遊び言葉は一国のリーダーに言っ て欲しくは無いのだが、そんな日が以外と早く来そうな恐怖心もある。

 
 
上海コンセンサスの行くえ
ムササビ(2009年8月26日)
 

ん?と耳を疑う言葉だった。 NHKラジオから流れ出た株式情報の頭に 「上海株の下落に伴い東証株も利益確定の.....」 株式市場からチョッと 遠のいていたらワシントンコンセンサスの終焉の確定が粛粛と流されていた。

4月にブラウン首相が「ワシントンコンセンサスは終わった」とサミットで 言い放って、サルコジ氏やメルケル氏も同調してから4カ月ほどで東京にも その波は来たようだ。 上海市場がホットマネーにかき回されているのは当 たり前の話で、2010年末までに世界市場で500兆円の財政出動のバラマキを やるとサミット合意が出たのだからマネーは虚ろな勢いで世界を駆け巡って 来ているのは承知の上の事である。

日本だけのデフレの終焉は収束に至って居たのだが、また遠く離れてしまい そうな消費の落ち込みが連鎖し始めている。 今度は世界中がデフレの陰湿な 低周波の響き音を身体で受け止めなければ成らない時代に成って来たようだ。 今日は近所の植木屋が自殺した。末端で死を選ぶ経営者がなんと多いことかと 考え込んでしまう日々が続いている。 大手のドラッグストアーとコンビニが 合流する話や、サントリーのキリン合体の話などは、いかに世の中が混とんと しているのかを映している。

内需拡大しか方法は観えないだろうが、各国が自国の利益を最優先に考え始め るのは時間の問題だろう。 この大盤振る舞いの果てに何が待っているだろう か? 消費し切れないマネーの怪物の足跡にハマり込む市場の姿は想像したく もないが、誰にも止められないトルネードマネーエネルギーの姿は垣間見える 気もしてきたようだ。  成長し続けなければ成らないと言う脅迫概念は、 いつしかマイナス成長と言う可笑しな言葉を作り無理矢理にも成長して居ると 大衆を覚醒し続けている。 すべての価値を交換できるとすればマネーには 大義があるが、やはり、物々交換の原理からは抜け出る事は出来そうもない。

マネーで解決できない問題の本質に世界中がさらされ続けると、いつかは 大衆の心はクラッシュするであろう。 先ほど政府予備費から5000億円を 外国製新型インフルのワクチン取得費用に回すから心配するなと大臣が言っ て居た。買える者は良いが、買えない者の処へ国際社会の応力は集中する。 あのコメ不足があった時も、多くの買えない消費者が東南アジアに出現した 事を思い出すNEWSだった。どの国にも国益が最後は決定する現実が在る 事を知る良い機会だろう。きれい事では済まされない現実でもある。

一方、拡がり続ける国内の貧困層の声を誰が受け止めているのだろうかと考 える選挙でもある。政権交代が政権後退に成ってしまわないように願いたい。 上海コンセンサスの登場は、否が応でも大衆に大きな試練を受け止める心の 準備が必要だと鳴り響く鐘の音と聞こえてしまった。

 
 
責任の腐体化
ムササビ(2009年8月24日)
 

台湾の馬政権が台風災害に際しての救援を断っていた事で窮地に立たされて いるようだ。それに絡んで、あちらでもみんな揃って頭を下げるセレモニー がBSTVで流されているのを観ていて、妙に親近感が湧いてきたのは同顔 の東洋系であるがゆえの気持ちであろうかと自身の心に問いかけてみた。

聞けば中国で開催された台湾救済へのチャリティーで48億円も集まったそう だから台湾と中国の関係が可なり密に成ろうとしている姿が浮かび上がって 居るようだ。 台湾当局は人民元を外貨準備の選択種に入れ始める検討をし 始めたそうだが、 そのうち台湾海峡が国際海上航路として安全が保障され るかは日本にとっての経済的視点だけで見ても非常に重要な問題に成るだろう。

中国では「子は最良の年金」「親は最良の銀行」という話があると聞き、 如何にも東洋的であると感じてしまったが、そう言えばついチョット前までは この国でも当たり前の習慣であった事を思い出す。 ところがいつの間にか この様な当たり前の東洋的社会システムが分解されてしまい、社会哲学の無い 高コストの民主主義が蔓延ってしまい、可処分所得が減るだけの歪な経済大国 に成ってしまった。

それぞれが責任を分担する事で積みあがって来ていた最大の観光資源であった 筈の安定した国内治安は、いろんな責任の所在を不明朗な姿にする事で曖昧に 成り、いつの間にかTVで法律事務所のCMが流れてきたり、挙句は子供を隠 れ蓑にした新車販売促進に使える「ただカネ」なる税金のばら撒きCMまで始 めてしまった。 チョッと立ち止まって考えれば可笑しな矛盾が蔓延する日本 に起きた選挙は「責任」と言われる言葉が多く垂れ流されてるようだが、民主 主義のソーシャルサービスや公的なサービスを無限に受け入れる事は出来ない。 「無いものは使えないから」である。

あの戦争が終わり、また次の終戦記念日へ向けて歩きだす日が始まったのを観 て、戦争の責任が何処にあったのかを煮詰めていると大衆の社会への無関心に 行きつきそうになり、今も昔もあまり変わらない民族体質を温存して居るリス クの高さを実感して居る。リベラルを辞書で引いてみたら「気前の良い、おお まかな...」が最初に出てきたのをみてバラマキに相通じてしまった。

就任演説で、新しい責任の時代を問い掛けたオバマ氏の言葉の矛先は他ならぬ アメリカ社会であったことを思い出した。 そんな問いかけを国民に出来る 政治家の登場が待ち望まれている。小劇場役者はもういらない。

 
 
市長メッセージから観えるモノ
ムササビ(2009年8月7日)
 

秋葉市長が昨日、広島市長として語りかけた平和へのメッセージには違和感 が起きた。 「我々はオバマジョリティーとして共に進む...」 チェコに於いて核廃絶を世界へのメッセージとしたオバマ大統領の真意を はたして秋葉市長は読み取って居たであろうかと思えたからだ。

温暖化対策で世界中で原子力が再認識されている中で、あえてチェコで彼が 語りかけた意味は大きい。原子力発電は常に兵器産業とのリンク無しでは 存在しえなかったが、燃料であるウランからトリウムに変える事で劇的な リスク軽減を果たす事が出来るからだ。 そのトリウム燃料を利用した原子 力開発トップ集団の中にチェコは位置して居る。 インドも長期に亘って 研究を続けているらしい。

グリーンニューディールを標榜するオバマ氏にとって、この種の原子力 エネルギー開発は新しい産業に成る確信を持っている。彼は、おそらく 米国の潜在的な技術力で世界をリード出来ると確信して居るから、あの様な 原子力兵器との決別とも思える表の演説を行ったのであろうと推測できる。

ウエスチングハウス社を東芝が吸収合併した時に、何故?と不思議に思って 考えてみた事がある。何の事は無い、旧型のエネルギーシステムに成る事が 解っていたからだろうと途中から感じていた。国際戦略とは密かにかつ静かに 浸透して花開かせるモノであろうと感じる大統領の表の表現力に秋葉市長は 乗ってしまったとしか思えない。 もっとリアルな当事者からの語りかけの 方が心に響いたのかも知れない。せめて被ばく戦災者に語りかけるには、 日本語を駆使した表現力があっても良かったかもしれないと思ってしまった。

外交にしろ、戦略にしろ言葉は大きな武器にも成りえると知らされた日だった。

 
 
金融と社会の実験
ムササビ(2009年8月4日)
 

オバマ大統領が政策投資するドルの総数は想像できない金額であるが、この 国でも、怪しい数字が選挙前に独り歩きし始めている。

家計であれ、国家予算であれ元は同じ理屈で、ただ単にスケールが違うだけ のことであるのにインフレ経済の様な借金まみれが施されようとしている。 バランスが釣り合わずに必ず何処かの時点では金融の応力クラッシュが起き る事は誰しも判って居る筈なのに何故か、心地よさだけを求めた政策の花を 咲かせたがっている政党に群がるマスコミ、それを観てほくそ笑む大衆が居る。 すべてが、他人事であるから痛みを分かち合う勇気が起きないのだろうと、 ふと考えてしまうが、いつからこんな国に成って居たのだろうかと沈黙して しまう。

「待機児童が多いから保育所を」、たしかにそうだ。「派遣切りに有って居る から救済を」、たしかにそうだ。「生活保護者支援を拡大しろ」、たしかにそ うだ。「公務員制度改革を」たしかにそうだ。「無駄をなくす」確かにそうで ある。 延々と続くこのセンテンスは終りが無い事を知らない人が多過ぎやし ないだろうか。  どこかで線を引かざるを得ないのに、引こうとしないのは どうしてだろうかと思う。

他人事でいる事に慣れ親しんでいる国民生活が長すぎたようだ。 最近TVで 城山三郎の「官僚たちの夏」があって居る。小生が過ごした時代とリンクす るから記憶の回帰と色んな思い出が重なり、興味が深く観ている。 あの時代の経済産業官僚は確かに野武士の様な連中が多かった。彼らは政治家 とバトルしながら、国家を論じていたし、政治家に成り手法を変えて国家を支 えて居た事を思い出す。 堺屋太一氏などは表舞台に出た典型的な通産官僚 だったのだろう。

周りを「おもんばる」感性を持ち合わせていた時代だったが、そんな時代も 遠くに成って来たようだ。 聞けば返さなくても良い奨学金制度を、ばら撒く そうだが何んとも思考が狭い話だろうかと思う。返さなくても良い制度と、 社会人になったら返さなくては成らない当たり前が同じ「奨学金」で括られる ならばモラルハザードの極みだろう。TVでも何とか法律事務所が「取り返せま す」とCMする時代だ。 民事再生も幅広く浸透してきた。返さなくても良い 世界がこの世に在ればこんな桃源郷は無い。 永遠に続いてくれるだろうか? 凄まじい金融と社会の歴史的実験が世界中に始まって居る。

 
 
対岸のゆくえ
ムササビ(2009年7月27日)
 

中国で起きている外貨準備高の一因にホットマネーの増加があるようだ。 リーマンショック以後に、とりあえず世界中が、アメリカに代わって中国が 消費を受け入れてくれると思い込み始めて居るからだろうが、現実は歪な 土台の上に描かれた妄想かも知れない。

世界中からの、その期待値を先取りするかのように証券市場や不動産市況 がにわかに勢いを取り戻している。未だに金融の土台が揺らぐEUも、ドイツ をはじめとして国際収支を中国に頼って居るのも確かである。中南海は このタイミングで色んな手段を講じて国益の最大化をもくろんでいるようだ。 中でも、自国内での外国資本の活動に論外な足かせを嵌めてきている。 中国で売る為には、技術情報の開示が成されなければNO!と言う制約まで 付けて来ている。 ところが、このような無茶苦茶な規制に対して日本は 黙ってすくんでいる様だから始末が悪い。

技術情報を国内産業を活性化する為の処置だとすれば、なんとも甚だ遺憾な やり方である。 これらの政府行為を観るにつけて色んな意味で中南海の 行動を引いて観らざるを得ないと思うが、日本の企業家たちは何故か善意と しか思えないような拡大解釈しかしていない。 これには、米国の連中も 呆れ返っているそうだ。 是々非々として渡り合える力量がこの国の中の 政治にも外交にもビジネスにも欠けている気がする。

中国の見せかけの景気再起を支えているのがホットマネーだとすれば、辻褄 が合う話がある。 マネーサプライの増加で過剰マネーがバブル化しているが 雇用の増加は成長率には連動して居ない矛盾がある。 経済成長率8%を追 い掛けても、それに見合う雇用の増加が成されて居ない。むしろ悪化の一途を 辿って居るのでは無いかと思われる大卒の就職浪人が急激に増加して居る。 今年は未就職学生が100万人も居たらしいが、また直ぐに600万人の新規卒業生 が待機して居る事を思えば、何処がこの余剰人員を支えるのだろうかと懸念す る。  一番手っ取り早いのは兵士の増産と言う公共事業だろうと想像できる。

何かの切っ掛けでホットマネーが中国から逃避し始めれば、砂上の楼閣である 今の中国経済に激震が走る事は想像できる。あらゆる事を想定したシナリオが 政治には要求されているが、政権選択か政権洗濯か解らない状況がこの国に 蔓延して居る。 このようなフラストレーションの積み上げが重なり、あの 戦争へと繋がって言った事を思い出させる日が今年も近づいて来た。 中南海がホッとマネーに翻弄されなければ良いのだがと心配するのは考え過ぎ だろうか。とても対岸の火事では済まされない積み上げが起きている。

夏の熱さが色んな歴史の蓋のひびを広げている。

 
 
民主主義のコスト
ムササビ(2009年7月15日)
 

外野から観ていると、なんとも不思議な事をやっていると思えるのだが 当人たちは全く気が付いていないのだろうとも思える事態が永田町で起 きている。  選対委員長はけつをまくるし、言いたい放題の元幹事長 やら色々と火花が散っているが、不信任案には反対だそうだ。

政治家には一環とした哲学が無くてはならないにも関わらずに、足もとの 選挙に目が行き公認とカネと公明からの見放しに恐怖感が出たのか知らな いが何んとも釈然としない。 この事態の発端は何の事は無い安部氏から 福田、麻生とホップ、ステップ、ジャンプの3段跳びをやっているだけで なにも最後の総理だけが全責任を負う事には理が伴わないと大衆は思って いる。  しかもマスメディアはこの事態を面白おかしく騒ぐだけで何も 建設的な提言は紙面で起こそうとしていない。

ただただ騒ぐだけなら、週刊誌も大新聞もオマケの放送局も次元が低すぎる と言える。 言論は権力の監視役で在らなければ成らないのに、我も我もと 異口同音で混乱に拍車を掛けて視聴率競争や部数獲得競争をやって居るだけ である。 しかしこれも民主主義のコストと思えば我慢しなければとも無理 して考えても観たくなる。

郵政解散から何が国家に蓄積されたであろうか。ただただ大衆の不満は募り 失業者は増え、カネは滞留し国債の輪転機は加熱寸前であり、対峙する長期 金利も不気味な地殻変動の兆しがある。如何にデフレが悪質な経済状態かが 良く解る。 これでえもか、これでもかと各国が紙幣をばら撒く政策の将来 に何が待っているのであるかは歴史が教えている。

客観的に国益を考え抜く事が出来、それを実践できる政治家を大衆は待ち 望んでいるだけで、TV画面でハシャグ程度の政治家もどきは次回選挙では ご遠慮願いたいものだ。民主主義へのコストを払うにも限度がある。 シュワルツネガー氏の様な先付け小切手で賄えれば黙って見過ごすのだが..。

それにしても、どうもハイブリットな政治家は出現してくれそうも無い。 出てくれば、減税の対象でも良し、挙句は給料を上げても良いのだが...。

 
 
長期統治の駆け引き
ムササビ(2009年7月8日)
 

イラク占領後のアメリカの統治スタイルのモデルは、敗戦後の日本を GHQが統治した形をモデルにしようとしていたらしいとの報道が 以前流されていた事がある。  なるほど成功体験を更に具現化する事は 易しいと見たのであれば大いなる誤算があったのかも知れない。

先日、イラクでの石油開発が外国企業の参入を認められ、入札が行われた が、指値に達したのは僅かであったとの報道の中に、イラク議会の中に 外国企業の参入に反対して居る議員のコメントが流されていて、それを聞 きながら、 なるほど...とうなづいてしまった。 ある議員は、「軍事的な占領には限界があるので我慢できるが、経済的 な占領をされてしまうと末永く従わざるを得ず、結果として国家の基盤を 明け渡す事に成るから唯一の資源である石油を外国企業の影響下に置く事 には賛成出来ない。     政府は外貨獲得のために参入を認めたが、 議会とのバランスで指値を釣り上げざるを得無かったようだ。

このイラク議員の言葉を聞きながら、あの敗戦時に国家の尊厳に対して どれだけの議会人が哲学を持って臨んでいたであろうかとしばし考えた。 吉田茂が戦後処理を進めて池田、佐藤と現在に至るが東京5輪を過ぎ、大阪 万博を超えたあたりからややこしい時代に成ってきた感がある。 確かに、戦後の歴史で軍事的な行動は起こしてはいないが、それは次に 起きるまでの途中経過に他ならない事にであるにも拘らず、永遠の姿と 誤解して居る庶民が多過ぎはしないか? 無いに越したことが無いのは 当然の話であるが、「備えあれば憂い無し」でもある事は又真実であろう。

ロシアと米国が戦略核兵器削減交渉を段階的に進めている事にどんな意味が 隠されているか、F22の売却に躊躇して居るかに見せているWHの真意 は何か、すべての戦略はカネに絡んでいる事が多い。 数百年も誠実さを 伝統にしてきたこの国にも80年代から戦後教育との間で軋轢が生じてい たが軋轢はバブルで焼け落ち、デフレで腐敗へと進んでしまっている。

異常さが日常的な今に於いて政治が成すべきことは何かを問えば、自らの 足で建つための歩行訓練に他ならないだろうが、その足許の筋力は緩み 脂肪で太巻きにされているのが現実である。 ウルムチで起きている民族 対立は根深い。大戦後に進駐してきた漢民族との文化の違いに他ならない からだ。統治する事を観ていると経済統治で文化をなし崩す方法が如何に 優れていたかをこの国の歴史が世界に教えているのかも知れない。

一億総中流と言われていた時代が勢いよく遠ざかっている様だ。

 
 
思惑の裏
ムササビ(2009年6月11日)
 

ABC、NEWSから伺える米国金融の危うさが観えてくる。 金融関係の公聴会で証言していたTARP関連の女性証言者の表情は とても浮かない、いや、不完全なシステムの露呈を暗に想像できるような 表情で推移していた。「政府による資本注入が果たして良かったのか、悪か ったのか解らない状況だ。しかし、今なお危機は続いている」 彼女の表情は、走り続けなければ成らない経済社会と並走して居る筈の 金融システムの乖離を暗に認める様な言葉のトーンであり、表情だった。

オバマ就任と同時に、立て続けに金融政策が急旋回した。日々進化する歴史 の必然性と言ってしまえば、そのとおりであるが、果たして今回のガイトナー 氏が語る「金融の健全性復活」に、そうですねとはとても言い難い状況である。 早々に税金救済資金を返そうとするJPMを筆頭に、あの国の金融塊には 我々とは異質の金融哲学の様な存在があるようだ。 それを大統領は就任演説 で、「貪欲」とまで表現したから、あの時点で当局と金融塊との熾烈な戦い のゴングは鳴っていた。  資本増資に駆け回って調達したカネの出所に 担保するのは果たして何であろうか?と思いながら、12年前に取引先の 地方銀行からの増資の依頼に応じた経験を思い出した。

当時、バブル崩壊後に劣化した銀行資本を救済するために税金注入有り、 資産売却有り、普通株増資有り、何でも有りの中での出来事だったが、 当時に受けた増資担当者からは何一つ「緊張感」が伝わってこなかった。 それを裏付けるかのような当時の記憶がよみがえって来た。増資の後に 担当者と雑談をしながら、「預金は政府が担保していますから」と口が 滑った彼に「楽で儲かる商売してるね」と言った記憶がある。

預金保険機構絡みの話が、あの国の地盤でも蔓延して居るとすれば、いやは や危なかしい話であろう。ガイトナー氏が出来るだけ明るい表情で会見に臨 んでも顔の表情から読み取れる心理には別な大きなものがあるようだ。

ストレスチェックを受けているのは就任早々のオバマ大統領やホワイトハウス のメンバーの手腕に他ならない事が浮き彫りに成って来ているようだ。

 
 
真の支配者
ムササビ(2009年6月3日)
 

かってグリーンスパンが日本のバブル以後の迷走ぶりをFRB運営の 参考にしていた事があった。同じようなシステム基盤で活動する経済や 政治には、先を行くシステムの後ろ姿は何物にも代えがたい実験室の 中を観るようなものであったであろうが、今のアメリカ経済の実態を 観ればさすがの彼にも動かせないモノがあったようだ。

それは、手に付けられなくなった「うねり」であろう。 超低金利の麻薬を吸い始めた金融システムにとって、自らの力では麻薬 の吸引を止められないほど重体化した経済システムをソフトランデイング するには限界があったであろうし、余りにも対価が多過ぎたと彼は察知 していたのであろう。 最も対価の少ないソフトランデイング策を選択 したFRBの決断には計り知れないような政治力が効いていたと思う。

今回のGM騒動にしても、クリントン時代にカンター氏が日米通商交渉を ごり押ししていた頃をつい思い出してしまった。当時のサマーズ氏が 日本の政治内部に対して自国の国益上に必要と思われる約束事を嵌め込み 現在でもかなりの効果が続いている。 もし、これ等の「たが」が国内 のシステムに嵌め込まれていれば、GMは別な100周年を迎えていた のかも知れない。  HONDAのCVCシステムがアメリカ排出ガス 規制を1番にクリアーした事があったが、そもそもあのマスキー法は 輸入車に対してのハードルを高くする事で、ビック3の技術開発の後押 しをする筈だったのだが、自動車金融で食い始めたBIG3には、将来の 事業布石を配置するよりも、てっとり早いローン商売の方が株式評価が 高いと信じていたから始末が悪かった。

株主価値を最大限に高めるのは長期と短期のバランスが必要であるにも 拘らず、短期の株式デコレーションに経営の軸足を移し始めた時から 後戻りできない出来ない事が経営中枢に麻薬として蔓延った訳だ。 UAWにも同じ事が言えるであろう、将来の利得を先食いするローン 勘定で福利厚生を積み上げてしまえば、これも錯覚や幻覚を産む麻薬で あるのに、今を主軸に将来の利得を先食いして、将来のGMにツケを回した。

GMを笑ってられない同じような麻薬が世界中に蔓延して居る。 債権放棄で借りた方が得する金融仕組みの反対側には、良識の蓄え者が 必要である。しかし、その良識に陰りが出始めて久しい。時間を掛けて この国にも蔓延する金融モラルの崩壊は、崩れかけた「道徳」の堅牢な 基礎を瓦解して居るはずである。人で持つ経済社会に信頼関係が薄れる事が 出れほど多くの対価を支払わなければ成らないかを解ってない人が増えすぎ てしまったようだ。膨大なマネーが再び国際間を駆け巡り始めた超低金利 時代が何を誘発するか? 壮大な経済歴史の実験はスクラップ&ビイルド の最終章をめくり始めたと思われる。 スクラップするか否かの決断を 民意に問われているが、吸い始めてしまった麻薬に朦朧としている大衆に 将来への決断が果たせるだろうか。

人間がマネーを支配した時代があったと、のちの歴史家が書くかも知れない。

 
 
77%が参加する意義
ムササビ(2009年5月15日)
 

NHKが裁判員制度に関してアンケートを取った中に77%が行くと 答えた。 今月からはじまる裁判員制度に対しての参加意思の問いかけ である。  始まる前から色んな視点から議論されている制度である。 ある程度の年齢に達している成人にとっては、大きな社会の流れが変 わって来て居るのかも知れないとも感じてしまう制度でもあろう。

今までは、専門集団に任せていれば大間違いは起きなかった「筈」と言った ルールが社会の中に君臨していたのだが、カラオケがプロ歌手を脅かし アマチュアがいつの間にかTOP歌手に簡単に昇り詰められる仕組みが 出来あがった30年前頃から社会の中でプロとアマチュアの境界が見え 難く成って来てしまい、 三権の中で唯一プロ集団の集まりで幅を効かせ ていた司法に変化の芽が出始めようとしている。

プロの司法員にしてみれば、たかが素人の分材と言いたかろうが、今の 社会では、案外に素人感性が本質を究めている事も多々ある。 いわゆる 利害関係性から離れたポジションで見つめる事が出来る客観性の意義である。 調査によれば、米国NYの陪審制度に関わる一般市民はは33%だと聞き、 なるほど今生きている社会への密着度数が大都会と地方とでは大いに乖離 していると言うことがはっきりと分かる。

政治の世界に於いても同じであろう。 今回、民主党がドタバタと党首 選挙をするそうだが、摩訶不思議な戦略としか思えない。 せっかく マスコミが注視するタイミングであるならば、私なら、世襲に関係の無い 候補者を出す戦術を取る。 はたして今まで何人の自民党世襲総理や世襲 議員が内閣を構成して居たであろうか? 麻生、福田、阿部、小泉...... 戻って観ればどこの時点で、まっさらの政治家に出くわすであろうかと、 しばし考え込んでしまう。 それに追い打ちをかけるかのように小沢、鳩山 である....。 党内力学で政権交代を目指せば、必ず負け組に成るのは明ら かであるのに、自民党のアキレス腱を自分の党にも移植しようとすれば、 支持政党なしの票からはソッポを向かれる事間違いなしである。 しかし 当の党首予定者は全く内向きな選挙戦略で総理が転がり込むと考えている のだろか....。 あまりにも素人っぽい選挙戦略である。

裁判員に命じられたら77%が裁判に参加する。とのアンケートから 連想できないのだろうか? 大衆は政治の本質を見抜いている事を 政治が気が付かなければ、本来の足腰が強い民主主義は育たない。 訳の分からない党内力学のデリバティブ感覚で政治がかく乱されようと しているが、腑抜けの政治力をプーチン首相には見透かされているようだ。 滅多に無いチャンスの時に何故か不思議に混乱する野党第1党の心理を 探究して見たくなった。

 
 
ストレスチェックの外周
ムササビ(2009年5月11日)
 

リーマンショック以降に耳慣れない金融言葉が目の前を走り抜けて行く。 中でも、米国政府が語るストレスチェックなる言葉はナルホドと意味直侵 な言葉の中の一つであろう。 そのストレスチェックの結果は大した事無い そうだと市場はひとり合点した。 如何にもポジティブ思考の米国人らしい ではないか!  いい方に考えないとやってられないと言われれば、そうか もねェ...と引きずられる思考もある。 いや大半がその方かもしれない。

ポジティブ思考は大事であるが、それが主流を占めた時がネガティブへの 転換点に他ならないのが歴史の事実である。 まさしく株式市場の遍歴に 一致する流れであろう。本来の人間性の行動とマネーマーケット経済とは 全くリンクしない価値観があるのに、時々には人間性に行動論理がマネー に支配される時がある歴史を人類は辿って来た。 その結果として戦争や 殺戮の負の生産は今でも限りなく世界のどこかで活発に成されている。 もちろんその背後には、人間性を支配したマネーが控えているのは事実で あろう。 いつの世も人間性に比重を重く置く弱者が負け組に成って居る。

ストレスチェックの分析中身を詳細に市場が落ち着いて分析できる筈も 無い事は当たり前で、「大した事は無い」と言う言葉を待ち望む受け手に とって「大した事は無い」と言う言葉ほど有り難く光るモノは無いと タカを括られているから、「大した事は無い」と言い飛ばされるだけで ある事を知りたがらない矛盾がある。

同じような感覚でストレスチェックを受けているのが「小沢民主党」 であろう。しかも最近頻繁に成される「世論調査」なる血圧計のような モノの数値がそのメモリであると勘違いして居る党役員がいるようだ。 同様に重みの無いこのメモリの上げ下げで浮かれている総理も居る。 せっかく政権奪取の機会を捕り落そうとしている民主党に試されている のは、政党が次の出番で何をやるかを世論の数値とは別の庶民感覚に チェックされている事を忘れている矢先に、国債発行に対してキツイ キャップを取り外したかった一部の官僚組織に次の資源を先食いされ 始めているのが今回の補正予算の真実であろう。 とにかく使う事が 前提に成って居る前代未聞の補正予算は「100年に一回ですから」 と言われている総理と、いつもと変わらない連休を過ごす都会の大衆 とのギャップを傍で観る田舎の老人介護者には奇異に映って仕方が無い。

20代の近所の若者たちが車には関心があまり無い、それよりも新しい 携帯が出たそうだとはしゃぐ姿を観るにつけ、トヨタを含めて今までの 当たり前に在った市場で潤ってきた企業も今では、新たなストレスチェ ックを強いられている事には間違いがなさそうである。 同様に、北の将軍さまからも6者テーブルを揺さぶられるストレスチェ ックを受け続けている実態がある。 この6者テーブルの行方を色んな 力を試したがっている国や組織が更に外周でストレスチェックして居る。

 
 
哲学無きポピュリズム
ムササビ(2009年5月7日)
 

何が起きているのかと思える事が農水省入口で行われた。 農水省改革推進室室長が4月8日21、22日の朝9時10分から 9時30分まで本省正面玄関で観察に始まった発表資料を観て驚いた。

なんと、玄関に立つ「守衛」に対して入省する職員が挨拶をしているのか を観察していたらしい。この観察結果から観えるものにご丁寧に分析がされ 対応策まで書かれているが、最後が面白い!「さわやかな1日は、 おはようから〜朝のあいさつ強化週間」「期間5月11日〜15日、9時 10分〜30分」 これが、国家の農林水産行政の中枢の姿かと思ったら 何だか、寒気がしてきた。 石破大臣の肝いりで改革推進本部が作られ、 「農水政策は商品であり、国民はお客様」と語り「国民の満足感が重要だ」 と石破本部長は鼓舞して居る。

なんとなく分かる気もするが、果たして国の政治として何か抜け落ちて 無いだろうかと立ち止まってしまった。 大臣は、この数年「テレビ」で 発言する機会が多く見られてきた。 画面を通じて語る癖が付いては居ない だろうか? いや、特別な小沢氏を除き各省のTOPに座って居る大臣を 始めて記憶に有る政治家の多くが、いまやTV画面を注視したがる大臣が 多い気がする。バラエティー番組に人気タレントと見間違えるような 政治家もたくさん居るし、それをカネヅルにしたかのような評論家の肩書 で食って居る輩も多い。

政治の混迷が続くこの国の統治機関が「霞が関官僚」に集約化され、その 官僚組織を手元で捌く利権集団が自民、民主などの組織の中に配置されて いるのは政治を定点観測していると良く観えてくる。 石破本部長が言う 「国民が何を悩み求めているかを考えて政策を行って行かねば成らない」 と激を飛ばしている。一見、正論に聞こえそうだが、言う相手が間違って いる事に気が付いていないようだ。 政策を作るのは政治家の仕事である、 そして政治家が作った政策を速やかに行動化するのが行政官の仕事である。 この政策立案と政策の行使が同じ処で成されているから可笑しくなって しまうのだが、本末転倒の号令が農水省で響き渡って居るのかも知れない。

根拠の無い原資を使おうとしている今回の補正予算の概要を知り、政治に 誠実さが無くなって久しい事が気に成って仕方が無い。 無い袖を振る事 がツケを回された世代にどんなに困窮した生活の準備をしているのかを 考えない政治家が多過ぎないだろうか。 昨日、知りあいの長崎の住宅 資材業者が40億の負債を抱えて民事再生申請をした。 抱えた負債を 減らし再生をすると聞き、はて、無くなったモノは何だろうかと考え込 んだ。 アメリカのチャプター11もそうだが「倫理感」「道徳観」 いろんな無形の資産が劣化して居る。  戦後の教育的効果が確実に 成熟しつつあるようだ。 大臣と会っても挨拶も会釈もしない省庁に 国民は存在しないのだろう。

 
 
昏迷への序曲
ムササビ(2009年4月23日)
 

先日、知りあいの町工場の経営者からこんな話を伺った。 内容の概略は、セフティーネットの在り方を問うこんな話であった。 かれこれ、10年ほど前から売り上げの減少に対応するために、経費削減や 設備投資を厳選してきた。中でも苦しかったのは、経営の姿と事業資本の バランスを維持するために、借入金を減らしながら経営を続けて来れた事だ。 安定した経営姿勢を保つために、借入金の返済が遅れる事もあったが、確実に 返済を続けていたら、それが今回の政府支援政策では裏目に出る事が解った。

無計画に借入を増やして、駆け込み寺のセフティーネットに駆け込む経営者 は網の引っかかり、何故か計画的な事業指針を持つ経営者であっても、延滞 の履歴があれば、網には掛からないように成っているとの事らしく、なんだ か今回の信用保証制度が持つ審査能力に疑問を感じたとの話であった。 しかも対応した保証協会の担当者は未だ社会経験が十分とは言えない様な新 人で機械的な審査の質問に終始したのにも、2度驚いてしまったと彼は話し ていた。 彼は、今後の経営環境を考えて、あえて事前に網を張る筈であっ たが、現実の保証対象者は安全網では無く、救助ロープに他ならない。こん な事が当たり前に社会が成り始めると、いつの間にか社会の倫理観の根底が 揺らぎかねないと思うが、どうだね?

彼から問いかけられて視点を移して見ると、政策投資銀行を通じて政府が直接 資本注入しようとしている今回のパイオニア、エルピーダ、日立などの大きす ぎて潰せない問題にも通じるこの問題や、AIG,GM等の問題も何ら変わら ない歪であった経済の問題が明らかに成っている。ニクソンショックに始まっ た過剰流動性のトルネードが巻き散らかした砂塵を砂金と勘違いして享受した 経営者と政治家の責任が問われているが、ほとんどの原因者は現場には居ない 歯がゆさが有るのを観て、歴史のセフティーネットが張られている現実を感じ てしまう。 IMFが修正した経済成長数値ー6.2%の意味は、デフレの痛み を世界に先駆けていち早く受けながらも、低成長安定路線への経済転換を計れ なかったこの国の指導者層の在り方が問い直されている事に他ならない。

今世界を駆け巡っている何兆ドルや、この国の中を駆け巡る数百億円の補てん 金などを何度も聞かせられていると、いつの間にか気が大きくなる麻痺に陥っ てしまう数字のマジックが社会を覚醒して居る。 のちに来るであろうスーパ ーインフレへの布石をされているとも勘繰ってしまうのだが....。 大きくうごめく渦のいく末は如何であろうかと心配してしまう。民主主義の 転換点に差し掛かっているにも拘らず、今までに大局を論じる指導者層を育成 してきたかを国民が歴史から問われているのだろう。選挙間近かに成っても、 成って欲しい総理が浮かび上がってこない現状を雲の上から見て、かっての 「坂の上の雲」の志士達はどう思うのであろうかと思いを馳せた。 社会経 済の基盤の姿を剥いでいくと、その核に在るのは「倫理感」と「信頼」など の無形の価値に他ならない事を社会が忘れてしまっているようだ。 彼の話を聞き、今、まさにそれを修復できるかの瀬戸際に来ているようだ。

 
 
属性の壊失から派生するもの
ムササビ(2009年4月17日)
 

無意識に何かを永く食していると、いつの間にか、その味が自らの 存在意義の奥底に君臨して行く事に成り、他の社会や生物との間合いを 測る基準点が加工されていくのは当然の成り行きである。

人間社会に在る善とか悪の感情を振り分けるには、形の無い、ある種の 客観的な判断基準も仕分けの一つとして感情を操作しているのだろう。

ところが、客観的な判断基準が別な主観的な基準で操作可能であると すれば人間そのものを容易に、また気付かれずに操作できる事に成る 事を最近のマスコミ報道が、自らの報道行為で証明している気がする。 東京地検の捜査報道でも、それをリークする事で事案の方向性を操作 したい「権力」や、それにのっ掛った報道をする記者クラブの同盟報道や 、また、昨日報じられた女子高生から痴漢だと言われて最高裁にて無罪を 勝ち取るまでの防大老教授の報道など、列挙に限りが無い事が当たり前 のように発生している。日々目まぐるしく変化する内閣支持率などを 観れば、その数値が持つ民意性が如何に危ういかを露呈している。

これ等の一方的な主観で流される報道を安易に食する癖が付いてしまうと ほぼ個人の客観的理性は壊失し、日本人本来が社会を形成する上に於いて 大事にしてきた間合いと言う無形の客観性維持能力は失われてしまい、 常に間合いが限りなく無に近い密着した人間関係に陥り、いつの間にか余裕 を持って許される範囲までも敏感に感じてしまう可笑しな社会に成って来 たようだ。

情報社会が持つ利便性の真逆に位置するこの問題は、ある特定の数値や 本来はミクロの分析に価値ある数値を、マクロ化したりする事で本来の 数値的価値を歪曲化してしまい、本末転倒な判断結果の温床に成りかね 無い。 先日、TV番組で若者が政治に積極的に参加していない事に対して 若者側から危機感が募り、政治に対して投票行動で意識の転換を図る場面が 報道されていた事を観て、その裏に潜んでいた、参加意識を欠如させたい であろう真逆の権力が存在している事も感じてしまった。

ブレヤ氏が、国家の存在意義を高めるためには「教育」の地道な王道を 歩むしかないと唱えて教育改革を進めたように、この国にもようやく 情報を取捨選択出来るくらいの能力や、客観性、主観性の違いと自己と 社会の関係性を学習する仕組みを再考した方が良い時代になったようだ。

国家に住みながら国家に属して居ないかのような、他人事のような変な 数値情報が多過ぎる事には、それなりのある種の覚醒的な働きをしてい るからに他ならない事では無いかと考え始める人が多数に近づけば、 勃興しかねないナショナリズムのマグマの危険性を感じて止まない。 国家が揺れ動き始める時は好況の時にはあり得ない。地方から侵食され て行く「どす黒い」感情がいつの世も揺り動かす原動力に成って居る。

 
 
試された能力
ムササビ(2009年4月6日)
 

「飛翔体」。なるほど上手く言い訳のつく言葉を見つけたものだと思った。 今回の飛翔体騒動は何を物語っているであろうかと考えを膨らましてみた。

小泉氏の靖国問題から始まり、憲法改正論議、などなどから続き、イラク 派兵、海自による燃料補給活動、チョッと前には防衛庁が省に格上げされ てソマリアへの艦艇派遣など、昭和40年代に起きた「三矢研究」の当事 者である当時の幕僚幹部であった三矢氏が、ここ数年の国防に対して変化 する枠組みの激変を観たら卒倒しそうな変貌ぶりであろう事は間違いない だろう。

そしてなお、未だこの時代の変化に対しての国内統治機構の対応は落ち着 きの無い不安定な基盤の上に鎮座している事が「誤報」で明確に露呈され てしまった。    今回の「飛翔体」騒動は、国家の危機管理能力の アマチュア化と、他人事みたいに話す国民意識の鈍感さを試されてしまった 結果に成ってしまったようだ。  一方海外メディアは、今回の「誤報」 問題の深刻さを、すぐさまに配信したようだ。あの、「酩酊会見」同様に 国家の中枢機能が「機能不全」の様な脳梗塞状態では無いかと問い掛けて いる有り様だ。

この騒動は総理や内閣の支持率UPに大いに貢献しているだろう。 しかし何か変である気がする。 政治がいつの間にか玄人集団の場に成っ て居ない気がしないか?千葉での森田氏や宮崎県知事、橋本大阪知事など、 どうも民意の選択範囲が政治の深さを読み切れていない甘さがあるようだ。  確かに「ことば」や「理念」は政治にとって大事である。 しかし、瞬間 湯沸かし器のような思いつきで政治が左右されるようになってしまうと、 民主主義は持たない。 必ず自らの危機意識を持つ「官僚」が暗に政治を 支配してしまうからである。 失言で痛めつけられた総理は会見場面では 最近、透明な原稿表示板を使って読み始めたようだ。 100年に一度の 危機であるとすれば、やはりリーダーの身体の内から出る言葉で問いかける のが国民にも一番消化が良いに決まっているが、これも官僚が準備した 介護装置の一つであろう。

また、今回の危機対応能力は同盟国アメリカからも同様に試されているの は確かであろう。 間じかに迫るアジア戦略の大幅見直しと、その穴埋め の能力を日本が果たしてくれるだけの力量が現実に有るかを試す良い機会 に成った。場合によってはアジアの安定は中国に頼らざるを得ないかもし れない本音がチラついたかも知れない。 G20で次の消費大国が何処で あるかを暗に、中国は世界に知らしめたようだし、アメリカ国債を担保に した外交カードを存分に使える立場でもある。  国家の安全基盤がリース されている債権国家とは大違いなカードの使い方であろう。正確な日本語 で語りかけるリーダーの出現が待たれて久しいが、もうアジるだけや、投げ 出し型の2世のリーダーはご遠慮願いたい。 次の選挙は、国際社会から 民意の底力が試されている。

 
 
偽装大国
ムササビ(2009年4月1日)
 

世の中も変わったものだとつくづく思ってしまう光景が最近続いている。 当たり前のように田舎の道が拡がって居たのが「採算に合わないから止める」 の金子大臣や、やたらときらびやかな外壁で積みあがり、さも、富の蓄積 の塔かの様にビジネス街にそびえ立っていた本社ビルのGMも後数か月の 企業生命に思われる外信報道もある。

間際の税金点滴で生きながらえているGMの有り様を観るにつけて、同様 の寝返りも融通も利かない組織の仕組みが、この国の復活をも妨げている。 大局を論ずれば済む話を、目の前の財布の勘定や感情でしてしまう癖が 先走ってしまえば、ミクロもマクロ区別のつかない政治が正義と成り、信義 は彼方へと霞んでしまう。 近代民主主義のリーダーは常に誠実であるかが 問われて久しい。 誠実と思える大臣が君臨する官僚組織であるからこそ、 部下の官僚や公務員は誠実な行政を重んじる人材が育成される訳で、 もし大臣に誠実さが欠けていると判断されてしまえば、統括される下部組織 は自前で論理展開をし始める事に成る。  そこには組織を維持するための 大前提が有り、それは組織の為の正義に変質してしまい、公務の「公」は 異質な「幸」に他ならない。

「入るを計って出るを制する」財務の基礎が「出るを計って入るを制する」 に成ってしまった。 ニクソンショック以後に始まった根拠無きマネー資本 主義のバブルが峠を越えた昨年から社会正義の基本が揺らいでいるのは、 未だ根拠の無い紙幣で社会生活を余儀なくされている大多数の大衆がマクロ を考える思考に達していないからだろう。 常に働くことだけを正義と教え られ、富の蓄積こそがマクロの「幸」で始まり、引いては自身のミクロへと 再分配される筈であった事のマヤカシが剥がれ始めているようだ。次期補正 の「入り補てん」は、あの財投資金の出番になると聞いたら、遠ざけられて いたカネヅルを手繰り寄せてしまった財務省の復活であろう。

ILOが教えてくれたこの国の失業保険の給付率が失業者の3割しか貰え ない事に驚いた。新興国並みのレベルである事を聞き2度驚いてしまった。 経済大国であった筈のこの国に異変が起きている事を大衆が選挙前に気が つくであろうか? いや、気が付いても支持政党が無いのも新興国並み かも知れない気がする。 やれやれ....「このツケも一票からです」と言わ れてしまうと、うなだれてしまいそうだ。

正義を信条としていたはずのあの国もチェンジだそうだし、かと言って、やり 場の無い矛先を納める気にも成れない大衆のエネルギーは鬱積するばかりで ある。      海原を、きな臭く染め始めた周辺の事態への国家展開は 盤石な正義の基盤には程遠い事を現場の指揮官は嘆いているだろう。 迎撃システムが移動中に物件交通事故を起こしたそうだ。箱もの行政の矛盾 が国防にも在るとすれば、リーダーの格と資質が再度問われている。 そこには大局を論ずる事が重要である。

大衆が偽りの大国である事に気がつくためにも......。

 
 
リーダーの格
ムササビ(2009年3月25日)
 

今回のWBCが日韓大衆に与えた影響は大きいものがある。怨念のような ものを引きずりながらの日韓関係であるが、ワールドカップで国家関係の 基礎と成る国民感情が熟成され始めたが、前政権で冷や水を掛けられていた。 今回は、韓国が負けはしたものの、ほぼ同格の横綱対戦と双方の大衆は 最後の観戦をしていたに違いない。 試合終了後の韓国監督インタビュー に於いても、ソウルでの街頭インタビューも苛立った意見は見受けられず サバサバした感が漂っていたのが印象的だった。

やるべき人が沈滞していたが、対照的に脇役の活躍が目立っていたのが 印象的であったが、やはりやるべき人が決めた。 満を持しての一発が 集中力を高めていたイチロー心理を破裂させたとも言えるだろう。

一方の一郎氏は如何であろうか。 細川政権から続く政治仕掛け人の賞味期限にも限界があるようだ。選挙名人 と言えど、選挙は大衆のこころを掴むタイミングが重要である。 しかし 今回はどうも大衆感覚とのズレで政治の逆転敗戦で試合終了にも成りかね 無い事態である。 それは、大衆が素朴に民主党に求め続けているのが保守 でありながらも、クリーン度が高い政治である事を忘れている様だ。 法治国家であるから、法が支配している事は当たり前の話であるが、法の前 には「倫理」が君臨している事を政治が忘れてしまうと、大衆との間に溝が 生ずる。 法的には合法であっても、その姿勢が問われているのが、この 金融資本主義経済で世界にまき散らされている12兆ドルにも及ぶドス黒い 残渣である事を世界中が気がついたし、オバマも倫理をAIGを代表する 逃げ遅れた金融の残党に畳みかけているし、日本でも同じ感性が政治のリー ダーを含めて、各界のリーダーに大衆は求めている。

倫理が社会の主役になればリスクも大きい事は歴史が証明している。 内心に権力が手を伸ばし始めた時が民主主義崩壊への序曲である。その様な 事が起きないようにリーダーたるものは精神的な補強を常にしておく必要が 有る。 政治は常に倫理観を試される究極の職業であるからだ。これが いつの間にかビジネスに成ってしまっている事が問題が発生する本質に 他ならない。 権力から自由を剥奪した自由フランスの当時の民衆が今の 民主主義を観て、どう感じるであろうか聞いてみたいものである。

なぜ今「侍ジャパン」かを問われているこの国も同様である。

 
 
巣ごもり消費者に火を付ける
ムササビ(2009年3月23日)
 

TVを観ていると初めてお耳に掛る言葉に出会った。 昨今、意味不明な 国語らしきものが世に蔓延っている中で、またかと聞き耳を立ててみると 「巣ごもり消費者」とは我が夫婦のことですよと相方が笑って言い始めた。 何んとも、言い得て妙な言葉である。

そう言えば、休日ともなればこの半年以上は潜水艦のようにコタツに潜り込み ながら、カウチポテトビールをしながらの生活であった。 今年に入り、 やたらと気候の不安定さが続き、お陽様に巡り合う日も少なく、雨に恵まれた 日が多かった気がする。 昨年の夏から世間で騒々しくなった金融ショック は、もう2年ほど前から地方の片田舎には押し寄せていた。 どこの物とも 知れないようなディスカウント商品が山積みされた24Hのストアーに多くの 巣ごもり消費者が集まり、デフレの苦味を舐めながらの減り行く可処分所得 の残高を睨んだ生活が繰り返されている。  昨夜は、我が家でもあの交付金 の申込書が来た事が話題に上がって居た。 なんだかんだと言ったところで 無いよりも有った方が良いに決まっている「カネ」である事に間違いない。 おそらく、巣ごもり消費が出かけるとすれば大型の郊外ディスカウントSで は無かろうかと、ついつい思いを馳せてしまった。

百貨店の売り上げが11%近くも下がるのとは対照的にイオンや、イトーヨ ーカドーが低価格商品で消費を喚起したり、販売商品数を40%も絞り込む などを観れば、ビジネスモデルの変革が良く観えてくる。経済の教科書みた いな現象がここ数年起きている。 外需依存に支えられてきたGDPを内需 主導に置き換える良いチャンスがようやく到来したと思いたい。

次回の補正予算策定に於いては、今まで放置されてきたかの様な1次産業が 国家の屋台骨を強くする「骨太政策方針」を検討して頂きたい。持続可能な グリーン産業が黙々と果たしている経済的価値は数百兆円の経済効果を毎年 生産しているにも拘らず、何故か放置され死に体の有様である。 まさか、 政治が「おくりびと」をするとは思いたくないが、智の集積が官に無くなれ ば、「棺」を持ってくるとも限らない。

AIGに対してオバマ大統領や上院公聴会での発言を聞きていると、確か 昔に観た中国の「文化大革命」のつるし上げの空気と良く似ている。ルール を重んじる筈であった米国に起き始めたチェンジは何を意味するであろうか。 春闘報道で知ったが、トヨタのボーナスは180万くらいだそうだ。これで も作年からすれば大幅ダウンとの事。これを聞き、2割の産業がこの国の 収支を支えてきたのかと実感がした。混迷する米国では以前に金融開国を 求めたサマーズが再起した。 日本への彼の次の一手は内需解放に向かう だろう。 そう言えばグリーンがテーマの大統領だったなあァ.....。

 
 
ドル呪縛からの自立
ムササビ(2009年3月16日)
 

足元が大丈夫かと思えるほど脆弱なEUの財政基盤を強制的にG20は 立たせようとしているようだ。 なるほど、1位と2位が組んでしまえば この様な仕掛けも無きにしも非ずである。  泥酔会見は今回の与謝野新 大臣の出番で過去の話と葬り去られたようにも見受けられる。

英国財務大臣は心なしか取りまとめられた事を安堵したかのようにも観えた が、HF規制などマネー資本主義に対しての英国流の世界戦略は舵を切ら ざるを得ないかのような表現で会見していたのを観て、おそらく次の一手 を仕込んでから望んでいるG20を過去のしがらみとし始めたのかも知れない。 EUとは一定の距離を取って居ながらも、枠内での存在感を示す一流の 戦略が見て取れるし、拡大したEUの苦悩が読み取れる会見でもあった。

IMFに於いても西側資本主義システムの瓦解の始まりとして新興諸国に テーブルのイスを分け与えるようだが、長期的な戦略を得意としている 英国流の腹は2枚腹であろう事は容易に想像できる。

財政出動を柱に国際金融秩序を取り戻させる有様を観ていると、根拠無き マネーの亡霊が後に及ぼす後遺症も計り知れない膨大な残渣を振りまく とも考えられる。紙に印刷された「価値」への信頼の崩壊を回復するために 支払う大衆のエネルギーは予測できそうにも無いほどにバブル化するであろ うが、これも後世が甘んじて引き受けざるを得ない事でもある。

金融の歴史上、かって無かったゼロ金利政策を通って来た日本の経験則は、 確かな消費の引き受け手が存在してきたからこそ、内外収支が帳簿上では 正常な黒で埋められてきた。 しかし、対外の引き受け手を逃した成長は 国内の消費に頼らざるを得ない事に成る。  それは内需拡大と言う保護 主義色にも染まらざるを得ず、G20が唱える保護主義の台頭への批判と 同じであり、同じ串に刺さって居るバラ肉をどう食べるかの話であろう。

最後には自らの喉元を突き刺しかねない危ない話であるが、かと言って 最も効果的な需要創造の戦争を、敢えてこの機会に持ち上げるリーダーは 居ないと信じているが、冷戦後の国際緊張は局地化している事は間違いない。

金融システムの揺らぎは、新たなる国際緊張への増大へと到達してきた世界の 歴史が、つい少し前まであった事を忘れている政治家が多い。歴史に学べない 国は、新たなる歴史のページを生み出せないままに消滅しかねない。 EECから始まったヨーロッパの新秩序とアジアの自力が金融システムを 介して試されている。

 
 
揺らぎの漂流
ムササビ(2009年3月9日)
 

温首相の顔が心なしか緊張感が深く観えていた全人代の報道画面だった。 「今後の1年は中国経済にとってもっとも困難....」の演説フレーズには 並々ならぬ決意が漂ってるのが表情からも見受けられたようだ。

10%超えの経済成長率を維持して来ながらの国内格差拡大は、中国経済に とって大いなる時限爆弾を内包しながらの歪な拡大成長であったが、今回の 国際金融騒乱で、その爆弾の導火線に火が付きかねないと中南海は危機感を 意識しているのだろう。金融騒動以後の失業者が2千万人を超えたようだし 、今後の学卒者は膨大な数を控えている。  社会主義経済での失業は政治 の命取りであることは言うまでも無いし、失業は資本主義の裏の現象である のを思えば、中国で失業者が増えて行く事は、他ならぬ社会主義の瓦解をも 自らが意味する事にも成りかねないと中南海は重々承知しているからだろう。

国際金融騒動は、色んな今までの国際政治体制の矛盾を露呈している。 ようやく、ベルリンの壁以後の揺れ動く不透明な国際緊張のバランスが終焉 に向かう過程での最後の仕上げとも言える事が世界中で、さも火山の噴火前 の如くブクブクと湧きあがっている。 中国のインフレ目標4%、25年 ぶりの株価や基軸通貨の揺らぎなどが示す事の意味は、深くてドス黒いモノ を国際漂流させている。

その国際緊張の中で国民の支持率が極めて高い指導者がプーチンでありオバマ である事を見ると、新たなる冷戦の始まりとも予感できる。いま、この国の カネを二人の指導者が虎視眈々と見つめている。 しかもモスクワからの視線 は、国家資本主義を標榜して止まない指導者である。 中国のこの数年間の 動揺を予知しているのだろう、太平洋への出口の要と成る日本へもうすぐ 彼はやって来る。 資源大国と言われるが、その生産力は峠を越えている事 を承知している彼の次なる手は、生産コストが高止まりしている資源の口 を開かせるために必要なカネと領土とを天秤に掛けてくるのかも知れない。

足元を見られた中国から資源単価の圧縮を求められている「北の熊」の 次の一手は?。     さて戦う事を忘れて久しい柔道の本家が彼に堂々 と立ち向かう事が出来るだろうか?心配でもある。 外交に於いても、国防 に於いてもカネを担保にして動かざるを得ないダルマのような国家の存在は、 何故かダルマの中にいる大衆には理解されていない。せめてマッカーサー が仕掛けた呪文が解ける日まで経済大国でないと担保価値も無くなってしま いそうだが、国外からは追証とセフティーネットの代償の追加を求められて 久しい。

国家の存続には、あの何とも可笑しなゾンビ再生法の「チャプター11」や この国の民事再生法は適用できない。小生が生まれた1952の講和条約時の 思考停止状態が「北の熊」との間に妙に続きながらも存在し続けている。 英国流の国境間に緊張感を配した世界戦略に支配されてもうすぐ還暦が近い、 そろそろ、世代や枠組みの鮮度に限界が観えてきたと静かに思う大衆が増え ているのだが.......。壊したくない人たちも未だに存在している軋轢がある。

 
 
政治の重量感と勉強代
ムササビ(2009年3月2日)
 

リーダーが言葉の重みを軽んじて使うと言葉から逆手を取られることがある。

総理番記者を前の会見で、石原議員が新しい議連を立ち上げようとして いるが、どう思うかとの質問に対して「ゼンゼンいいのでは無いか」 と回答していた場面を観て唖然としてしまった。 「全然」は否定的であるが、続いて「良い」と肯定をして、その後 「ないか?」とぼかしてしまった....はて?総理の真意は如何に? である。 「まったく問題はありません」若しくは「問題です」 と、場面によってはハッキリ断言する言語力が不足していることは、 リーダーとしての真意が国民に伝わず、どうにでも解釈できる不安定な 余地を危険区域として増殖させている。

オバマ大統領との会見後の記者団とのやり取りが深夜にBSで流れて いたが、大統領を指して「よく我が国の事を勉強している」「信頼に 足りる...」と言い放ってしまったが、翌朝の画面にではカットされていた。 中川元大臣の会見醜態が冷めやらぬ時にも関わらず、「えっ!」 と思える発言であった事を思い出す。 あんなことを言われてしまえば せっかくのランチも辞めた!と大統領側近が言い出しても不思議では無い し、首相機関説が出てきても不思議では無い。

「国益重視の政治」をと就任会見で言い放った総理の今の心境を考えると どう変化し、どう変化していないかを伺ってみたい気がする。 「変わったほうが良いのでは」と内閣の屋台骨を揺さぶり続ける党内勢力 と、変わるに変われない野党の力の弱さは、小沢氏のこの数か月の行動や 発言で大衆は見透かしている。自民党支持が増え、支持政党無しが増殖する 異常事態は間接民主主義が崩壊している事をいみじくも語っているし、 「霞が関内閣」である事を証明しているに過ぎない虚しさがある。

「互助」を捨て「市場淘汰主義」を標榜した時期があったが、いまさら 「ワークシェアー」に戻れと言う身勝手さにはいい加減にしろと言いたい。 互助の流通は消費者にとっては高コスト仕組みと映るが、壊してみて解る 回りまわる仕組みの長期的な重要性があることに気づく。

グローバル少数資本主義が食い散らかした残渣に世界中が悲鳴を上げている。 国益を考えてどんな政治を長期的に行うかを「宮沢内閣」時代からこの国は 問われ続けているが、その為に支払った勉強代と言う「国富」は大き過ぎる。

 
 
底抜ける時の恐怖
ムササビ(2009年2月25日)
 

厚労省から年金の将来像らしきモノが出てきたのを観て鬱に成ってしまった。 まったく将来予測のベースに成る基準点が不可解な点があるからだ。チョッと 前の坂口大臣が「100年安心年金」だと声を高らげていた事を思えば、 今の心境を如何か?と訊いてみた気もするのは小生だけであろうか?

そもそもインフレ経済がベースで考えられた年金保険システムであるのに、 長引くこのデフレ経済では相容れ難いボタンの掛け違いが国営システムに 寄生している事は、多大な弊害が国中に蔓延っている。  にも拘らず根本から治療出来ないでいる政治が酩酊し続けている。   ガラガラポンと正面からぶっ壊す事が最短で最安価な方法であるが、 誰もこの禁じ手を使おうとは考えないであろうが、治安の不安定さが 静かに増してきたこの十数年では考えられなくも無い風が吹き始め たことを社会の中で時々感じてしまう。

今夜未明にオバマ大統領と会談する麻生総理の心境は如何にである。 支持率も60%台の大統領と1ケタ台の総理とではあまりに格差と言うか 後ろ盾に成る民衆の声の量が違い過ぎる。就任演説で200万人もの量を 集めた人と、会談前の保守王国青森での総理講演会で空席が目立った総理 とでは、国民として歯がゆいが、違い過ぎると言わざるを得ない悔しさが はびこる。 酩酊会見や、言い間違い答弁が画面を賑わす異常事態が さも、よそ事のように伝搬している不思議さがこの国で起きている。

就任早々に大判振る舞い予算を短時間で実行できる状態にしたオバマ大統領の 議会関係者との礼節をわきまえた説得活動などは、今までと違う米国政治文 化の構築を目指す意志の現われであろう。外交にしてもしかりで、新たな 米中関係の構築をクリントン長官に託して米中双方の国益を確認し合った 事は言うまでも無いだろう。

日経株価の底抜けと、円為替の底抜けは、他ならない内閣への政治力不信 と国家パワーの底抜け感を諸外国に伝搬しているからである。  この状態が長引けば、国家の屋台骨を揺るがすような事態にも成りかねな いし、代わりと成ってくれそうな強力なリーダーを大衆が望み始めると、 そのエネルギーは限りなく不安定な社会情勢へと移り行く気もする。  恐慌は人の心から産まれて育つ事を思えば、あまりにもすべてが順調に 育っていると感じてしまうのだが.....。誰もまさか恐慌への引き金を この国が引くとは思って居ないであろうが、第2位の経済大国が間違い なく底抜け始めている現実がある。戦略無き実験国家が昔あったと 何処かの国の歴史教科書に出ないとも限らない。

 
 
最大被害者の沈黙
ムササビ(2009年2月20日)
 

酩酊会見が世界中に配信されたり、首尾一貫した言動をとらない元総理や 現総理の問題が国内を掛け巡る事を、収支バランス的に考えたら誰が得を していて誰が大損をしているかがよく観えてくる。

今までの、新聞記者と政治との記者クラブや大臣付き記者等の馴れ合い報道 や報道各社が当たり前のように、知り得た情報を手前みそに加工して、配信 したがる事が異常な事だとは思って居なかったのであろうと思えるローマでの 酩酊会見騒ぎであった。 画面内に居た大臣も、日銀総裁も、財務官僚も、 予定通りの質問を並べて質問をする記者連中連中もすべて含めて異常と正常 の判断をする客観力に麻痺が在ったと言える。 この会見場で、正常に動いて いたのはAP通信のカメラマンだけだった事に成る訳だが、これを配信されて 見せつけられた国民に起きた感情は「敗戦」の時のあの感情にも似ている。

国益を最優先にしない政治家や官僚がこの国の中枢に居座る事の異常さを この十年以上国民は見せつけられながらも、「米百表」で耐えてきたつもり だったが、いつの間にか平手打ちを食らってしまうような国家の中枢の 酩酊振りが劇場以後続いている。

クリントン長官は、もっと話題に上がって居たかったと思いながら日本を 発ったのだろうし、彼女が何故あえて日本を外交のスタートにしたかを マスコミは分析しない。 取れる約束は完ぺきにこなしたと彼女は微笑んで タラップを上がっていったようだ。

国家の中枢が、酩酊する状況が続き過ぎて疲弊する大衆と、所得や年金が 別枠で確保された公務員との意識の乖離が引き起こす「分断社会」の危機が 今そこに迫っている事を誰が感じているであろうか?突発的な医療費への 負担を心配し始めた庶民が急増しているし、需給ギャップは広がり行く デフレの再燃に繋がる危険があるのに、危機が強固なファイヤーウオール で遮断されている公務員にはピンボケ状態であるのは異常な状態に他ならない。

兼任大臣与謝野氏が「底抜け」の可能性をほのめかしていたが、底は抜け 始めたと思える状況が地方から湧きあがって居る。政治のつけの最終支払者 が庶民の財布に及ぶ事は誰も変えられない事に気が付いていない。 不思議な国に成ってしまった。

 
 
影の受益者
ムササビ(2009年2月16日)
 

TV画面に流れる情報で観る限り、小沢氏の行動を?と感じている大衆は 結構居るのでは無いだろうかと思いきや、一夜にしてクリントン国務長官 と合うらしい。  以前はシーファー大使との会談でも?が有ったし、 今後、アジアでの外交を考えればインド首相との会談の?も、妙に?? と映ってしまう政治感覚が大衆に伝わっている。 まして、クリントン長官と会談できない原因が次期衆議院選挙に際しての 地方応援だと画面で流されていた本音を観て呆れてしまった。 どうして 会談しないのかを司会者に問われた民主党議員から歯切れ良い回答は 出来なかったら、次の日には合うと言う画面に出くわした。 麻生首相も真意が伝わり難いコミュニケーションをしたがるが、片や 次期政権を目指そうとしている党の代表も解り難い行動を大衆に与えて 止まない。 選挙を早くと期待を促すかのような政治行動は野党には 観えて来ない不幸が今、国民に重く圧し掛かっている。

この民間国民のフラストレーションの高まりに政治に打つ手が無いのは 国会の人材不足に他ならない。 政治家にしても、行政官にしても あらゆる公務員に於いて国家と言う枠組みで考える事を訓練されて 来なかったこの国の悲劇が有るのだろう。  表向きの国家予算と、特別会計で国民の眼から隔離されてきた裏の 予算の取り合い軋轢が今まさに三つ巴の様相で観えてきた。

このコラムに書き始めたきっかけが当時政調会長だった山崎拓氏が 「日経12,000円は死守する」発言だった。あれから7,000円台が有り 18,000まで上がり、また7,000台に成って来た。この20年で何人の総理が 居たのだろうか? ただ、この政局には必ず小沢氏が黒幕で居る現実が 有ることは誰もが認めている。 この混乱した国のエネルギーをある方向 へと向かわせた小泉氏も居た。「郵政民営化」が争点に見せ掛けたが 真実は、特別会計の金庫である郵便貯金に他ならなかったのに、何故か 正確な争点をぼかしてきた政治が有る。

この国の最後の資源「郵貯資金」の利権を巡って悲しい取り合いが 成されているのに国民大衆にとっては何らの打つ手が無い不幸が漂っている。 総務大臣も「勘」だそうだが、事は「かんぽ」程度の話では無いのだが 誰も語ろうとしていない。オバマ大統領は日本の失われた10年を 引き合いに出していたが、グリーンスパンは以前から十分過ぎるほど この問題の暗闇が制御不可能な世界であるかを承知していたし、 現にクラッシュさせる事で国益を守ったのだろう。

以前に麻生氏の総理就任発言で「国益を守る」と発言されたのはこれ等の 多くの問題を含んだ国民が知らない世界の問題が鬱積しているとすれば 麻生おろしの裏に潜む権力の闇が垣間見えてくる気がする。この取るに 足らない総理の発言をやたらと流布して回るマスコミに仕掛けられている 寄生虫のウイルスは、大衆の鬱感に比例してメタボ化している。 今まさに民主主義が変化している大きな時代の転換点であろう。

 
 
機能しない話
ムササビ(2009年1月26日)
 

「機能する政府」とはオバマ氏が就任演説で語った中で私に一番響いた 言葉であった。 政府としての形が在るのと、政府が本来の役割を機能的に 果たしているかは全く別物である。  彼は就任演説と言う最も機能的に 国民が受け入れる事が出来る瞬間に、このキーワードを配した事で今から 何をしたいかを国民に、何をしていくのかを役人に伝えたと言える。

100日が今後の彼の行動を試す時間である事は間違いない。  また、彼が大統領在籍中に何をしたかで米国に於ける人種問題が大胆に 変化することも間違いない。 これほど多くの課題を荷なって産まれた 大統領はワシントンやリンカーン以来かも知れないと思ってしまう。

かたや我が国では「派遣切り」などと経済の一面にのみ集中したマスコミ 報道が目立っている。 国際競争で暮らす企業には世界時間と為替感 が必要だが、国内で活動している企業やそれ等に関係する企業には 国内時間で計る時計と、変わらない円に守られた議論に陥る罠と 動けないジレンマがある。 派遣切りなどすれば生産が落ち込み収益も 落ち込み、果ては事業を縮小せざるを得なくなる訳で、経営者としては 縮小などは、したくてする筈も無いのだが、マスコミは浪花節のような 視点でしか論じていない。あの昔の円高不況での為替マジックで潰れ去った 中小企業は計り知れなかったが、まさにまた同様な為替不況が始まっている のに症状である「派遣切り」や「消費税」のまやかしの話題が画面を 賑わしているに過ぎないだけで、 今まさに、機能する三権と言論を を我々が持っているのかが国民全体に問いかけられているのだろう。

急速に萎み行く「信用創造」が次に何を仕掛けて行こうとしているかは 歴史を観れば自ずと判る話であるのに、政治も官僚も果ては国民も サブプライムが原因だと、訳の解らない話に自己責任を転換し続けている 愚かさが在る事に気が付いていないようだからおかしな国である。 戦後の高度成長の蓄えに手を付け始めて15年が経ったが、今年からは 今までの10年分がせいぜい2年分に相当して行くのだろうと考えると 暗く落ち込んでしまいそうな気分である。  新大統領が「一部の貪欲な 愚か者」と括ってしまった人たちに、今何を思うかを尋ねてみたい気も するが、「一日で消費する時間は君たちと同じ量だ、使い方が....」 と言われそうでもある。「機会費用」を唱えたドル札の彼は笑っている。

 
 
大衆娯楽
ムササビ(2009年1月20日)
 

たまたま観た昨夜のTV番組で、タケシが巧い事を言っていた。 与野党の政治家が官僚の行政手腕の手玉に乗せられ続けて振り回される事に 不満タラタラと放言しまくる番組の中で「結局、国会内では自公が与党では 無くて、官僚が与党で政治家が野党なんだよな!」と言ってしまったのを 観ながら、なんとも上手い表現をするものだと感心してしまった。

経済は一流、政治は二流と言われたのは、もう35年も前のようだが、 はて、どうして今でもこの仕組みが変わらなく続いているのかを、ふと考え てみたら仕組みそのものに国の文化として馴染めない形が有るのかも知れない と思える気がしてきた。 300年近くも徳川幕府で太平の世を過ごしてきて 平和の配当を、あま無く受け続けてそれなりに各階級社会では平和の上で 成り立つ文化が醸成され、大衆もそれが当たり前と信じ込む心理の素地が 固まっていた。維新とともにその体制がひっくり返りながらも形の上では 将軍が天皇に変わった形で政治の実力部隊は官僚であったり軍部であり、 それを指揮する上部階級であった。 それが敗戦とともに組織だけは残り 外形は民主主義に置き換えられたから、国の形の内の組織と外の景色に 整合性が少なく、果ては国の形に「無理」が生じているのだろうと思える。

これを薄々感じている大衆にとって今年の9月までは色んな思考を巡らす に取って貴重な時間であろう。総理のメルマガを読むと至る所に「変」 が有る、オバマ氏の言う「変革」の変では無くて首を傾げる「変?」 の方で、「太郎チャンネル」、麻生太郎です!で始まる「携帯着信音声」 などなど、ノリでやってる総理としか思えないものが多すぎて政治の 緊張感を希薄化してしまっている事に気が付いていない総理幕僚が居る ようだ。 一方の小沢氏も「国民の国民による国民の...」などと どこかで聞いたフレーズで言い始めたからたまったものでは無い。

TOPリーダーである筈の二人から「しびれる様な言葉」が出て来ない のは、明らかに「無い」からであろうし、二人とも相手にしているのが 大衆では無く「行政官僚」であることが明白であるのが、ツジツマ合わせの 言葉をつなぎ合わせると良く解るようだ。 政治には演出も大事であるし、 実力部隊である官僚を統制指揮する力量も強力なものを持つ必要が有る。 しかし、小泉氏のように「大衆を浮かせて乗せる」言葉こそ政治家の 最大最強の武器である事を日本の政治家が忘れて久しい。

票と言うマーケットリサーチを怠って居る政党と、敏感にそして地道に 積み上げている政党との票差は大きいが、支持され無い政党の理由が 何かをコツコツと駆逐している存在に気が付いていないとすれば、 食われる側と食う側とでは、ある瞬間からその力関係が加速するだろう。

練りに練って大統領への階段を上り続けているオバマ氏のブレーン達が が過ごしたこの4年間も終わりが近い。同じハウスでバトルし合うのが 議論だけであって欲しいものである。 大衆の力をマザマザと見せつけ られたアメリカの政治力学であった。「政治は大衆娯楽の極み」 では無いかとオバマ流を観ていて感じてしまう。

 
 
KYの意味する事
ムササビ(2009年1月16日)
 

KYとは空気読めないと言う意味らしいが、離党した渡辺氏は正しくKYで あったかも知れないと言う場面に出くわした。 地元の支持者を前に 「離党も辞さない!」とヤジった瞬間の会場の空気が読めなかったの だろうが、時すでに遅しであった!と観える場面がTV画面に出てきた。 声高らかに、離党宣言を出したまではカッコ良かったが、、その後の 彼の動きを執拗に追いかける画面にあまり出くわさない。彼がTV画面の効力 を頼りすぎたのであれば、この時点で負けである。

彼が、熱弁をふるった会場の空気は、彼が離党も辞さない!と言った瞬間に 割れんばかりの拍手で会場が熱気に溢れたのであればマスコミ画面はその後 は違う経緯であろうが、画面を仕切る側にとっては、パラパラと出始めた 会場からの熱弁に対しての拍手が何を意味しているかを瞬時に悟ったと観え た気がする。 もしかしてKYとは「軽い奴ら」との裏意味があるかも....。

最近の大衆は政治の本質を見抜いている。政治家の一発芸に浸って良い 時には、それに準じて遊びの時間も持ち合わせ、しかし緊張を求められる 瞬間はそれなりに、大局を見据えた判断を下している。  今の世の中、虚と事の違いは大方で大衆の大半は理解しているのであるが そのレベルに達して居る筈が無いと、たかを括って居る政治家が多いのが 一方の現実の政治でもある。国際社会の流れと現実の国内政治の不安定さを 苦々しく感じている大衆も五萬といるのだが国会での茶番騒ぎを観ていると 官僚に、大衆に愛想を尽かされても良さそうな政治家も五萬といるようだ。

つい先日、ファシリテーターと話す機会があったが彼が上手い事を言っていた。 今回の定額給付金騒動に対してだが、 「在り方がブレたから、やり方がブレる」と言っていたのを聞き、なるほど! とうなってしまった。 リーダーの発言はそれ程に重い意味を発している事を 肝心のリーダーの意識が無い様にも観えてしまうような失言の大安売りである。

一方では、オバマ新大統領の就任を心待ちにする国際社会が在るのを観る につけ、大衆をのせ続ける事が出来る言葉の賞味期限と、彼を待つイバラの 外交と経済との舵取りの手腕を期待を膨らませて待つ世界の大衆感情の 大きさを日に日に感じる毎日である。

 
 
降って湧いたカネ
ムササビ(2009年1月6日)
 

仕事始め草々、突如として2億円を自治体の裁量で年度内に使っても良い! と言われてもと愚息が頭を抱えて帰って来た。   宝くじにでも当たったのかと聞けば、これには裏が有り、補正予算が無事 通過したらで、しかも今年度内に消化する事だそうだから田舎の自治体では 大騒ぎをして使い道の段取りを始めたそうだ。    なるほど選挙絡みの餅撒きかと勘繰ってしまいたくも成る話である。

こんな調子であれば、霞が関の内向きの連中に振り回されてしまう議員が 多い事が良く解ってくる。 小さな特殊自治体の議員をしていると色んな タイプの同僚に出くわすが、たいていの同僚がする事が、話はデカイが 実際にやってる事は自分の身の回りの小さな事が殆んどである。 どうやら、議員と言う人種に区別されると規模の大小に拘わらずに 似たような傾向に行かざるを得ない人が多いのかも知れない。

時々、言ってる事と、やってる事が整合性が有る議員に出くわすが、彼らの 多くに共通するのが優秀な行政官を味方につけているし、良く問題の本質を 掘り下げて勉強している。そう言えば、あの、角さんの周りには大蔵官僚を 筆頭に彼のフアンが多かったことが思い出す。結果としてそれが彼の政治人生 の仇と成ったのだろうが、リーダーの在るべき姿の一端が、伺い知れるのも 事実である。 当時は官僚に限らず、取り巻きの記者連中の中にも多くの ファンが居たのもまた事実である。

正月の総理の記者会見を観ていると、質問時間に手を挙げた記者がいなかった のを観れば、明らかに記者クラブと根回しをした会見であった事は明白で あった。 緊張感のかけらも無い記者会見を観ながら、今年は大変だと 考えたのは小生だけであったろうか?

今年は正月から総理のリーダーシップが何かを考えさせられた。 国民は書き初めを観たかったのでは無い、リーダーの本心を観たかったの だろうが、肩透かしを食らった気がした。しかもそれを追い詰める質問も 出ない記者達であれば、国民を代表して質問した気分でも無いのかも知 れない。 地方に降って湧きそうなカネの本質を、捻じ曲げられた 政治情報で鵜呑みにする記者に真実を探求する術は持ち合わせていない のだろう。言論が赤字に成るはずである。

 
 
煽りの代償
ムササビ(2008年12月29日)
 

「変」が今年の文字とすれば、来年は「動」かも知れないとコタツに 入って想い考えてみた。  戦後から永く続いた保守政治にも転換点が 来年は来るであろうし、それに従い国内経済の不安定さも増すであろう。

戦後からの一党支配政治がもたらした影響は功罪が限りなくあるが、 やはり、その政治基盤と成ったのが冷戦構造からの福利であり、今も 続いている日米安保の基盤である。 経済安定のために安全保障が存在し 、その経済システムなどの権益保全に果たす沈黙の役割はまさしく 「縁の下の力」である。 しかし、キッシンジャー国務長官時代の70年代 から、米国の軸足は中国へ重心移動しているのは明らかであるにも拘らず 、日米安保が健全に機能して居る筈と思いたい国民が多いようだ。

時間で煉られる外交戦略を定点観測していれば、こんな事は時間の風化で 置き去りにされた条約であり、今では米国国債の担保条約に他ならない ことは明らかである。条約のシステム疲労に耐えかねた米国が美味しい限 りに食べつくしている限り、張りぼて条約である事が近隣諸国にも、 あからさまに映し出されてきたこの数年ほどで、国内事情にも変化が起き ている。 防衛庁は省に成り、海外派兵の実績はソマリアへと拡大していく。

対立を煽り、その果実を利殖し続ける事で帝国没後も静かに栄え続けている 「英国流」の外交戦略が世界経済のあちこちに密かに君臨して居る様を 観るにつけて、デジタルな欧米資本とアナログな東洋資本の違いに思想 宗教的背景が有る事も作用しているのだろう。 そこには、広がりゆく 国防と権益システムの行く手に忍ばせられている地雷を探知する「外交知力」 が欠かせない事は歴史が教えている。 あの戦争が起きなければ成らなかった 事実の積み重ねを検証させなかった日本人の心の呪縛が解き放たれる日も 近いのだろう。 そう言えば朝日新聞は創刊以来初めて赤字に成ったそうだ。

情報は仕組まれる事はあるが、作られたものは、ばれ易い時代に成った と言う事かも知れない。情報バブルの時代に国民の感情に手を突っ込ん でいる輩が居る事を多くの国民が見落としてしまっているかもしれない。 景気の回復は、チョッと前は「リストラ」と「海外移転」に始まった事を いつに間にか忘れてしまって派遣切り非難の嵐が画面を飾って居るのを 観ていると、次に収益の源が無くなっていくのが何処かは明らかである。

 
 
18年ぶりの買い越しから連想する
ムササビ(2008年12月22日)
 

個人投資家が熱いらしい、投資主体別株式の売買動向を累計すると 今年はターニングポイントを回り始めた年に成るかもしれないようだ。 著名な海外ファンド投資家はダウ平均4000$もと語る中に、国内個人 のトレンドは少々違う様にも映ってくる。 秋以降の雇用需給ギャップ の影響が今後の国内株式市場の売買トレンドに少なからぬ波を立てるのは 致しかた無いが、このトレンドの裏にあるものは何であろうかと思いたい。

こう考えてみた。 この15年ほどで経験した日本人のデフレ経済心理への 対応力が、今から始まる国際金融デフレに対して打たれ強い筋力体質に 変化しているのでは無いだろうか? 東証での外人資本がいつの間にか 50%を超えるように、コテンコテンに打ちのめされながらも耐えながら 勝機の熟する時を待ち望んでいたとすれば如何であろうか? なにをアホ なと言われそうだが、バブル崩壊後に無くして得たモノもバブル並みの 価値があった気もしている。 

国際経済的な運も味方したのであろうが、蓄積していた内部資本の使い方を 2度と政治や行政の在り方を含めて国益が損なわれない様にしていただきた いものだ。 どうも来年からは日中韓を繋ぐアジアの年に成りそうな感じが している。 西洋に「個」より、東洋的な「群」思考がキラリと光るような 気がしてならない。デフレ先進国、ゼロ金利先進国の後を世界が続いている。

 
 
首相メルマガからの連想
ムササビ(2008年12月19日)
 

「内定取り消しにの対策として、企業名の公表を」と麻生メルマガに綴って あるのを読み唖然としてしまった。 チョッと前まで企業の過剰雇用や 過剰なコストが国際競争力を落としている原因であるとして、リストラの 4文字が社会に広まり、雇用調整の為の終身雇用体制が終焉し、雇用機会の 均等だとか、個人にとって自由な雇用関係だとか、いろいろな社会仕組み の変更を行って来て今が有るのに、その仕組みを利用して流動的な雇用関係 で国際競争をして外資を稼いで「いざなぎ超え」を果たした輸出企業が いつの間にか、悪人にされそうな気配である。

いま、あちらで騒がれているUAWのような企業力を弱める雇用関係が つい最近まで日本にもあった事すら忘れているのだろうが、この15年で 輸出企業の市場性への感性は鋭利な感性で培われてきていた。企業の 存続自体に匹敵した事態であったこのチョッと前の時代を、海外への 市場拡大と事業移転で克服してきた自動車産業を代表としている企業に は、この数か月の国際情勢へと対応危機管理能力が十分に作用していると 思える。

マスコミも、この雇用仕組みを画面上で、グッドウイルだ、ITだ、 ライブドアだと横文字で賑わしながら視聴率の商売をしてきたにも拘らず、 手のひらを反す有様を見て報道画面が、いつの間にか芸能画面にすり替わ って来ている。真相を掘り起こし伝えるのが報道であるが、日々のドタバタ をカネにしているような写真映像報道には弊害あって一利無しであろう。

本来、企業を担ってきた人材を温存し、景気対策補助員としての期間従業員 を使う慣行が昔からあり、労使の互いが助け合っていた習慣の上にのっ掛った 派遣システムがいち早く雇用調整に先んずる事は当たり前の世界である事を どのマスコミも報じない不思議さが有る。

私と同じ業界のアメリカの木材会社マクミランやウエハウザー社などは昔から 国際市場で木材が売れない時には、すぐにレイオフをして生産調整をして 過剰生産から来る価格の下落を避けてきたし、OPECが減産する事も 同じ事である。それを急に「稼ぎ頭だ」と褒め揚げた途端に「悪人だ」 「見せしめだ!」と言われると、まともに国家を考えたくも無くなる企業が 出てきても不思議では無い。 目先をいじくるかのようなメルマガを読んで 行くうちに危機管理能力が頼りなく情けない政治が漂っている香りがする。

 
 
ハローワーク異変
ムササビ(2008年12月16日)
 

新規事業の考えもあり、人的資源の育成のためにハローワークに人材募集を お願いしたら「ありがとうございます」と返事された。 「へ〜役所も 変わってきたのか...」と思いきや、やたらと募集案件への電話が毎日続いて 少々嫌気もさしてきた。 募集に際しては年齢制限はダメ、男女の仕分けも ダメ、ダメダメ駄目のオンパレードであるので、問い合わせに際して、 当方の募集詳細を読んでしているのかい?と問い掛けてみたくなるレベルの 多いことには呆れてしまった。それにしてもこの田舎でさえ職安のフロアー は熱気で溢れているそうだから、なんとも違和感が有る。

男女雇用機会均等や個人情報保護とか、やたらとオープンな関係を求めたが らない法の縛りで、逆に雇用機会の効率的な接点が希薄化されている事に お役人や政治家は疎いようである。職安の職員には人的資源の流動化を 効率的にマッチングして、社会への貢献を果たし、雇用ミスマッチングで 発生する無駄なエネルギーを使わない事などの環境意識は全く見当たらない。 CO2削減などの大きな話は、いつの間にかサブプライム八りケーンで 吹き飛んでしまった感が有るようだ。

それにしても、米国UAWとサーベラスが持つクライスラー絡みのビック3 の行方を報じているマスコミの姿を見ると、失われた15年の火付け役の 足元に、そもそものマネー資本主義火災の火種が有った事が浮き彫りにされ て見えてきたようだ。 挙句の果ては中国資本がGMの買い手にもと言われ ると、国際政治の世界での貸し借りも有りか?と思えてしまう。

泡市場から急激に逃げた確定資本が、そのうち出番を狙い澄まして待機中で あるとすれば、デフレ先進国日本が描いてきたこの15年が国際時間で、 どれだけ短縮されるかが決め手に成りそうな気配である。次なる泡を何処に 仕掛けるのか知る由もないが、究極のインフレはできれば避けて頂きたいも のだ。 「変」が今年の文字だそうだが、事変の変であって欲しくない。

 
 
支持率と視線と一票
ムササビ(2008年12月11日)
 

内閣支持率の低下が日々に画面を飾っている。 しかし、何故か総理大臣にどちらが相応しいかを見てみると、意外と 国民の心理が浮き彫りに成って来ている。麻生、小沢の両政党TOPの 総理としての期待度は20%ソコソコで、ほぼ拮抗している。

大衆は、とにかく現状を変えてみたいが、かと言って小沢氏ではダメと 考えているのだろう。ここに至るまでのこの数年の民主党の迷走の蓄積が 今と成って民主党躍進の足かせに成っているにも拘らず、党内部で新しい 息吹が大衆に感じられずにいる。 小沢氏の次に誰が控えているのかを アナウンスしていないもどかしさが民衆党が野党としての存在感が無いこと と連携していないのではないかと思う。 つい最近、共産党の広報看板を 観て驚いたが「アメリカ追従をやめる」がキャッチコピーに成っていた。 もしかしたら、若い世代の中には日々流れている日米関係から繋げて連想 すればすんなり受け入れ易いとも思ってしまった。   ふと立ち止まり、56歳にもなっている周りを見渡せば、終戦後の混乱時代 の共産党のイメージがかなり少なくなっている事に気がついた。

そう言えば、TV画面で以前の帝国主義反対とアジるKYな国会議員は居 なくなっているし、なんでも審議拒否の低級野党路線一線を画して、 近年は党のソフトイメージ戦略がかなり大衆感覚に近づいているのに気が ついた。時間を掛けて壊れて行く保守とバランスし始めている共産党の存在が 今後の政局に影響を与えるかも知れない。

リーダーが将来を見据えた視線で語らなくなると、大衆はその視線の行方を 敏感に感じ取る。 麻生氏も小沢氏も未来への視線を感じられないから大衆を 感動させられないジレンマがある。 吾の想いを言葉で伝えるのが「語」で あるなら、なんとも言語能力が貧困な二人である。小泉劇場で何も学んで無 かったようだ。一点を見据えてアジられた結果が今でも彼の再登板を願う 数字が存在している証拠でもある。 個人票の集大成が民主主義政治で あれば、大衆の想いを察知し味方に無ければ安定した政治は望めない。 政治家と大衆どちらにとっても、不幸な連鎖が劇場以後続いている。

 
 
サブマリン投資
ムササビ(2008年12月1日)
 

しばらくご無沙汰をしていた証券会社が急に騒々しくなってきた。 なぜか急に戸別訪問営業を仕掛けてきたのだが....知人の経営者が 不思議がっていたのを聞き、君のところへもかと言葉を飲み込んだ。

サブプライムと称されているが実態は世界恐慌に入っていたと、のちの 歴史学者は書き添えているであろうこの21世紀初頭経済の津波が地方へと 伝わり始めている。 鳴りを潜めているHFに替わるマネーの貸し手の つけを地方の個人投資家に手を擦って証券会社の営業マンが仕掛けている。 大手事業会社は、転換社債を仕掛けて資金調達しようともくろんでいる らしいが、投信で傷んだ個人投資家は冷やかな目線でこれらを見ている。

大損をしたと嘆く知人が多い。 なんでそんな投資をしたかと思えるほど 幼稚な仕掛けの投信販売に乗っていた経営者が多いのを垣間見て、個人が 狙われる日本のマネーの流れに一段と疑問を感じてしまう今日この頃である。 トヨタやホンダなど自動車産業進出で潤っていた九州地域経済にも暗曇が 急速に広まってきた。 なにしろ、国家を問わず財布の中身が突然に 軽くなって、債務が重く圧し掛かってきたのだから青天の霹靂であること は間違いない。 15年前に時間が戻ったのだろう。

ところが、この混乱に乗じて着々と資産の積み増しをしているのが、 住友林業である。 国内の森林価格がこれ程安くなったのは聞いた事 が無い。 林産物にしかり、それが植栽している山の価格に於いてもしかり である。日本では古くから投資の基本は山にある。木は植えてから、 しばらく手入れをすれば、地球の環境がほぼ育ててくれる。確実に年輪の 成長があるからだ。  里の経済が如何にうごめいても、関係なく黙々と 成長する。この当たり前の話だが、今まではマネーの行き場として認知 されてなかった。   これに、静かに、かつ少ない投資で大きな収穫 の準備をしている住友の「サブマリン投資スタイル」を観て、 唸ってしまった。いつの間にかこの数年で社有林が25%も増えていた事 を知り、投資とは何かを今一度学習した気分に成った。

アイスランドマネーに手をつけた知人が、なんでもっと足元の価値に 気付かなかったかと苛立っていた様を見て、手の届く範囲の投資を確実に 積極化する企業を見抜くことこそが投資の基本だと、つい口走ってしまった。 社債の引き受け手を探しまわる営業マンの愚痴も、そろそろ聞き飽きた。 確実に帰還している個人マネーの行き場は、郵貯を復活して、国家が集 金して事業会社に配るシステムも再考しなければ成らない時代に戻ってきた ようだ。 内需拡大はそこからしかこの国には無い気もする。

 
 
桟敷席が教えるもの
ムササビ(2008年11月25日)
 

九州場所が行われている時間帯に開催されている国際センター付近を 車で通ってみると、その時の地方の景気が良く観えてくる事が有る。 今場所のTV相撲中継でのカメラワークは、相当気を使っているのが 良く伺えて来る。 ほぼ中段以上のマス席はガラガラの状態であり これを敢えて避けたカメラ目線が土俵を映し出している。

いつもの、取組後に引くカメラ目線は今場所には皆無である。 あまりにもひどい入場者数は千秋楽まで続く気配でもあるようだ。 景気は人の気持ちの景色である。 福岡で開催される場所は九州各地 からの相撲ファンの総決算場所でもあるのだが、今場所の桟敷席は、 まさに真っ暗な大衆心理が土俵上に転がっていると観た。

マスコミが流す雇用流動性の不安定さは、大衆心理の暗さを加速させる 効果が出ている。有名デパ地下を巡って居ると、人が多いところは 目の前の食材に係わるところ、しかも安い処に集中しているのが印象的 である。 少し高価な食材も半年前とは打って変わった状況であるのは マスコミ情報の伝搬が如何にすさまじく響いているかが良く解る。

信用が収縮し始めて、消費が収縮する現象は潰れかけていた「デフレ」 を再燃して行くのだろうが、こんどのデフレは海外への出口が皆無に 見え難いのが大きな違いだろう。逃げ場の無いデフレは大衆の心理 を凍らせてしまい、およそ平時では思いもつかないような戦争の歴史 を作って来ている。 今回のデフレ処理は過去の歴史的な過ちを 如何に回避できるかに掛っているのだろうが、いかんせ国力の経済力 軍事力、民事力、行政力、外交力、金融力のどれをとっても、金融台風 に備えた強固で卓越したバランスで仕上がっていない盲点がある。

IMFへの拠出金を英国は中国へ打診しているらしいが、中国との 駆け引きは何を中国が果実として得るかで決まるだろう。ドル資本 の蓄積が世界一に成ったこの機会を利用しない手はない筈で、自らの 国内でくすぶり続ける格差問題の逃げどころを模索している中南海 の外交手腕が試されているようだ。グルジアで角を突きつけ合いそうな ロシアと米国を尻目に観た英国の諜報活動が、客がいないアジアの マス席でうごめいている。したたかな女王陛下の伝統は今も息づく。 それにしても、お構いなしにポンポンとIMFにカネを出す事を 国際貢献と思っているのであれば、余りにもお人好し金融外交である。

 
 
数字麻痺
ムササビ(2008年11月17日)
 

2兆円で起爆するはずの緊急経済政策が、いつの間にか、数字が盛られた盆 を誰が誰に配るかと右往左往するうちに、賞味期限に近づき、いつの間にか 絵に画いた餅で終わらずに、毒入り饅頭へと変身する気配に見えてきた。

まず、派手な花火を揚げるのは劇場型の踏襲(?)であろうが、彼と違って いる決定的な違いは選挙の洗礼を受けて居ない事に気が付いていない。 首相の権力は、政党内集団指導体制から小泉以後は変化して強化されている にも拘らず、使いこなせない人物を無理して選ぶ事で自らの権力を拡大して いる集まりが有る事をマスコミは何故か報道すらしていない。

確かに、漢字も正確に読み上げられないとすればマンガの見過ぎと言われて も仕方がない。しかし、一国のTOPの言語力としては情けないと大衆が 驚くのも無理はない。先日、NHKTVの画面に「高根の花」と出たので 「高嶺の花」では無いかと問いかけたら、常用漢字を使うとルールで決めて いるのでこれで行きますとの事。 なんとも文化を希薄化していないかと 懸念してしまった。

文化の本質は、時間をかけて熟成する事にあるのだが、文化を形から収穫 しようとすれば、地下に隠れた「根っこ」の広さは永遠に気がつかない。 同じ事が、経済や金融の世界で巻き起こっている。 しかも、数字の反乱 とでも言いたくなるような現象である。 2兆円の景気対策や、IMFへ 10兆円の資金供与、57兆円の中国緊急経済政策、そう言えば、この国の 予算は80兆円だった。いかに中国の経済政策の規模が大きいかが伺えるが 、人口比率で見ればそう大した事でもないかも知れないが迫力はある。 時価会計の見直しとかが叫ばれ始めた時点で、如何に数字を管制していく 事が財務官僚や、その周りに居る塊の手腕かを思い知らされてしまう。 優秀と思われていた学生たちに大麻が蔓延る時代に成ったが、「智」を 疎かにしてきた国が生き残ってきた歴史は無い。

 
 
ヤジロべーの価値観
ムササビ(2008年11月4日)
 

どの国においても類似する枠組みが政治の世界にはある。 権力を手にして、 暫くは変化の責任を感じたエネルギーがバランスした行動と成って、 新鮮さを奏でる権力の行使へと成長していくが、時間の経過につれて緊張感 は薄まり、その後に権力の使い方を慢心し、自らの行動を精査できなくなり 、政治の世界を含めて、あらゆる組織の維持にとって極めて重要な、 バランサーとしての自問自答するシステムが崩壊に近づくことに成る。

金融であれ、政治であれ、すべての社会組織や、果ては家庭に至るまで、 つねに2個以上の物体が安定するには平衡感覚が微細に調整され続けな ければ成らない。それは2個の間に、つねに安定への同一の価値観が共有 されてこそ初めて始動する無形のバランサーが果たす役割が試され続ける事 でもある。

オバマ氏が優位と言われている米国選挙では、あと数日で真の米国民の心情が 表に現われてくるであろうが、前回のゴア氏との票読みのマジックも再起動 するかもしれない事を思えば、米国の核心に居座る見えない権力の揺り起しも 無くもないであろう。変革の2文字を叫びながら大統領への道を登ろうとし ているオバマ氏の姿は、かってのケネディーが登場してきた頃によく似ている。 「国のために国民が何をすべきか」を自問自答させることで国民を束ねた、 当時のケネディーの言葉を現代風にアレンジした「変革」は、旧ソ連で最後の リーダー、ゴルバチョフにもよく似ている気がする。延々と続いてきた大統領 選出の為のセレモニーを見続けていると、民主主義のダイナミズムとも言える。 リーダは誰かが仕込み、組織が持ち上げて、国民が後押しをしながら、また 次のリーダを誰かが仕込む、人材資源の循環でもある。

ルーズベル時代に恐慌の火種となった反省で、分離されていた証券と銀行の 分離を、リーマン以後、たちどころに銀行の後ろに隠れた米国証券投資銀行 の変わり身の早さは、次世代への金融仕掛けを仕込み始めたと見て良いだろう。 一方の日本でも、バブル以後の教訓はいつの間にか変化し始めている。 今回の日銀政策決定は、どう見ても場当たり的としか思えないバック思考で あろう。 政治の脅しに負けたとしか思えないが、何故か日銀の独立性を 声高らかに叫んでいたバブル以後の報道は影も見えない。 一つの流れが 世論を導いてきた反省は、今回の空幕僚長発言を片目でしか論じて居ない事 にも良く似ている。 言論機関が言論の自由を担保しているヤジロべーの 価値を限りなく下げているとすれば、また歴史が繰り返される時代への 帰還を仕掛けていることにもなるのだが、すぐに外国からの批判をあてにした 報道が先に有りだ。

この問題を国民がどう感じたかを正確にリサーチする 場面があり、その対軸に海外からの視点を.......と思うのだが、取材規制に 及び腰の報道機関には核心を語り掛ける余力は無くなってしまったようだ。 ヤジロべーが機能しなくなったから、ついに空幕僚長が語りかける事にも 繋がる。触らぬ紙に祟り無しとすれば、ペンは置いてしまうしか無く成る のだが、読んでくれなければ売り上げに成らないとの言い訳も聞こえない では無い。 昔近くに住んでいた「菊竹六鼓」の言論人の価値がよく解る。

 
 
歴史の教訓
ムササビ(2008年10月30日)
 

独歩高の円を観ていて古い記憶が詠みあがってきた。 為替や株式の相場が 日々TV画面などに流れ始めたころ、スエズを挟んでの中東戦争や、 イランイラク戦争、アフガニスタンへのソ連侵攻、フォークランド戦争 などの時に必ずドルの対軸にあったのはスイスフランであり、 金相場であった。  比較的安全な円へ世界中の余剰資金が逃避している。 とマスメディアは一斉に報じているが、はて、この表現には何かいびつに も観えてくる重苦しさがある。

同じ方向でマスメディアが移動する現象は、かってCNNがイラクへ発射される イージス艦の巡航ミサイルの場面から始まった画面とよく似ているとは思え ないだろうか? 911に始まったテロとの戦いは強いアメリカを求めて アメリカ国民を鼓舞し、いつの間にか中央アジアの旧ソ連圏にも米軍が 常駐している現状を残している。  きっかけと成ったアフガン攻略も 今と成っては、NATOにお任せの状態で、昨夜の海外メディアの報によれば タリバンとの話し合いによる問題解決も模索し始めているようだ。

テロリストとは取引をしない!が、表の看板であるが、その裏には国益を 先頭にしている駆け引きも同時に持ち合わせた、したたかな外交戦略が 国務省とペンタゴンで捻じり合わされている。そう言えば、イラク戦争は 国内問題の一部が出ただけだと、あちらの政治アナリストが話していた。 ニクソン時代にも「ドルは我が国に通貨だが、ドル価値の問題は貴国たちの 問題だ」と言い放っていた財務省のトップが居た。

アメリカ発の金融危機と言い放っているメディアは何かに揺さぶられた 歪な情報で占拠されていないか? このなかなか実態を明かさないのが バブルを仕掛ける資本主義の黒豹である。暗黒の時代にこそしたたかに うごめいて獲物を捕り続けて将来へレバレッジを仕掛け、明の時代に 成れば静かに余韻に浸って隠れこむ特性が有る。   かって。グリーンスパン氏は、日本の有様を見て金利水準を上げる事が 金融政策への独立性を確保し続ける最大の戦略かをまざまざと見てとった であろうが、ここに来て後任者はその果実を使い果たそうとしている様だ。

円のプリンス達は、金融政策に対して持ち球が限られている。 にも関わらず、金利を下げろと、お濠を固めようとする政治がある現状を 観れば、かっての福井氏がゼロ金利解除の歴史的転換を加速できなかった 事が悔んでならない。  金融、為替政策は実弾が飛び交わない平時の 国際戦争にとって国益を損ねないための有力な砲弾に他ならない事を、 国防を外注させている国民には理解できないのかもしれない。 核の時代の有事は、ドンパチだけとは限らない事をもっと知らしめる事も 大事な時に来たようだ。

 
 
ニクソン以前へ巻き戻し
ムササビ(2008年10月24日)
 

突然、基軸通貨の後ろ盾を外したことから今の国際金融バブルは 始まっていた。 この基軸通貨であり続ける事の旨味は、麻薬にも 匹敵するものなのだろうが、限りなく持続して吸引していくための 仕組みが、「暫くは金との交換を停止する」の「暫く」の意味で その暫くが、近い将来に復活してもおかしくない情勢である。

この国際バブル崩壊で誰が得をしているかを想像してしまえば、極々 一部の金融コングロマリットでは無かろうか。わずかの時間差を突いて 今でも、多くのレバレッジを仕掛けて居る事を考えてみれば、したたかな 伝統が続いているのだろう。 個人住宅市場の崩壊から始まったかに 見えて居るこの事態は、先頭を切って走って居るのは日本であろうことは この20年の歴史を振り返ってしまえば見えてくる気がする。

資本主義の衣を着た緩やかな社会主義は、今に思えば、今後の世界経済が 模範として行くシステムかも知れない。国際協調と言うお題目で、 始まっているスーパーインフレは「金本位制」の復活への兆しだろう。 一生のうちにデフレを経験し、そしてスーパーインフレを経験すると なれば、なんとも度派手な経験をする事にも成りそうな気配である。 最後の仕掛けは、国家の体力勝負か、剣の衝突かしかない事を歴史が 証明する事に成るとすれば致し方の無いことだろうが、人間は歴史を 教訓と出来ない忘れっぽさが有る事も教えて居る。

 
 
過ぎた峠の先の国益
ムササビ(2008年10月8日)
 

1万ドル割れ、1万円割れ...などとメディアが流し始めた時点で、一つの山は 通過している。「恐慌再来か」などと さも、ボリュームを上げた感じの メディア世界が騒ぐことで視聴率を上げ、下がり続けて居る収益の確保を 仕掛けて居るから、世の中は妙な力でファイナンスしている。

良〜く、今回の米国のあらゆる対応を冷静に定点観測をし続けて居ると、 必ず「国益」の2文字に納まってしまう。そして国益が何かを大統領選挙が 奏でて居る世界が、米国の今日にあり明日に在る。 政府保障の暗黙の信頼が あったから救済をしたフィデリーや、不確実なリスクからの攻撃を死守する かに受けるAIG などの上場企業救済劇、どれをとっても あの市場原理主義 を声高らかに唱えていたルービン氏 サマーズ氏やLTCM救済を仕掛けた当時の グリーンスパン氏の姿が歴史の陰に消されていく分水嶺を通過した。

特にグリーンスパン氏は、今日の混乱は予測していた結果であろう。 歴史的に先行していると思われる、ここ15年の日本の金融実験が残している データーは彼のFRB管理には十分過ぎるほどの教訓があったが、自らの影響力 の限界を感じたか、国益か知らないが、米国政府ご用達の金融システムGS人 に権力委譲した。

国際マネーがヘッジファンドから清算避難によって100兆円単位で毎日移動 していると知り、このタイミングをどちらで考えるかで国益の将来がある。 東証での海外資産帰国の為の市場の穴埋めを自社株消却のタイミングと 捉えれば、海外資産も国内資金力も十分な企業にとっては、またと無い 買い場の到来であり、政治が税制で早急な後押しをしなければ成らない。

国際展開している大企業の株式の時価総額を上げる事は、しいては株式を 保有する政府系機関投資家の公益に成り、やがては国民資産を間接的に 増やしていく結果となる。 政府系ファンドを模索している議員も出始め てはいるが、相場の時間は限られている。こんな時の為の緊急対応を 常日頃考えているチームが霞が関に居るとすれば良いが、大蔵解体で そのシステムが破壊されている。

そう言えば破壊者の急先鋒は、ルービン、サマーズ氏だった。   彼らが、想定していなかった反撃をする為の国益を考えたいものだ。  それは、変わり者と党内で陰口を叩かれている麻生氏の仕事かもしれないが、 まさか、「バカヤロー」と言って解散したりはしない事を祈りたい。 国際関係を観れば、そんな暇は無いのに、暇な議員たちが居るのが痛い。

たった、9年ほど前の米国公聴会か講演会で、グりーンスパン氏は 「我々の経済は世界の羨望の的に成っている、100年に1度か2度の事が 起きて居るのだ」と言いていた記憶が詠みあがってきた。 国益を仕掛け合う時代変化の隙間が縮まって来ている。そう言えば 日露戦争の軍資金を貸してくれたリーマンも隠れてしまった。

 
 
パスポートの無い解決策
ムササビ(2008年10月6日)
 

過剰流動性の言葉が世界を股にかけ始めた時から金融の姿が豹変している。 そう言えば、中国語で株の事は「股」と言うとも聞いたが....。

カネの話で不思議な数字が毎日垂れ流されている中で、政治献金を観れば、 自民394億、民主114億....視点を変えて、赤い羽根募金219億 そして、振り込め詐欺の被害額1〜8月までで214億である。殆どが お年寄りから搾取したおカネだろうが、正しくは被害が表面に出た金額であり 、実態は定かでは無いブラックホールが一部の平和な世代に存在している。

これらの報道を見るにつけて、カネ本来の仕事、カネを扱う機関の仕事の 本質は何かと疑問に感じてしまう。 基本は、カネ本来の価値を唱え続ける 事や、行き場の無いカネを価値創造の場面へと誘導し資金循環を行い、 信用を創造し、産業を興し、雇用を創成し、さらに資金循環を繰り返す インフィニテーな世界への動力のはずであるが、 人間は、慣れ易く鈍感 に陥ってしまう事で、計算通りには成らない歴史が繰り返される。

近年に起きて居る、オレオレ詐欺の被害額の累積は如何ほどであろうか。 昨年と比較して1.4倍であるからして大よそ1000億にも達しては ないだろうか? そのカネは何処かに隠れてうごめいているのだろうが、 庶民から見れば気が遠くなるビジネスが暗躍しているわけだ。昨今の ライブドアやグッドウイル、アジアメィデア事件など、国内外の若手が 仕掛けるカネがらみの世界にも似たような空気が立ち込めて居る。

古い話だが、昔の大蔵役人と話した時に「赤字国債財政は差ほど問題では 無い。要は平均寿命が伸び続けていつまで経っても相続税が納税されない ことが問題だ」と言っていた事が昔にあったが、どうもそのカネは相続され る前に国税から国外へと逃避してしまって行きそうな気配である。  「貯蓄より投資」とどんなに当局が叫んでみても、現在の投資環境の悲惨 な姿を観れば、臆病な個人は、わずかな貯め込みを続けても、最後は非合法 な詐欺屋か、合法な税金や介護保険で搾取されてしまう現実がある。 なんとも悩ましい平和日本が静かに侵食され続けて居るだが......。

 
 
辞任の格
ムササビ(2008年9月30日)
 

わずか5日間で辞任した大臣を観て、如何にこの国の政治家がが、 それこそ内向きで根拠の無い平和な空気に浸って慣れきって居るのかが良 く分かる気がする。

国会は議論の場であるが、ただその時々に議論をすれば議員歳費に見合う 仕事をしたかとは言えない。 国会で議論するには、熟慮した末の前置き の議論が下地に必要であるからだ。

ただ、思いつきで話を切り出すのでは瞬間芸に成り下がり、熟成した結果は 到底得られない時代が長く続いている。 やはり、各政党内での議論の余熱 が常日頃に熟成されないことから来る政治の結果責任があり、それを見透か された結果に行政マンのいい様にされているのが政治の実態である。

今回の新総理会見で「省益よりも国益」とあえて言わなければ成らない 変な統治機構がこの国に長く存在している責任は選挙民の資質の結果である。

今回、新内閣発足で起きたKY騒ぎは「自爆テロ」にも値しない程度の 品格無き大臣の行動であった。 大臣職の重責を履き違えた大臣の数は 最近の国政を観ればうんざりするほど繁殖しているが、それらの存在を 許し続けて居るのも同じ選挙民でもある。

「大臣は勝手にやめられるが、俺たちは家族や従業員が居るから、そん訳に はいかねぇ〜」と、つい先日、零細企業の経営者が言っていた言葉には、 ずっと前から存在する日本の労使間企業経営文化があるが、これはアングロ サクソンには到底理解できない末端の根張りであろう。そんな基本的で人間 的なモラルも社会の底辺で根張りが効いているから持ち堪えているに 過ぎない。それらを破壊し続けて居る政治家を輩出したのが選挙民となれば、 泣くに泣けない矛盾が民主主義に在ることにも成る。

パキスタンのムシャラフ大統領が弾劾辞任をしたのを知り、国の統治機構が 不安定化すれば、彼が指揮し生産した「核」の管理は米国の視界から消え去り 新たな緊張感を世界にもたらすであろう事は瞬時に想像できた。 新たな 国際緊張が巻き起こる前兆が今の金融危機であれば、何となく解らないでも 無いが、温首相の米国演説に際し、静かに付き添っていた老齢のキシンジャー 氏の姿がまだまだ健在に映っていたのが気に成って仕方がない。

昭和45年だったか、忍者外交で知られた外交官が未だに君臨する米国と、 その国の国益重視極東戦略のテーブル上で平和を奏でる政治家と国民との 予測しうる近未来図には大きな違いがあるのだろう。 戦後のこの国に繁栄 を敷き詰めたのは長期安定政権であったが、慣れ飽きた選挙民は新たな 制度を欲して長い時間が経過中である。

良くも悪くも辞任連鎖はその転換点とも言えるだろう。 しかし、日本人を辞任しますとは中々言えない文化がこの国の強さでもあり 弱さでもある。

 
 
予測可能なリスク
ムササビ(2008年9月24日)
 

ここ1週間は、あの911事件にも匹敵しそうな衝撃を米国から国際金融界 に再び与えて居る。その後に起きたアフガン攻撃や同盟軍によるイラク侵攻 などを思えば、何かあれば、否応なく、つねに引きずられ続けて居る西側陣 営が今回も最大の被害者に過ぎないことは明白であるが、そこには国際基軸 通貨特権や世界の生産をバランスするための最後の消費国として君臨している おかしな特権が見え隠れするようだ。

今回の新RTCに日本国民の税金が投入されそうな雰囲気を見ると、先ごろ 破堤した米国金融機関の経営陣たちが、締めくくりに乾杯している姿を画面で 観て、企業文化や組織文化、果ては商道徳感などへの基盤が日本とは全く違って 映し出されていた。 米国は「金融テロ」だと言わんばかりの文脈で日独に 金融協調を迫って居るのを見れば、いまだにあの戦後の関係は終わって居ない と思えてしまう。CDSは独の2倍にも跳ね上がってしまったにも関わらず 日本は独立国としての存在価値が今再度に試されている。

サブプライムも、巧妙にかつ人為的にリスクを仕組まれた金融商品を全世界に ばら撒き、行き場のないカネが米国へと向かわせられたし、中国製メラミン 混入の粉ミルクも人為的に源乳を薄めメラミンで嵩上げした製品を全世界に ばら撒いた商道徳感も、まったく公が存在しない今と近未来の最大消費国 に在る極めて危険な「買う者勝ち」の同質の問題である。

日本式経営を駆逐するために時価会計制度が20年前に仕組まれ、簿価会計 での資産評価のリスク軽減クッションが無くなって、右往左往したり、 降って湧いたBIS規制で目が点に成ってグラついた護送船団が有った事を 思えば、ようやく仕組んだ彼らが回り回って自らを危機に陥れているから 時間の神様のイタズラもなかなか巧妙である。

損保を契約している知り合いのAIU代理店経営者が申し訳なさそうに説明を しにやって来た時に彼から受けた感性と、画面で観るアングロサクソン感性の 段差は強烈な響きに思えてしまった。  「彼らには会社や組織は個の利を 追求するための道具であり、組織の利益、いわゆる公への思いは微塵にも感 じられなかった」と彼は話していたのが特に印象的であった。

このどさくさに紛れて極一部の国際投資家が利をかき集めて居るとすれば 歴史の神はどこかへ寝込んでしまっているのだろうか。 いや、「所詮 カネは価値を産むための道具であり、カネ事態には独り歩きできないように 足をつけて居ないぞ!」 「誰だ、勝手に足の絵を描いたやつは!」と カネの神様が、どなる声も聞こえてくるようだ。

やれやれ日本国民の政治感性が試される一年になりそうだ。

 
 
乗せられたメディア
ムササビ(2008年9月22日)
 

「良心的で勝手な辞任」とは、九州の地方局生番組で山崎拓氏が放った 本音である。 良くぞこのタイミングで勝手に辞任してくれて感謝している と饒舌な語り口で話をしていた。 おそらく多くの自民党政治家がこの意見 に同意しているのだろうと思えるのは、総理辞任発言後のメディアが、さも 一大イベントの兆しと思えるかのような、芸能感覚で政治を茶の間に放出 しているからである。

おかしな時代に成ってきた。 新総理総裁の為の演出は、今までの政治の 既成観念に捉われているだけで、マスメディアも過去の編流にのっ掛った 視点でしか今回の小劇場を捉えて無いようで不思議である。  辞任するチョッと前までは20%台の支持率だった政党TOPの椅子 レースで無かったシナリオ舞台を、いつの間にか総裁のイスと総理のイス とを二股にかけた煙幕で、他の80%の劇場街通行人の気を引く様な 仕掛けをした黒子の描く看板ににまんまと乗せられている。

二人の地方選出?議員と3名の東京区内選出議員の語りを聞いてみると ほとんどが行政術の話に没頭している。やれ税制である、やれ安心である 、やれ信頼である...少し外れて国防論などがある。 画面に流れる彼らの 語り口を聞けば、大方、家計簿の話に過ぎず、その根源は「カネ」に結び ついてしまう。 まあそれも大事な一つには間違いないが、神輿に乗る方の 任期はあと1年である事はどのメディアからも流れてこない。  来年にも同じ小劇場が開催されるとすれば、果たして国家の三角形は機能 しているのであろうかと嘆いてしまう。

戦後60年以上も経済を主線軸にした変三角形で構成されてきたこの国の 制度疲労は、この15年で急速に進んでいる。 時代の編流に乗って生きて 居る人々には15年も掛って居るから変化に鈍感に成るのであるが、 15年前に産まれた子供たちの成長や行動を観て居ると明らかに国の文化 の基盤がそれまでと大きく違って来ている事に気がつく。戦後世代が総理に 成ったが続かなかった、その次も世代は戻ったが続かなかった、末は博士か 大臣かと言われてきた時代に育った人類にとっては、確実に文化の基盤の 踏み心地に違和感を感じて居る。 明らかに、国内における東京自治州の 選挙戦と思える節がある。人口1割くらいの自治州のさまざまな影響力が 如何に大きく残りの国家運営に圧し掛かって居るかが良く分かる。

常に大きな国家感を持ち得なければリーダーとは言えない筈が、総裁のイス と総理のイスの兼任である事の矛盾から始まって居る。民主主義を根幹から 壊すウイルスがどちらかのイスに寄生していると思えて仕方がない。 いや、うしろから良く見れば総理のイスにも総裁の椅子にも横に車輪が有り 、真後ろには後ろから押す者が押しやすい様なハンドルが付いていた。 前からばかり観るメディアの連中にも同じイスが見え隠れして居る。

いまお隣の国で起きて居る事や、中東での空自撤退の真意はどのメディア からも出てこない島国国際感覚がこの国に有る。 辞任すると言って キレたかに振る舞った総理はいま、ウイルスから解き放たれた強い総理の イスを充実していると勘繰るのは可笑しいだろうか。

 
 
神輿の真の担ぎ手
ムササビ(2008年9月8日)
 

「あなたとは違うんです」。この10文字の中に総理の積年の想いが 詰まって居る。おそらく暫くは迷言の10傑に残るセリフだろう。

「投げ出し」、「無責任」など、総理が、かって予算委員会で発した 「かわいそうなくらい....」発言が妙にピッタリくるような言葉の泡爆弾が 直下辞任弾の跳ね返しとして国内マスコミ各社から飛び跳ねている。

総理就任会見が今でも政府インターネットTVで観れるので侵入して 観るとこの一年の総理の気変が読み取れる。 就任会見では、「政治不信の解消なくして、いくらどんな良い政策を唱え ても国民に信頼して貰えない、政治への信用を取り戻す」

事務次官への訓示、「行政の信頼回復には公務員一人一人が全体の奉仕者 として高い志と、適正な公務員倫理を保持し、真摯に職務に取り組む」

副大臣訓示 「自立と共生を基本に若者が明日に希望を持ち、お年寄りが 「安心と希望」を持てる国造り」

政務次官訓示、「特に国民の信託を受けた政治家は、一人一人がより高い 使命感を持って、いやしくも国民の信頼を損ねる事の無いように自己を 律しすべきである」

ここまでは、バックUPへの相当な信頼を備えて居た発言であるが

辞任会見、「辞任が無責任と言われても、私ではダメだと言われれば 本当に続けてやっていられるかが第一の問題だ」との最後の会見では 神輿から梯子が外された無力感が見て取れる。

しかし、冷静にこの一年を 振り返ってみれば可なりの英断を実行していた事が有るにも拘らず 過小評価の面も見受けられるのは、この国特有の「出る杭ジェラシー」 かも知れないが、英国エコノミスト紙ではクールな視点で今後の日本の 可能性を分析している。 そこには感情表現も無い客観的な視点で論じ ている事を観れば、小論乱噴火より、大局を観る文化とも受け取れる、 器の大きさが在る。 ここまで総理の椅子が軽くなってしまったのは 自民党を含めてあらゆる政党の存在価値が軽くなった裏返しに過ぎない。 国民は総裁のイスは党内で勝手にやれば良し、総理のイスは国民でが 本音でもあるのに、真意を受け止めない国内報道各社のズレと、今まで の流れに乗っただけの新聞論説には辟易してしまう。選挙を戦って 勝利を勝ち取り、政権を司る当たり前がこの国には無い不幸がある。

中国で日中韓米の6者実務者会談があったが、外務官が言った「内閣が 変わっても日本政策の変更は無い」の響きに、この国に存在する免震構造 の一端が伺えてしまったのは私だけであったろうか。

 
 
市場価値
ムササビ(2008年9月2日)
 

最近のボヤキ「英国経済の苦しみ」を読んで暫し立ち止まってしまった。 昨日、小生が属する業界関係紙の編集者がインタビューをしたいとの 申込みで2時間ほど話しをした後でのボヤキを読んで、「市場価値」 とは何かと不安に成ってしまったからである。

バラバラに点在する微小価値を集合体の中に囲い込むことで価値の情報が 衆知にさらされ、新たな価値が生産されていく。同じ器に集まった大小 さまざまな価値を、効率的に、やり取りする仕組みを維持してこそ 市場が存在するだけの「価値」が有る事に成る。要は、価値の交換が 正常かつ適正に行われているか、売り手と買い手のバランサーが常に 動いているかである。 価格が固定硬直化する事に成れば、そこには 市場の存在価値も必要としないし、市場は、新たな価値の流通手段に 取って代わられる運命にあるだけの事だろう。

1次産業の世界では、もはや生鮮食材が、かろうじて市場経済を維持し 続けているに過ぎない。物流の高速大量移動が可能に成り、生鮮食品や 鮮魚など「新鮮」を市場価値とする物資にとっては、刻々と変化する 市場相場が事業の命取りにも成りかねない程、市場相場情報収集に躍起 になっている現実がある。 そこには、食材を提供する末端消費者の 存在は皆無としか言えず、相場相場の「カネ」の動きが、はしゃいでいる だけに過ぎないのだが、どの市場関係者もそれが当たり前だと思っている。

いま、木材市場分野では限りなく市場の存在価値が問われているし、 市場の存在事態が不要に成りつつある。15年ほど前に、国産木材振興 国策により、木材の流通構造を簡素化することで、流通コストを下げ、 最終価格を下げて末端利用を、し易くする事で山地林業の活性化に繋げる が林野庁の「お題目」であったが、現実には国産木材利用の低下に歯止めが 掛からず、さらに追い打ちをかけて更なる加工工場体制の「箱もの」を 税金をつぎ込んで建設に励んでいる。 市場がつねに需給のバランサー として機能する仕組みを林野の官僚が理解していれば、こんな結果では 無かったろうと編集者と話すうちに、前回の予算審議で甘利大臣が放った 「農商工連携」の枠組みで経済産業省が農林の経済政策を触手し始めて いる事が話題になった。 市場価値を意識している人種と、市場価値を 無視した人種との決定的な違いが政策で顕わに成っているようだ。

産業を知らない官僚が、産業をいじくり回すツケは税金で決済され 続け、ツケ廻しの残渣だけが後世に渡され続ける事で良いのだろうか。

 
 
民事再生考
ムササビ(2008年8月29日)
 

チョッと昔、取引先の銀行マンが訪問した矢先の立ち話でこんな事を ぼやいていた事があった。「民事再生法が施工されると経営者の踏ん張りが 効かなくなり、安易に借金を踏み倒される事に成り、貸し手が被る その被害額は、引いては預金者利回り、健全な借り手に及ぶでしょねェ〜」 銀行にとっては「天下の悪法」と大いにボヤいていた事を思い出すほど 世の中に「民事再生」の湿気が流れている。住専問題で国会がアタフタ 時代の巨額焦げ付き380億円が、今では都会の新興不動産会社が民事再生 申請する金額である。デフレ社会での金額質と当時とは、比較に成らない ほど重量感があるはずだが、金銭不感症社会があるようだ。

経営者が経営権を取り上げられず、借金がほぼ帳消しに成ってしまうのだから ヨダレが出る様な甘味な法制度であろう。 小生の身の回りにも、やたらと 店舗拡大をしているドラッグストアーや郊外型書店を含めて建てたかと思えば 直ぐに閉店しているコンビニも目につく時代だ。 最近は一度解消え掛けてい た「貸地」「売り地」の看板が1年ほど前から増え始め、ここにきて増加の 一途に成っている。しかも幹線国道沿いの話である。

あまりにもモラル崩壊が金融を含めた社会全般へ伝搬していると思われる ことは、社会の将来にとって良いことでは無いだろう。まして、農水大臣を 含めて政治資金全般への金銭感覚が一般社会人と かい離している政治家 が今でも多く存在している事実を見せつけられて、政党の存在が、理念や 党内ガバナンス、倫理などが無い不毛社会と思えてきたのが正直な気持ちだ。 政治は社会の鏡とはよく言ったものだ。

大編流の兆しを見せる国際政治にどう立ち向かうのかが議論されて居なけれ ば成らない時期に、自らの足元も管理できない代わり映えの無い政治家では、 やはり俺流と頭を持ち上げたがる官僚に全てを見透かされてしまうようだ。

民事再生法が産まれて誰が得をしたであろうか、この法の放つ魔薬性を 感じてしまう。そう言えば、再チャレンジなどと訳の解らん無責任な 坊ちゃん総理が居たこともあった事を思い出した。

 
 
五輪野球から学ぶもの
ムササビ(2008年8月25日)
 

五輪に臨んだ日本プロ野球の試合経過を見ていて、国際試合に於いての 日本野球との内外格差のカルチャーを感じてしまった。初戦でのジャッジ に対して執拗な監督の抗議は、アマチュアの祭典五輪の基本を完全に無視 していたし、冷静な状況判断のレベルに達していなかった。 国内では 通用していた行為が、国際という舞台では通用しなくなるのは当然のことで あるにも関わらず、理屈では理解できても現場では無能であったと結果が 証明したことなる。

今回の五輪を通して色々なことが発見できた。 中国は「漢」の国である 事、香港の入場を見て、表面上は一国二制度を継続中だが完全に香港を 吸収消化しつつある事をメッセージとして国際社会に表現している事、 とにかくメンツを大事にする事...などなど 数えたらキリが無いほど挙げられるようだ。 その中で21日配信された 記事の「華国鋒氏死去」に時代のページがめくられている現実を垣間見た 気がする。文化大革命後に混乱する国政を毛主席から任されたが、その後 トウ氏との確執で中央から影を潜めていた。

五輪を無事にやり過ごした中南海には大きな自信がついたであろう。 ブッシュ氏の開会式出席を見ても今後の米中関係はロシアを意識した 国際政治の舞台裏が待ち構えて居る事は確実なようだ。これらの国際 政治熱波が、我が国の政治にどの様な影響を与えるのかを客観的かつ 冷静に分析するプロ集団は存在しているかと不安にも思えてしまう。

911以後、イスラエルの情報分析機関の中に、テロが起きる本質を 分析するセクションが活躍していると聞き、短期の対テロ政策と長期の 政策とが両輪のように回転している事を実感した。 国際感覚と自らの ポジションとの距離感を見誤っていた星野野球を観ていて、この国を そのまま映している小世界を見た気がしている。

 
 
消費道
ムササビ(2008年8月18日)
 

イオンが漁協の仲介業務を飛び抜かし、流通コスト削減を行うことで 漁民の手取りが増える仕組みで、魚の新しい流通システムの確立を 図るそうである。

船舶燃料高騰で漁民の収益が目減りする事がTV画面を通じてから 世に宣伝されたこのタイミングでイオンの価格戦略が頭を持ち上げてきた。 これ等の報道を見るにつけて、マーケット機能の無能力化が、また一つの 産業に伝染し始めていると感じている。

農林業分野での永年の零細事業者保護の政策が、構造改革の名の下で 歴史的な大転換が継続されている結果が出始めていると言うことだ。 ちなみに、小生が属している分野の林業政策は、国営林野、公営林野 部門が5年ほど前に全て瓦解している。 国家資源としての森や、 一部の森林資源しか利用できない商業主義を拡大して、マーケットを 瓦解してしまった国の政策は、もはや中国で起きた改革開放の初期の 時代によく似た無法地帯と思わしき状態にあると言っても過言では無い。 しかも、そこには何故か税金が投入されて、結果として、いびつな森林 自然環境が形成されつつある事を見れば、数十年後には大きな社会問題に なっているだろう事が残念ながら予測できる。

市場経済主義であれば、健全なマーケットが存在していれば、多様な 価値観が市場で形成されて良い筈であるが、多様な価値観が存在できない 社会であれば、ある種の変形した価値観にのみ消費が集中し、価格の 多様性は瓦解してしまい、市場そのものの存在価値が否定され始め、 引いては文化や伝統も転換破壊する。

ごく一部の生産活動や、消費行動にマネーが集中してしまえば、多様性 は薄まり、その一部の価値観が勃興し、やがては主流と成り新しい文化が 形成されるのであろうが、もし、この長期に亘る流れに何らかの仕掛けが 施されているとすれば如何であろうか。 国民個人の思考を静かに方向化し ている力が有るとすれば、それは何であろうかと考える。 この15 年ほどで起きた国内経済の混乱の結果として誰が得をしたのであろうか。 過剰な消費が豊かであると思い込んできた消費者がデフレで価格が下がり 結果として得をし続けているのであろうか。

消費はマネーを消費するのでは無く、時間を消費して居ることに他なら 無いことに気がつかせぬ何かがこの国の中に蔓延している。地球温暖化や 石油資源枯渇などと言う、決して個人で解決できない問題にすり替えて しまうことで、本質を煙に巻く核があるとすれば、もうそろそろ気が ついても良いころ合いに庶民温度が達しているのでは無いか。

英米国の経済覇権政策の歴史を見れば、基軸通貨のエキスは無限の 消費行動に繋がって居る事である。60年前に哲学を落としてきた庶民の 心の穴を埋めてきた消費が、個の心の満足を追い越すことは不可能に近いと 理屈では解っていながら、一途に吸い続けている麻薬が今でもこの国にも ある。「道」を失くした柔術に似たようなものだろう。

 

柔道と政治の本質
ムササビ(2008年8月14日)
 

GDPの表示、名目と実質との乖離が進んでいるようだ。 輸入物価が上昇しているのだから、素直な経済力が維持されていれば、 本来なら消費者物価が上がり、最終的には時間差をおいて個人所得も 上昇する姿が生じるのが、チョッと前の前まではあった。

しかし、国際金融戦争が起きてから、デフレが金融敗戦日本に産れ、 その後の金融政策の混迷とともに、いびつな金利政策と国債増発政策で 身動きが取れないこの国の国内経済構造はどうしても外需依存に向け ざるを得ずに、その内外に於ける経済環境落差のツケを最終ランナーの 国内個人消費に落とし込んでいる事が今でも続いている。

国際競争力維持のためだと、収支所得の一部を労働配分することに 躊躇してきた経営側の論理も、度が過ぎてしまえば、ツケは自らの 企業収益に加担している国内消費行動を冷やす結果として表れてきた ようだ。外需が目減りし、さらに内需が落ち込むことは避けられない。 この国を覆うジレンマを取り除くにはどうしても劇薬が必要と、思う 政治が産れかねない閉そく感が国民感情に堆積している事に気がついた カリスマ性を持った政治家が出てくれば、何が起きても不思議では無い。

資源価格の上昇ムードにも一服感が見えてきた。 しかし、今回の ロシアとベラルーシュとの対立には依然として、ソ連崩壊後に鬱積を貯め 込まされて来た、「北の熊」の思いが見え隠れする。ロシア大統領の裏では 素早く現地へ行動する首相の姿が国営放送の一部に出ていた。ロシアに とっては資源こそ政治の手段である事を確信している人が居る。

政策では、メゾーベージェフ氏でカムフラージュした元大統領の政治戦 略には何となく、かっての日本の戦国時代の知将を思い浮かべられ 唸ってしまう。 敗戦後に60年間も営々と蓄積され続けていた国富が 金融戦争で敗戦し長期戦略の無い政治で浪費され、そのツケ払いが始まって きた日本に起きている問題の本質は何であろうか。

自らの足で立つ事さえも放棄している憲法の存在を、もう一度見つめる良い 機会だろう。この国の豊かさと何か、それを手にし続けるための力が何処に 必要か、プーチン氏の一瞬にして展開する政治力に「1本柔道」の極意が 在ると感じてしまうのはウガッタ見方であろうか。また敗戦の日が来る。

 

五輪の覚醒効果
ムササビ(2008年8月11日)
 

孔子の論語から始まった北京ショーを観ていて、ふと、ミュンヘン大会 でのイスラエル選手団へのテロを思い出してしまった。 スポーツの 祭典だと言われながらも、その舞台を用意するのは政治である。 どんなに舞台上の綺麗ごとで済まそうとしても、演ずる舞台が無ければ 演じられない矛盾の儚さが今回の厳戒態勢での北京開催で露呈している。 それは、矛盾を囲い込ますために夜に始まった事でも伺い知れると、 画面を観ながら想像できた。

1964年に東京で開催が決まった8年前1956年は、どんな年で あったのだろうかと思う。敗戦から11年が過ぎ経済復興の起爆剤を 何かに求めていた政治の中で世銀やIMFの外債融資で名神高速、 首都高速、新幹線などの社会基盤を作る為のイニシアティブを政治が 出来た良い時代であったのかも知れない。 その対外借金が完済したのが ほんの数年前であったと聞き、感銘が深まってしまった。

よく、中国の経済発展の、15年を日本の高度経済成長と同列に論じて いる評論家がいるが、果たしてそうだろうかとよく思う。  日本は、敗戦後に集団指導体制、いわゆる「霞が関体制」で、政治と官 の2権が合作して経済発展の基礎を作った。 そこには未だ戦前の優秀 な人材が官にも民にも、幅広く生き残っていたし、戦前の教育感も 未だ息づいていた時代だった。 彼らが作り上げたインフラを団塊世代の 青年たちが利用しながら借金を完済して、いま 社会からリタイヤしよう としている。 その彼らが生き続けた時代は「民主主義の皮をかぶった 社会主義」そのものであった。 その半社会主義的時代に五輪が開催され 、そして弾みをつけた経済が発展した意味は大きいだろう。 五輪が、この様な良い経済循環を果たしたことは、あまり聞いたことが 無い気がする。いわば、壮大な経済実験的な側面がある。

社会主義の中に経済主導主義を抱えて五輪を開催した北京と 民主主義の中に、社会主義をはめ込んで五輪を開催した東京とは 、その後に起こる経済効果が全く異なる結果を生んでしまうかもしれない。 その試練に、今の中南海が持ち堪えられれば、政権の安定化に繋がる だろうし、引いては極東アジアの安定にも寄与するだろうが、多くの イバラの道が控えている。 五輪後の国際政治を冷静に模索する世界と 、熱狂に覚醒されている中国の庶民感情のズレは深まるばかりである。 開会式で出てきた地球風船が多くの矛盾で膨らんでいたと思うのは 早合点だろうか......。

 

情報の肝
ムササビ(2008年8月6日)
 

先日、米国の大統領選でメディア戦略部門での専門家の話を 聞く機会があった。 聞くほどにオバマ氏の選挙戦略に起きている 米国の大衆深層心理が、20世紀と21世紀の境目で揺れ動く 掴みどころが無い様な、不安定な個人間の心理によって集大成 されつつある事が伺えた。

話の中での主要テーマは「ニューメディア論」だった。 個人の不安は、自らの将来の貧困を予測し始めることから始まる。 彼女が指摘した問題点は、インターネットで流される情報の信ぴょう性 への不安にも思えたが、IT時代の変化と人々の感性のフィルターには 大きな落差を生んでいることも事実だろう。 確かに、情報が世界を駆け巡る時間が高速化している。 しかし、情報は常に意図的を問わず、何らかの主観で加工をされながら 増殖をしている。

これを見落として消化してしまうと、脳の分析能力に薄いセロハンが 重なっていくことにも成りかねないが、ワイパーで拭き去る暇もない ほどに、むやみやたらに情報を消化すると体内変化を来すだろう。

民主主義の中で思想信条の自由がある。 何を思い何を慕ってみても 心の中に権力は手を出させないと言うことだろう。  しかし、よく考えてみると、これには大きな落とし穴が見え隠れしている 訳だ。 大脳が考えるには考える切っ掛けと成る微細情報が必要である。 だとすれば、思考起動因子の微細情報をコントロールする能力があれば 大方の大脳の制御は、ある一定期間は可能かも知れないと思いつく。

ニューメディアは、必要な情報のみを取捨選択できるが、客観性には 何らかの疑問もある気もする。 やはり、肉を食えば、同量の野菜を 食することが大事でもある。 新聞紙はその意味ではページによって 社会が凝縮され、個別記事の存在が薄まっていく仕掛けがされている。 しかし、大衆は守旧メディアから遠ざかる傾向が世界にあるようだ。 あのNYタイムスも時価総額では瓦礫を壊す勢いで下がっているそうだが 、これもある種の境目から移行しようとしている時代の航跡かもしれない。

先の大戦時に世界の軍需工場で覇権を手にした米国が、戦後は消費する 事で覇権を維持してきたが、それも転換点に差し掛かったと言える。 昨日の、朝鮮戦争時の掃海艇の記録公開や竹島標記の問題は、意図的に 静かに動く、米国の極東アジア戦略変更の何かを暗示していると思えた。 日経ダウの年末までの外人の動きは、それを敏感に察知するだろう。

 

試される高野連から観えるモノ
ムササビ(2008年8月1日)
 

群馬の甲子園出場校に不祥事が発生した。開幕寸前での この事態に、あの高野連がどう対応するのかが興味ある。 内閣改造もそれなりにNEWS性が多き事だが、今回の高野連の対応は ひとつの時代の変化を意味付ける判断にも成るからだ。

戦後の高野連は、佐伯氏の個人としての倫理観が大きな礎と成っていた事は 団塊の世代の元少年たちには良く解っている。佐伯氏が大会会長挨拶で 言う言葉は、当時の高揚する少年たちの心へも強く響くモノがあった。 彼は、高校生の野球は教育の一環であると常に重石を掛けて居たし、 彼を支える高野連も、その一望を常により所としていた。

また、それを観る観衆にも同じ感銘の価値観が下地として有った。 甲子園は、無軌道に動く時代の変化を僅かな時間だけリセットする 週間でもあったが、今回の高野連の判断の如何によっては、野球が 教育から放たれる歴史的な日に成るかも知れない。

イチローや野茂など多数の青年がメジャーで活躍している姿を観て、 同じように経済や金融でも世界と渡り合える人材の発掘や養成に日本の 初等教育機関が何を果たしているであろうかと想う。 活躍する彼らの 航跡に高野連の形は何も見えないが、彼らの基礎的なモノに高野連が 息づいているとすれば、まさしくそれが教育の成果であったと 言える訳である。

あの、ブレア氏が新しい英国の病に気づき、教育改革を始めてから、 しばらく成る。サッチャー氏が推し進めたビックバーンの後処理で あった事を思えば、さてマスコミをはじめ浪花節的な世相は、 桐生第一の選手の個人的な気持ちに重きを置くであろうが、もしかしたら 大きな判断ミスかも知れない。 稼ぐためにする野球と一線を画すかの ようなイチローや野茂、そして ぜひ、佐伯氏の気持ちを聞いてみたくなった。 「ああ栄冠は君に輝く」この音楽で始まる暑い夏も今年から変わるの だろうか。 そう成れば、また一つ日本人のベンチマークが干上がって 行く歴史的な猛夏であった事になるだろう。

海の彼方でも、カリスマ性を薄めた組織の行方は如何にと、グリーンスパン 氏やカストロ氏の後継者が悩み続けて居るようだ。そう言えば、今年のセミ の鳴き声がやたらと「リンリ、リンリ...」と聞こえてくるのは私だけか?

 

中立性のうつ病
ムササビ(2008年7月24日)
 

小さな記事だったが、今の世情を反映している事が書かれていた。 国際赤十字のマークをコロンビア政府軍が人質奪還に際して利用し、 その事に対してウリべ大統領が謝罪をしたとのことである。

ICRCの中立性はジュネーブ条約で規定され、保障されている。 反政府ゲリラは赤十字のマークを付けた輸送機をこの約束事を尊重 したが為に一杯食わされた事に成るわけで、この事が今後の国際赤十字 活動に甚大な障害が及ぶことは必至であろうとICRCは懸念している。 記事によれば、政府軍兵士がゲリラを怖がって赤十字マークで輸送機を 偽装したそうだから、地球の裏のここにも「偽」が蔓延っている事に成る。

中立性とは、常に盤石な倫理観の上にしか存在し得ない事は明白である。 そして、中立は常に思考や行動のベンチマークである事が求められている。 にも拘らず、いま世界中で中立性の価値が倫理観の欠如で浸食され続け て居る。 格付け会社成るモノが色んな序列を並べていたし、それを 揺るぎ無い価値基準と祭られていた時代が、すぐ前まであった。 良く考えれば、作るも人、使うも人だから、不透明な事である事は 当たり前にも拘らず、格付けを前提にしなければ金融計算が成り立たない、 明るい「そう経済」が、ここ10年ほど世界を支配していた。

2002年だったろうか、日本国債の格付けがアフリカのボツアナ であったか、格付けが、どん尻の位置まで押し下げられた事が有ったし、 政府もUS格付け会社の判定に反発した時期が有った。今に思えば、 何の事は無い、USの国際金融戦略の一環として格付け成る「ゆるキャラ 」の仕掛けが蔓延って覚醒していただけであったと最近の米国金融事情 が証明している。

あのエジソンが作ったGEは照明事業から撤退するそうである。 エジソンが聞いたら何と言うだろうか。GEキャピタルもレイクを 売るそうだし、母屋に火が付き出したとしか思えない。 そう言えば、日本国債を買っている外人投資家が増えているそうだが、 あのボツアナレベルまで下がっていたのが妙に懐かしく感じる。  ドルでも円資本でも、どちらに軸足を置いても基軸通貨で有れば儲け られる仕組みが存在している「擬」がある。 そもそも、 基軸であれば運動エネルギーはゼロである筈だが 、何故か増える仕掛けが施されている。 いつまでこの「擬」 が通せるかが試されて久しい。わずかの「そう経済」が多くの「うつ経済」 をバランスし続けて居る国際金融は、中央銀行の管理者に「凛」を求めて居る。 にも拘らず、迷走し始める通貨の支配者の「うつ」が見えてしまう。

急激に冷え込み続けて居る世界経済を、近所のバス運転士が代弁していた。 「今年に成って韓国人のツアー客が激減し続けて居る。おかげで観光バスも ゴルフ場も旅館も暇でアガッタリですよ....」と、中立軸の存在が揺れ続ける 病が進行中であるが、最後の点滴は「倫理」かも知れないが、今のところ 何処にも存在しない。

 

情報メタボ
ムササビ(2008年7月11日)
 

住宅建築市場では、この半年で急速な落ち込みが顕著に目立ってきた。 REIT絡みの過大市場での資金撤退や資金供給減も一因であろうが 、基礎的な個人住宅需要市場に於いて回復の兆しは全くと言って良いほど 無く、今だに需要の収縮が起きている。 特に、地方経済に於いては 異常なくらいの市場の静けさが将来を物語っている気がする。

法整備は国民生活の豊かさや安全を求める為に行う人為的な、約束事で ある筈が、どうも真逆の向きを成している時代に成ってしまった。 法は規制の典型的なものである事を考えれば、立法に際して立法府は 細心の注意を払い、法施行後の監視を怠ってはならない事は明白である。 人材の配備が成されず、どう見積もっても消化不良を起こす検査体制 に在る改正建築法が、経済の基礎である住宅市場の縮小化を加速している 実態がある。 それにも拘らず、冬柴大臣は「徐々に回復してくる 頑張ります」で済まそうとしている映像を観れば、自らに遡上している 情報が「偽」である事を解ってない事を逆に証明している訳だ。

適切な人材も、過剰な人材も見極めが付かなくなってしまうほど 人を観る力が人事考査に欠けてしまっているのだろうと思えば、 戦後の発展を組織化した官僚国家日本の姿はもはや無い事に成る。 弱体化して行く国家の組織を今回のサミットに関してロシアの マスコミは、北方領土の話は、とても出る幕では無いと論じている。 国際貢献ですよと「カネ」さえ出してくれれば良いですと、まで 言ったかどうかは知らないが、国民負担は積み上がるばかりである。

耐震偽装に始まった「偽」の連鎖は今では食品にまで及び、ついには 「教師」の試験までもカネで振り回される始末のようである。、この国で 唯一に光っていた「徳」の倫理観もついに地に落ちてしまったようだ。 どこかで、揺り戻しが起きるのだろうが、正しい方向に向けば良いだろ うが、昨今のマスメディアの様な均一化された情報を日常的に食している と悪性の情報メタボにも成りかねない気もする。

誰かが損をすれば、誰かが得をする。問題は、解らずに損をしている 人たちの方が遙かに多く、その損の大半を少数の解った人が徳として 吸収してしまっている事であろう。 豊かさとは何かを、後ろから迫り くる時代に投げつけられながら、揺れ動く庶民の気持ちの代弁者と 思わしき者が現れる時が、時代が危険な方向へとなびく歴史が有ったし 、そんな時代は情報の一部が過大に画一化されていた。

 

シェルパーの役不足
ムササビ(2008年7月7日)
 

一見平和な日本で暮らしながら世界を見渡すと、最近意外に物騒な 出来事が多く発生してる。 お隣での韓国では牛肉問題、その隣の 中国では頻繁にネットで流れ始めた暴動事件、特にアジアの中で 庶民の人心内で、不満感や緊張感が目立って高まって行動へと 広がっている様にも観えてくる。

大きな国際イベントを二つも控えた中国政権は中華の威信を掛けて 仕事をこなそうとするであろうし、その前に来る障害は徹底的に 排除するであろう、また そうでもしなければ中南海のメンツが 水泡に帰してしまい、香港奪還後に進めてきて勝ち取って来た経済 の果実を歴史が繰り返すごとくG8の餌食にさらされる恐怖が有る。

トウ氏とサッチャー氏で歴史の扉を開いてからの中国の経済成長は 凄まじい勢いで有り、それだけの潜在力が有った事が証明されてきたが ここに来て、色んな国内問題も吹き出てきている。 これも潜在力と すれば、発展とのバランサーとも言えるだろう。 今朝のNEWSで 数年前に行った青島のヨットハーバーの映像が流されていたが、驚いた 。 藻に覆われてしまい、とても競技が開催される様な海では無く なっていた。 たった数年であの変わりようだとすれば、 如何に環境問題が中央政治で制御でき無く成っているかが明白である。

当時、青島の海岸を望むホテルに宿泊しガイドと話をしながら、 聴いた話を思い出した。「ここは歴史的に海軍の統治下です、警察よりも 海軍の方が強いんです、あの海辺にそびえる大きなホテルは海軍所有 ですから。一番美味しい処は海軍のモノです」 藻で埋め尽くされて いる海を観て不満そうに私に語りかけていたガイドの顔が眼に浮かんできた。

1億2千万の日本、その10倍の中国、そして2倍の人口であったソ連から 日本と同じに成ったロシア、6者協議をベースに色んな意味で新しい関係を 模索し始めざるを得ない時代がやって来ている。EU議会ではロンドンを 経由しない情報のストレート性を早くEU内に構築をと、提案するEU 議員の姿が報道されているのを観て、多極化が進む世界のジレンマを 吸収する装置が何処にも無い事が不安に思えてしまう。サミットはその 役割を冷戦の崩壊と同時に終えて居る事を証明し続けているのだが、環境 に拘ってしまうシェルパーがどこかの国に存在している。

実を取る外交であるべき事をブッシュ氏もサルコジ氏も今回の5輪出席で 教科書のように語りかけているのを観れば、徹底した欧州の国益の真理を 学んでしまう。

 

長期的な視点
ムササビ(2008年7月1日)
 

目まぐるしく変わって行くメディア情報に密接に近づきすぎてしまうと いつの間にか、覚醒され続けている事もある事を忘れてしまう危険が有る。 ダイエーの中内氏が大号令を掛けて突き進んだ「価格破壊」はモノの価値が 価格にのみ集中してしまいデフレの首を持ち上げた。 デフレの入り口では短期的には可処分所得の上昇に転嫁できたが、 15年以上もハマってしまうと長期的にはその価格転嫁影響が生活へと 巡って来て、周りまわって流入所得の低下へとつながり、経済を悪性化して しまう。 何事も過ぎたるは及ばざるであり、その経済の調整弁が金利、 為替や関税によって軽減されていた。

一億総中流と言われるような比較的所得格差が少なかった時代にデフレが 及ぼす社会的影響は、最初はあまり目立たず静かに実体経済に浸透し 「がん細胞」が増殖するかのように、手ごわい存在へと拡大して行く。 モルヒネで躯体の崩壊を騙しているが、手持ちのモルヒネの量と質にも 限界がある。 問題は、かなり癌が進行していると意識して躯体自らの 治癒能力を活発化して癌に対して対抗しているかである。

ここで言う「躯体」は国であり、進行して増殖している癌細胞は 国民の意識である。官も民も同列に居座って互いの専門性を食い争い 専門性の価値をデフレ化している事そのものであろう。市場経済のみの 物差しで事を図ってしまえば、長期的な視点は薄まってしまい目の前の 成果結果主義に陥ってしまう。サブプライムと称していたサブマリン クレジットを見極める事も無く膨大な国富をそぎ落とし、はたまた 社保庁の今後処理に掛かる費用4000億も年金から、そぎ落とすと すれば、国家を運営する公民と庶民の間合いは広がってしまい、 替え難い国家基盤の「信」は崩壊してしまう。 誰がこの結果を 待ち望んでいるのだろうか? 価格破壊がもたらした経済の変流は 未だに衰える事も無く何かを求めてうごめいている。

 

偽装から学ぶもの
ムササビ(2008年6月26日)
 

またしても、食品表示偽装の話が出てきた。 毎回、誰かがカメラに 向かって頭を下げて終わるミニドラマである。 いつも思うのだが いつからこんな事が話題に成っているのだろうかと思う。 飽食の時代と 言われて久しい。 たしか、バブル以前からこんな傾向は出始めていた 気がする。  今度出来るやに知れない消費者庁か省か知らないが、こんな 事を繰り返さないための行政監視機関であろう事は目に見えている。

規制緩和だ、市場経済だと、同じプラットフォーム上で競争をする事で 良い方向へのエネルギーを生み出していく仕組みを竹中氏や財政諮問会議 のお歴々は唱えたかったのであろうが、現実の世界には勝ち組負け組の 対極的な構図が出来上がっていただけである。 しばらくの間、政治の 裏舞台から排除されていた霞が関人にとって、これ等の偽装の話は、公務とは と論じる手段にとって格好のネタである。 建築基準法改正や、瑕疵担保 保険制度施行など、ちょっと眼には消費者保護であろうが、内実は、ただの 省権益の確保手段に他ならない焼け太りである事は明白である。

本来、食に関しては我が国の庶民層の「舌」は確かな効力が有ったし、 だいたい、自分の口に入れるモノに対しては何処の国の庶民であれ、当り前の 味覚と臭覚と触覚等で食の価値と安全は認識できたはずである。 それが いつの間にか、人任せをするに至り、自らの食の安全まで放棄してしまって いるようだ。  しかし、都会で有れば「農」に縁遠いから解らなくも無いが 田舎の庶民層にも「農」が足元に在るのに、何故か縁遠い時代に成って来た。

一日、2,000カロリーを成人は必要としているのに、それを自給できる システムはこの国には全く存在しない。 問題はこの事が非常時に何を招く 事に成るのかを真剣に解り易く問うマスコミにお目にかかった事が無い。 しかも、ジワジワと忍び寄るスタグフレーションの波を感じているんのは 私だけであろうか? 悪性インフレを知らない世代が社会の中核に成って 来た今は「国家の安全保障」の本質を国民的に議論しておく必要がある 気がするし、アジアでの自然災害はこれを問いかけてくるだろう。

何かが起きてからでは済まされない時代が近づいていると思える日々を 過ごしながら、戦後60年以上も考える事を許されなかった異常な日々の ツケが、6者協議の変遷とともに新しい安保体制として、この国へ大きく のしかかって来るのだろう。 その時には後ろで支える筈の米国は、 グアムまでさがっている現実が有る様な気がする。 そんな時は食品 表示の偽装など問題に値しない食源の確保の時代でもある。

米国が、自国の国益に沿って東アジアに展開している戦力を永遠の 安全保障として捉えて居る向きが多い中で、安全保障とは、国家が国民 に対して履行するものと短絡的に捉えがちであるが、本質は個人が自ら に課す哲学的な視点の問題である。この国の庶民が、自らの生活安全保障 を考えてこそ、その延長上に国家の安全保障が語られることに成る。  いまその様々な土台に揺れが起きている。

 

グリニッジの想い
ムササビ(2008年6月16日)
 

昨日、アフガニスタン復興支援問題について外務省OBの 話を聞く機会が有った。 シルクロードなどの交易路が 歴史的に交差している地域での列強支配からの民族独立が 国内問題の深層に在る事を聞かされて、国のあり方や主権の 使い方を考えてしまった。

アフガニスタンでは、日独は今のところ有効な眼で見られている そうだが、今まで米国が行った「自由の普及大作戦」の後始末を 押し付けられるNATOにとっては、とんでもないやっかいものを 抱える事に成りそうな気配が進んでいるようだ。それにロシアも 永年の想いをこめてNATO作戦に加担しそうな流れが有り、 国連で承認されている多国籍軍は混迷の色合いを深めているようだ。

しかも、「JSDF」にもイラクで行っている空輸などの 後方支援を押しつけそうな雰囲気が次第に強まっている外交の世界を 聴けば、ブッシュ大統領がアフガニスタンで始めた「テロとの戦い」 から、いつの間にか米英が主役の座から降り始めている事に気が付く。

この国際枠組みの変動は、金融の世界にも当てはまっているようだ。 ドルが通貨の供給量を正確に発表出来ないほどバラ蒔いている現状で 起きている、世界的な金融問題の軋轢を誰が終息できるのであろうか。 ようやく、出番が巡って来た「北の熊」の叫びを見逃す訳にもいかない 国際事情がフツフツと起きている。

ソロス氏が発言しているバブル崩壊のシナリオは確実に進行していると 観えてきたようだ。 このツケは世界を揺るがしかねない気がする。 混迷を予想した手立ては、米英に先取りされている気がしてならない。

アフガ二スタンの国境の線引きで英国が仕掛けていた中国国境 との僅かな接点がようやく効いて来たようだ。もう100年以上も 昔の話だが、世界を支配していた英国のしたたかさが伺える。 そう言えば、時の標準は「グリニッジ」に今でも在った。

 

立法府の存在価値
ムササビ(2008年6月10日)
 

主権在民、3権分立は遠い昔の中学校の時間に昭和初期に 生まれた教諭から習った記憶が有る。 頭から憲法前文を 叩き込まれて、暗記させられた事で今でもスラスラと前文が 口からほとばしって出てくるのは、ありがたいとも言える。

あれから、45年近くが過ぎようとしている半世紀にも 等しい時間が過ぎようとしているのに、今の立法府の 体たらくは如何なものかと塞ぎこんでしまうのは自分だけであろうか。

立法府の仕事は法を立案、審議し法が国民の生活や国家の利益を 追求するために施行される事を見守る立場に在るにも拘らず、 新法は軽く流して成立させて、法施行して観て、廃止しろ! と言うなど、何の事は無い議員諸氏は本来の仕事をせずに 他の事で脳力を消耗していると庶民に回りくどく解説している ことに他ならない。  まして、選挙絡みで参議院を掻き回す 戦術は全く大人げ無い低次元の国会に成り下がっている。立法府の仕事は法を立案、審議し法が国民の生活や国家の利益を 追求するために施行される事を見守る立場に在るにも拘らず、 新法は軽く流して成立させて、法施行して観て、廃止しろ! と言うなど、何の事は無い議員諸氏は本来の仕事をせずに 他の事で脳力を消耗していると庶民に回りくどく解説している ことに他ならない。  まして、選挙絡みで参議院を掻き回す 戦術は全く大人げ無い低次元の国会に成り下がっている。

2大政党制を小沢氏が説くのであれば、2院政の存在意義も 同時に論ずる必要があってしかりで、小生から観れば両制度とも 内部けん制の仕組みに他ならない事は明白であるが、参議院 を、まともな存在意義を出せずに2大政党政治は無いだろう。

長期に渡ってこの国を支配している「官」の力は、このまやかしの様な 政治の舞台を裏で操り、その時々で法のレシピを変える事で自らの 職権や利権を増殖している事を教えている。

今回の後期高齢者法もしかり、建築基準法改訂にしかり、来年度から 始まる住宅瑕疵保険法にしかり、もう何年も前から立法府で審議され てきた筈であるが、出てきては混乱を招くだけである。 法が及ぼす社会的経済的な影響を大胆に予測した様子は垣間見えない のを見せつけられると、この国の憂鬱が肥大化してしまう。 法は誰の為に在るか、国は誰のものかと.....。

 

新前川リポートから
ムササビ(2008年6月6日)
 

80年代に日銀総裁の前川氏が座長を務めて練り上げたリポートが有った。 輸出ラッシュで外貨を稼ぎ、豊かになったかに思えた日本は、 総中流社会を築き、国内消費を確実に増やす筈であった。しかし 前川リポートの柱の「外需依存から内需拡大」と「労働時間短縮」 による生産コストの結果としての上昇で我が国産業界が受けていた 対外圧力の軽減を図ったが、今でも残っているのは大方の安定企業と 公務員制度の中での順法精神で行われている労働時間短縮であろう。

良くても悪くても、小泉政治以後に起きた、産業構造の激変で影響を 受けている産業は数限りが無い。それらの産業に位置する労働者は 労働時間の法規制や、最低賃金制度などは、絵に描いたモチでしか 無いのが現実で、順法を希望すれば仕事にありつけ無いのが関の山である。

太田大臣が、新前川リポートと称して出してきた内容に「新農業政策」 がある。地域経済の核として技術革新を行う事で、新産業のリーダー としての存在に仕立てたいそうで、引いては食糧自給率UPにつなげる と言うから立派である。 田舎には格言みたいなものが昔からある 「お上のする事と反対の事をしろ」であるが、まさか大臣は知るまい。

なぜ、そんな格言が出来たのかは知る術も無いが、たぶん お上と 産業の現場との時差が生じているからであろう。それは現代でも 全く変わらない状況が有る。 今年の稲作面積は確実に増加している 事が感じられる。 小生の営む材木屋に例年では考えられない量の 田植えに必要な木材の需要があるからだ。 農家は、間違いなく 減反政策から舵を切り始めている、それは、最近流れる諸外国の 穀物などの騒動情報を取り入れた結果だろう。

お天道さまと暮らす農民の頼りは「自分自身」しか居ない事を 昔から教えられている。貰えるモノが有る時は限りなく低身低頭で 頂くが、そこでの将来へのリスク管理は完璧にこなしている訳だ。

今年は、農のしたたかな強さを、まざまざと知らされた。 やはり、農耕民族の遺伝子がこの国の土台に密かにうごめいている。 土地を耕すのはリポート紙では無い、現場である事を大臣は知らない。

 

四川地震の余波
ムササビ(2008年5月29日)
 

中南海は地震の実態が未だに正確に掴めていないのか、掴んでいるから 情報をコントロールしようとしているのかが定かで無いが、人民銀行 周小川総裁の発言や、最高人民法院のメッセージは事態の問題の深さを 語っているようだ。

地方の混乱が予期せぬ形で中南海指導部へと波及しかねないと北京は 考えている筈だろうが、インターネットで知り得る情報を制する事は もはや限度があるかも知れない雰囲気でもある。 この地震がその後の 中国の政治に影響が有ったとすれば、歴史の転換点に起きた天災にも 当たるかも知れない。

人民銀行総裁は、今後の復興支援で行われる金融緩和特例処置と、五輪で 生じている金融加熱の冷却を同時に行わなければ成らず、バーナンキ氏 と似たような境遇に置かれている。 平時での金融調節は金利操作で、 すり抜けれることが出来ようが、混迷する世相が絡んでくると、そう 定説通りには行かないだろうことは、総裁の苦悩して発言からも読み取れる。

また、最高人民法院の「共産党指導のもとに....」の発言から込められる 人民への法の厳罰化と即応体制は、如何に世相が混迷の度を重ねているの かが良く観えてくる。 この地震の混乱を早期に正常化できれば現政権は 相当長期政権の足がかりを築けるに違いない。しかし、制御できない 地方官僚の横行が膨れ上がれば、混迷の度は蓄積され続ける事になる。

この地震後の対応を観て思うに、阪神淡路大震災時の日本の対応が如何に この国の国民性が如実に出ていたかが良く解って来た。人口構成が多民族 他宗教の国では中々上手く機能しない「自力」の存在が国家を保っている。 ただ、これを悪意に利用されないで済んできただけの戦後だろうが、 一方では膨れ上がってしまった国際金融モンスターは混乱の布石を確実に 世界へと敷きつめている気がしてならないし、何かの切っ掛けを待ち望ん でいるしか考えられない。

歴史は基軸通貨の減衰の結果は誰が得をするかを試しているようだ。

 

核心報道
ムササビ(2008年5月22日)
 

茶の間では四川省の災害復旧に対しての日本隊の行動や、現状を 外交的な友好の視点で捉えられた画像報道が成されていたが、日本隊の 行動に対しての制限の詳細な訳は流されていないし、その原因も 茶の間感覚では報道からは読み取れまい。

しかし、環境保護担当高官からようやく、懸念されていた核施設関連への 被害状況が徐々に当局からも流され始めたようだ。各国軍事筋の注目は、 四川省に存在する核関連施設への被害が、どの程度であるかを精査して 今後の中国軍の行動を予想したいからである。 重要核関連施設が 震源地から、そう遠くない所へ点在するのは専門家の間では周知の 事実であり、問題は、最近の日本で起きた地震での原発事故のさいに、 成されていた報道が有る程度ディスクロージャーされていたに対して、 今回の地震被害に対してIAEAが踏み込めない世界が有るからだ。

いち早く、「大地」での観測画像を茶の間に流した日本の報道は 余りに開放的と軍事筋が読んだ結果で、日本隊の行動に対して、 ある種の軍事的な深い読みをしているのかも知れないとも思える。  いかに、中南海指導部と軍部との間に軋轢が有るかをうかがい知れるこ とにもなるようだ。

北京五輪成功を自らの権力基盤充実の足固めの為にと、日本へ単独訪問を 行った胡主席の足元を今回の地震は揺らし続けていると観えてしまう。

時々、改革開放の言葉で撹乱される時があるが、ミャンマーにしろ ベトナムにしろ、中国にしろ、この東アジアには共産党や軍事独裁 の政治システムと一応民主主義国家が混在しているリスクがある。

画像報道は、表向きの映像に裏の核心を忍ばせてこそ意味が有る。 ミヤンマーでの、デモ隊を追い払う兵士たちを間近で写そうとした 日本人ジャーナリストの射殺の瞬間をビルの上階から記録していたカメラ の視点が、その場面全体を語る核心である。カメラには客観性が大きく 圧し掛かる事を熟知した報道が求められている。

今後の中南海と軍部との関係は中国国内の不安要因にも成りかねない気も するのだが....巨体を管理する能力が指導部に問われ始めたようだ。

 

潮目の変化
ムササビ(2008年5月16日)
 

経済を遠距離から見渡していると意外と大雑把に本音が観えて来る事もある。 1970年代であれば、大騒ぎをしているであろう基礎物価の急激な 上昇にも、大方の国民は冷やかに観ているし、かつ冷静に状況を把握した 行動を取っているようにも伺えている。  不確実な情報が大量に駆け巡る 現代であるが、覚乱性の情報に対しても意外と冷静な一面を庶民が見せてい る証かも知れない。

この事態を観て思うに、この激動の15年ほどで庶民は何かを会得したのか も知れないとも思えてきた。 地方圏の知事までも地元地域経済にサブプラ イム問題の影響があると話すことで、将来経済は訳の分らない世界であると 政治の言い訳をする時代であるが、画面情報から流される浮ついた流行り 言葉にも動じないような庶民が増えてきたのかもしれない。

聖火リレーで大騒ぎしたかと思えば、聖火が中国国内に入ってしまうと、 灯火が消えてしまったかのように、次の新しいネタ探しレースが画面上を 走り去っている情報商業の世界が有る。

これ等の一連の流れに、大本営報道から成長しないマスコミ各社の体質が 如実に映し出されていないだろうか。ミヤンマーサイクロン被害状況を 映し出す映像からは、独裁や単独政権政治の弊害が何処に在るかが良く 観えてくるし、今回の中国成都付近で発生した大地震に対しての、中南海 指導部の対応を報道するCCTVの内容にも、情報管理されたモノだけが、 庶民の食卓へと届けられている。ロシアのプーチン院生政治でも同様な 臭いが立ち込めている。

揺れ動き始めた米国など、これ等の諸国の体動を観て居ると、 日本の庶民感情にも、この15年ほどで起きた不安の積み上げに対しても 、まだまだ安心への転換とは行かないまでも、対外情勢との自国内比較を してみると意外に安定した落ち着きを取り戻しているようにも感じてしまう。

種々の混乱を煽る映像報道から、現実の眼差しで社会の変化を見渡そうとし ている庶民の台頭が起きているのかも知れない。 しかし、これに至るまでに 使われた国費のツケの大きさは、とてつもなく大きい額であった。 この国の金庫番が何を考えて扉を開け閉めしているか定かで無いが、 金利操作の王道を棚に上げたままで、次にこの国を襲う真の激動には耐えれ ない筈である。 その時に庶民が耐震性の心の準備が成されているかが 問われている。この国は時代の最先端を歩いている事を世界情勢が 今、教えてくれている事を実感している。それを自信につなげる政治が 求められているはずであろう、潮目は変わっている事を胡主席の訪日が 教えている。

 

不毛の山の灯火
ムササビ(2008年5月7日)
 

全国知事会長、福岡県の麻生知事がガソリン税復活を到る所で語っていた。 その論点には、地方財政の歳入欠陥問題が声高らかに叫ばれるだけで、 いまいち税の在り方が論じられていないのが現実であろう。 30数年前に 計画されたらしい長崎新幹線ルートの一部が工事区間へと昇格した。たった 20分の時間短縮にどれだけの税金を投入するのかと思えば、冷やかな 想いがこみ上げてくる。 冬柴大臣と佐賀県知事が鍬入れの儀式をしていた 画面を観ても、なんだかスッキリしない表情であったし佐賀県知事から 観られる表情には、ある種の達成感も伺えてしまった。

我が家の近くでも、道路予算執行停止の影響なのか知らないが道路工事が停止 したままである。なるほど、こんな事が良いですか?と行政側の納税者への 圧力を示すには格好の話の材料に今回の揮発油税が取り上げられてしまった。

田中角栄が知恵を絞って作った税金にも賞味期限が過ぎたにも拘らず、 「もったいない」と道路族や建設官僚が本末転倒な税の使い道を作って来た。

要は、税の配分世界である、そこには全ての納税者の納得を得る為の努力を 果たすための仕事が必要不可欠であるにも拘らず、基本の基本がなおざりに され、しかもその事に対して納税者から適切な批判も成し得なかったが為 に、延々と既成事実と既得権益の山が積み上げられてきた。

つい先日、神奈川からの取引先の会社役員が来て話をしたが、彼の驚きを 観て、こっちが驚いてしまった。彼曰く「どうしてしまったんだ九州は」 で始まった会話の殆んどが地方と中央との経済格差の話であった。 出張工事の為に九州の地元企業を使う事に成り、見積もりを取れば「安い」 何故かと聞けば、仕事が無くて困っているからだと言う。  神奈川では考えられない話だそうだ。  彼に、止まっている道路工事の 実態を見せると、しばし、黙りこんでしまった事が印象的であった。

行きつけのスタンドの経営者と話せば、今回の騒動は「お祭りですよ」。 こんなバカバカしい事を政治がする間は、まともな商売は出来そうも無いと 嘆いていた。 決められたカネの量であれば、誰かが得すれば誰かが同じ量 の損をしなければバランスはしない。 この油税騒動で消えた1800億円 の残り火は種火として庶民の感情に灯され続けるだろうか。 学生運動を観てきた時代の者にとっては、今の若者の社会への関心の低さに 恐怖感さえ思えてしまう。

 

五星紅旗の乱舞
ムササビ(2008年5月2日)
 

それぞれの国に於いて国旗は様々な思いを含めている旗である。 これ等の物言わぬ旗の表現力を歴史を通じて時代時代の権力者たち や、それに反対する権力者などは、民衆を動じさせる手段に国旗や 旗を使ってきている。

ギリシャで始まった聖火リレーは最終段階に入って来た。今回の 北京五輪に絡まる旗の姿は、あのベルリン五輪の映像を思い起こさせる。 今の中国には、拳を振りかざし、声高らかにアジる政治家はいないと 思うが、キャンベラあたりから出始めてきた「五星紅旗」が聖火を囲む 姿は尋常では無い。 ソウルでは動員された留学生が逮捕され、国外退去の 方針と聞けば、世界を移動する聖火の炎が、中国に近づくに従い点火された 時の意志とは全く違った形で、ナショナリズムを燃え盛らせているのだろう。

あの天安門事件では中南海指導者へ立ち向かっていった学生たちは、今や 中南海への忠誠を旗を使って表している。 ナショナリズムの高揚は 中国だけでは無い、ロシアに於いてもソ連崩壊後に鬱積されてきた 国民感情のはけ口が経済から政治へと、そして国旗に点火される気配である。 その流れは、冷戦終了後に色んな国へと静かに延焼している。

経済が変動するきっかけは、春の前の冬が有るように、常に時代を介して 誰かが、何かを仕掛ける事から始まるし、その因子の一つに「カネ」いわゆる 資本が在る。  聖火の周りで振りかざされるチベットと五星紅旗は、同じ 中国製であると言う事が、この問題の深層を語っているに他ならないが、 この騒動を利用し、逆手にナショナリズムを焚きつけようとしている仕掛け もある。  映像マスコミは虫食い報道しか成し得ないので、その仕掛けに まんまと利用されているに他ならない。

一連の聖火騒動で、誰が何を利したかを考えれば、 投資とは如何に静かに仕掛ける術かを読みとれる。レバレッジの最たる ものだろう。 かの物理学者が、「長い棒と支点に成るモノが有れば、 私の力でも地球を動かせる」と言った事を思い出した。

それに比べて、戦後の苦難に於いて国民が将来にと蓄積された資本の蓄積 を早々と巻き上げられ続けられている事を、何ら報道しないこの国の在り方に 疑問を感じてしまう。 国旗を見かけない祝日が多過ぎるからだろうか。 真のリーダー不在の現実が国旗を寝かせているのだろう。

 

最終権益確保
ムササビ(2008年4月24日)
 

「最終権益の確保の段階に入りました」つい先日、甘利大臣がイラク油田 に対して、イラク石油相との対話で漏らした言葉を画面は無味無臭で 報じて居た。

イラク戦争に関しての当たり前の国家の本音がようやく表に出てきた形である。 アメリカが対テロ戦争と言い訳して始めたこの戦争に小泉劇場を舞台にして 練り上げられたストーリーの結末が近づきつつある。 通産省時代から 国家のエネルギーの戦略を考え具体化してきた官僚にとっては、限られた 国家の選択種の中で、堂々と石油利権を得る大きなチャンス到来と認識した であろう。国家戦略として長期にわたってイランで積み上げたIJPCでの 三井物産のイランイラク戦争での撤退や、その後のイランにおける石油権益 の不確実さや、サハリン沖資源開発も土壇場でプーチンとんびに取り上げら れた。また、東シナ海での中国利権との取り合いなど、負け将棋ばかり させられてきた官僚にとっては、数少ない一手の駒を進めている。

日本が太平洋戦争を起こすきっかけに、国家エネルギー政策「石油」が 有った事は今の世代の半数が判っていないかも知れない。明治以後列強の 植民地主義に対抗するための「富国強兵」政策の終焉が1945年の8 月15日である。

一方、北の方を眺めるとロシアで今まさに「富国強兵」政策が推し進めら れている。 近々、ソ連時代の華やかりし頃の「軍事パレード」が復活する と聞けばソ連崩壊後に受けたロシア国民の雪辱を晴らしたい無念が浮かび 上がってきそうな情勢である。

仕掛けられた石油価格高騰でロシアに対して便宜を送っている見えない手 が有るとすれば、今回のチベット問題を絡めた対中国情報戦対応をも頷ける 気もする。

「話は変わるが、昨年、30数年ぶりに復活した学力テストが教えたものは 子供達が持ち合わせている「情報選択力」の欠如が如実に出たそうである。 今年は、それを加味したテスト内容に成るそうである。限られた回答から 選択する単純力は冴えているが、撹乱された情報の中から回答を取捨選択 する力を得るための教育を考えるそうである。   あまりにも遅すぎたが、やらないよりは良いだろう。 ただ、この時代の スピードに追いつけるかが問題である。

ブレア首相が言った事だが、教育に力を注ぐための投資は国家の戦略に 他ならない。これを間違って捉え始めると個が埋没する時代がやってきて しまう。情報管理とインテリジェンスの重要性を常日頃から子供達に教えて 行きたいものだ。 低次元なカネ儲け視聴率主義のTVには出来そうも無い ようだが....。

 

コメは国家成り
ムササビ(2008年4月18日)
 

国際穀物相場が大きく揺れ始めて久しい中で、つい最近興味ある言葉を 農家の老人から聞いた。

「国は減反政策だと言いながら、いまだに休耕田を増産している、 緊急自体にはコメの再生産が一夜にして再開できると思っているらしい.... 愚かな事だ、田畑が生き物だと解って無いかを真逆に証明し続けている。」

老人いわく、「田畑でもモノ作りを止めて一度放置すれば、再生産する 為の時間は最低でも3年、土壌の荒れ次第では5年は掛かる。こんな事は 百姓を生まれつきやっていると身体に染み付いている。だから、せめて自分 の家族の「食いぶち」を守るためにお上に逆らって田畑を維持しているだけだ。 石油が無くても昔は、なんとか食って行けたが、食い物が無ければ3日と 持たないのが人間だ。何でもカネを出せば買えると考えているとヒドイ目に 合う。戦後のヤミコメの時代には何が一番大事かを街の連中は痛いほど解った 筈なんだが、もう忘れてしまったんだろうなぁ...。カネなんて虚ろなモノだ」

戦後、食料自給率を上げる為に諫早湾や八郎潟などを代表するような国営干拓 事業が続けられてきたが、カネで翻弄されたバブル時代に覚醒された国家と 国民は、裏付けの無いカネを貯め込むことが国益に繋がると信じ込まされて ただただ蓄積を図って来た。経済大国やアジアの盟主などの冠をかぶり、 さも、悦に入っていた裸の王様時代が懐かしく思える。

時代は変わった。我々は新世紀は全く違った時代であると、真摯に現実を受 け止めるべきであろう。すべての価値観が流動的に成り、入り乱れ安定する までの変動の時代が続いている。 なにが本流に成って行くかを見据える為 には国家も国民も耐力勝負である。暫くは混乱が拡大しそうな時代が続くで あろうが、農地を含め国家の安全保障の枠組みを放棄した国民へのツケは 甚大に及ぶかも知れない。国民を代表する総理自らが「かわいそうなくらい」 と言いだす程度だから仕方も無いが......。

「鉄は国家成り」が続いた時代から「コメは国家成り」に世論が転ずる境目の 年であろう。管氏もあれ程に騒ぎ立てた「諫早湾干拓事業」を、もう票に 逆目と詠み、他の票根を探して止まない。行政官僚に「風が止むまで待て、 風は必ずすぐ変わるから」と政治が見透かされている。  腰を据えた政治が求められて久しい時代も続いている。商業主義に学ぶことは 国家が存続していくための各論の世界である、文化を礎に出来なくなった国に 「国家」の2文字は相応しく無くなる  。老人が放った「せめて自分の 家族の食いぶち」の想いがやがて「国家」に成長する。民主主義とは、末端 の民衆の想いの集大成の筈なんだが、民意を覚醒させる情報が蔓延している。

 

深層報道
ムササビ(2008年4月14日)
 

NEWS画像を定点観測していると思わぬ程の真理にぶつかる事が有る。 昨日のG7白川総裁の画像報道の中に含まれていた音声に、その「核」 が垣間見えたからだ。パーティー会場らしき場面でECの金融関係者と 和やかに会話を交わす彼の発言が聞こえてきた。 白人男性が「今回はサプライズだったね」との彼を慰めるかのような 発言に対して、即「いや、グットサプライズだったよ」と笑顔で答えた。 この新総裁の表情をカメラは彼の深層までもを映し出していたようだ。

今回の総裁人事活劇で棚ぼたで「総裁のイス」が転がり込んできた白川氏 は、報道によれば日銀きっての理論家だそうである。彼が談笑しながら漏 らした「グット サプライズ」の背後に控える想いは何であろうかと考え てみたくも成った。

総裁人事騒動から一貫して彼は笑顔を国内報道には配信していない。 副総裁に民主が認知してからは、このままいけば総裁代行に成ると詠んだ のであれば、落ちてくる「ぼた餅」の味を想像できたであろう。 とすれば、落下のその瞬間を確実に確認できるまでは集中力を高めなければ 成らず、副のレベルでは笑みがこぼれる余裕は無かったのだろう。 いや、あえて迷惑そうな表情を振り向けるポーカー顔をしていたとも 考えられる。

暗い国内から解放された新総裁は、IDカードをも外す事を忘れるほど 高揚していたのかも知れない。国際金融管理者達は今回の米国発金融騒動 で監視を強める事を共通認識にしたようだ。 白川総裁は、この監視体制の 立ち上げに過去の日本が起こした金融危機騒動の処理を伝授する事で日銀の 存在感を示そうとしているのかも知れない。 しかし現実の国際金融は ドル基軸体制の反対側を自信満々で走ろうとする集団が勢いを増してきている。

彼らの思考には、「次は我なり」との棚ぼたを目論みながら外交に安保に 駆け引きの駒を進めている。そこには政権の維持を懸けた長期の戦略が マスコミを利用して流され続けている。公開される情報から弱肉強食の 国際覇権主義が垣間見えている事は、まだ、平和で良い方かも知れない。 金融は実弾が飛び交わない戦争に他ならない、全て予測と現実の隙間を 掻い潜る心理戦であり情報戦である事を白川氏が判っていると信じたいものだ。 「八景良い」では残れ無い格闘術である。

 

しびれを切ったインフレの神
ムササビ(2008年4月11日)
 

通常であれば、採算に合わないので何とか値上げを願いたい と買い手に懇願し、折り合いをつけて商売を続けるのが、この20年ほど では当たり前の時代であったが、潮目が変わったようだ。

産業廃棄物化していた木材チップ相場が一転し始めてきた。 次年度から買い上げ価格を上げて行きたいとの話が製紙業界 を発信源に各パルプ工場へと波及し、末端木材価格が上昇に転じ始めた。

もう20年以上、下がる事はあっても、上がった記憶は無く。今日までの 経過中に、どれ程の木材生産工場が廃業や倒産をしてきたであろうかと 思えば、末端価格で発火した、この潮目の変わりがインフレの神を目覚め させたと確信しても良さそうだ。

商社は、この数年間、国内木材資源を密かに買い積み上げているし。 その流れに関係なく国産木材を大量消費する補助金工場が追い打ちを掛ける かのように、潮流の逆目に駆け上がる姿を観ていると、いかに勝算無き 膨大な補助金の行方が空しくも思えて止まない。

昨日訪れた金属回収業者は、ついに「バッテリー」が上がって来た と言っていた。鉄に始まり色んなモノが上がって行く中で、これだけが 唯一変わらない価格で推移していたが、これが上がった事の意味は大きい と話していた。 末端物価の変位数は中央からレバレッジしている距離が 長いだけに、敏感に作用している。 その中央では釣り竿の先の変化を 全くと言ってよいほど不感症に成ってしまったようだ。

根は国債償還からみの日銀総裁人事が形成りに収束の兆しを見せ始める中で 2002年から始まっていた、農商工連携を進める経済産業省の戦略に 農水省がハマったようだ。金づると成る業界への先手は、さすがに経産 省のテリトリーに成って行くようだ。国士級の官僚が多い省庁の財務への 巻き返しは何を意味しているのであろうか。出来れば霞が関内部を見渡す だけでは、経産省は計算省に、財務省は在無省と名称替えをお願いしたいものだ。

余りにも、国家が観えていない国家公務員が多過ぎるし、国会ブラ下がり議員が 多過ぎる.....。インフレの神が勢いづくこの国家の憂鬱はいつまで続くのか。

 

逃げ得の顛末
ムササビ(2008年4月7日)
 

補助金流用施設の転用や転売基準が大幅に規制緩和に成るそうだ。 学校校舎の施設改修後の施設転用に関しての問題提起が切っ掛けだそう だが、果たしてそうであろうか。

小生が関係する農林分野などでは、採算や事業の将来予測を無視した 目茶苦茶な補助金注入で、リンゲル稼働中の産業施設が無数に在るからだ。 これらの施設は道路特会が横綱とすれば、大関級の「箱もの産業施設」 とも言え、しかも覆面をして各県に点在して、中小零細の企業人達が 自己資本で脈々と蓄積してきた、ビジネスプラットフォームの上で、 後だしジャンケンの如くに、商売のまねごとをして関係市場を混乱へと 招いている。

地方会計の3法が年度より施行されるとの事で、これ等の3セク絡みの 特別事業会計が一般財源と一体化されると、必ず「覆面大関」の覆面が 剥がされる訳で、関係してきた国や地方管僚にとっては辱めを受ける前に さっさと、覆面事業そのものを自治体の本体から切り離して身ぎれいに 成っておきたいとの事だろう。

このやり方は、「グリーンピア」「かんぽ」など、役人の出世基準に 如何に省予算を拡大して来た省への貢献度が人事考査の目玉に成って いたかが良く解ると言うものであろう。つい先日も小生が住む県の中級 職員が、先走った予算をとって来たものだから大いに迷惑をしてしまった。

しかし、彼らからすれば「なぜ、業界発展のためにした事に協力が遅いか」 と言ってしまう始末で、ほとほと「人の銭と身銭」の感覚の混同に驚いて しまった。余りにも経済アマチュアな行政官が多過ぎる弊害である。

今回の転用緩和政策には、待ちに待っていた人種が多く居る。 平成合併を気に露呈している地方財政の矛盾に巣食う人達が一目散に逃げる 姿と、その後に残る、まともに使われなかった高級な設備施設を、「ただ 同然」で買い漁る人種である。 この姿は、いつ見てもソ連崩壊後に起きた 、のちの成り金集団の育成事業にそっくりである。  とすれば、 いよいよ日本型社会主義にも瓦解の応力集中効果が出始めたのだろう。

中央では、不景気よ、どこ吹く風と言ってきた人種にも焦りが見えてきたし 窓の外には、廃地金の回収軽トラが毎日のように走り回っている。 まさに、時代は40年前の様相に似てきている。駆け足で走ってくる 音で、平成デフレは死語になった。日本版プーチンの登場時期を他の5者は 沈黙して注視しているだろう。彼らは日本の本質を見抜いている。

 

情報の支配者
ムササビ(2008年4月4日)
 

日銀総裁人事が異常な状態で続いているにも拘らず、揺らぎが表面化 しない。 国会は本来の職責を置き去りにした異常事態にも拘わらず 、これまた国家の土台には揺らぎが起きてこない。  地震大国日本に 於いては、この様な免震構造の社会システムが古代から脈々と存在している。

「分をわきまえる」考え方かもしれない。取りようによれば「相互不可侵」 とも考えられなくも無い。

維新が始まれば、さっさとチョンマゲを切り洋服に着替えたり、大本営時代 であれば、庶民は解っていても知らぬふりで柳の様な感覚で時代の変化に 対応し、敗戦と同時に進駐軍に対して反旗を掲げること無く、じょうずに 平和の日々を過ごす感性を持っているようだ。柔軟な思考形態遺伝子は この国の唯一の宝物かも知れないと近頃は感じ始めた。

「新3種の神技」や「一億総中流」なる言葉が躍った時代もあった。 「駅弁大学」もあった。そういえば昔から頭脳流失と嘆いていた人たちも 多くいた。 先日のTVで精華大学の産学連携のシステムが紹介されてい たが、観るほどにアメリカの産学システムの移設に他ならないと感じた。

目の前の成果を重んじるシステムは経済の潮流に踊らされてしまう事を 解ってないようだ。 基礎学問の構築と言う何とも地味な積み重ねが、 本来の学府の職責であり、だからこそ将来への社会投資や人材の育成に 必要な国家資産形成への応援として税の補助金がつぎ込まれている。

資源小国の、この国が存続していくための必須条件は、蓄積可能な 頭脳や知恵、社会システムを安全に貯め込み、かつ活用する術を 温存していくのが正しいと信じている。

しかし、現代の様な不安定が20年も続けば、成人してきた青年達には、 この国が保ってきた資産価値は理解できない。ただ、見た事も経験した事 も無い昔の良き時代と思われかねない。 「社会」から「個」へと価値観が 移動しているからだろう。「ゆとり教育」とか言われたと思ったら、もう 方向転換の兆しが見え始めている。 漢字文化圏でありながら正しい漢字 表現が出来てないから仕方ないのだろうが、ゆとりは「余裕」であり、 とても教育の文字には馴染めない2文字である。

この様な、ちょっと眼には気持ち良く観える瞬間麻薬語を駆使している 「情報の支配者」に踊らされ続けていると、国会であれ、司法であれ、 裸の王様で在り続けてしまうだろう。そう言えば、第3の権力にもこの 麻薬が蔓延ってしまっている。

大衆は知ってか知らずか次の一手を構えているのだろうか?  したたかさが問われてきたようだ。

 

本音照射の行方
ムササビ(2008年3月31日)
 

香港の統治権を回復してからの中南海に弾みが付き、改革開放から 資本主義型経済の政策導入により、あれよあれよと破竹の流れが ここにきて急変の兆しが身近の商売談にも観えてきた。

つい先日、所属の議会の同僚議員から、2か月ほど前に起きた、狐に つままれた話を聞く事が有った。20年近くも塩漬けに成っていた 大量の植木「槇」に、突然、降って湧いた商談が来たそうだ。 トントン拍子で話が進み、宝くじにでも当たったかのような金額で 中国人が買っていったそうで、そう言えばこんな光景はバブルが 華やかりし頃に日本でも同様な金銭感覚のズレと言うような事が あったそうだ。お陰で、彼は老後の資金も潤沢に成り、心細かった 将来が明るくなったと喜んでいたのが印象的であった。

その中南海のリーダーがやってくる予定だ。 本日のNHKの「総理に聞く」を観ていて感じたが、首脳同士の議論に 対して、はたして大丈夫か?と思えるほどの弱弱しさを感じて心配に 成ってしまった。 官邸が事前に用意していたNHKキャスターからの 質問に対しての回答メモにも忠実な読み上げが出来ていなかったし、 環境技術の価値を大盤振る舞いするかのような発言に終始していた。

外交は、会談しているテーブルの下で、如何に致命的な足蹴りを食わせて 相手から、にこやかに果実をもぎ取るかに掛かっている事は歴史が 教えている。 そこには、情の世界は無であろうし、実弾が飛び交わない 精神勝負の世界に他ならないし、ただただ国益の取り合いの世界である。

ただ、今日の、総理のインタビューの全体を観ていて少々不安に思えた のは小生だけであろうか。もし、中南海の外事戦略者として観方を変えれば、 手先の震えや、度重なる「貧乏ゆすり」を見せつけられたら、付け入る隙を 十分に頂けたと感じたであろう。

総理の発言にも限界が観えていた。防衛省の早期の改革を問われても 論点を種々の対外的な良い事の羅列に終えてしまい、核心には全く 言及しなかった事や、解散権に関して興味なしと思える様な発言が 出てきたのを観て、総理自身の内的な弱さが表面に出ていた。

キャスターから、強いメッセージをと問われても、はぐらかす弱弱しさ は地位の限界かも知れないと、逆に強いメッセージ性があったようだ。 リーダーが黒子に管理された姿を見せつけられてしまった今日の 番組は観ている小生にとっては、現実感に乏しい政治格差が漂う悪夢の ような休日であったし、各国のインテリジェンスエージェントに多大な 果実を提供してしまった。国家のインテリジェンスの90%は公開の情報 であると言う話を今日ほど痛切に感じた事は久しぶりであった。

リーダーの本音が見え隠れするとすれば、器に限界が溢れていると言う 事に他ならない。視界不良の政治の世界がもたらしている影響は大衆に もろに掛かっている事をも気づかされていない不幸が進行している。

 

品格再考
ムササビ(2008年3月26日)
 

相撲協会が「相撲は格闘技ですから....」と言ったのには驚いてしまった。 いや、かの名横綱双葉山が聞いたら、卒倒しそうな言葉であった。 国家の品格を含めて、品格と言う目盛りの無い物差しが最近の世間を 測っている。 TV画面で持論を言い放つだけの政治屋や、論理矛盾した 説法を高らかに発する経済アナリスト風の人種を始め、なんとも 収集が付かない事態に陥ってしまった事態に、「品格」の2文字が 世の深層心理に問いかけているのだろう。

さすがに、都知事も頭を下げてしまった。 いや、下げて取ったのかも 知れないとすれば、やはり、品格を問われてしまうわけだ。 何かを期待されて選挙結果は数字で民意を決済する。いかにも民主的に 思えるが、日々の緊張感が緩み、選挙の使いどころを間違えると、 その代償を長期に渡って有権者は支払う事に成る良い実例であろう。 これは、地方であれ、国家であれ同質の怪物が存在している。

NHKの経営方針表明の中で「若者に視点を置いて、幅広い世代層へ....」 とテロップが流されているのを観て、はて?と感じてしまった。つい、 数時間前の国会内委員会での会長の発言とは少々違う視点に成っている やに思えるからだ。委員会の中での回答者席に連座していた経営委員長 が影の会長か?とも観えてきてしまった。 無害そうでソフトな会長を 据えて、実利は...とも観える手法は、官僚制度が維新後に脈々と この国に蔓延らせている管理手法に他ならない。

この種の管理人種に、「哲学」や「信」が無くなってきて屋台骨に ヒビが顕著に露出している、これを察知した大衆が「品格」を買い始めて 遠まわしに批判している状態は如何にも平和的で「和」の兆しであるが 事態は「個の利」に熟されていて、とてもこのレベルでは回復不明と、 艦船事故や、警察の捜査体制が如実に証明している。

このような不安性が世に蔓延して熟すると予想すれば紙幣の価値は「紙屑」 に変化してしまう事は歴史が再三にわたって教えている。なぜ資源価値が 独走しているか。何の事は無い、不安が集中する逆バブルが発生している だけに他ならない。熟した果実は落ちる運命に在る、だれがババを掴むか のチキンレースが世界を駆け巡って来た。絶好の投機環境が進行している。

投機の世界に品格は存在しない、結果の実利のみが評価の物差しにあるのみ だからだ。 かの英国の戯曲家もこの問題を問いかけていた事が有ったと 思えば、マネーの核にいる人々は歴史が変わっても変わっていない事に成る。 せめて、鎖国でもしない限り「品格」は復元できそうにも無いようだ。

 

三角形の歪みの責
ムササビ(2008年3月21日)
 

工業技術屋の世界で「応力集中」と言う4文字が有る。構造全体の 強度対応バランスが設計されて無いとか、設計上の予測可能な 強度の連続性に見落としが有れば、構造物に対して掛る応力は 一番弱いところへと集中して行くという事だ。 この話は、40年 前の学舎で教えて頂いた。 同時に、躯体であれば、ダイナミズムな 応力が繰り返し掛かっていれば、「疲労」という、なんとも人間らしい 状態に陥る事も教えられた。

今まさに、この国の三権の一角に躯体疲労が顕著に成っている。 その国の通貨管理は、国家の価値観の管理に他ならないし、同時に 金融管理は、国家経営運営管理の底の底に位置している事は当たり前の 話であるにも拘わらず、三権の一角の国会と行政が正三角形を成して無い。 まるで、イラクからの撤退が出来ない米国のような「呪文」に呪われて いるような気配さえ感じてしまうのは小生のみであろうか。

グリーンスパン氏が、この国を間違いの手本として見据えて舵取りをして 積み上げた金利も、急加速でヨリ戻しを起こして居る。この急変事態に 於いてFRBは表向きの話し相手を誰とすればと歯がゆい思いであろうし、 インフレに懸念するEUも国際三権の一角の筈であった「円」の対応を 苦々しく思っているだろう。 この国が混乱する事が、あのBIS規制で やられた仕返しであれば、なるほどとも勘ぐられなくも無いが、 そこまでの戦略が金融当局にあればこちらの見方も変わる。

バカラ賭博の世界で、最後に勝つのは資金力とタフさだと賭け事好きの 親友が飲みながら教えてくれた事が有る。 まさしくこの世界へと 国際金融は足を踏み入れたようだ。

だとすれば、金融応力は何処へ向かうであろうか? 必ず応力は集中する 法則が有る。 その来るべき応力集中への補強を誤れば躯体そのものが 多大な損害を受ける事に成る事は明白であろう。 国家がピラミッドの 三角形を維持し安定していれば、そのスキは無いに等しいが、大衆が三 権力への不信感を束ね始めるエネルギーが起きると、収集が付かない 亀裂の進化が躯体に始まる。 いち早くその対応をすべき戦略が無しと 察知された時点で応力集中が始まる事を福田氏小沢氏の視野には無しと 観えるし、双方に政党の統治能力は皆無であろう。メッセージ性の無い 政治家は、TOPには座れない時代にも拘わらず、よろしくを言った政党に その責任はあるし、最後は有権者の自己責任でもある。

 

過剰安定に巣食う人達
ムササビ(2008年3月17日)
 

財政と金融の分離と独立が総裁には課せられていると、言い放って いた筈の野党政策担当者がTVで言いだした事に驚いてしまった。

日銀総裁は、物価安定を重要な課題とし国民生活の在るべき姿を考えた 金融政策をすべきだとも、言い放った。すらっと聞き流したいが、論理 矛盾があり、何か無性に情けなくなってしまった。

財政と金融の分離独立は聞こえは良いが、これは、あくまでも平時の スタンスで有り、何か国家の非常事態が起きつつあると察すれば、果敢に、 かつ機動的に国家全体の利益を考える事を最優先出来る思考の持ち主に その政策決定を委ねる仕組みでなければ成らない筈である。

財務省が武藤氏を、しゃがむりに総裁へと布陣を張ったのも解らなくも 無いが、やはり「読み違え」があったのかも知れないし、更なる作戦が 進行中なのかも知れないとも勘ぐって行ける。 であれば、小泉氏に 痛めつけられた官製利権の復活を積み上げているのだろう。

この国の中には、国家を考えない国家公務員と地方を考えない地方公務員が あまりにも多過ぎるようだ。大阪府に於いても同様な女性労働組合員が マスコミを介して新府知事に詰め寄っている場面がTVで流されていた。 国家公務員は、やはり外交と安全保障に限定した組織に簡素化してしまうと 国民へも解り易い組織に成り、結局 税の無駄使いの極小化にも繋がっていく だろう。だいたい議員としての専門性を疑ってしまうような芸人風の 国会議員も多く点在しているようだ。議員公務員供給過剰であるからだ。

管理者の意見にそぐわない、管理される側が多ければ、組織そのものが瓦解 してしまう危険が有る。民主的な手続きが大事であるが、どこかに合意を 目指そうとする基本姿勢が無ければ行政であれ、政治であれ、国民不在の 論法が堂々とまかり通ってしまう。 しかも平然とである。グローバルだと 言い放っているだけの低質な評論家に似た議員こそ内向きな議論に終始して いるのを観れば、戦後の甘えは国家の隅々まで浸透してしまったようだ。 「盲目の愛」成る言葉が流行った時代が有ったが、議員が国家を論ずるにあたっ て、周りの世界が見えなければ困ったものだ。

 

術の表裏一体
ムササビ(2008年3月13日)
 

何とも悩ましい世相が、国内にとどまらず国際間に於いても蓄積されている。 オバマ氏とクリントン女史の決着も未だ不明で、マケイン氏は意外と 漁夫の利かも知れないとも思えてきた感もある。 論戦は、聴き手に 何を喚起でき、聴き手の感情を自らの主張に共鳴させるかが本質であり、 決して、相手を論破する事では無い。 論戦相手をも飲み込んでしまう 力量が備わっているかを問う、高度な術に他ならない。

術の前に「魔」が付くと、かっての欧州村の中に、いつの間にかヒトラー の登場を待ち望む世相が産声を発し始め、微小な音源から共鳴する力が 倍々ゲームで、取り返しのつかない破壊活動の戦争へと拡大していく。 戦争も金融バブルと本質は同様ではなかろうか?  問題解決への収拾 に役に立たないコントロールバーの存在が、返って混乱を加速させて 逆ギレし、破壊後に終息に向かう歴史が繰り返されている歴史が、人間の 歴史に他ならない。

歴史は変化の兆しの潮流の原点に「金融の混乱」がいつの時代にもある事 を教えている。 資本主義の彼方には常にその混乱が待ち受けている宿命 が有るようだ。 日々の生活で必要な価値の交換手段だけで間に合っていた 為替行為も、いつの間にか先物でのリスクヘッジが堂島から産まれ、 いつの間にか、あろうことか、先物が現物価値の存在を脅かしているようだ。

「消費覇権」とでも言おうか、物流を介しての経済活動には必ず「売り買い」 の原点が有る。 企業が生産の拡大を図り、収入を拡大しなければ成らない と信じればこそ、買い方の暴論も聴くに得ない訳だが、そもそもの経済行為 の手形の証文を買い方が発行していれば無限の価値が想像できる訳だ。

買い方は、この魔術を手放すことを極力避けていく手段を講じ、 常に買い方有利に働く効果を先行投資していくであろう。 覇権力は武力の サポートに囲まれながら、増殖しているが、陰りが見えたと油断させるのも 作戦かも知れない。  かって、大阪万博時に「お客様は神様です」と 唱える国民的な歌手がいたが、 買い手と売り手の力関係をまさしく、 言い得ていた。

投資の妙味は市場への混乱を如何に仕掛ける事が出来、その変動幅を先物で レバレッジするかのゲームである事に他ならない。投資と融資が同居して しまえば、銀行は何処へ向かうのであろうか。石原銀行も世界の銀行も 同質の矛盾を抱えている。今の時代、借りてしまえば頂いたようなモノ であると民事再生法が教えているように。グローバルボーダレスの魔術は はモラルをもボーダレスしてしまったようだ。収束の手段は限られている。

 

本末迷走省
ムササビ(2008年3月7日)
 

「消費者省」を作ろうとするそうである。総理が言う生活者重視 が、いつの間にか消費者へと文字が変換されて行く姿を観ていると 何ともしがたい官製の妖怪が観えて来てしまう。 つい、3年ほど前であったろうか、中東で邦人が巻き込まれた事件で 「自己責任」の文字が各紙やマスコミを賑わしていた頃が大昔の話に 感じてしまうから、時代の流れが如何に速くなっているかが良く解る。

確かに、消費者を保護する事は大事であるが、「過保護」が何を産み 出してきたであろうか。規制、奇声、既成、気勢、などの連続方程式の後 に極めつけの「寄生」と言う天下り先を生産し続ける官製構造に至っている 事を、そもそもの消費者が知る事が先の話である。

改革の劇場におんぶに抱っこの丸抱えの中で、自己責任で事に掛かる事の 難しさと危機管理心の無さを露呈した大衆に受けが良いと狙った総務省 の官僚たちが寝無しで考えたのだろうが、このシステムに掛かる金額を 誰が計算公表してくれるのだろうかと案じてしまう。

また、待機児童を無くして、母親が安心して仕事が出来る体制を作ろうと する話もある。   チョッと待て、子育てとは、育生とはの本来の姿は 何だい? 生活を支援するために母親が子育ての時間を割いて稼がなければ 成らなければ、その根っこの問題に手を付けるのが筋であろう筈である。 別に男尊女卑の老害者では無いつもりだが、家庭の安定を基準に考える事が 出来る女性が増える事は、引いては家庭以外の事柄にも目配りが行き届き 更に引いては、食の安全の問題や色んな人間の弱みに付け込む商売やモノ への防御学習も出来そうなものである。

世に流れ溢れる不可解なる情報をジックリと選別する能力を高める為にも 家庭の中でジックリと時間を過ごす事が出来る女性を配置する事が、 引いては税の無駄遣いを減らす事へと繋がって行く。 それは国家財政の 負の資産のみを、あげつらう財布の官理者の言う事の矛盾が見え見えの事 と気が付くはずであろう。 とにかく頼らない国民を目指すべきである。 常に、官性は自らを増殖する遺伝子が有る事を認識するべきであろう。

ケネディーが就任演説で言った言葉を思い出したが、今、あの国で同じ ような国民的な現象がオバマ氏に向けられている光景を観ると、リーダー の存在を作って行く「ハーバード機構」の知的生産能力に感銘する。 それに比較して、国家の金融の要を政争の具にしてしまう頭の連中には 早期退職を敢行したいもんだ。 政治や金融を国際で考えられない連中に 地球温暖化などの話が出来る筈も無い。  情けない.....。

 

打たれ強いか
ムササビ(2008年3月3日)
 

ボヤキにも米国金融周回遅れの事が書いてあったが、本日のTV画面上での 幸田女史の発言にも同様の内容が含まれていた。 スタグフレーションの 言葉が、そのうち一般の家庭にも浸透するであろうと思う日曜日だ。

あまり馴染みが無いカタカナだが、不況進行下での物価の上昇だから、 なんとも癖が悪い。間違いなく所得格差の違いが社会現象として浮かび上がって くるであろうが、いた仕方ないようだ。 その上に消費税UPの話が財務省から けし掛けられるとすれば、まさに官製恐慌のドアを開ける事にも成りかねない。

政治に安定統治能力が無くなれば、その政治を取り巻く社会は大きな 代償を払わされてしまう事は歴史が教えている。 にも拘わらず国会 での滑稽な見せかけの対立が経済への悪影響を加速している。  通貨の番人を誰にするかでネジレが起きてしまえば、円の価値にも陰りが 見え始めてしまいそうな気配である。

先日、中国での建材商談でのやり取りを聞けば、決済はユーロか元でしか 行わないと、ドルへの不信感をあからさまに告げられたよと、友人から聞いた。 色んな国際政治や金融の場面でゴールドマンサックス発グローバリズムの ドルメッキが剥げ落ちてきたようだ。 しかし、大波の中、よく観れば 我が国はデフレを経験している。 物価が下がって得た余剰で安易な消費が 巻き起こす経済の見せかけの実態も認識できたし、真の価値や対価が何かも 学習してきた。  これらの余剰消費から真の価値ある消費経済への転換が 進むとすれば、もう暫くは続くであろうこの国の危機を乗り越えられそうな 予感もしないでは無い。

餃子で得た食の安全性やイージス艦事故で得た最新鋭艦の実態は、今までの 何気なく食わされてきた「価格破壊」の劇薬の副作用から目覚めさせてくれる 良い機会であったのかも知れない。 あまりにも安易に過ごさせて貰ってきた この60年のツケを清算するための始まりだろう。そろそろ、この国もドルの しがらみから独立しても良さそうである気がするのだが.....。

 

機能不全状態
ムササビ(2008年2月25日)
 

この国が押さえておくべき危機への対応が、また一つ試されてしまった。 イージス艦と漁船との海難事故は、なだしお事件以来、内局のペーパー処理が、 現場では何も改良が実行されていなかった事の証明とも観えてしまう。

橋本新大阪府知事が、「現場を観ていなかった、ただの机上の空論だった」と発 してマスコミ各紙で言質を追いかけられている姿の翌週には、たちどころに次の ネタを追いまわす背広組のキャスターが奔走している画面が歪な感情で世論を引 き寄せようとしている。 何ら本質的な議論が成されない国会も、ただただ時間 の麻薬を打ち続けているだけで、三権本来の国会の在り方は成す術も無くしてし まったようだ。

先の参議院選挙で国民が示した結果を、どう国民が判断しているのだろうかと思 うが、やはり、衆参制度での政党政治の現状に対して違和感を感じているであろ う。 制度仕組みに違和感はあるが、民主党は、ようやく手にした参議院与党の 価値を持て余しているようにも大衆に表現している。 解散が無い参議院では、 政党政治から脱して、もっと良質な本音の議論が成されてしかるべきだが、どう も政治家が政治屋からの脱皮をし切れないでいる姿が有るようだ。

国家の基盤を成す、国防でも、日銀総裁人事でもしかり、TOP人事の行方は民 衆に支えられてきたのであろうかと思う日々である。 政治の表の顔と国会内で の裏の顔を持つ政治屋に翻弄され続けるこの国の行方を案じてしまうのは小生だ けであろうか。 公の世界には「仕事」と「任務」が並立している事を忘れた公 務員が多過ぎるようだ。緊急即応体制での自衛隊や消防、警察などは、仕事の概 念の中での任務意識の極大化を求められている。 にも拘わらず、仕事のレベル で艦躁を行っていたとすれば、任務への哲学が机上の空論で終わっていたと言う 事に成る。 事務次官がゴルフを連日繰り返していた危機管理感覚が現場にも伝 わっていたようだ。 未だに劇場再開を望む大衆の声は多いようだ、どこかのタ イミングで彼は始動するだろうが、虎視眈々とその時期を狙い定めているように も見えてきたようだ。

この国で戦後に、かき消されたモノの本質がようやく六〇年を経て膿のように国 家の装置に露呈している。先日、91歳に成った母と話して居ると、毎日観るN EWSを観ていると、今思えば、あの時マッカーサーがこんな国にしたかったの かとつくづく思うぞ倅や!とつぶやく姿が有った。

 

急速冷凍経済
ムササビ(2008年2月13日)
 

中国製冷凍食品がTV画面を賑わして久しい。 昭和30〜40年代を 田舎で過ごした小生にとってみれば、何とも歪な食生活が現代で行われていると 考えていたし、やはりその感覚のズレは修正されて行くだろうと、この餃子問題 は平時の国民へ警鐘を投げかけている。

平和とは当たり前で無い事であるにも拘らず、この国は当り前のように60年も 平和の配当に享受している。国内での平和への緊張感が緩み、緊急とか即応とか の文字が政治の下支えを無くしてしまうと、底辺の国民は何を最後の砦と信頼し 暮らし、経済活動を繰り返しながら生活を持続していくべきかを考え始める。  不安の勃興である。

色んな時代に、この庶民感情は歴史を変える原動力の火種となっている。イスラ ム原理主義者とキリスト教原理主義者の二人の大統領が、国際間の色んな問題の 深層に位置しているとも思えるし、その事が世界の平時経済に大きな揺らぎを発 生させていると観えてしまう。 この二人が任期中に何をするのかで世界は緊張 か緩和かを選択せざるを得ないだろうが、そのタイミングは間近いかも知れない。

国内経済では、地方経済の収縮が急速である。 住宅関連に始まったこの急速冷 却経済は、あのオイルショックの時をも想い起こして居る。 半端な冷却では無 いにも拘らず、政治の打つ手が観えてこないし、画面報道され続けられる問題は 国内の真実を的確に捉えていないと考える。 いざなぎを越えたと叫び続けた声 は、つい1年も経たないのにである。 衆参政治が混乱し機能を無くしてくれば その弊害は公務員で無く、一般民間人に直撃してしまう事が建築基準法改正で露 呈してしまった。 国際であれ、国内であれ、いつも被害者は平民に及ぶ歴史が ある。

 

情報消化不良
ムササビ(2008年2月4日)
 

虚実の混同を組み合わせて長年の間に成長してきた金融世界に、微小な変化とも 取れる事態が起き始めているのではと考えたくなる事が目につく気がする。

当たり前のように成っている円のゼロに近い金利配当にも拘らず、円の流通経済 の中だけでしか生きられない国内人口の中に、相当な鬱積した感情の高まりを感 じてしまうからである。 アメリカのサブプライムの借り手は年収300万〜4 00万の世帯であったそうだが、この枠を国内に当てはめてみると、どれ程の住 宅ローンがこの枠に当てはまるだろうか?  相当な住宅ローン市場を受け持っ ているかも知れない気もする。 まして、貯蓄率は低下の一方を加速しているに も拘らず、基礎物価の上昇は加速している。  これらの低下と上昇の関係が何 を意味しているかは団塊の世代が経験してきた時代を振り返ると観えてくる気も するようだ。

当たり前のインフレ経済の世界で、将来所得を担保にローンを組み現実の世界で 分割支払いをする事が結果として経済を活性化できたし、インフレによって負債 価値を時間軸で減価出来たのが20年前であった事を思うと、今の30代世代は 全く違うデフレ経済の仕組みしか実経済経験が無い。 若い彼らにとっては起き 上がり始めたインフレの姿はまだ見えぬ妖怪であろう。 正常なインフレ経済が 広まればこれに越した事は無いが、そうは問屋が許す筈も無いだろう。

取得の上昇は出来ないが、10%単位で上昇している消費物価は可処分所得の低 下へと加速する気配が有る。 20年前に始まった価格破壊で傷ついた物価は、 ようやく正しい価値を見いだせるのだろうが、物価が下がる事の効果がこんなに も自前の産業を破壊しつくしてしまうと誰が予想していたであろうか。

物価が下がり続ける事が目の前の消費にとっては好都合であるが、まわりくる価 値の劣化の連鎖で、いつのまにか自分のしている仕事の価値までも劣化させてい るスパイラルにハマっている事にようやく半数の消費者は気が付いたであろう。 デフレが残したものは何であったであろうか? 仕事を無くし、貧困を生み、将 来への希望を劣化していくだけで、カネの姿のみに価値を見出す異常な経済社会 であった。 食の安全にしろ、国防にしろ、金融にしろ、国家の屋台骨に応力集 中が起きかけていると危惧してしまう。 底辺の「信頼」が揺らいでいるからだ。

消化できない映像情報に惑わされて久しい現実が有る。意図的に流される情報に 翻弄され続ける弱者の行く末は何処へかと更に危惧してしまう。言論の封殺から 歴史は繰り返すのだが.....。

 

金融ウイルス
ムササビ(2008年1月28日)
 

予測不可能な事態が起きそうだと予測する事から、事態はゆっくりと転身を始め て行く。 極々少数の単位のザワメキが波紋を派生させて拡大していく「生け簀」 の中での世界であり、必ずや生け簀の枠で波は消波する運命であるにも拘らず、 終焉の無い波に観えてしまうのが、相場のうま味であり、面白みであろう。

今回のソシエテGのスキャンダルは、映画にも成ったベアリング事件を彷彿させ る。 あの事件以後に証券会社は相当なシステムパッチをしている筈と思ってい たが、やはり悪意に基づいてする行為には打つ術がないのが現実かも知れないと 思ってしまった。 LTCM破たん時に金融世界の大方の人々がノーベル学者集 団でまさか!と思っていたが、相場の現実とはコントロールの文字が当てはまら ない世界である。あの時には何故か、あの民主国家で奉加帳方式で危機銀行が救 済されたが、今回のサブプライムは正に、潜水している体積分量の予測が不可能 に近いような迷彩色で幾重にも塗り重ねられている危険が有る。

日本で住宅政策不況が昨年の中間期から始まっているが、これは正に人災そのも ので、完全に予測可能であったにも拘わらずにも国交省は国内経済に対して劇物 を投入してしまった。 サブプライム問題でもしかりで、日本はこれに良く似た 傾斜ローン住宅販売の悪意を早めに摘み取っていたので、ウイルスの伝播は少な くて済んでいる。 ローン会社のリスク管理が甘くなれば融資は拡大され続け、 経済は実態から、かい離膨張してしまい、伸ばし過ぎた兵站を管制不能と成り、 そもそもの実態が瓦解してしまう。

英国でも、中国沿海部でも、同様な住宅バブルが弾け始めている様を観れば、程 無くロシアにも伝搬して行くとみている。 これ等の経済の姿は15年前の日本 に良く似ている気がする。 デフレに陥り実経済の実体を感じたこの国の教訓を 今後の世界はどう生かしてくれるのであろうか。 資本主義の顔を持っていた社 会主義国日本が瓦解してもう久しい、お隣では社会主義の顔を持った資本主義国 中国の、トウ小平以後が試される時代に成って来た。 ルービン氏やサマーズ氏 が放ったアメリカ発の戦略ウイルスが世界を席捲している。

 

経済震災後
ムササビ(2008年1月17日)
 

あの大地震から13年が過ぎた。自社さ政権で村山氏が総理をしていた頃だった と思いだすと、その後も政治の揺らぎが続いているのが良く解る。揺られ続けて いる政治の中核には小沢氏の存在が続いているが、今一歩、大衆の理解が得られ ない不完全燃焼の状態で結果が続く。

この国が金融バブル崩壊後に経験した事は、今後の歴史家が書き表すであろうが その後の、この国の対応を、グリーンスパン氏も米国金融の管理に於いて、一定 の座標軸にしていたと聞くし、彼以後にはそのほころびも観えてきた。今回の日 中金融当局の対話開始に於いても中国金融担当者が、危機への対応の整備に先駆 者の知恵を欲しがっているのではとも勘ぐられる兆しも見える。

バブル以後の経済混乱の一因に政治の混迷が有ったのは誰しもが承知し、揺らぐ 政治の混迷から抜け出したがって、大衆は劇場政治を選択した。 大衆の意志が 内閣に向かったからこそ、良くも悪くも経済に活力が芽生え、瓦解寸前の国家の 経済基盤が立ち直るかにも思えたし、海外からの投資の呼び込みにも一役買った。

しかし、劇場以後は政治混迷の兆しが復活しそうな気配と観た投資家は手を引き 始めているのを観れば、自活力を感じ得ない政治に、なんとも不甲斐無さを感じ るのは小生だけであろうか。経済基盤の金融を動かす対輪の政治が不安定さを増 せば経済が混乱をし始めるのは当たり前の話で、この混迷を打破し軌道修正する ための余力は国内投資に向けるべきで、傷んだ米国の銀行への貸し付けに回すよ うな余力は無いと思える。 燃料補給支援法と似たような状態が金融でも起き始 めているのは、蓄積された富の使い方を他人任せにしてきて、自らの生活力基盤 整備も自己責任で出来なかった戦後政治の欠陥が埋められていない証では、と思 えば、25円の税の議論が空しく聞こえてくるし、官製不況が劇場以後から続い ている事を表だって論ずる報道は見かけない。

税を論ずるには、国家を論ずる足元の議論が有るはずであろうが、この国の会計 制度の矛盾を指摘させない闇の会計管理者の存在があることを報道は何故か言葉 にしない。官民の片方の側で解決するような議論で民事政治に関与し続けている 不可思議さが有る。この報道感性こそがこの国の汚泥に思えて仕方ないのだが、 いまだに経済震災の復興は成し得ない国内での消耗戦が続いている。

 

哲学の有無
ムササビ(2008年1月15日)
 

消費者重視、生活者重視の政治と行政に舵取りをすると施政方針演説は 方向付けされたらしい。  その報道を聞き、またか、との想いが頭を駆け巡る 欝な気分に成ってしまった。 片や、盛んに報道される米国大統領選挙レースで の民主党に対する報道は、もう、次期大統領は民主党で決まりであって、要は、 誰がリーダーにとって相応しいかを民衆に問いかけているようにも映っている。 比較すると失礼かも知れないが、自民党内での選挙の洗礼を受けただけの総理の、 演説は幹を次期衆議院選での議席獲得に置いている事は間違いない論旨であろう。

片や、オバマ氏やヒラリー氏から聞こえてくる演説は、国家の在り方や自らの国 家論を国民に問いかけている。 それは、候補者の内なる叫びにも聞こえてくる。 中でも、オバマ氏が掲げているアメリカ国民として如何に処するかを問い掛けて いる姿は、小生の年代になれば、かっての生前のキング牧師やJFKを思い出し てしまう。 二人とも凶弾に打ち砕かれたが、彼らが放った理想の哲学は今でも アメリカを奮い立たせる原動力であることが今回、アイオアに始まったレースか ら読み取れる。間違いなく、アメリカ国民はテロとの戦いと言う呪文から解き放 たれようとしているのだろうし、その選択も民衆から湧き上がっていると感じる。

昨日の、台湾選挙戦後の報道を観ても、大きな流れは大陸との「対立」を薄めて 行くべきと台湾の民衆の70%もが示したものだろう。 オバマ氏が唱える民主 でも共和でも無いアメリカを...と似ている。

我が国を見渡せば如何であろうか。 バブル破壊以後停滞する大方の国民感情は 暗いと感じている。それの転機を小泉氏に託した民衆であったが、何かしら引き ずっている汚泥が有る。与党でも無い野党でも無い衆参でも無いとの国民の心の 揺らぎは今でも続いているのに、生産者重視から生活者重視へとの2軸論旨には、 ブッシュ盟友の劇場主宰者が放った郵政民営化決断を迫った「対立」の再燃に他 ならない。

総理は、国際社会が無駄な国内間の対立を避けようとする内政の流れに反して、 またしても国内へ対立を蔓延らせようとすれば、時代錯誤に他ならない。それは 内紛が始まろうとしている、かってのユーゴと変わりない事に成る。貯蓄率が下 がる一方の国内経済の主因を打ち砕き、国民を将来への希望に掻き立てる為の方 策は、国民をまとめるだけの哲学を込めた言葉を持ち合わせているかに懸かって いる筈である。この国の中に鬱積する汚泥の様なエネルギーの行く先をミスリド ーしたのが戦前であり、その引き金は経済の停滞から始まっている事は歴史が教 えているにも拘らないのに、 国民が国民の代表者の判断に注視している議場か ら地方選へ行ける程度の感性の持ち主には、国民の緊張感や汚泥の存在は伝わら ない。

 

思惑の限界
ムササビ(2008年1月7日)
 

株式市場の雰囲気が暗くなり始めて来たようだ。 もちろんこの空気は世界中で 予見されていたし、予見されていたからこそ始まる空気でもあろう。 ケインズ だったろうか、この様な空気を「美人投票」の様なものだと例えていたが、まさ しくその通りと思える。 市場を動かす神の手の存在とでも言いたくなるような 事があるが、これらも、市場関係者の思惑の積み重ねが、あるタイミングで一致 してしまうと発動される気もする。

株と為替、コモデティーなどの思惑が絡み合い、解きほぐす手段は歴史上では 権力が責任を強制消滅させるか、戦争などの武力による破壊しかあり得ない。国 際通貨システムに澱みが起きてしまえば、価値を交換する装置にクラックが入り、 基軸通貨の存在を脅かすことに成り、貿易の根幹が揺らいでしまい、急激なクラ ッシュを招く事に成る。

基軸通貨ドルの背後には潤沢な金の存在が有る。そろそろニクソンが、「暫くは ドルと金の交換はやらない!」と言った事を変えてくるのかも知れないと、つい、 勘ぐってしまうような二つの関係に成って来た。 そうなってくれば、ユーロと ドルに依る通貨覇権が加速してしまうだろうし、暫くは混乱する国際社会になっ ても変では無いだろう。

それは、安定成長神話に乗っかった平和の時代とは似て非なる世界へと成るであ ろうと予感している。 この予感が広まってしまえば、広がっていく時間のある 時点から全てに於いて緊張感が高まるであろう。 そんな時代は来て欲しくも無 いが、不安を蓄積し続けている大衆の深層には如何なる形であれ「変化」を待ち 望む空気が膨張している。おそらくこの空気を「悪魔の誘い」と読んでも差支え ないかも知れない。

 

金融の力量と経済の根
ムササビ(2007年12月27日)
 

地銀の多数に収益減が続いている話を大学生の次男にしたら、何故だ?と 尋ねられた。 「売り上げが足りないからだ」と言い放つと「銀行は何か売って いるのか」と妙な顔で聞き返して来た。日銀の基準金利の話から預金と貸付の利 ザヤに至るまで長々と話を聞き入ってくれたが、チョッと待て!商学部でありな がら経済の基本が解かって無いぞ!と怒ってしまった。

引当金勘定を当てにした付け替え商売で、あくせくしている銀行には呆れてもの が言えない事も話すと、最後はどうなる?と聞かれてしまい、儲からない商売は 続かない予定だが解らないなぁ〜〜と締めくくっていた。

金融庁が出来て何年だろうかと思うが、大蔵から独立した機関は、まともな仕事 をしているのだろうかと想いたくも成る。金融を縛る時と緩める時の「たづな」 を逆にしてしまうと経済は転んでしまう。アメリカ発の住宅不況は世界中へと伝 播するだろうし、まさに今年は梅雨明けに日本が別な形で住宅市場に激震が起き ている。 行政と政治がうまく機能していない手本が日米両国に存在している事 に成る訳だが、事はそれをレバレッジしていくであろう。そう言えば大蔵解体の 引導を渡したのはサマーズ氏だったかなあぁ....。

思惑で流れる経済が実体経済に影を落とすなんて情けない話であるが、金融の管 理者が真っ当な仕事をしなければ、金融に生ずる小穴から国家の存在を脅かす事 態へと負の連鎖が起きる事は何度となく止まらない歴史が教えているが、限りあ る人間の寿命に乗っかかっている大脳にはその刺激が麻痺してしまう事も多いよ うだ。

不安定な政治基盤の上では不安定な金融政策が蔓延ってしまう。普段では見逃し てしまう経済の根の存在を大衆が認知する日はいつであろうかと思いながら今年 の筆を置く。

 

隣の芝生
ムササビ(2007年12月25日)
 

「夜明けの兆しだ」と最後に結んでいるのは朝鮮日報の18日社説である。 読めば読むほど、今の大統領に対してのマスコミ人の恨みつらみが書きなぐって ある。しかも狂気のさたで過ぎた時間とも揶揄してみたいような雰囲気も感じ られているのは、如何にマスコミを味方に付けなかった現政権の失策の末路かが 良く解るようだ。

マスコミを味方に付けた小泉氏の劇場運営の方法を真似したかったのだろうが、 そこは一枚も二枚も役者の格が違っていた事と、軍事独裁政権からの離脱時間が 未だ余韻していた事が響いたに他ならないであろう。そう言えば朴独裁政権時 代の朴氏の評価に対してハーバードが方向転換しているらしい。トウ小平氏も 含めて彼らの政治指導力を長期視点で評価してみたら結果として正しかったと言 い始めている。進歩的と言われているハーバードでも冷静に長期的な視点で現 状の積み上げである歴史を見つめている事に成る事だろう。

イラン政府の核戦略に対してもホワイトハウスと視点が違った分析が情報機関か ら報告されて公開されてる事態を観ると、ブラフかも知れないが、多面的な視点 の存在を有する民主主義の根っこをも垣間見る気持ちに成ってしまう。

今回の、韓国での大統領選挙で何が変わって行くのかは不透明であるが、結局は 政治への信頼度が最後には国家の動静をも左右してしまうだろう。相棒を失った かに観える金将軍の次の一手は何かと思うが、我が国においても、政治への信頼 度の低下が劇場以後に続いている。

政治への信頼度の低下は、即 経済波及効果が出てくる。 いざなぎを超えたと華々しく叫んでいた経済閣僚は今は居ない。 どこがいざな ぎを超えたんだと不思議でしょうがなかったが、この国の金融機関が今行ってい る金融の本質は、明らかに金融の原点である「価値の創造」に逆行していると感 じられてならない。 金融本来の預金と、それをてこにした融資で産業の価値を 創造していた時代から観れば、様変わった時代に成っている。  リスクを取れ なくなった金融に未来は無いだろう。 何でもサブプライムですと唱えたがる学 者や評論家が出始めたと思ったとたんに、福岡県の今後の税収の落ち込みの影響 は200億円くらいはサブプライムの影響とTVで流されたのを観た瞬間に大本営 の亡霊が蘇って来たかに思えた。

来年から政治が変わると感じている韓国国民が少々羨ましくも思える年の瀬であ る。

 

主権の管理者は
ムササビ(2007年12月17日)
 

チョッと前の時代には、官僚が大蔵との予算折衝で最後の詰めの場面を 堂々とマスコミに向って演出していた時代が有った。

大臣復活折衝のセレモニーがそれだった。 これがまた渡辺行革担当大臣がマス コミ画面に登場し始めて、またやってるな!と思わしき場面に遭遇した。 担当大臣であるから任せてしまえば良さそうなものだが、町村氏によれば、最後 は官房長官か総理官邸が決断をするから、とのことを会見で言っていたのを聞き、 呆れてしまった。

復活折衝によって「顔」を立てる出来レースが今でも横行しているのを観れば、 行革の結果はとっくに終わっている事に成る訳だ。主権在民をうたうこの国で 主権の代表者であるはずの国会議員諸氏は、国会で代表者として何を主張し何を 履行しようとしているのかを疑ってしまう。  肝炎被害者救済に於いてもしかりで 「時期が来れば.....」と権力の代表者が論点を、はぐらかし、 そんな約束を した事では無いと核心から遠ざかろうとする厚生労働大臣や、京都議定書と、さ も我が国の主導で導いたかに映し出す環境プラットフォームの「京都」の文字も 酸化してしまった今では、COPでアメリカに追随する環境大臣の暗い顔が映さ れている。

そうこうしていると、メガバンク4行へ「俸加帳」が4000億円も送りつけら れてきた。もう何年続いているであろうかと思える国際為替管理体制の基軸通貨 の存在酸化を少々嫌気がさしこんできているのは世界の本音だろう。

主張を阻む壁がこの国の存在感や主権者の筈の国民へ影を落として居るのだが、 主要なマスコミは核心に手を触れたがらないのは報道の自由を勝手に解釈してい るに他ならないのだろう。10数年来ですと値上げの報道が画面を賑わしている のを観れば、米100俵の話で耐えに耐えている庶民の不安を加速するインフレ の時代が進行中である。

政治は税の配分である、とどこかに書いてあったが、役所の取り合いに成ってし まっている現実があるのに、それに加担する一部の政治家が庶民の希望を適切に 摘んでいる.....。 情けない。

 

バスケットの中身
ムササビ(2007年12月10日)
 

あのタイバーツ危機の後に通貨バスケットの仕組みで次の危機に備える 体制が図られたがどうなっているのだろうかと思う。あの頃は「元」の存在感も それ程では無く、ひたすらにドルの横に並び添っていた「円」の存在が際立って いたが、現在に於いては隔世の感がある。

国際関係に於いて国際流通通貨の急激な変動は、国家自体の信用度を外部から判 定され、引いては中に住む国民性への信頼や外部から想像される国家の価値観へ 変動にもつながって行く。判定の基礎となる基軸通貨はポンドからドルに代わっ て久しいが、その体制にも陰りが観えてきたと思える事態が起きてしばらく続い ている。

国家存続に於いて必ずと言って良いほど必要な存在は「石油」であろう。すべて の安全保障や金融は石油に絡んでいる。この事は無視できない常識であるが、あ まりにも当たり前すぎるのか、日常での危機のシュミレーションを無視している からか知らないが他人事の様な話がこの国で蔓延している。

どんなに石油価格の変動があっても他人事の様な感覚で論じられ続いている。 もうすぐ12月16日が巡ってくる。 あの時代になぜ戦争へと国家が転進して いったのかは未だに明快な答えが成されていないし、ただただ反省のしかりで、 事の本質に到達しようと出来ないのは何故か。

先日、予科練を過ごした老人と話す機会が有った。 彼が、原爆投下の場所と日時を当時の軍関係者は知っていた筈と教えてくれたの には驚いてしまった。 しかも8月15日の玉音放送前日は終戦では無く休戦の 命令であったとも聞き、末期的な国家の状況が如何に不安定な情報で構成されて いたかをしみじみと理解してしまった。

国家にしろ、安定を求めようとすれば大きなモノに縋って行くのもひとつの術で あるが、永遠にその大きさは存在し得ない事は歴史が示している。 国際流通通 貨も今後は安定を目指して変化をこなして行くであろうが、それがバスケットに 成るか、新たな大樹が生まれるのかは定かでは無い。 来るべきその時代に備え た国家と言うバスケットの中身の国民にも自己責任の配分を問う時代が来て久し いのだが政治や報道はバスケット内に対して常に真実を語らない....。

 

地方の崩壊
ムササビ(2007年11月30日)
 

九州の片田舎に住んでいても、いろんな情報には多く接する機会が ある時代に成った。良い事だし、大いにこのインフラを生活のスパイスに していきたいと思う。

ただ、情報が偏ってしまうと何が多数の現実で在るかを錯覚してしまう事も しばしば有る。 自分の住まいに周りで豊かな資源は「雄大な夕陽」「緑が豊富 な山々」「30M掘れば出てくる清らかな地下水」などなど、殆んどが自ら生産 していない自然の恵みである。  しかし、日々これに接していると「当たり前」 に成ってしまい、感動すら忘れてしまう事が有る。

そんな時の姿勢はほとんど、「うつむき加減」で視野も狭く足元しか見て無い状 態が多い事に気が付く。 自分の意志で歩きながら生活しているにも関わらず、 何故か、押し流されてる気がするのである。 最近その事を注意して観ていると やたらと、不必要な事に関心を削いでいる事がある事に気が付いた。

本来、自らの影響力が及ぼせる範囲内であればエネルギーを消費してタッチする 価値もあろうが、あまりにも膨大な情報氾濫で、その仕分けが行き届いてない事 で影響力を行使でき無い筈の分野にまで限りある自分のエネルギーを消費してい る大衆が多過ぎはしないだろうか。

そんな、エネルギーの無駄使いは国家の為に有らずである。 次の国政選挙でこの国のいく末を動するために温存しておくのが賢明である。

それぞれが持ち分の責任を果たして大きな国家の仕組みを形作っていたのは まだ40年を過ぎていないが、確実に歴史の色に染まっているようだ。

「餅は餅屋」であったはずの自己責任と社会の倫理がどっしり座っていた時代が 懐かしく感じる。

この2年ほど下火に成っていたことが復活の気配である。 ここ数カ月で、「売り地」の看板や倒産、廃業が急速に増えている 政治はこの異変に気が付いていない。 ピントのずれた政治には付けの戻しが起きる事を判って無いはずはないだろうが。

 

第3の意志
ムササビ(2007年11月27日)
 

流動的な社会の本質を掘り下げていけば奥に潜む第3の意志の存在を感じてしま うこともしばしば有る。 その奥に近づく前には人間が放つ価値観の激流が有り、 その一端としての一部に偏った過剰流動性の罠が有る事に接してしまう。

これらの軋轢には必ず歴史と言う時間の媒体が、その落差をいつの間にか埋め合 わせているようだ。 新しい世紀に入り、前世紀から続いているあらゆる枠組み において制度疲労が生じているのは誰しもが実感しているにも拘わらず、日々の 経済活動に言い訳を委ねてしまって居るのが現実では無いだろうかと考えてしま う日々である。

この国で価値の交換手段としての通貨のベンチマークの揺らぎを庶民が日々実感 し始めて何年であろうかと今更思う。NHKTV画面に日経ダウやNYSE、円ドル為替 対比の動きが流され始めて30年も経ったであろうかと思うが、一方のTVニュー スには日々の海外情報はお粗末としか言いようがないほどの枠しか報じていない のが現実である。 海外で大きな事故や事件が有ったところで「邦人犠牲者はい ません」などの変なコメントが未だに流され続けているのを観れば、報道の使命 とは何かと言いたくも成る。

こんな感性報道で形成された大衆に国際関係を問われたところで歪な世界観に基 づく国際関係対応しか出来そうも無いのではと考え込んでしまう。「いや、情報 ソースは巷に溢れすぎているほど有り余っているから健全な世論を形成している」 と反論されそうだが果たして如何にと、もう一度首をかしげてしまう。

今年の春先にフランス大統領選挙に先立ちサルコジ氏の紹介が新華社で成されて いた事がある。 その一説に彼のアジア戦略のブレーンに「何福基」氏の存在が 紹介されていた。 当時から30年来の友人である彼の思考はサルコジ氏の対中 国戦略に大きな影響を与え、それはサルコジ個人にのみならず、EU本体への浸透 をも組み込まれた居ると感じていたが、今回のサルコジ中国訪問での3000億 ドルにも達する胡主席とのTOP商談を観れば、ユーロ、元の一層の結びつきを連 想せずにはいられないようだ。

これにドルやルーブル、ドルに連れ添う円が巻き込まれて行く新しいバスケット ベンチマーク作りが始まろうとしている事を連想してしまう。 果たして円のプ リンス達は何を戦略としているのであろうか、現状の国際経済関係では為替管理 は重要な国防政策であるにもかかわらず、人ごとの様な感覚にとらわれている国 民の平和意識の中に巣食う意識の一つが国境線が無い「無緊張感」に他ならない のではと更に考え込んでしまう。 この「無緊張感」を揺さぶり始めている「第 3の意志」は無音で確実に肥大化しているようだ。

 

知らぬは仏か?
ムササビ(2007年11月20日)
 

呆れて言葉も出ないほど無智の世界があるようだ。東アジアサミットで特別宣言 がなされたが、伺えば、驚きに堪えない宣言である。 温暖化対策の為に202 0年までに東アジア域内で現状よりも森林面積の拡大を1500万ha以上するそ うだ。 たった12年ほどで森林面積が確実に再生できると信じているとすれば、 あまりにも、自然の底流に在る可能性を軽るんじて居る事に成る。

いくら、成長が早い木であっても12年で森林資源としての仕事を果たせるとは 思えないのが、小生が長年木材生産事業に関わって得た信念であるからだ。緑地 帯程度には成長するかも知れないが、それも以前の地球環境と同等の気候変動の 枠組みの中で考えられる理屈に他ならない。 まして、この20年ほどで激変し ている地球環境の下では、いままでの論法は通じなさそうであるし、森林資源を 人工的に拡大するとすれば、それなりの人的な資源や植林技術、森林保全のため の経験とノウハウが必要な事は我が国の林業家の間であれば当り前の話である。

ただ、伐るだけで再生産をしてこなかった東南アジアの森林事業は今から大変な 額の返済を森林再生のために支払う羽目となるだろう。 腹立たしいが同様な話 はこの国でも進行中である。

つい先日、国会議員諸氏と話す機会があったが、林業に対する補助金は当てにし ないで欲しいと誇らしげに言っていた事を思い出す。 補助金費用対効果をみれ ば、水産、農業に比べて著しく効果が低いからだと話している姿を見て、呆れて しまった。たかが1年で収穫できる米や魚のサイクルで林業を論じている訳だ。

林業の経済スパンは50年である。 何をどこで仕入れをした情報かと議員先生 諸氏の頭の軽さ知り、つい嘆いてしまった。林業をしたことも無い御用学者がま ことしやかに話した事を「つまみ食い鵜呑み」にして居るにも関わらず、さも 天の声であると言わんばかりの話し方に「知らぬがホトケ」かとつぶやいてしま った。

森林管理行政が興味を持たれなくなって久しいが、ようやく着火温度に達してき た気配もある気もするが、決定権の要は価値を交換する手段に他ならない。 ブレない基軸通貨、安定した価値の交換基準が無くては、長期の森林の安定は不 可能であることを、サミットに出席した首脳はご存知であろうか?

 

別なサブプライム
ムササビ(2007年11月16日)
 

一国の総理や、金融総管理者までも、ビビってくるような気配となってきている 米国発と言われる金融問題である。 対照根拠なき基軸通貨の紙で、やみ雲に増 産し続けられた虚像価値の積み上げに土台が揺らいでいる。

名目上のバランスシートを無視し買い続ける事で、国際間の貸借対照は釣り合っ ていたが、価値根拠が無ければ価値の創造は拡大し得ない事を証明し始めている ような気配である。印刷紙幣に代わる価値の原子点の座標は何であろうか、そこ を目指して国際金融が駆け回っている。 本来の金融生産活動を大きく離脱して しまい、虚の世界へと大きな見せかけの価値を動かすエネルギーが働いている。

色んな意味で、ようやくこの国でも平和のつけを払わねば成らない状況がひしひ しと迫っているようだが、メディアは核心に気が付いていないようだし、あえて 触らないようにしているのかも知れないと考えれば、メディア本来の仕事をプッ ツンし続けている事に成る。 一国の総理や最大野党党首がプッツンと切れてし まう事が当たり前のこのご時世では僅かなピンホールが国家を揺らがすことにも 成りかねない。

前述の国際金融資本は強いモノを相手にはしたがらない、如何にして勝てる確率 が高い弱い資本家を狙うかが本領であることを平和の霞を食ってきた大衆は信じ ないであろう。 すこし周りを見渡せば国際次元との違和感や温度落差は埋めき れないほどのギャップがあることをご存じ無い。 いつの時点でこの段差を均衡 させるのだろうかと思う日々が続いている。 サブプライムの本質はこの国に在 るのだが.....。

 

真の公共財
ムササビ(2007年11月12日)
 

多国籍企業委員会の記述が新聞紙上を賑わした時代があったが、また思い出して しまうような成行きに成っているようだ。あの当時は丸紅の桧山氏や大久保氏か ら流された「ピーナッツ」なる摩訶不思議な領収シートが切っ掛けとなり、最後 は角栄氏逮捕に至ってしまった。   今回の民主内騒動にも軍事商社の存在が 影をちらつかせているようだ。 ゲイツ氏が来日した事も外交防衛以外の付箋の 存在をうかがせる。

国防に関わる事は「公共財」の何物でもないのだが、平時に於いてのこの公共財 への生命維持費は膨大な資金管理が成されているはずである。 しかしながら、 公共財の視点を少しでも傾けてしまうと、色んな悪魔が手ぐすねを構えて待ち焦 がれている基盤が有るのも事実であろう。 そこには、真摯な倫理がまかり通ら ない世界がいつの時代にもある事を今回の事件が物語っているようだ。

小泉氏の少し前でも「公共財」としての金融機関保護説が当たり前のように、こ の国の庶民の富を付け替えて行った。 最近は日銀も当時受けざるを得なかった 株式を消却しているそうだから、時代も変わったものだ。 しかしながら、当時 に比較しても間違いなく大多数の庶民には保護したはずの公共財からは未だに恩 恵の返済は無く、反して損害を被っているのが実情ではないだろうか。

ようやく、平成の大合併に依る地方間格差が炙り出される時代に成って来たが、 頼るべき、公共財であった郵貯や郵便局も、町役場や町の商工会なども跡形も無 く拡散してしまい、地方では老齢指数の急速な上昇にさらに拍車がかかっている。

「国破れて山河あり」とはよく言ったものだと今更ながら感じている。世界で砂 漠化が進むと言われているが、この国ではまったく逆の現象が起きている事を山 に行くたびに思う。 誰も手を付けたがらないこの国の緑資源が占める国土は、 この国の50%を超えているのだが、ここに価値を創造しようとしない金融公共 財の仕事は何であろうか? いろんな農水省の外郭金融機関があるが、どこ一つ まともな専門域金融を育んでない時代に成った。ただの天の受け皿に過ぎない。

BISや時価会計が何を木っ端みじんにしたかが今に成って良く解って来た。 いつの時代でもフィクションで金融が動き、現実で庶民がうろたえる......。 私たちはこの現実とフィクションの無限の波で揺られているが、唯一の救いが 無形の倫理や有形としての「公共財」の存在であったのだが.......。 確実に、星条旗の星が増えそうな気配がしてきた。

 

見えざる手
ムササビ(2007年11月05日)
 

大連立構想を愚策と取るか、否かは視点の違いに他ならない。 最近流行りの食品表示の誠実さに対しての欺瞞も同種に在ると思っている。 「こうしてくれると思っていた」と考えたがる大衆を情報操作で水先案内しなが らも、次の大局に対しては全く異質の戦略をとらざるを得ないほど、世界の感覚 と国内の感覚にズレガあると言う証拠を、政治のTOPが証明してみた。

この、数日間の両党首に課せられた問題解決の課題提出者は他でもない米国に他 ならないであろう。 数日前の国防省高官が海上給油に関しての問題解決の時間 は数カ月程度では無い、数週間の範囲内であると明言していたからだ。

「そんな長くは待てないぞ!Yes は」と思い示唆を与えたに違いないであろう。 外交である、何等かの安全保障上の高度な問題をバーターしたのは当然の話であ る。 この揺れ動かされる程の内容にアクセスさせられた小沢氏は、戦略急転換 を図ってみたが、自らが参議院選挙で敷いた選挙戦略の上で話さざるを得ず、衆 議院選挙のことしか考えが及ばない議員にとっては国家の話の前に選挙区の話で あった事で、この連立による国難回避の話は頓挫してしまった。

着々と進むイランとの戦争に向けての準備に際しての番狂わせを飲まされた米国 国防族の感情は相当なものであろうが、内政不干渉のギリギリのせめぎ合いを伺 えるこの数日で有った。

表面上に広がる一見穏やかそうな国内事情であるが、クリントン時代から続く年 次要望書に書かれている要求は、静かに実行されている事を思えば、国家の存在 を疑ってしまうほどの覚せい剤が国民の思考に日々注入されていると思ってしま うのは考えすぎであろうか。 姉歯に始まった数値偽装問題にしろ、食品表示偽 装問題にしろ、すべて年次要望書に基づいて改正され続けている法律に差しさわ りがある話ばかりである。 消費者保護の観点と大上段から振り下ろされた鉈で 切り刻まれているのは、気がつけば、この国の文化や伝統を刻み込んできた事に 他ならないではないだろうか?

身体は日本人、考え方はアメリカ人、さて この結末を想像できるであろうか? 竹中氏は理解できるかもしれないが、私は考え方も日本人であり続けたい。

 

統計数値の真意
ムササビ(2007年11月02日)
 

総務省が送り出した統計数値に9月の全世帯家計調査での支出が0.7%の 純増と成っている。 数字を見てみると1世帯当たりの平均支出が28万144 8円だそうな。 とすれば、支出以上の収入が無ければ赤字に陥る筈である。

単純に計算してみると281,488円を12で乗すると3,377,376円 の年収が損益分岐点に成る訳だ。 つい2年前には給与所得者の平均年収が70 0万とマスコミに流れていたが、最近は民間給与平均と言う摩訶不思議な数字が 歩き始めている。 それは現実の経済社会実態を直視しない愚かな統計であると しか言えない。 それは、そもそも、この数値にはトリックが仕掛けてあること を当の民間人は判ってないからだ。 全企業数の99%を占める100人以下の 雇用を成して居る事業所は計算の根拠となる基礎数値からは除外され、たかだか 1%にも満たない企業の男性社員の平均値が公示流用されているだけであるから だ。

確かに、この企業数で見れば1%程度の企業が外需内需をけん引している事は良 く理解できる、しかし、公務員給与の比較対象に必要な基礎的数値はチョッと違 うだろう?と言いたくも成るからだ。 このトリックにようやく民間からも意見 がチラホラと出始めている事をみれば、この国に起きている国難の住み家がよう やくと炙り出されて行くであろう。

格差の文字がこの国を筆頭にアジアや世界を駆け巡っているが、そもそも自由主 義社会には付きまとう必然性の神様みたいなものである。 ただし、格差が極端 になってしまえば自由主義が運営されているプラットフォームが瓦解してしまい 表面上格差は埋め込まれて、平等であるが活力が失われる別の格差世界が手を据 えて待っていることも歴史は教えている。 西側陣営が勝ち組と思っていたのが いつの間にか、全く違った価値観が世界を覆う事に成るかも知れない。

情報を隠匿したり、加工する立場に在る人達にとっては、いまこのITの時代では、 好む遺憾に関わらず大きな権力者であることを現実の社会に於いて歴史実験して いると言う事に成る。この国に蔓延している「沈黙のフラストレーション」が何 処に行くかでアジアは大きく変わって行くであろうが、歴史は過去の経験を学ば せてくれそうも無いような気がしてきた。支持政党無しに潜む価値は無視できな いのだが.....。

 

微分危機管理
ムササビ(2007年10月29日)
 

明らかに情報操作と思しき事態がTV画面に毎日流されている。 厚労行政の薬害隠匿情報、国防に関わる対外情報漏えいを含めて、大きな 不信と不安の庶民から発せられるうねりがこの国に広がっている。

どんなに、小沢氏が献金を返還したところで、何枚も着ている着物を一枚だけと りあえず取り繕ったに他ならない事を庶民は画面を観て察知してようだ。如実に その反応は支持率低下へと急いでいるようだ。 政治が奇策やパフォーマンスで 踊らされ始めると屋台骨である官組織にぐらつきが生じてしまい、土台であるは ずの民意にもに、いつしか制度疲労による応力歪から発生するクラックが生じ、 場合によっては外的内的要因で応力集中が民主主義を木っ端みじんにしてしまう 危険がある。

独立した感性を維持して時代との疎外感が如実に表れてしまって、民間の息を香 が無ければ成らなくなっている裁判員制度に於いても、また、官民交流だと称し て法務行政官と司法官の人事交流が拡大している事は、一見 心地よく伺えるが 制度上に緊張感が薄まる危険性もある事を過小評価していないだろうか。

三権分立の制度が民主主義の根幹を成すのであれば、おおむね、選挙によるほか 立法府への人事アクセス権を得ていない庶民にとっては、情報が激しく世上を駆 け回る時代にはマッチしていないだろう。 このミスマッチはTV画面や紙上を通 じて活発に修正を施されるかに見えるが、そこには、情報に直接関わる人の特権 が下ごしらえに在る事を認識すべきであろう。

限られた紙面や限られた映像時間で消費される為には、配信される情報を取捨選 択してスリムに作り替える必要がある。 ここに偶発的にしろ故意にしろ危機の 芽が育つことに成りかねない。 配信すべき情報を管理者が意図的に微分し直し 別な色形で配信されたのが、大本営であったことを、かなたの隅に置き忘れてし まったような気がしてきた。民主党が言い放った年金制度が40年後に制度完了 すると聞けば、自公の100年安定年金や、新総理の200年住宅など、政治が 民衆を時間と言う煙にまかせようと努力している姿がある。

情報管理は、何を取捨選択していくかでは無い、何を捨てるべきかの選眼力が 庶民に問われている時代に成った、これも小泉氏が放った「人生いろいろ、社会 もいろいろ」かも知れないと思うと、無くしてしまった時代の時間や価値観が 「もったいなく」思えて仕方ない。「国家は国民の生命財産を保護しなければ成 らない」なんて事は何処へ行ったのだろうか......。

 

金融正道
ムササビ(2007年10月24日)
 

一時期、我が物顔でTV画面や街のいたる所で華々しく煌めいていた 消費者金融なる街金業界が姿を消してしまったと思いきや、愛読の コミック誌を広げて、漫画を楽しんでいると、老眼鏡で見なくては判らない 小文字に出くわした。「入手した個人情報は提携の街金の信用調査に提供します」

いつの間にか、街金広告はメガバンクの名前で上書きされていたようだ。 一番おいしい汁を吸われた街金大手は、気がつけば消費者金融の世界では 無人機械に置き換えられ、法規制でズタズタに切り刻まれた事実だけを見れば 美味しいモノは逃さない仕掛けを政治やマスコミへと静かに浸透させる能力は 資本力と言う、基準長さが自由に変えられる「魔法の杖」で描かれてしまってい ることを大方の庶民は見過ごして居る。

大きく書かれた「年6%〜12%」「最高500万」が意味するものは何であろ うか? ビジネスモデルの自己開発能力の弱さを露呈するメガバンクの叫びとも 私には観えてしまうのだが。

半年前に会話したロシア人が言っていた事を、今更ながら思い出す。 「ロシアは急速に極東へと関心が移動している、それは資源であり、覇権でもあ る。この変化にいち早く対応する中国を観ていると、誰をパートナーにすべきで、 誰をターゲットにするかは子供でも解りますよ」と笑って話す彼には大いなる自 信が漲っていた。

国際社会が動く時間と、日本の鼓動に差があるとみたら第2のバーツに成る事も あり得はしないだろうかと危惧してしまう。

幾つもの弱小銀行会社の名前を寄せ集めたに過ぎないバブルBOXメガBKが公共性 に目覚めた意思の強さを束ね無ければ生きて行けない事が判るまでには多くの時 間は猶予されていない。日米安保が軍事だけと議論する国会の中には真の金融を 担保している動じない軍事力の影響力を見過ごして居るマヤカシの議論が上書き されているようだ。 国民が覚醒されている一番の源は海上に描かれた現実性が 見えない国境線に他ならない。

 

言葉遊びのツケ払いは大きい
ムササビ(2007年10月22日)
 

長期に渡って核心を突かない事が美徳とされて来た文化にとっては、国際社会感 覚とは全く違った感性に振り回される時代に成っている。

先進工業国で国境を海に囲まれた国は、それほど多くを見ない。豪州、英国 そして日本くらいで、他は地面上での国境線が有る。 国の違いは文化の違いで あることは当たり前の話だが、近年これほど他の世界の状況が手に取るように 観えてくれば、ゆるぎない現実の国境線と文化の国境線とは全く違った性質に成 っている。

国境線が侵されない平和な世界では、文化の国境線は勇壮なエネルギーを放ち ながら、複利効果で人類は経済や文化の発展を満喫できるが、一旦 基礎国境線 に揺れが生ずれば、そんな文化の上屋は吹き飛んでしまう事を歴史は証明してい る。しかしトルコはこの問題について議会が動き始めた。

一方この国では国際貢献と言う4文字が国会を走り回っているが、どう見ても 「まやかしの言葉」にしか見えない。 何だか、貢献と言う2文字がこの国に覚 醒をもたらしているようだ。 60年前のこの国にはこの4文字は存在し得なか ったが、新憲法施行、日米同盟締結や、UN加盟などの武力放棄政策で間接的な国 際貢献を果たした。

いわゆる、あの大戦をポジティブに思い出させない仕組みが国家にはめ込まれた。

前任者が言った「戦後レジーム」とはこんな事かも知れない。これからの脱却を 求めた彼に、周到な作戦が施されて瓦解させられた事は事実であろうが定かには 観えない仕掛けもあるようだ。

「貢献」の2文字が放つ覚醒は国民のささやかな良心を惑わしているに過ぎず、 大いなる仕掛けの言葉に他ならない事は明白である。 何もしない事が国際貢献 であったはずが、いつの間にか「資金力」で太った財務を糧に大判振る舞いを始 めた政治が国際外交に打って出て敗戦を続ける30年が過ぎようとしている。

この40年の時代の流れを見つめてきた小生にとって、国家とは何か、国家を成 す国境線や細胞である国民価値、細胞を息づかせる金融と言う血液とは何かをつ くづく考えてしまうし、誰のために国家を成しているのかを問われている事を政 治に問いかけてしまう秋の夜長が続いている.....。

 

カネに埋もれたボタン
ムササビ(2007年10月18日)
 

ロスアンゼルス五輪だったろうか、商業五輪への勢いがついたのは? ずいぶん前の時代に感じてしまう。 その後に加速した国際商業主義 いわゆるカネ資本グローバリズムは社会主義を駆逐し、2大政治体制を 無くしたかに思えたが、どっこい、ロシアにしろ中南海にしろ復古主義に目覚め 始めているようだ。 当然、この国にも吹き戻しの風が荒れ狂う羽目に 成るかも知れない。

政治の核心である「人心」に迷いが生ずれば、必ずいい時代だったと思える過去 の郷愁に浸りたくなるのが人情である。 そして歴史は繰り返されてきた。

あまりにも急速に広がりを見せるカネ資本格差は国の枠からはみ出してしまい、 ついに国際関係へと伝播している。 環境問題でうめき声を発し始めた中南海 が地方政府をカネ資本主義から離し、正常な中央管理下での公共の感覚を取り戻 せるかが今後の中国事情を考える基本においても良さそうである。 1000人 にも満たない人口が、12億の富の16%をも有しているかも知れないなどの記 事を聞かされたなら、何が起きるか考えるだけでも恐ろしい話である。

人心を乱すと思われることに対しての世論の批判は、一方の方向へと集合し易い 傾向がある。 その影響を知りつくすからこそビルマでは情報管制を敷いている わけだ。 しかし、もはや中国ではこの仕組みに戻る事は強権を強いる以外に出 来ないであろうし、別な方法として人心を束ねる実験として「台湾」を使ってみ たくなるかもしれない。 はたして、その時が来た時には日米安保の機能が試さ れるし、世界の安全保障を根底から覆す切っ掛けに成るであろう。

今回の、亀田親子を利用したTBSのメディア戦略は、カネ資本主義に走ったマス コミの核心を問う良い機会でもあるのだが、他の報道はTBSの罪を問わない不思 議さが有る。ここに集団化した「もろさと怖さ」が両輪と成り、正常な報道がな されない悲劇がくすぶっている事に成り、リセットボタンを持ち得なかった結果 が、先の大戦への道へと静かに進んでいくだろう。

「歴史は繰り返す」とは、良く言ったものだ。金価格を見れば、確実にその道を 再び歩き始めている。 静かに進みゆくこの一翼を担っている円の存在価値が試 されていると思うのだが......。カネに埋もれているリセットボタンは見つかり そうに無い。

 

歪な末端経済事情
ムササビ(2007年10月12日)
 

中小工務店向けの緊急融資対策が政府から出始めているが、時すでに 末期症状に達していると感じるのが末端経済に関わる者の偽らざる気持ちだ。

耐震偽装に対しての規制や手続きの複雑化によって、末端の建築経済に多大な 工事遅れなどの弊害が出始めて3カ月が過ぎた。 近所に11月オープン予定の 大規模ストアーも来年のいつに成るか分からないと、現場責任者が嘆いているの を聞けば、確実に消費経済への変調の足音が速まっていると実感する。

この建築確認申請のもたもたで、地方での新築住宅への関心は薄れているし、末 端消費者が、スーパーで買う品物が確実に一歩一歩インフレしている事を政治は 理解していないようだ。 ただ、数字の羅列によってバーチャルな経済論を繰り 返すだけでは、最前線で消費を奏でる大多数の庶民は白けてしまう。

今回の住宅市場における特異な市場停止現象は、国内経済の信管の冷却へと加速 すると考えている。 可処分所得が確実に下がっても、まだ、消費物価が低迷す るからこそ持ちこたえていた末端消費経済であったが、国内消費行動は確実に増 す政治不安とインフレ経済の足音で、かって経験したことが無いデフレ不況とイ ンフレ不況が同居すると言う歪な経済社会への移行を予告している気がする。

収入は限りなく収縮し、インフレで確実に暮らし難い層と、デフレによって預貯 金利子で暮らせるような物価の恩恵を得る層とに、2極化するとすれば、唯一国 内の資源である「ひと」と「技術」は、この国の根底から文化と伝承の継続に瓦 解が生じてしまう事に成りはしないだろうかと懸念している。

この国を考える政治の論客はどこに隠れているであろうか、まさか「代打オレ」 と突然出て来て、国民の思考を集中させた、かってのドイツ総統みたいな影が密 かに育っているとは考えたくも無い悪夢であるが、政党政治の基本であることの 政策論争の戦いが予算委員会で無くなった今、政治家の「個の格」に焦点を集中 された劇場型政治は大ブレする危険も有している。 地味であっても専門性を発 揮した政治舞台の方が観る者には、余韻を感じてしまうと思うのだが.....。

右にも左にも動けなくなってしまった、円のプリンス達は確実に未来の選択手を 食いつぶして居る事を認識すべきである。 この硬着した通貨管理に蓄積されて いるマグマは計り知れない。

 

不透明感
ムササビ(2007年10月10日)
 

期待はずれは、期待するから外れる事に他ならない。 前回の「安倍政治」がそれの典型的なものであったろう。 この事態があったか らこそ福田内閣は自由度が大いに増す訳でもある。 ある程度の「許しの合意」 が国民の中にあるからだ。

バブル崩壊以後のこの15年ほどの間に総理大臣が何人替わったか覚えきれてい ないが、日銀総裁は何人だったであろうか? 如何に、この国を制御し続けてい る機関が何処にあるかがよく解る気もしてしまう。 その日銀総裁の国会発言で バブル崩壊以後に、国民が手にするで有ったはずが、手に出来なかった金利の述 べ金額を試算すると「331兆円」だったそうだから尋常では無い。

単純な比較だそうだが、驚いてしまった。 一方で、企業側が支払うべきであっ た金利は280兆円が抹消されたとも言っていたので、この「いざなぎ超え」の カラクリ景気の正体も見えてきたようだ。 政策のすべてを否定する必要はない が、あまりにもいびつな経済構造がデンとこの国に居座ってしまっている。

蓄積された資本の使い道を間違ってしまっていると思うのは小生だけであろうか? 以前、ノルウエー年金基金の運用が「後世に間違いなく年金を払い続ける為の運 用」が最大の基本であると聞いた事がある。 さて、これを聞いた資金運用部や 社保庁を含めた管性は、どう感じるであろうか? 此処に総理が言う「信頼」の 欠如が蔓延って居る訳だ。 ま〜厚生大臣が言う地方は信用できないと言うと少 々言い過ぎの感もあるが。

世界は、ドル基軸以後の世界をシュミレーションしている気もするが、果たして この国の蓄積はどう対応するつもりであろうかと弱気を生じてしまう。国策ファ ンドがあちこちに出現すれば、「運用への透明性確保が問題だ!」と言い始めた 米国に、自国のファンドが荒れ狂って稼いだ時代のツケは忘れているダブルスタ ンダードが在ることを、世界はいつまでも許す筈も無いのだが解ってない。

期待している日本が有り、その期待を逆手にレバレッジするのが外交の基本であ ることを世界は十分知っている。外交に善意も悪意も無い、ただ国益のみが基本 姿勢で存在する事を承知していれば、不作為の期待は存在し得ないはずだが。

 

重量報道
ムササビ(2007年10月01日)
 

色んな立場で報道がなされている事を今回の長井氏は身を持って教えてくれた。 ほぼ、2〜3Mの至近距離で打ち込まれた銃弾により彼の最後の報道映像が始ま った。 繰り返される映像を丹念に観ると変な事に気が付く。 迷彩服を着た 集団が本当に正規軍の兵士なんだかは疑問に思える部分がある。

長井氏を至近距離で射殺した兵士らしき人物が履いているのが「ぞうり」である からだ。ほんのわずかな場面であるので見落としてしまいそうだが、間違いなく ぞうりを履いている。 これが何を語りかけているのだろうかと思うとミャンマ ー政権内部が如何に非民主的な異常状態で運営されている事が伺えそうだ。

しかし何故か、日本政府は邦人がミャンマー国権の銃で射殺された事に怒りを顕 わにしない。邦人保護の義務を持つ政府の行動とは思えない「鈍感力」である。 拉致されたなんて出まかせだと言っていた昔の社会党を思い出してしまうし、急 速に捜査の手を緩めた当時の警察庁幹部の何らかへの気配りにも似てきたようだ。

一方で国内報道は相変わらず、カネの行方を追い続けるカメラが多く、報道する 情報の核心が何処に有り、如何ほどの報道価値があるかを見失った報道が国内に 蔓延している。

クレーム処理専門家に言わせれば、国内のカメラ報道のように我が身に危険が差 し迫らない苦情を「安全苦情」と言うそうだ。 何をやっても何を言っても我が 身に危機が訪れる事が無い事を判ってする事ほど楽な事は無い。 これを報道の 自由だとか、知る権利に答えると言うウガッタ話にすり替えられるとすれば、 如何に軽薄な報道が国内にまかり通って居るかがわかる。

我が身を呈して報道した長井氏が息絶えるまで放さなかった小さなカメラに込め られた映像の真実は、国内で走り回る高価なビデオカメラから流される無味無臭 の映像価値を瓦解させてしまった。 彼のご冥福を祈る気持ちでいっぱいだ。

 

6者協議の未来
ムササビ(2007年09月27日)
 

福田丸が動き出して間もないが、北東アジアはその船出後を予感するかのような 兆しが見えている。  中山総理補佐官は米国の約束を取り付けたかのようなコ メントを出していたが、たぶん現実にヒル氏が言った事とは温度差があると思え るようだ。  ブッシュ大統領も国連での演説でテロ国家と捲し立てているらし いが、小泉氏にも劣らぬパフォーマンス振りと映ってしまう。

おそらく米国は艦船補給油に対しての引きとめ策の一環だろうが、いかにも米国 特有の身勝手と思える論理にすり替えている。来年はサミット国に選挙の嵐が吹 き荒れる事だろう。プーチン氏は急転直下に本命と思われていた候補で無く、実 直で堅物のズプーコフ氏を後継候補に推す構えを見せている。 今年中にはその 真意が明らかにされようが、ここ6年ほどで資源ナショナリズムの恩恵を受けて きたロシアでは、次を睨んだ脱エネルギー政策を唱える集団も大統領選挙へ候補 者を擁立するらしい。

変われば変るものだ、10年ほど前までは150億ドルほどの外貨準備高が、い つの間にか5000億ドル近くも在るそうだからロシアの鼻息も当然荒くなる。 最近では、ロンドン空港でもルーブルと外貨交換できるそうだから、時代も変わ ったようだ。 プーチンが目指す政治の一つに政治に絡む腐敗の撲滅があるらし いが、中国でも同じ傾向がささやかれている事を思えば、共産主義も資本主義も 根っこに流れている人間的な感性は同じようだ。

ロシアは最近、極東への関心を高めているらしい。 これに6者協議がからんで くれば昔のヘルシンキ体制にも似たような形に成っていくかもしれない。 そう なれば、拉致の解決に拘る我が国は6者協議の本質を歪めて論じているかも知れ ないと言う事にもなりかねない。 総理が就任前に「私の内閣で解決する」と言 う流れに至った経過に、ある種の深いインテリジェンスも伺えて仕方ない。 福 田氏は意外と長期政権かも知れない感じがする。

 

剥がれる核心
ムササビ(2007年09月25日)
 

福田氏が何を感じて「200年住宅」を庶民に問いかけているのかは不明である。 フローからストックへの経済政策転換とすれば判らなくも無いが、彼の住宅その ものへの感性と情報は全くマッチしていない訳だから、如何に政治が言葉遊びに 陥っているかを世に知らしめている。  彼の200年住宅構想を聞けば聞くほ どに住宅産業が抱える問題点に視点が置かれていない。

200年ももっている住宅が日本にどれ程あるのだろうか? 小生の住む田舎に おいても殆んど歴史的な保存が加されている非健康的な住まいが残っている位で ある。 もし、200年も維持するとすれば、どの様な建築が成されるべきであ ろうか? 到底、庶民が買える範囲から乖離した住まいになってくるのは住宅産 業の一翼を担う小生でも解る世界だ。

こんな、当り前の情報が候補者に届かずに福田氏の感性だけで国民へと語られて いるとすれば、はて、自民党に何が起きているのであろうか?どうも安倍氏が躓 いた石を放置したままの烏合の政治集団に成っているのだろうかと考えてしまう。

いさぎよく手を挙げたかに見えた津島派は、周りを見渡した瞬間に手を下し、議 員1年生は我が身をはばかるばかりで見苦しくもある。

一方の麻生氏は、総理に成ることよりも選挙に立つことの方が、自身や党にとっ ては戦略上重要であると言わんばかりである。 選挙結果がどう出るか分からな いが、冷めたスープを飲ませられる国民は政治の味を堪能できそうにも無いよう だ。

豪州では、50歳の野党党首が人気だそうだ。ブッシュ氏に付きまとうハワード 氏には国民の飽きが観えてくる。APEC舞台での北京語でやり取りできる青年 党首に感銘を受けた湖主席は、個人的と断りながらも彼を北京へ招待するそうだ。 これは政治のTOPには心地よい緊張感と、次のリーダーを察知する感性も必要 な事を教えてくれる。さて、誰が日本のTOPに成って欲しいと世界は考えるの だろうか。 そしてジュリアー二氏が唐突に唱える拡大NATO構想は何かを揺 さぶろうとしているのだろう。米国外交の重心が移動してきたようだ。

 

回週遅れ
ムササビ(2007年09月18日)
 

あまりに余ってしまったカネが行き場を求めて苦しんでいる。 国際商品、原油相場にも、その津波が幾度となく押し寄せて防波堤の力量を試し ている。 国内物価にも顕著にインフレが加速し始めている事はスーパー等の末 端消費物価を定点観測していると良く解る。 県民所得格差が2倍も開きがある 現実をとらえると、ここは日本か?と思いたくも成ってしまう。

一人一人の微小な長期の貯えが、適切な利潤を頂かなかった為に、あろう事か いつの間にかしっぺ返しで逆金利を付けて舞い戻ってきている。どんな国家金融 戦略があるかは知らないが、出てきた二人の総裁候補にとりあえず委ねるしか無 いとすればこれ程リスキーな話も無い。

この1週間で政治家として国家を論じる話に出くわした事は無い。右往左往して 回るチルドレンや、1年前の神輿の担ぎ手は責任さえ感じている様子は無い事を 観れば、似たり寄ったりのひ弱さがひしめき合っている。

一方で、遠く英国紙などから観れば最大野党は似たり寄ったりの政党で変化も期 待できそうに無いと酷評している現実がある。 なるほど、以前の湾岸戦争時に1兆4千億もの国民負担を強いた小沢氏は、国際 評価も頂けなかった責任をどう説明するのか知らないが、今回のアフガン戦争で の日本の対応に関して述べる昨日のTVで幹事長鳩山氏が言っている事とは考え 方が食い違っている。

国連の枠組みが有れば自衛隊が内陸での活動の発展に問題が無いとする小沢氏と、 鳩山氏の友愛論では同じ政党かと耳を疑ってしまう程だ。 この政局の流れを観 ると両党の内部分裂は必至と、うがった見方も出来そうである。

外交や経済に一瞬でも停滞は「敗北への道標」である。 余剰資金は、世界中の効果的な弱点を探し求めてレバレッジする事を政治は忘れ てきたとすれば、余剰資金の貸し手へとそのツケは帰着する運命にある事を歴史 は教えている。 為替の魔物が動き出したら止められないのだが、金融試合開始 のゴングに手が伸びている事を渋谷の観衆は気にも留めていそうにない。

もう一度、6年前のスタート地点に立ったとすれば、今までの痛みは何であった ろうかと生い茂る稲穂を観て考えてしまった。

 

最後のメルマガ
ムササビ(2007年09月14日)
 

「こんにちは 安部晋三です」で最後のメルマガも始まっていた。 読むほどに、言い訳と自虐の言葉が弱弱しく並べられている。 「一国の指導者としての立場を何と考えているか」と岸氏や佐藤氏 はたまた、ご尊父からも激を受けそうな気配である、

この事態に至らしめた確信犯は誰であろうか? どう考えても、霞が関関東軍が仕組んだ巧妙な作戦であったと考えざるを得ない。 前任者がぶっ壊したはずの「官性」は復活の兆しが加速している。 防衛、社会 保険庁、農水、など官権の復活への準備は、小泉氏の直後から積み上げられてい たようだ。 総理がどのような人員配置で内閣司令塔を構築するかを見届けた 「官性」達は暗黙の了解のもとで、司令塔への忠誠を腐体化していたようだ。

勘の鋭い小池氏はこれを見抜いたのだろうが、総理の周りには正確なインテリジ ェンスを収集する能力さえも欠けていたのだから、全くもって最後までお粗末な 改造布陣であったとしか言えない。

退陣への最後通牒は結果として農水次官が渡したものと思われる。遠藤氏の身辺 調査に於いて、内閣が公に開示されていた情報さえも気付かないと知った事務次 官会議は、決定的な打撃地雷を改造内閣に配置して総理に踏ませてしまった。 今もって、わが身であるか、国家の身を案じてか、何を意図した官性が働いたか はわからないが、シビリアンコントロール政治の終末的事態に他ならない。

アメリカでもブッシュ以後を睨んだ共和党の混乱が続いているのを見れば、2世 指導者が持つ危険性は大きいと感じてしまう。 その後に起きるであろう揺り戻 しを狙っている投機家たちは次の一手を走らせ始めているのだろう。 そんな彼 らの究極の資源を世界のイスラム金融が別な視点で見つめていることなど、この 国の報道ではお目にかかれそうも無い。 それでも大衆はアジアのリーダーだと 思わされているとしたら危機の助長に他ならない。

真実を見抜けない報道は民主主義の莫大な負債でもある。

 

言霊無しの言葉
ムササビ(2007年09月13日)
 

「あなたが話に応じないから、私は何も出来ない」 唐突な言い訳であったが、予測されていた事態でもあったと感じる。 総理官邸での良く似た唐突な光景が、細川殿様の時にもあった。あまりにも無責 任としか言いようが無い醜態だろう。 どんな美麗句で各国が労いの言葉を差し 向けてくれるよりも、国民へお悔やみのメッセージを頂けたほうが、どれ程気楽 であろうかと思うのだが.....。この二人の総理に小沢氏は運悪く関わってしま ったのも何かの縁としか言いようがない。

当代の世間をにぎわす横綱と、やってしまった事があまりにも酷似してはいない だろうか?しかしながら、山本元金融大臣へは「もう一度議員として....」 と、言ってるようだが、そこまで世論はお人好しではあるまい。 あえて、労う 言葉をと言えば、「再チャレンジ」があるからもう一度挑戦したらだけである。

「唐突」や「無責任」「投げ出した」などなど....とても一国の総理への投げか けとは言い表せないほどに成り下がっていたのだろうが、総理としての外形は否 応なく着飾るを得なかったとすれば、真面目の置き場を間違っていた彼を指名し た前任者のコメントが伺いたい。と感じている大衆も相当いる筈でもある。

この辞任劇で誰が一番得をするのであろうか? 行政改革の目玉になっている公務員制度改革が一番の利益を得ると思えてしまう。 彼らは自らの足元を揺るがしていた政治に空白が生まれるこの時こそを、復権の ための「再チャレンジ」にしてしまうかも知れない。 政治の手が及ばない地層 の深部へと深く潜行してしまい、彼らを正すための力は無力化となってしまう懸 念が育ってきた。彼らの行動を見透かしたかのようなコメントが、ホワイトハウ スや中南海、を含めた各国から寄せられている。「総理が変わっても、国と国と の関係を変えないでほしい」と。明らかに諸国は次の次の政権へのメッセージを 込めている。 政治とは非常でなければ出来ない世界だ。 まして、痛みを知ら ない2世議員たちであれば、外国に政治の先も国民の嗜好も思考も見透かされて いる。

今日の辞任会見を観て、言葉に迫力と説得力を込めた話が出来る総理を我々は待 ち望んでいるのだが、しばらくは「ハズレ」くじを引く運命が待っているような 気がする。 なんとも情けない時代でもある。

 

不可能な約束
ムササビ(2007年09月10日)
 

「美しい国」からついに「美しい星」に拡大されてしまった。 APECで環境問題を話す総理にこの国の現状の姿が解っているのだろうかと、 心配になってしまう。京都議定書のCO2削減目標に到達どころか、まったく逆 の波が巻き起こっているこの国の事態である。

先日の独首相からの次回幹事国への提言に、次の数値目標と行動計画が盛り込ま れていたが、暗に環境大臣を経験したメンケル首相らしい戦略が見えてくる。

日本が、議定書達成が不可能であることは厳然たる事実であるが、達成出来ぬと 諦めた政治は、やみ雲にいつの間にかコンビニなどの中小経営にまでもCO2の 網を掛けてきた。

コンビニで毎日繰り返されるエネルギーの喪失は計り知れない。賞味期限か消費 期限か分からない判断基準に準じて、輸入されて加工された食品が次々と廃棄さ れて行く事態にいつの間にか慣れてきている。 とんでもないエネルギーの浪費 であろう。

そもそも24時間も営業が必要であろうか? あれば確かに便利であるが、かと 言って無ければ無いで済むのもまた現実である。  我慢と勿体無いを忘れた国 民へのつけは最大値を目指していると思うのだが、政治を含め官僚もマスコミも 誰も、その本質を解き明かそうとはしない。 この国に何が起きているのだろう かと恐ろしくも成ってくる。

パッチ当ての政治が横行すればその結果は歴史が何度も意味深く教えている。 人間の寿命に限界があるから、その反省の温度は冷めてしまい体現できないもど かしさもある。 せめて我が子くらいには当たり前の常識を伝えておきたい。

そう言えば、シドニーに居る娘が、APECで数千人のデモ隊が騒ぐので学校が 休校に成ったとメールしてきた。なんでも、ブッシュ帰れ!らしい。 オーストラリアも大変そうだが、当のブッシュ氏は、そんな事はお構いなしの気 配でもある。総理へ拉致とテロ対策支援法を天秤にかけたようだ。どうやらアメ リカの外交戦略の本音が垣間見えるように浮上してきた。

 

報道に渇
ムササビ(2007年09月03日)
 

改革だ改革だと この20年ほど世界中に駆け巡っている共通語がある。 冷戦崩壊後に起きた言葉であろうが、イマイチ斬新さに薄く、迫力にも欠ける何 かがある。 何処かに矛盾があれば、その矛盾にいち早く気付き、その矛盾が修 正される方向へ先回りするのが「投資」の基本であろう。

ところが、その矛盾そのものを作り上げているマッチポンプが有るとすれば、そ こに闇が付け入る隙も出切るし、改革の叫びの中にもその形が見え隠れしそうな 時代が押し寄せてきている。 この悶々とした国際情勢や国内政治の不安定さは 決して自然な流れとは思えなくも無い近頃である。

決して映像マスコミは語ろうとしないが、ココ2年ほど流行っている「格差」 の真理は間違いなく「デフレ」に有るのだが、デフレに慣れた感性からは、もは やデフレの危険性そのものをも無関心に成ってしまったようだ。如何に真実を追 究しようとしない、否 追求する為の免許の上にアグラを掻いているだけだろう が、この報道の無気力感が事態の悪化を加速している。

この国の中に有る、生産地と消費地の違いが全ての国際社会の現状を小さく映し 出している。 どんなに国土を資源にして1次産業で生産しても、国内消費に頼 る経済仕組みで、そこがデフレであれば、その仕事の価値は低下し続ける。  一方で、国際社会で消費するモノを作る地域であれば、国内デフレ経済は経費の 大半を占める労動費の実質削減につながり、削減された労働分配率でも、国内労 働者の日々の生活は問題なく、かえって生活費がデフレ化することで分配率の低 下を間接的に留め置いているので、長期の年金などへの不安が生まれるくらいで ある。

この国の人口は関東、中部 関西などの大都市圏に半数が居住しているそうだが 大まかに言えば、国民消費力の半数のキャパが国内生産物よりも安価な国際生産 物資を消費している事になる。家計収支が全体として目減りが少ない3大都市圏 と、デフレで確実に目減りし続けているその他の地域とは家計に対しての緊張感 には「大いなる格差」が有る事に成る。 家計に於いての目の前の現金収支だけ を考えれば理解出来なくも無いが、長期視点に立った国家会計では、あまりにも 危険な為替のトリックに振り回されている事に政治が気が付いても良い筈である。

大きく視点を取れば、世界での消費が米国に頼ってしまい、借金をさせてまでも 買わせている事が麻痺してしまっているのと同じ事でも有る。経済規模が1位と 2、3位で牛耳っていた国際収支経済にも別なフィールドで中南海やロシアが参 入してきたし、サルコジ氏もバカンスでブッシュ氏と口裏を合わせたのか解から ないが、混迷するトルコ情勢に手を和らげて始めている。

EUも米国も何かの兆しを感じて外交転換を行なっているのは確かと考えるのだ が、この国の中では横綱のあり様がNEWSのヘッドを飾る程度のTVが、時折、 身綺麗そうな政治屋を出して茶の間を覚醒し続けている。 そろそろ国家を論じ る凛とした真の政治が始まって良いコロなんだろうが、次の選挙を予感させてい ては官は動じないし、一部の官は必ずその先に先回りして待っている。 情報を 特権で先取りするこのやり方は、インサイダーそのものであり、その被害者は他 ならぬ国民大衆である事を報道は追い続けなくてはならない。

 

プリンス達の焦り
ムササビ(2007年08月23日)
 

日銀は、なけなしの利上げのチャンスを見送らざるを得なかったらしい。 そもそも今回のパリで始まった信用収縮の連鎖に走る原因は印刷紙幣の乱発に他 ならないのに、サブプライムだとかファンド破綻だとかと色々騒がれて、核心を 語る人がマスコミに登場してくれないイライラがある。

今回これに良く似た話が、横綱の帰国騒動でもある。世界第1の経済国で発せら れる裏付けの無い横綱ペーパー信用が、国際金融の土俵を我が物顔で駆け巡り、 いつの間にか土俵の直径を無限に拡げてしまい、横綱そのものが誰と相撲を取っ ているかが解からなくなり、疲れてしまい、こっそりとダミーを仕掛けて闇夜に 引きこもりをしようとした瞬間を、その相撲を眼を凝らして砂かぶり席で観て賭 け続けていたタニマチ衆が「イカサマだ賭けの払いをやめた!」と言い出した事 に端を発している。

土俵際の審判は、まてまて、観なかった事にして大目にするから大人しく賭場に 戻れと言わんばかりであるが、当のイカサマが後ろの方の桟敷席に知れ渡るのも 時間の問題かも知れない。 相撲協会もBISも中央銀行も同じ得体の知れない 者だったようだ。 規制が効かなくなった力士に相撲道を考えよ!と言っても、 所詮、力士である前に欲の在る人間の一人に他ならない訳だから、一度許された ワガママは土俵に戻るには難関の極みであろう。

治療にかこつけて退散したい国際金融土俵ではあるが、過つてのワガママを苦々 しく思っていた連中にとっては、攻めに転ずる一瞬でもあるだろう。 その一人 に小兵であるが運良く大関にまで上り詰めた「円」はどんな土俵での立ち回りを 見せてくれるのだろうか?前頭下位でありながら体重だけは角界一の「元」にア ブラアゲを取られてしまうかも知れないと思うと、ゼロ金利に甘んじてきたツケ を払わせられるかもしれない。

何度と無く金利と言う「筋力」を付けるチャンスを逃してきたプリンス大関は、 今回の騒動は角番の気配でもあろうか? 貯蓄の資本主義と消費の資本主義が同 じ土俵で戦うと勝ち逃げに出くわすかも知れない。 そうなれば土俵に何が残っ ているのかと思えば....更なる残渣を埋める為の貯蓄の連続であり、貯蓄後の楽 しみは永遠に消費できない事に成る。今こそ内需転換で有るが、そんな事は誰も 論じないだろう。騒動で誰が得しているかを観れば秩序を制しているのが誰かが 良く見えてきそうなものだが、次元の低い内閣人事でマスコミは賑わっている。

 

統治能力
ムササビ(2007年08月20日)
 

「いくら東大大学院やハーバード卒でも、現実の政治にはそぐわない事も多いよ! 」 森氏が先週のTVに出て言い放った総理への牽制球とも取れる発言の一つだ。 確かに、政治には見逃す事が出来ない「勘」の世界がある。

政治が、権力闘争である事を考えれば、大いに、この「勘所」の存在力が統治能 力に比例してくるのは当たり前の話だ。どう考えてみても総理にはこの「勘所」 が熟成されずにココに至った感があると思えて仕方が無い。

最初の内閣布陣に失敗して、大臣の更迭の機会を何度と無く間違い、未だに小池 大臣に内閣が翻弄されているのを観ると、どのようにマスコミが報道するかは別 にして国民大衆へ与える効果は大いにマイナスであろう。 なぜここまで至って も挽回が出来ないのであろうか?

勝手に推測させて頂ければ、2世議員として泥を被って来た回数が少なかったで あろうし、喧嘩をした事が無かったのであろう。 喧嘩は男子が成長するにおい ての必須科目である。公に喧嘩が学習指導要領に組み込めないのでスポーツや武 道に於いて倒す事の勘所を養うわけである。

この感性は前任者が余りにも優れていた。省内人事で内閣に揺さぶりを掛けてい ると感じた瞬間に田中外務大臣の首は、あっけ無く飛ばされてしまった。これを 観た内閣閣僚はビビッテしまい、その後に於いて獅子の尻尾を踏もうとした者は 出てこなかった。 良い悪いは別にして、チカラを見せる時は必要であるが、そ のタイミングを外してしまえば、全くの逆効果へと成ってしまう事を総理は身に 染みていないのだろうと思える。 いかに真っ当な男の喧嘩をしてこなかったが 読み取れてしまう。

イランでも閣僚が大統領に対して反旗を翻しに掛かっているし、それを躍起にな って押しつぶそうとして、何故かアフガンへ擦り寄り始めている。 本音は米国 やEUに対してだろうが、ガバナンスにも陰りが出てき始めている。ベイルートの ハマスに於いても同様な地盤沈下が観えてきている。 国際情勢は金融をも絡ま せて秒刻みで移り行く時代に、「戦後レジユーム」や「美しい国」で済めるはず は無いだろう。 緊張した即応力が内閣に問われているのだが.....。閣内のイ ンテリジェンス度は崩壊に等しい。

ここに来て、62年前にマッカーサーが手を付け、前任者が仕上げをして壊した 価値の大きさがしみじみと堪えてくる。国際政治の潮目の変化に「鈍感力」は禁 じ手である事さえも教える側近が居ないと民衆が感じれば最悪の事態であるし、 為替は3歩先を行っている事を内閣は考えているのだろうか。

八百長に揶揄された横綱も総理も似たような役が廻ってきているようだ。

 

リーダーの価値
ムササビ(2007年08月13日)
 

7日の金融大臣談話を読みながら蒸し暑さを余計に感じてしまった。 記者の内閣支持率急低下の質問に、株価低迷と内閣支持率や世論の問題とは別な 次元の話で、そのうち上がるでしょうとの答には、庭木で騒ぐ少々蝉の合唱まで もうるさく感じてしまったからだ。   政治にはカネが付き物である、このカ ネは胡散臭いカネもあるが「経済」の血液としてのカネの存在である。

会見談話の初頭では、内閣の仕事で一番大事な経済の成長と雇用と言い置きしな がら、別次元とはなんとも情けない気もするのだが、発言の軽さは大臣としての 価値に比例してしまう事を、未だにこの内閣では理解されて無いようだ。

ECBも慌てて金融のほころびに対してのパッチを準備し始めたし、FRBに於いても 同様な手段を講じてきた。 さて、この夏に起きる株価の揺らぎが、どの程度で 収まるかが来年の北京舞台を左右させて行くのかも知れないと思ってしまう。世 界第1位の外貨準備を誇る中南海の政治システムの力量を試される1年でもある。

一方のEUの盟主仏大統領サルコジ氏はバカンスをアメリカで過ごすそうだ。何か につけてアメリカの出鼻をくじいてきた過去の仏大統領とは一線を画すような資 質も見える、しかも、パパブッシュの別荘が在る湖の近くだそうだから、話はキ ナ臭くなってくる。市場経済重視の政策で当選した彼の姿を観れば小泉氏のフラ ンス版とも言える気がする。政治の周りには色んなカネが配置されて成り立って いる。 奇麗事だけでは済まない人間社会もある。どんな理想を掲げても裏づけ と成ってくれる金融システムが無くては、そもそもの政治が動かない現実がある。

今回の総理続投に賭けざるを得ない自民党の中から新しい政治生命が産まれてく れば安陪総理が続投した意味は大きくなるが、その流れを好まない静かなメガ資 金も居る事を外交と国際金融は教えてくれている。

自由と平和とバカンスを愛するパリ市民の大らかさがいつまで彼の劇場を見続 けるのだろうかと思うと、我が国では如何であろうかと案じてしまう夏の熱さで もある。

 

概念の差
ムササビ(2007年08月01日)
 

米国サブプライム問題がようやく一般のマスメディアにも流れ始めてきている。 市場は2年前から認識していた事態でありながらも、先送りされ続ける心地良い 投資感情のエネルギーに酔いしれていたわけだ。

国際石油メジャーにとっても、産油国にとっても石油価格上昇は心地良いポジシ ョンであったであろうが、どうもマネーの流れに揺らぎが大きく観えて来たと感 じるのは我輩だけであろうか。 夏にお出ましの台風にしても、いささか場違い であると思っていても、台風にすれば発生に値するような条件が積み上がって、 お呼びの掛かる気象条件であるからこその必然性であるとも言いたげである。

さて、このような政局に至っても続投を図る総理に何らの説得力も無く、世論の 履き違えを未だに続けている訳は何であろうかと考えてしまう。今回の選挙では 古参議員に退場勧告がなされた。 これは何を示すのであろうか、やはり小泉総 理誕生からの、政治への新しい風を期待し続けている世論の成す仕業としか思え ない。 これを履き違えると成れば、勝った民主党であれ、負けた自民党であれ、 社会に混乱をもたらす原因となる事を肝に命ずるべきであろう。

混乱を招く風は未だ南洋に潜んでいるが、秋口になれば歪な国会運営を続けざる を得ない内閣に対して台風として圧し掛かるであろうことは必然性の極みである。 その混乱時に於いて、次元の低い足の蹴り合い政争よりも、政局を国家の視点か ら論じる事が出来る政党こそ次期衆議院選挙において大勝に至る政党であろう。 今の民主党にすれば、次期衆議院選挙を考えれば、ここが大人の政党であるかが 問われるであろうし、国民も政権を任せるに値するのかを見極める半年であろう。

どう考えてみても、年金制度は、入りと出に制度矛盾が多すぎる事を国民に解か り易く説明する責任が政権政党には有るのだが、官僚が責任逃れに行なった不可 解なジグソーパズルの様な制度設計に翻弄されて手足を縛られている。これに対 抗できる専門頭脳集団組織を各政党にも構築する事が求められているのだが、ど うも危機感に乏しい政党ばかりである。 国内外を問わずに大きな濁流がこの国 を回流しているにも拘らず、国防の要を他国に任せることが真の独立国であるの かを、自身に問う事さえも忘れてしまっているのは平和の配当の履き違いに他な らない。 バブルに酔い、デフレに押し流され、来る国際通貨の逆襲には無防備 なこの国に欠けている国防意識を、国民金融資産を変換する「貨幣通貨も武力」 の最たるものと問いかけてしまいたいのだが.....何故か善意の国際論に終始し てしまう言論界が多い。 来る筈の無い季節外れの台風が日常化すると予測した くない「先楽後優」好きな世論が在るうちは危機意識もナノの世界かも知れない。

 

表の国益、の裏
ムササビ(2007年07月26日)
 

外交が国益を最重要な根幹で形成され、その国益の追求を最大限に求め続ける事 こそ最高の外交力であろう。  この国益方程式を株式会社の形に置き換えてみ ると、意外とすんなり会社の利潤追求の論理と合致してしまう。

最近流行のグローバル資本主義は、この方程式の最たるものかもしれないと考え る。 短期資本利益追求を限りなく優先すると、組織の贅肉と思われる脂肪を蓄 える内部組織に手を付け、脂肪は無駄と評価して組織のダイエット化に邁進して 行く行動を取り、それを美化する企業文化が主流になる。

これ等の行動の根幹に有るのは、間違いなくリスク管理への投資感覚の欠如であ ろう。 無駄と思われるモノを限りなく削ぎ落とした結果、地震に見舞われた 「リケン」の存在が客観的にみれば、国内自動車業界全体にとっては、如何にリ スキーな存在であったかは良く判る。 高度な技術力が産業を支配し影響を与え る事は、平時に於いては企業価値の目でしか評価できないが、有事に於ける眼か ら観てみると、企業価値の増大は如何にリスク価値をも増大していると言う事を 今回の地震は教えてくれた。

ついチョット前、プラザホテルで国家間の為替戦争に敗れ、その後、再起を果た してもバブルの仕掛けに踊らされたこの国には依然としてリスクヘッジをする仕 組みが構築させて貰えない悲しみがある。 以前書いた事があるがNHKの記者 がシテイーのパブで、たまたま聞こえてきた彼等の東洋への話しの中に、「彼ら には働く事に専念してもらい、我々は彼等の蓄積の利用に集中すべきだ」が平然 と真面目に語られている様をみて情けなくなってしまったらしい。

彼等の歴史を考えると、常に取るか取られるかの歴史であり、常に和を持って行 なうを良しとするこの国の感覚とは相容れない感性がある。どちらが正しいとか では無くて、それが当たり前の常識の世界がある事を念頭に置いた行動を取らな ければ、誤解を発展してしまうだけだ。

戦後60年を過ぎ、もう戦争は起きないと勝手に誤解している国民に蔓延する危 険は拡大するのみであり、バランスシート的な感覚で観れば、資本勘定のみが累 積しているだけで、ROEやROAは不気味なほど静まり返っている。

今回の6者協議の背景に今後の北東アジアの軍事バランスを考えられたビジネス 戦略が見えてくるのは私だけであろうか、北の核を不透明な存在にし、対抗する 軸にF22を100機も提供することが、何を成そうとしているのかを冷静に客 観視し読み解くリスク管理感覚を今、外交に求められている。

無いモノは払えませんと正直に年金問題に決着する政治が求められているのだが、 鉾を出したり引いたりする程度では困ってしまう。外交政治力が問われる時代だ。

 

方向性
ムササビ(2007年07月23日)
 

6者協議で核の無力化に対して踏み込めない理由は何であったのだろうかと考え を巡らしてみたくなった。 間違いなく、何らかの準備がなされているのだろう。 インテリジェンスが駆け巡っている静かな向こう側の世界がある。

韓国統一相は、平和的な統一に向けての提言をする準備に入っていると発言し、 韓国ストック市場は連日の外人逃避による売り超しが始まっている。にも拘らず、 韓国内内証券スジには楽観論が覆いかぶさってしまい、ネガ手ティブスピーカー は攻撃の対称にさえなっているそうだ。 主婦層は年金貯蓄を解約してまでもス トック戦に戦いを挑んでいるそうだから、いかに高揚した気分で市場が支配され 続けているかが良く解かる。

参議院選挙投票日の翌日に米国下院議会で例の「慰安婦決議」が採択される見込 みになったとされている。 主張する外交の姿は何であろうか?と疑問の外交戦 略がこの国の国益を棄損して久しい。 やはり、TOPの外堀を固める人事の失 敗が就任早々から問題の解決ではなく、問題の新規呈上を起こし続けている。

韓半島の歴史を思い起こしてみると、近未来の韓半島の姿も予知できそうな気配 もする。歴史的に韓民族は列強の支配に翻弄され続けている。 この民族的な圧 力への反発力は大きく蓄積され続けていると診るのが正しいであろう。 まして、 民族が分断されて久しい。我々は朝鮮戦争と言い、一方の韓国では韓国戦争と呼 ぶ表現の仕方は見方によりニュアンスは決定的に違う。

南が、この歴史的な劣勢を克服するための唯一の手段への憧れに「核」を密かに 念願していても不思議ではない。核の無力化と核技術の無力化は全く違う、技術 は温存できるし、消去できない価値である。 これはIAEAが年間消費する査察予 算の大半を我が国の再処理施設査察につぎ込んでいる事をみれば、如何に我が国 の持つ核技術への転用不信感があるかが良く解かる。

持ってしまった「核」の扱いに6者が手玉に取られる姿を見た勢力は何を考えて 行動を起こすであろうか、子供でもわかる単純な推理であろう。マネーは世界一 の怖がり屋でもある事を熟知するHFは先手を打っても不思議は無い。積み上が った楽観論の行き先を歴史は教えている。

 

資源の価値
ムササビ(2007年07月17日)
 

ボーイングが事前予約を大量に集めて787のスタートを切った。747で世界 の市場を独占してから流れを読み違い、エアバスに攻勢を掛けられて経営がきつ く成っていた頃を思い起こせば隔世の感がある。

もう相当昔の話だが、表向きは民需であったが国策の肝いりで新素材の開発が国 内で密かに進められていた時代があった。その中の一つに「カーボンファイバー」 が有った。たしか東レが中心で進めて国産の戦闘機開発の目玉に成っていた。世 界に類を見ない軽くて強くその他の優れた特性を持っている新素材は、各国の産 業スパイが躍起になって追い求めていたものであった。

当時、我が国の次期防で国産戦闘機の主翼素材にこれが摘要される情報を得た米 国国防スジは先々の手を打って国産戦闘機開発の阻止をしてしまった上に、この 新素材の技術情報を得るためにバーターで共同開発の名の元にF15のノックダ ウン提供を与えた。当時、自国防衛の要を握る新素材の提供には技術者連中にと っては敗戦の極みであったと聞いているが、米国はその後に於いてこの素材を進 化させ、ステルスに始まり今回の787で国際戦略物資産業の航空機産業へと開 花させている。

また、湾岸戦争当時には、日本の持つ国産戦車の夜間行動戦力情報が米側へすん なり提供され、当時の米国陸軍の戦果の向上に多大な貢献をしたのは専門家や軍 事筋の間に於いては定説である。しかし延々と放出される高度技術情報は最終的 な国益に繋がらない矛盾がありはしないか? 青函トンネルが開通した当事に開 通式に招待された当事のソ連スジはトンネルのキャパを見て軍事輸送能力を即座 に本国へ送信したと聞いている。技術は一夜にして誕生しない事をよく知ってい る情報屋の勘所であった。

それ程、世界はしのぎを削る毎日であるにも拘らず、なんともし難い国政の揺ら ぎを感じてしまうのは私だけであろうか? ゼロ金利で行き場を求めていた円が ユーロを上げ、ドルを上げおかしなマグマを相場に積み上げて来ていたが、これ に投資信託を通して国内の円資源も乗って加速してきたようだ。為替バブルにク ラックが現れる日も近いと読んでいるが、問題はそのいく末であろう。複雑に絡む 為替利権にロシアや中南海が参加してきた事で収拾の兆しは見え難くなっている。

国力を支える、限りある外資資源の使い道と国内再生産能力はリンクして掛かる べきだろうが、果たしてそれを補完するインテリジェンス能力に不備は無いだろ うかと考え込む日々である。相場の金言に「見切り千両」が有る。国防の自立を 考える時代がとっくに過ぎているのに、見切れない悩ましさは危機の累積に他な らないだろう、どの国家も国益が最優先課題であるのに気が付かない外交がこの 国に蔓延していないだろうか。きれい事では済まない博打場が国際世界である。

 

170億ドルの行方
ムササビ(2007年07月09日)
 

HFが動かすマネーが1兆7000億ドルもあるそうだ。 その中には、短期資金と長期資金とに分別される仕分けがあるのだろうが、なん とも気が遠くなるような金額である。 無限の価値を印刷し続ける魔法が、いつ まで続くかは、後世の歴史が示すところだろうが、過剰な流動性を活気づける紙 幣の存在価値にも幾らかの暗雲がちらつき始めている。

トランスフォーメーションを実行に移すに当たり、外部派遣能力は17旅団に対 応する後方支援しか用意されてない軍備システムに23旅団もの勢力を受け持て るはずが無い事が国際社会に知れ渡ってきている。 引き伸ばされた兵站は戦力 としての意味を成さない事は前回の大戦で日本が経験して敗北した歴史がある。 今、米国は内側の問題に集中し始めている。 次期大統領選挙に備えた動きであ ろうが、引き伸ばされた6旅団の影響をもろにかぶってきた国にとっては、大き な転換点であろうし、押さえられていた勢力にとっては相手が引き下がる機会は、 またと無い攻撃への転換点でもある。

なりふり構わず、転進するかどうかは解からないが、アメリカの誇りを支えるモ ノが縮小している事も事実である。この軍事プレゼンスの転換は同様にドル紙幣 の国際力にも影響を及ぼすと考えてしまう。そびえ立とうとする中国やロシアは この機会に色んな事を試してみる事であろうし、両国とも国内には解決し難い難 問が山積している。 やはり、国威を発揚するような外部へのガス抜きの仕掛け が求められている様でもある。 そこに流通量を増し続けているユーロ通貨の存 在が三つ巴に畳み掛けているような時代が始まってきた。

アジア金融危機から10年の反省に立って何が施されてきたであろうかと、ふと 考え込んでしまった。 危機感の緩みは次の危機を助長する薬に他ならない。 虎視眈々と1兆7000億ドルは次のチャンスを待ち構えている事を肝に銘ずるべきだ。

 

多極化への転進
ムササビ(2007年07月02日)
 

911が起きてからの世界は、それ以後に於いては状況に大きな変化が見えてい る。「目には目を」と狩猟民族らしい論理や宗教観での対峙が各地で始まってい るが、その姿は、冷戦終了までの米ソ2極体制とは明らかに違う。

冷戦終結後に始まったこの世界の混迷は貨幣を経済社会構造から隔離する裏技を 生み、いつの間にか貨幣が武力化してしまった。 これは、数値上は成長し続け る事で経済が成り立つ為の貨幣システムが持つ永遠の課題かもしれないが、この 15年のデフレ経済は貨幣の持つ威力を過大に見せ付けてしまっている。

この貨幣経済が持つ「魔力」の存在に気が付き始めたロシアや中南海を始めとす る資源ナショナリズム国の今後は、国連や色んな世界の管理組織を手玉に取る誘 惑に駆られるだろう。これが動き始めると世界秩序は不安定さを増すに違いない。 永く平和の余韻に浸っていたこの国にとっては、戦後最大の試練の時期を迎える 事になる。 これ等の誘惑が巻き起こす激変のトルネードに如何に対処するかは、 今後に多極化していく国際情勢の勢力図を緻密に分析予測する組織が必要である。

ドルの支配者は紙幣から現物交換への戦略手段を着々と準備続けているのだろう が、いまだにこの国ではこの戦略との距離感を感じてしまう。平和の配当の原資 が何処にあったのかを確認せずに過ごしてきた時間が余りにも永すぎてしまった。 さきほど亡くなった故宮沢氏などリベラルな政治家が果たした外交の布石にも陰 りが見えている事を彼は感じていたのか、最後まで「英字新聞」から目を離さな かったらしい。 時代の隔世を感じた日である。

 

国益の大義
ムササビ(2007年06月28日)
 

国会が延長戦に入った。 選挙戦略の一環もあるのだろうし、総理の不退転の決 意の表れでもあろう。粛々と正道を行くと語っていたが、画面に映る表情には、 なぜか余裕は感じられなかった。 選挙結果の結果責任論が賑やかでもあるが、 何となく、むかし辿って来た道を自民は巻き戻しているような気がする。

神輿を担ぎ上げては降ろす不安定な政治のやり方は、実政治を「官主導」に任せ ざるを得ない根拠になって久しいのだが、5年前に政治は「官邸がやる」と前任 者がぶっ壊していたはずだった。  流れを引き継いだはずの安陪氏に読み違い が在ったとすれば、やはり、最初の内閣人選だった。 あまりにも総理の意思が 見えてこなかったし、政治ビジョンも理と実の配慮が乏しく、とにかく多くの委 員会を立ち上げ、空回りをしてきた。

やはり、総理を支える番頭には、故後藤田氏の様な「いぶし銀」な配置が望まし かった。ただ、このままで行けば次の選挙では与野党が拮抗して政治が不安定化 する兆しも出来つつある。 国民はようやく安定を取り戻して来た政治を、また あの時代に戻そうとするのだろうか? 15年も強烈なデフレを経験し、あの頃 大学を出た若者達は今、企業や社会制度の中で40前の中堅に成っている。経済 では未だ、インフレを感じた事が無い世代でもある。

政治が長期に混乱すると、多大な国力を消費してしまうと言う実験を私たちは体 験した。昭和40年代の預金金利10%台から0%までの時代を観て来た世代に は国家の屋台骨の揺らぎは内的には国力を損ない、外的には国益を損ない続けて いる。 政治の不安定は「民」の不安定であり、反対側に「官」の安定をバラン スする。 社保庁問題の責任は総理は行政の長である自分にもあると言う。小沢 氏は党首討論で国か国民かと問いただしていたが、最終的には政治家と言う。

小沢氏は、1人区を走り回り、格差の問題を説いたというが、中でも農業補助の 問題のたとえで、「中国や台湾などで我が国の高級な食材が売れているし、国内 でも需要がある」と言う。はて?これ等の高級食材に手を出せる人々こそ格差の 頂点に居住している事を判っていない。もし、そんな程度の一次産業と観ている とすれば大変な勘違いでもある。今ほどに多角的な情報が錯綜してくる時代にな れば、浮き足立った人々が全てとは思われない事を慎重に吟味して選挙に掛かる べきであろうが、どうも旧態依然とした感覚が野党代表に流れている気がする。 政治に代わりを求めたい国民がいても、このような実感の無い言葉の論争が選挙 で行なわれるとすれば、勝ち目は無いかも知れない。  大衆は賢い判断をする と思いたい。

政治の不安定さを見透かされた仕打ちをロシアから受け続けているのに、国益と 国防の自立を避けて日米安保にすがり付こうとする国の姿は今や、外交力のアキ レス腱に育ってきている。新しい冷戦の臭いの湧き立ちを感じていれば、もっと 国益や国家論を論じる選挙に成るべきであろう。

 

熱い氷の国
ムササビ(2007年06月18日)
 

アイスランド経済が熱いらしい、人口30万に対して年間流入する観光客が39 万人いるそうだから尋常ではない。それ程魅力的な観光立国だということだろう。 つい先日も、この国を特集した番組が放送されていたが、水素立国を目指すとの 事であった。  未開発の国内資源が多い中で、なぜこの国がこれ程までも世界 が注目するようになったのだろうか。

女性の政治家が占める議席数が多い事も無縁ではないかも知れない。女性が政治 に目覚めれば色んな視点で政治が変化する。あのサッチャー氏などは代表格であ ろう、ただ彼女への冠詞が「鉄」であったのは男のヒガミかも知れなかった。 今回の、サミットを仕切った独首相も女性である。 一方、サルコジ氏の奥方は 何故か途中退場してさっさと帰国していた。 はたまた、政敵のロワイヤル女史 の相方は、仏社会党運営方針を巡り、選挙敗北後は内紛めいた様相を党内に引き 起こして、男女の問題には寛容なパリ市民からひんしゅくを買っているらしい。

安倍総理就任祝いの電話でブッシュ氏が「我々には妻と言う良き理解者がいる」 とこぼしたのも意味深であろう。我が国に大変化をもたらすとすれば意外と女性 政治家かも知れないと思うように成ってきた。 目先の理屈や恐怖心で利上げも 出来ない総裁よりも、涼しい顔で金利経済を主導できる女性は居ないものだろう か? 上げる事をためらうほど、次の上げはきつく成る先送り魂は読まれている。

長期金利2%で驚く程度では、アイスランドのクローナ金利14%に於いては卒 倒するだろう....。 ジャブジャブと行き場の無い「円」の行く末はチャイナシ ョックで大きな残渣をまとわりつけて帰郷する気がするし、ロシアはこれ等を見 越した対外戦略へと転進している。ベネズエラを介して米国の庭に仕掛けを始め たのはフルシチョフ以来だ。 ロシアやベネズエラの資金は行き場を求める石油 代金の投機先に他ならない。 いま北の国が熱い。

 

劇場の源泉
ムササビ(2007年06月13日)
 

ちょっと前、愚息が大学生のころ国の力について話した事を思い出す。 「不景気と言いながら国民金融資産は毎年100兆円も増えるって変だね」との 問い掛けから始まった。その時に「視点を変えて観ろ」と言った。いわ ゆるカネの数値的増加量よりも移動量、速度を考えてみろと。「全く別な姿が見 えてくるから面白いぞ!」と言った途端に、「それはニュートンの法則じゃない かな」と攻められてしまった。

なるほど、質量と加速度の関係は正しくエネルギーの公式に有る。しかもその値 は加速度の2乗に比例するから、ややこしい関係でも有る。そういえば金融もニ ュートンも英国産だった、しかしニュートンほどの数学者であっても株式の先は 読めずに負けの連続だったとか....。チョット前のLTCMもノーベル賞の実験場で もあったが、あえなく崩壊してしまった。

如何に金融の得体を知る事が出来ないかが良く解かる。強制税や自由債券、はた また善意の貯金や年金資金で集められている筈の「カネ」の実態が語られる事無 く、受給者の権利や管理者の責任所在のみが直近の話題である事は、結果として 誰が得をする事になるのだろうか?

国負のみを掲げて恐怖心を煽り、国富の配当を引き伸ばし続けてきた、中央の財 務官僚の腹にはインフレと相続税で国負は半減する予定だろうが、そこに至るま での庶民に掛かる負荷エネルギーは到着までの速度の2条に比例した値になる。 そんな時代は予想にもしていない善意の庶民が多すぎる。伸びすぎたゴムは弾力 性は薄れ、時として破断してしまう。庶民ゴムの強度問題でなく、伸ばし続ける 不作為の現実こそが問題の本質であろう。

リスクエネルギーは保存され続けている危険があるし、その危機を予知し始めた、 賢い人の「円」は金利差を求めて非難し始めている相場が起きている。 外貨準 備大国に成っても強制的にドルを買わされ続けてきた歴史を見た中南海は自らの 金融戦略に動き始めた。安保を担保にしてない自由がある。国富を如何に経済に 仕込むかは実戦官僚の資質による責任があるはずだが、ただ優れたニュートンで あっても実経済と絡む金融は解読不能。どうしても頭が切れる雲助官僚が要る。 新しい劇場の雄大な国家論を論じる輩が出てくる気配を感じてしまうのだが.....

 

結果責任の所在
ムササビ(2007年06月08日)
 

色んなメディアが相次いで掘り下げてきている年金問題だが、当の資金管理当事 者からは無言で過ごそうとするズルさが見えみえである。 この問題の根源には、 そもそも納付されたのが誰のカネで、いつ誰が使うかが正確に武装されずに放置 されてきた経緯がある。  まして、納付された資金や情報を管理する側と、真 面目に納付しお任せせざるを得なかった側とは、受け取る年金の仕組みも資金の 背景も全く別物という「摩訶不思議」な仕組みであるから何処に責任が有り、出 始めている損失を誰が補填するのかが判らない仕組みである。

やはり、問題はシンプルに解決するのが正しいと言わざるを得ない。この問題の 解決までに要する費用と、それに必要な経費は社会保険事務に関わってきた全て の関係者が現在、将来、得る公務員共済年金から支払うべきが筋であろう。でな ければ結果責任と言う、日常では当たり前の責任の所在がうやむやに陥り、国民 感情に亀裂を招き、引いては国家にも多大な影響を及ぼしかねない。

コムソンの問題でも然りであろう。法に抵触しなければ何を行なっても良いので あれば、「福祉」や「年金」などと共に余命を過ごす先輩達に恥ずかしいと思っ てしまう。いつの間にこんなおかしな事が平然と社会に蔓延るようになったので あろうか? ヒルズ族とやらが産まれ、資本主義が拝金主義に成り下がってしま い、永く培われてきた日本人としての感覚が麻痺している。

カネで買えない心が有る事を信じていない輩が多すぎるようだ。

 

覚醒状態
ムササビ(2007年06月04日)
 

あの中曽根氏が総理時代に電電公社、国鉄などの専売公社の解体から始まってい る組織の「あがき」とも思える状態が今なお進行しているのだろう。 その後リ ゾート法第1号のシーガイヤの外見は残って中身は替わっている。 また、あの 時代に流行った「マルチメディア」は、ゴアの「情報ハイウェー」にパクられ、 肝心のOSをMSに握られてしまった。結果として日本発のOSは狭い技術分野 でしか成功を収めることが出来ずじまいである。

発想は、大胆かつ問題の本質を貫く「モノ」を持ちながら、満熟したにも拘らず 組織の外形で希薄化されてしまう実態がある。一人一人は極めて優秀なのだが、 束ねる組織に問題があると言う仕組みでこの国は今までに何度と無くチャンスを 逃している。

何が根幹にあるのだろうか、やはり任せることしか選択種を取ろうとしない国民 性だろうか?維新後に大名組織を残しながら地方自治を緩やかに変革しようとし た勢力が結果として敗北して、公儀側の伊藤が総理に付き、廃藩置県後に大名を 東京に呼び込み、旧支配者と地方との隔離を行い、廃藩後に残された武士の就職 対策に「役人職」が与えられ、今に至っている。役人と地方大衆との見えない格 差関係が中央では未だに継続している事になるのだろう。

林野の負債は、関係者の間では国鉄解体時から巨額にあることは判っていた。独 立採算と言いながら、国有資源で食ってきた幹部職員の仕事は、当時から目に余 るものがあり、若い職員達にも甚大な影響を与え、つい最近には、廻りまわって 最後は国民の税金で1兆円もの付け払いをさせられている。緑資源の前は森林開 発公団で、その前は何だったのだろうかと思い出せない。 あのバブルを起こし た見せ掛け成長の覚醒時代の置き土産がようやく陽の目を見せ始めただけの事で ある。

社保庁問題にしてもしかりで、根は同じものが流れている。正確に情報を把握せ ず、ただいたずらに目先の騒ぎで部数や視聴率で稼ごうとするマスコミの姿勢は、 江戸の「瓦版」程度でしか無いのが実態だ。景気は回復していると言いながらデ フレは今だ活き続けていると言う政治に、17年ぶりというマヨネーズ値上げは 平手打ちを食わせてしまった。

組織の解体が問題ではなく、問題の原因に切り込み、一つ一つを確認し、潰して いく力量が無くては、また繰り返されるだけの「イタチごっこ」に他ならない。 この「いたちごっこ」の習性を近隣諸国が熟知しているからこそ、国富を狙われ たり外交で失敗する歴史がある。 もういい加減にしたい気がする。

 

不安の行く末
ムササビ(2007年05月30日)
 

うごめく不安感が国民感情を覆ってしまっている。 農水大臣の自殺も尋常では ない。 税や年金などあらゆる情報の一端が誇張されて社会を駆け巡り、さもす べての情報を表現するかのような報道に至っては、無防備な大衆はひとたまりも 無いだろう、ここにも善意の被害者が居る。

総務省が報道への規制をゆっくりとであるが昨年頃から始めている、今回の愛知 県警の対応は警察内部に有った一部の行動規範に対しての現場不満を、報道が代 弁し始めた。国防に於いてもスルスルと省への格上げが成され、その重大性に国 民的な議論は冷静過ぎるほど静かである。 間違いなく、国民の心理が「うつろ」 に成ってきている。これは、この15年で大半の大衆が「へとへと」の状態に陥 っている証拠ではなかろうか。

こんな時代は、かってあったと習った気がする。明治維新以後に文明開化の嵐と 共に国民に大変化を求めた時代が、その後10年に一度の戦争を繰り返し挙句の 果て国富と国民の生命を大量に消費した。欧米のクールな視点では、日露戦争時 に成された欧米での資金調達の風刺画がロシア展で公開されているそうだが、ロ シアの視点では、英米から資金調達しながら崖っぷちに追いやられて居る事に気 付かない日本を書かれているらしい。ロシアは敗戦したが、カネの存在が国家を もなびかせる真理を物語っているようだ。

この半年で地方経済は、やつれ果てている。このレベルは「格差」をも通り越し て「落差」としか言いようが無いほどである。このうっ積する地方の不満のはけ 口はどのような形で終焉するのだろうか? そら恐ろしい気がする。税を使った 公務員の仕事の尻拭いを当事者に求めること無く、更に税で消し去ろうとする公 の姿は、もはや倫理のかけらも存在していない。 この公と民の感情落差は、そ の他を含めて確実に終わり無き拡大を続けている。こんな時代になろうとは予想 も付かなかった。

 

景気の実姿
ムササビ(2007年05月24日)
 

完全分離型の経済構造が国内で浸透している。 関東、中部、関西の三大都市圏 と、その他の経済状況が乖離し過ぎであると感じてしまうのが九州で生活する者 としての景気実姿である。   この地方落差を小沢党は切っ掛けにして参議院 戦をすり抜けたいのだろうが、当の地方生活者から見れば、つい最近まで自民党 支持者が多かったわけだから「面食らっている」のが実姿である。 染み付いた 政党に「おんぶにだっこ」色は、中央政界では現実に乖離しているにも拘らず、 当の地方では「まさか」の時差が有るのが実姿であるから問題は複雑怪奇である。

集票力の有る農業は、まだマシであろうが、林業や水産業に関わっている少数弱 者の経済は餓死寸前の状況に陥っているのだが、政党に取っては票に結びつかな いのか、低温状態の政治感覚が地方に蔓延している。  このBIGチャンスを 活かせそうにも見えないのが小沢党であるから不思議としか思えない。 本当に 政権を取る気が有るのだろうかと首を傾げてしまう。与党から血税を使った3セ クに対して、尻拭いも再生機構の話が出てきたが、地方社会では責任の所在が不 明な3セクに「泥棒に追い銭」の話だ!と捉えている人が殆んどである。間違い なく公務員と、中の下に居るサラリーマン達や自営業者達との戦いが次期選挙で あろう。

忍び寄る物価の値上げに如何に対処していくかを地方では考えている人が多い。 隣の畜産家のオヤジが嘆いていた。国産牛肉が少し上がったところで、輸入飼料 価格は、とんでもなく上がり続けているからなぁ....とぼやいていた。後継者に 「あとを継ぐな」と言っている彼の姿は、全国の商店街シャッター通りの現象に 似ている。  金言で「カネよりも人を残せ」と書いてあったが、今人はこの言 葉をどう受け止めるのだろうか。  日常の伝統的哲学が置き去りにされて久し く感じている。 内閣に色んな委員会が出来ている、愚問であろうが、いっその こと「たかじん」を委員長してみたらどうだろうか。 スッキリするかもしれな い。  余りにも絡みすぎている権力糸がこの国を硬直化している。

 

微速転進
ムササビ(2007年05月21日)
 

北の外相が変わったと言うNEWSTV画面を観て「おや!」っと映る物が有った。 新外相が会見しているテーブル上にペットボトル3本が並んでいて、明らかにアメリカを代表するコークが置いてあった。しかもあえてカメラ目線で置いてあり、如何にも臭わせぶりの有る演出であった、同じ日には朝鮮戦争休戦後で初めて試験列車が境界線を越えて行く姿も映っていた。かたくなに外交部へ対峙していた軍部がOKサインを出したのだろうが、何かをバーターしたのは間違いないはずであろう。とすればBDA騒ぎにも決着が近いのだろう。

何がしかの担保を米国は北と中南海から取ったとしたなら何であろうか?元の為替レート変更に伴う数字の折り合いかも知れないし、一部で話題の北債権の償還に目処が立ち、その福利を得ることかもしれない。 金融とは国境の無いペーパーゲームである。 含みで将来利得を駆け引きする仕組みであるから永遠に収束をしない無限ゲームに近い。  エマージング債権に過度に人気が出始めると、この無限連鎖に一時停止が起きる可能性があると歴史は教えている。

日露戦争の資金は英国紳士達が用意していた事を思い出した。その流れは未だに変らない。いまやシティーは世界中からこの手の資金を仲介しているそうだが、ロイズ紳士の歴史に終わりは無いのだろう。 かの戯曲作家シェークスピアにもその悩みがあったのかも知れないと勘繰ってしまった。

常に、リスクを仕掛ける余人がいれば、いつの時代にもリスクにさらされ続けている大衆が居る。けたたましく騒ぐだけの画面に気を取られていると、利得の源泉を見落とすことになる。あの仏のルモンド紙もフリーNEWS紙を出すそうだから、着実にペーパーメディアは変ってきている。 落ち着いて世の中を見据える時間が高価に成って来たように感じるし、仏の大統領決戦投票が80%以上と聞けば、パリ市民の民意指数に脱帽してしまう。

 

円の引力
ムササビ(2007年05月17日)
 

デフレ脱却未だ成らず.....。 竹中氏が海外で講演されたそうだが、未だにデフレは終焉していないので金利は留め置くべきと講演されたら、会場から賞賛の嵐であったとかとTVで話している様子を観た。

え!っと思わしきズレ感が脳裏を走っていったのは私だけだったのだろうか?人は自分にとって心地良い言葉だけを選択して消化しようとする習性が有る。ならば、金利麻痺の日本国内の感覚と海外で円キャリーする連中との金融感覚にギャップが拡大していることに成りわしないか? 異常なまでのM&Aローラーが世界を駆けずり回って経済を押し均していると感じている。 三角合併の導入で国内市場にも今までの株主価値や企業価値とは別な感性のモノサシで株価が計られる。

何か、落としてないか? 本来、株式企業とは何であろうか? 収益も当然大事なもので有る、会社を支える人や周辺企業も資本提供者である株主同様同格で大事である考えるのは如何にも東洋的であろうか? 人社会に経済を巡らし価値を交換する経済社会は政治や人身が常に安定している事が欠かせないインフラである。 ところがクライスラーやロイターなどを含め、ここ数年企業間の合併が凄まじい流れになっている。 その裏づけが、どうも株式価値で無く、現物マネーらしいとラジオで言っていたが、そのマネーの源泉に「円」が隠れてないであろうか。 この数年の小泉改革の影に仕組まれていた歪な金融操作が起き上がっている。  過剰な円を原資にするフローマネーが国際資本市場を脅かすのはいつの日であろうか、金利操作が不可能な「円」は余りにも無防備である。

何かがズレているのだが、どうしようもない程に身動きが取れない呪縛がこの国を覆ってしまっている気がして成らない。熟した柿は必然性と言う引力で必ず落ちる。とっくに終わっているデフレの足跡が見えなければインフレの足音も聴こえまい。

 

漢方感覚
ムササビ(2007年05月14日)
 

まだまだ松坂NEWSがヘッドラインを飾っている。その昔に野茂氏が大方の道開けをしてからMLBの日本式野球への観察力が高まった。 以前、入団後に投球練習をする松坂を評する米国人MLB解説者が言っていた事を思い出す。

彼らにとっては、松坂の黙々と投げる投球練習に首を傾げるそうだ。MLBの名だたる投手達は投球練習するに当たり、マウンド上で投げるイメージに集中しながら投げ込むそうで、イメージトレーニングが主で投球数は結果の問題だそうだ。松坂入団当時の練習を見た日本のマスコミが「100球近く投げ込んでます!」の報道や松坂練習スタイルに違和感を感じたとコメントしていた。 このズレを調整したはずの結果がマリナーズとの一戦で逆目に働いたから、今回は昔スタイルに戻したのかも知れないとのコーチのコメントがあった。

これ等の報道を観ていると、物事を「部」でとらえるか「体」でとらえるかの漢方論に近付いてしまう。企業経営においてもしかりであろう。拡大経営をして行けば必ず人員も増員を図らざるを得ない、その路線上には人員の福利も考えるのが以前まであった「日本式雇用」だ。いわゆる会社や企業を集団全体で考えるやり方である。 ところがこの15年の間にこの感覚がバブルと共に吹き飛んでしまった。グローバル化の黒船が「日本株式会社」に脅威を感じ弱みの金融で戦勝したからだ。 敗戦からようやく邦銀の大手行のノッチも引き上げられそうだが、果たして諸手を揚げて喜ぶべきだろうか? 黒船は以前の大蔵の息がかすれ、同じ金融遡上で戦闘できると読んだのだろうが、果たして如何にである。「部」と「体」で考える違いは、すべての思考の根幹に在り、程なく脅威と見なせる日が来るかもしれない。 いや、、そうあって欲しいと庶民の金を預託する立場として願いたいものだが、寄せ集めの行名で戦いに挑む限りに於いて、その日はまだ遠いかも.....。結果だけに拘らず経過を重視し継続を重んじる「心技体」こんな古い3文字に東洋の真髄が在る。

 

憲章と憲法
ムササビ(2007年05月10日)
 

高く掲げしモノでも60年もの歳月が過ぎると色んな制度疲労が起きてくる。今回の高野連がモノサシとして出してきた「野球憲章」には60年前に職業野球のカネ絡みの世界から隔離するために、特待制度禁止条項を設けたらしいが、永年に渡って形骸化していた事実を無視してきた事を今さら当てはめて誰が納得するのであろうか。 弱者の制度被害者を作るだけの事だけで、勝者がいない制度矛盾だけが教育者をも含めた高校球児たちに残渣としてのしかかっている。

同じことが「憲法」の中にも「9条2項」を巡って論じられている。現実の装備を持つFORCEを無いはずと書いて有るからだ。本日のTVを観ていると、3大紙の中でも朝日の論説主幹もさすがに答に窮していた事を観て、さすがに時代が動いてきたなと感じてしまう。良い悪いはべつである。 同じ傾向に新聞が動き始めると、いつか来た道に近付いてしまうと思うのだが.....。いや、当時と比較しても言論が電子化されている現代では違うかも知れないと、一人安堵するのも事実である。

エンロン騒動以来、コンプライアンスと言う文字が日米を問わず世界の金融経済社会を走り回っているが、多くの場面に於いて「空振り」の打席に終わっている空しさが有る。 制度は疲労するものであり、その制度疲労の微小傷を狙って新手の金融が産まれ、やがて増殖する過程で別の金融を産み出していく。この連続を人類は誕生以来、果てしなく続けているに過ぎないだけである。 この世界にはFORCEとして金融を捉える大きな世界と、人間が産みだす経済結果を交換する手段としての微小金融との2世界が同居しているからややこしい。

微小金融世界はコンプライアンスを大事と言うが、FORCE金融世界は勝ち負けだけに拘ってしまう特性が有り、実は連携しながらも相容れない矛盾が混在しているのがこの世であろう。 ただ....お互いの共通項に「人」が関わっているから、同じ因数で分解できはしないだろうか。 何がしかの因数で括ってしまえば、金融で走り回る数字は、たいした数字でない事に気が付くはずなんだがと思う連休の終わりである。世の流れとは言え、想定外に肥大化する金融も憲法も制度疲労を見過ごさんための探傷検査を試みるべきか。

 

報道の限界
ムササビ(2007年05月01日)
 

55年も生きていると何だか不思議なことに出くわす事も有る。小泉氏が遡上に挙げてきた最近の北の拉致問題もそのひとつである。 たしか、25年位前だったで有ろうか、国会で質問が成されていたが、この問題は途中で審議を雲隠れをした記憶が有る。  その当時に隠されていた捜査情報が何故、今になって出回り、あたかもつい最近の出来事かのように報道が動いている。

これ等の報道を観ると、当時の週刊誌で、捜査関係者が「何らかの圧力に屈した」との表現もあった記憶が読みあがってくるし、国民が知らされていないところで、うごめくインテリジェンスのようなものも感じてしまう。 日めくりカレンダーの様に新しいNEWSソースを追いかける報道には、報道されるソースの裏を取ることが要求され、それがあってこそ報道の価値が産まれてくるはずである。

強大な権力に立ち向かう「気骨」と「気概」が報道にあれば、今の拉致問題は当の昔に片付いていた。中東の一国はこの問題を察知した時点で「国交断絶」を担保に、たちどころに処理した記憶が有る。 昭和の日に備え、色んな隠されていたものが出回り始めているのも、何らかの余熱を感じてしまうのだが....。

先日逝った城山氏の「落日燃ゆ」を読んで起きた感情が読みあがってくる。彼は海軍に志願したと思っていたが、志願させられていた事に気が付いたと後で述べている。 大衆や庶民は大きなうねりに身を任せるしか術が無い現実のもどかしさも語っていた。せめて報道記者くらいは味方であって欲しいものだ。では、それは幾らになるか?と聞き直されると困ってしまうが......。

 

成果主義の理
ムササビ(2007年04月23日)
 

いつからこんなに急いで結論を引き出そうとする時代になったのだろうか。ついに、最高学府の大学までも「成果主義」を導入するそうだ。 企業経営に於いても成果主義が大手を振って歩いているし、ココ15年の間に会計上の処理も、より現実主義、いや、現金主義に成っている。 常に現時点での評価がすべてを言い尽くすわけだから緊張の連続を人間関係を含めて、あらゆる場面で求められるわけだ。

緊張も連続しているうちは、まだ上等な結果の源泉に成りうるが、長く同じ緊張状態は有り得ないし、緊張が連続し始めると惰性が産まれ、結果は思わぬ方向へとなびいてしまう。 この人間心理を裏読みする世界が「相場感」であろう。

ロシアの中で何かが起きているらしい、プーチン氏のお膝元のサンクトぺテルで騒動が持ち上がり、国民の間に色んな不満が鬱積し始めている。 先日のラジオで新興ロシア富豪の離婚に際しての妻への手切れ金が1兆円以上支払われたと流されていたが、チョットした国が買えるお金である。 循環すべき「マネー」が停滞すると澱みが起きて腐敗が始まる。 ロシアがソ連に成ったきっかけは何であったであろうか? ペレストロイカの前にグラスノチが有った事を思い出す。

国際情報を見渡せば、色んな場面で国境が無くなり、忙しく情報が走り回っている。またその情報の周りには、しがみ付くかのような「マネー」が寄生している。成果主義で誰が得をして誰が損をしているだろうか、立ち止まる勇気を庶民は試されている。 時間は平等に配分されていることの真実に目覚めるために。

 

情報過敏症
ムササビ(2007年04月05日)
 

インフルエンザ特効薬と数年前に世を騒がせたタミフルが限界点に達している、耐性ウイルスが確認されたからだ。 これ程マスコミで騒がれているインフルエンザウイルスに対抗できる薬はマレであろうが、タミフル生産量の大多数量が日本への輸出で弾けているよ!と聞けば、はて?。また、生産薬品会社の大株主がラムズフェルド氏と聞けば、はて??と首を傾げたくも成る。

世界でビジネスチャンスは色んなポジションに配置されているのは承知しているし、世の中はそんなものだとも諦めているが、それでもしかし...である。確かに煽ると動く集団がいるが、そんな集団があまりにも学習効果が無いとも取れる。「失敗は成功のもと」と言われているが、正確には「失敗の原因に気付き、改善すれば失敗の連鎖から開放されて成功する確率が上がる」が正しい。とすれば、失敗の原因に気付かなければ「失敗は失敗のもと」と成る。  先の大戦で何故負けたのか、何故に負け戦に手を染めたのか、如何に集約化する情報を精査する能力が必要かを先の敗戦は教えている。  あの失敗を消化して国家の栄養にしていれば錯乱や煽動を目的とした情報の選別は容易に出来るはずであるが、そんな情報戦争に負け続けていては国家の資産は確実に劣化している。

国際社会でインフルエンザは、2〜3日寝て休めば良くなる!位の感覚らしい。しかしわが国に於いては、熱による二次被害に治療を置きたがるので、熱を抑え結果として身体の治癒能力の低下を招き、投薬により回復が長引くなどの結果と成っているらしい。 薬に頼る生き方よりも、自然治癒力を信じる生き方の方が余程に人間らしい。 同様に国家も個人も世界標準と言われしモノに、過剰な期待を持ち続ける事は、錯覚を招いてしまう危険が有るし、危機対応力が低下する。 ただし、蔓延る情報を精査するパワーを持てれば運は向いてくる。情報収集衛星がトラブルを起こしたらしいが、使えなくなると漏らすほど愚かな話はないだろう。 デマであれば良いが、これも情報戦のひとコマか?

 

スパーノートのパワー
2007年03月17日
 

原価が如何ほどかは知らないが、元はと言えば特殊な「紙」の筈であるモノに価値を印刷するだけの話なんだが、この紙が撒き散らす影響は根が深い。UNDPの北朝鮮事務所で保管されていたこの「紙」は多くの憶測を産み出すだろう。

「もし」の小説である、米国財務省がBDAに実存するこの紙を北に返還して良いと言ったところで北の将軍は受け取れまい、なにせ価値の裏付けを張ってないからだ。だからこそ中銀のロンダリングを求めたのだろうが、それは無理な話と財務官はお見通しの事だったのでは無かろうか。 BDAの問題ですと財務官が遠まわしに言ったところで、BDAはペナルティーを払って本物をキャッシュで渡すべきだったろうが、何故かつまづいた。 その裏にうごめく金融テロの戦いが熱を帯びてきたようだ。 FRBも景気指数の動きに神経質になっている、ただ、これ等の指数を動かす根元に発行されている「紙」の存在が有る。 悩ましい現代の息吹きは意外な結末で終結するかも知れない。 上海証券市場は根拠の無い時代の扉を開けたようだし、その国の陸続きに印刷工場が有る。

戦争の論理を話す例えで、チョット昔のフランス大統領が言っていたが、「手にした武器を試さない軍人は居ない」の言葉を思い出した。 おかしな小説の世界だけであって欲しいものだ。

 

団塊と老害
ムササビ(2007年03月26日)
 

「団塊」、何とも言えない響きの言葉である。親友でもあり事業家としての先輩でもある団塊友人が今月で事業をたたむことにした。大正時代から成り立つ歴史ある木材業であるが、急変する外圧に耐えられなくなったらしい。同業者としても解かる気もするのが本音である。 廃業の決心への切っ掛けは、未だ若いお嬢さんが勤める銀行が出した昨年暮れの賞与であったと言っていた。100万単位でこんな若い社員に出せる銀行に比較して、社員15名の自社社員に対して10万台がやっとの賞与しか出せなかった経営者への自戒と、いわゆる社会の「格差」をまざまざと実感した、と彼は言いながら退場した。

マスコミは団塊退職者の事を多く取り上げているが、実はもう一つの団塊が有る。我が国が戦後に荒れ果てた山に植林した「人工林」が適齢伐採時期に達している事である。 この問題に5年前からいち早く対応して、商機と捉えている企業が国補を巻き込んで盛んに拡大生産に熱を上げている。 それらから起きる環境への負担は甚大な残渣を蒔き散らかしているが、マスコミは全く気が付いておらず、国有財産であるはずの国有林野会計を含めた多額の税金や森林資源の「夕張化」が推し進められている。その内に社会は山の姿を観て驚くであろうが、時すでに遅しの話に成りかねない気がする。

農水省が出した新技術リポートを読んでみても、何とも時代錯誤した内容が多く。先日、地元の国立大学院生を相手にして話した際にも、この問題提起をしてみたら、学生から研究への弾みになったとの礼状を頂き、校門の中で学ぶ想定内の学問の限界を教えた甲斐があった。 これから始まるであろう資源争奪の時代に我が国では形骸化した「森林法」で対応できるだろうか、驚く無かれ中国は日本国内で評価されない「木」を狙っている事にどれほどの国民が気が付いているだろうか? この触手は確実に国有林へと忍び寄っている。唯一世界で輸出規制が緩い「日本の木」を狙わない手は無いだろうし、それ程中国市場が資源枯渇を起こしているとも取れる。 遠くに観える山がいま熱いビジネス戦場である。

つい一昨年までは世界一安いと評価された国内森林資源の底上げが始まっている。いろんなインフレ感を庶民感覚で肌感しているが、我が国だけの話でもなかろう。フローマネー経済のほころびとも取れる気がするが、動き始めた怪物を制する代償は大きい。キッシンジャーが来日するらしいが、中南海に深く入りこんだ忍者外交官が表に出てきた時は大きな変化がある。 あの団塊時代とは大きな歴史の転換点であったと後世は語るかも知れない。

 

仕掛けられた外交
ムササビ(2007年03月22日)
 

先週、我が国の外務報道官の話を聴く機会が有った。 麻生大臣をシッカリ持ち上げていたのが印象的でも有ったし、自分の外務官僚として消してしまいたい程の歴史が田中真紀子氏が登場したときであったと悔やんでいたのが更に印象的でも有った。 話題は6者協議の方へと展開していった時に、日本外交に対して色んな表現が成されていた中で「他の国と比較して浮いていないか?」との問いに、では他にどのような選択手があるでしょうか?と切り返し、「私たちはベストでは無いかも知れないが、最良の選択を行なっているし、その基本は国益尊重であり国民の安全確保が最優先の課題です!」 これを聴くと、北の将軍が核を持った今は、それを現実とした外交しか出来ないと言っているとも取れてしまった。

つまり、現実に脅威が新たな時代に入ったと言っていた訳である。彼はまた、国民の多くに、北が日本に対する脅威を「まさかあの程度の国が」と見くびっている事が非常に危険であるとも言っていた。 それなりの根拠があるのであろうし、その言葉の響きには重みが感じられた。 彼が指摘しているのは、いわゆる「油断」と「驕り」であろうとも取れた。 話中で、国民の多くが日本の国力の比較を「GDP」のドル換算でした浮ついた数字に惑わされています!と言ったくだりには共感を抱いた。 プラザ合意を例えにドルベースで経済を数値化するほど騙されると言ってたが、まさしくそうだ。 元の対ドル価格をチョット動かすだけで経済大国2位は変動する、経済大国の呼称はその国を持ち上げて、蓄積された富を霞み取るためのカムフラージュでもあると言いたげであったが、さすがに途中で話題を変えてしまった。

彼の話を聴いた後に残ったモノは外交主権の存在に陰りが出ていないかと感じてしまった事だ。 私たちは戦後の憲法にのっとった外交を標榜していると盛んに言っていたからだ。 取りようによっては、今後、憲法が改正される事に対して反対しているとも感じられた。外交官の基盤に何がしかの「揺らぎ」が生じてい無いか? そんな日本外交のピンホールを狙い済ました効率的な仕掛けを外交力で手玉に取られている気がする6者協議報道でもある。 ヒル次官補が日本は大事な存在であると会見で言っていたが、正確には日本のカネも大事であると言いたかったのかも知れない。 この国の外交力を試されているようだ。

 

禍根の蓄積
ムササビ(2007年03月13日)
 

9回裏2アウトランナー無し、観客は帰り支度真っ最中での一打がフェンスに当たったが審判はホームランの宣告....。コーディアルの意味とは何ぞやである。

東証の価値が揺らぐ程度と言うよりも、日本の資本市場にクラックが入ってしまったとも考えられる結末だ。公正とは何かであるし、資本市場には国家の屋台骨を揺さぶるような行動は許されていないのは承知の上だが、帳場のルールは明快で大方が納得できる真摯なもので無ければ、そもそもの帳場は成り立ち得ないのだが、東証は何を考えたか急ハンドルを切ってしまった。

いくら、組織的な関与無し!と言われても、素直には飲み込めないのが市場参加者の多くであろう。どうもこの国にはルールは都合により臨機横柄に変える事が当たり前のようだと国際金融が確信したならどうだろうか?日興レベルの話ではない筈である、が、その決断には目先の勘定しか無かったようだ。日興にしろ日航にしろ一時期の隆盛は面影も無い体たらくである。その昔、三菱グループが蹴飛ばした訳が良く理解できる。あまりのお粗末な東証の対応に、昨日、証券会社から届いたM&Aファンドの目論見書が軽く見えてしまった。

 

試し撃ち
ムササビ(2007年03月08日)
 

相場が揺らいでいる。何が発端であるかは厳密には不明であるが、「もし」が許されるならば色んな仮説が飛び交う絶好の磁界でも有る。カネは弱虫である。また、恐ろしく怖がりな気性でも有るが、カネが自ら決断して行動を起こす事などは無い。必ずや、真理の積み重ねの高低で自然と揺らいでしまうのが通説である。もし、そこに人的な小力でレバレッジ出来れば如何であろうか?

もし、自らのポジション確認の為に上海金融を通じて中南海が仕掛けたのであれば、核爆弾以上の効果に小躍りしたのでは無いだろうか?この相場の揺らぎを、どう考え、どう対処できるかで今後の国家の国際金融界でのポジションが決まりそうな気配でも有ると勘繰ってしまった。もし、上海が息を吹き返したかのような相場展開になれば、大きな確信と自信が中南海にキックバックし、円の価値はその国際的な座布団を明け渡すのだろう。

東アジアにとって何が最良な結果であるのかはその後の歴史の評価に委ねるしか手は無い。そう言えば、オランダやスペインは、昔は海洋国家で世界を相手にしていたんだった。彼らが何故いま国連で中核を成す存在ではないのだろうか?其れなりの歴史は有ったのだが。

 

金融リズム感
ムササビ(2007年02月25日)
 

日銀の利上げ決断を妥当であったと見るだけではであったのは軽すぎる。常軌を逸した政治家の発言は静まったかに思えるが、沈黙の圧力とも伺えてしまうのは思い込みすぎだろうか。円安が起こしている輸入物価の上昇は静かに日常感覚へと浸透し始めている。我がつれ合いもスーパーでの食料品単価の変化には神経を尖らせはじめているし、スーパー零細企業の一角に居る我が家の商品価格も上昇に転じて半年が過ぎている。間違いなく、インフレは起き上がっていると実感しているのだが、政治の世界は「格差」の2文字の国語の理解度を試すかのような雰囲気であるのは、なんとも情けない。

愚息は「なぜ株は上がっているか」と質問する。私の「カネの遊びが多いからだ」の答には納得がいかなかったらしいが、国際金融市場での異常な「円」の存在を説明したくても1時間では済まないと思ったからでもある。通貨の価値の背景にはどんな時代でも「力」の背景があるし、「力」とは外交力であり戦闘能力でもある。平時では「交渉力」と言う言語能力がモノを言うが、こと時代が揺れ始めると、後ろに控える「武力」の方が前に出始め、言葉は後ろに下がる事は歴史の事実だ。いわゆる「手っ取り早い解決」を目指すわけだ。

政治が望む実質国債費の減額にはインフレーションが手っ取り早い。ただしデフレの居心地を熟知した生活者にとっては、新しい危機の訪れでもある。ようやく慣れてきたデフレの痛みが回復せぬうちから、新しい病に伏せる事になるとは思っても居ないだろうが、その波は毎日確実に輸入し蓄積され始めている。昨年、金利ゼロから脱出してからの行動にリズムが有ってしかるべきだったが、そのリズムは変調している。市場との対話とは形の無い「リズム感」の話であるのに、かもし出されるマネー音には「エコー」の陰りが伺えてしまっている。あの、往年のグリンスパーンが指揮していたオーケストラを観て来た小生には、今の国際マーケット奏者達の楽曲が何を演奏したいのかが全く見えてこない。

ドルが強い事はアメリカが強い事になり、アメリカが弱い事はドルが弱いことに成るはずであるが、ドルの背景のゴールドは価値が上がっている事を踏まえるとドル支配者が考えていそうな事も想像できそうだ。「たまたま兌換休止しているだけでした」と言って来ないとも限らないのが通貨の戦場である。慣れ親しむと変化が待っていると考えたほうが良さそうな時期に差し掛かって来た。それぞれの「違い」を「格差」の文字でくくってしまう国会論戦には危機感は無いようだ。段々と不思議な国になっていく。

 

紙が亡くなる日
ムササビ(2007年02月18日)
 

「ほふり」のロゴで株式証券の電子化がアナウンスされ始めて久しい。近頃、林業公社の幹部と話したら、同様に登記権利書もペーパーレス化するらしい。その幹部が頭を痛めているのが、最近の自治体合併騒動で山の所有権者が所有権を認識していないままに山の地主であり続けている事の弊害が累積しているとの事だった。いわゆる不在村地主の増加で林業コミュニティーが崩壊しているとのことである。

これがペーパーレス化されたら、相続の時には相続人によっては残存する権利書が無く相続権利は宙に浮き浮遊し始める。株式のようなリアルタイムで社会と連動している資産は常に注目が成されているから問題ないだろうが、こと小規模な山林などの所有権価値が、現在では下位に属するモノは正確に評価する事も「ままならない」状態が続いている現状で、何が起きるかといえば、電子上の所有権者は居るが、実質的な管理責任能力は無いことになる。もし、この連鎖が静かに進むとすれば何が起きるだろうか?

我が国面積の約70%は「山」である事を考えれば、放棄されるであろうこの資産価値に眼を向けない投資家が居るだろうか?少し前「ETF8000円を割れば買いだ」と予想した時代が現実には起きている。投資の原則は「安く仕入れて高く売り抜ける」が基本である。今後はファンドが「山資源」に関心を抱く事も有る。騒がれている買収資金TOB原資の一部には安すぎる「円キャリー」の逆襲が起きていると考えるのは思いすぎであろうか?せっせと将来を心配して蓄積した国民の円資産が、気が付けば、その国を襲っている事になるわけだが、街を歩く大衆は未だに自らの不確実な将来を懸念し続けているにすぎない矛盾がある。取られすぎる事に慣れすぎてしまったのだろうか、その反動は大きいとしか思えない歴史を学習するべきであろう。

そんな暗い歴史の始まりには必ず礼讃される強権があった。異常を普通と錯覚してしまう社会の風潮が膨張していた時代であった。偏った思考は冷静さを遠ざけてしまい、吸い込まれるような同心社会の渦が巻き起こっていく事であった。そこまで社会が進むと引き返す事はできない。国家があらゆるモノを管理したがるときは要注意である。

 

中華なべ理論
ムササビ(2007年02月09日)
 

最近のマスコミ、中でもTVの情報発信能力不足は、情報の受け手と出し手との信頼関係を築き日々改善しようとする当たり前の方向を見失ってしまったような雰囲気だ。あるある騒動での関西TVは、総務省への報告書を公開しないらしい。本来情報を公開することを職業倫理とする筈が、どうも関西TV側は公開することが損と観たようだ。公開された情報を商売のネタにしているマスコミがこの様な「遂行矛盾」をしてしまえば、日常の情報の受け手の側に配信されるネタの信憑性は疑われてしまう。だが経営首脳陣はそう考えない。

 TVとは、バラエティーも堅苦しいNEWSも含めて、色んな情報が同じ画面から飛び出してくる便利な道具である。チャンネルの選択権は当然ながら受けての独占権であるが、配信される内容には介入できない弱さがある。とすれば、配信される番組内容に「溺れない」体力を備えていなければ、常に「溺死」する危険があるとも考えられそうだ。もしかしたら、学校教育で真っ先に教えなければ成らない課程は、この情報を取捨選択する能力かも知れない。我が国が「民主主義」を今後も国の骨格としていくのであれば大事な問題だろう。

 マスコミは都合が悪くなった時などに「言論、表現の自由」を振り回す癖が有る。この自由は出す側のも有るが、受け手の自由の代理者である事を常に認識していなければ、商売で情報を流す論理が先回りしてしまい、「うそ」や「誇張」が蔓延ってしまう危険な世界だ。タウンミーティングのやらせを糾弾していた新聞業界にも同様な「やらせシンポ」があったと告白されると、「オイオイお前もかよ」とつい嘆いてしまった。報道とは「真実の追究」であった筈だが、どうも土台にカビが生えてきたようだ。中華なべは色んな中華料理を作るうえで欠かせない要素であり、この鍋から沢山の料理が生まれる。しかし使い込んだ鍋でフランス料理は恐らく出来ないだろうし、作ったにしてもまずい筈だろう。

 TV画面をこの鍋に喩えて観ていると「まずさ」も「美味さも」判ってくるが、大方の大衆特に主婦層に、この情報への舌感覚が劣化していないだろうか?もっとも、こんな事を書くと「謝罪しろ!」と言われそうだ。たかが痩せる納豆ごときで電波を管理する総務省が色んな形で放送へ介入している近年を考えると、今後の自由を維持する為にも一言言いたくも成る。60年前には戻りたくないからだ。オッと、あえて女性の味方である事は付け加えておこう。

 

言論の「自遊」
ムササビ(2007年02月05日)
 

EUの盟主、フランスで物議をかもしている発言が有るらしい。シラク大統領が記者団の前で「イランが一個や二個の核弾頭を保有する事は、何ら問題が無い。例えそれをイスラエルに撃っても、打ち落とされるからだ」と言ってしまった。大統領は、その後に慌てて会見した記者を再度集めて、発言内容の訂正をしたそうだが、時すでに遅しで、帰ることの無い言葉を恨めしく見つめて火消しに躍起になっているそうである。フランスではこれを大統領の本音かミス発言かと話題になっているそうだ。

西も東も同様に、うっかり飛び跳ねた言論が世間を騒がしているのを観るにつけ、あらゆる指導者が、自身の置かれている情報環境が劇的に変化している事に「うとい」お方が多いようだ。膨大な情報が瞬時に世界を駆け巡る時代を認識していないと、とんでもないリスクを国民に浴びせる事にもならない時代である。出てしまった発言をどんなに口の中に戻そうとしても、戻せる妙薬は未だに無い。有るとすれば、人為的な言論統制だけだ。しかも、情報は正確に伝播しているとは限らないのが世の常でも有る。電報ゲームではないが、良くも悪くも必ず受けての嗜好で加工されてしまうからだ。であればこそ、正確な表現力と伝達力が試される事になる。たかが地方議員の応援演説のはずだったや、ちょっと気の緩む会見だったとかは通じない世の中である。国家のリスクはこの手の問題によって発生していることは歴史が証明している。最近、聞かなくなったが日経が暴露した昭和天皇発言なども、伝えようによっては大きなリスクである。

バブルとは思いたくないが、NYSEは高値を更新している。商品相場に於いても金は上昇ムードに拍車が掛かってきたようだ。デフレだと言っていた国の中にも、明らかに以前とは違う原材料物価の変動が起きている。これ等の要因に膨大な量で市場を駆け回る「円」の存在は無いだろうか?ドルの安定化のために円が何らかの影の立ち回りをしているとすれば、今の世界市場の歪さは数理化出き無くも無い。そこには独立した通貨の権威は金利同様にゼロに限りなく近い。先日、極東ロシアの研究者と話を交える機会が有ったが、極東における日本のプレゼンスは低下の一方であると聞かされ、歯がゆい想いをした。これらの国力の低下に政治家の力量不足は歪めない事実でも有る。結果を予測できる普通の政治家の存在が希薄化しているようだ。こんな言葉尻を掴みたがる政治には本質を論じる気迫も無いと庶民には観えてしまう。

 

総理の格
ムササビ(2007年01月31日)
 

何とも怪しげな内閣に変化してきた。失礼ながら前任者とどこが違うかを考えると、迫力でもあり、凄み、では無かろうか?。小泉氏が、あれだけ総裁選で持ち上げてくれた田中真紀子氏を、有無を言わさずにスパッと切り落とした時は、誰しも意表を突かれた感じであった事を思い出す。どんなに嫌がられてもズバッと切り返す迫力が今の総理には欠けている。取り様によっては優しさかも知れないが、内閣統治能力を考えれば、はなはだ弱い印象を内外に与え続けている。表層雪崩のように動く女性心理層への対応は、真の大衆心理を読み違える事にも成りかねない事を内閣が実験して見せているようだ。

この様な状況が続けば次に起き上がる人が誰かをマスコミは嗅ぎ分けようとし、そのまま選挙へと突っ込んでしまいそうな気配だ。海の向こうのブッシュ氏にしても同様な状態に成ってきたようだ。国家の心臓部に活力も期待も無くなれば、結局、損を被るのは他ならぬ庶民であり、得するのは外交的に対峙する諸外国と既得権益にしがみつく後ろ向きの公務員である。総理が自分のガバナンスの起死回生を狙うためには前任者の冷徹さを見習うべきだろう。自らが持つ伝家の宝刀である解散権と任命権、そして罷免権を有効に使わなくては成らない事に気付くべきだ。そこには「美しい国」などで修飾される意味不明な言葉尻ではなく、政治のダイナミズムしか無い。また前任者の得意技「真の大衆臭」への反応力を磨く事でも有る。

また、それに対応できる内閣へと早急にリフォームしなければ内外共に立ち行かなくなるのは明白だろう。防衛大臣が放ったイラク開戦対応の問題でも、あれが国内でも国外でも世間の常識なのに、あえて失敗を認めないのは不二家のレベルだろう。先日、外務省参与の高島氏の話の中で、アナン氏はイラク開戦は安保理の決議が必要だったと指摘し続けているとの話を聴くほど、政府が野党への対抗軸に取る国連決議に軽さと押し付けの汚れが観えてしまう。事務所経費でも然りで、この様な屁理屈がまかり通ると一層の政治不信を招きかねないし、混乱は国家の基盤の異常な状態の「円」を唐突に狙い撃ちする気がしてならない。

デフレ脱却ならずです、と言っていた政治が一夜にして大転換する兆しは考えすぎだろうか?政治が経済を揺り動かす事はポジティブな環境を整備する時のみ許されるはずなのに、まったく逆の整備が着々と国会の中で進行中である。宮崎での選挙結果が「地方の問題ですから」と言い切れる総裁に庶民との緊張感は無しと見た。前任者が就任時に言っていた「我慢すれば景気は良くなる」と言っていた言葉を5年間も信じた庶民が大多数であった事を安陪氏は忘れているのだろう。誰がイザナギ越えに置き去りにされ、誰がその我慢の実利を得たかは明白である。つい先ごろ中国人の友人が言っていた「日本の方が中国よりも健全な社会主義です」は、もう無いかも知れない。

 

メガ地銀
ムササビ(2007年01月27日)
 

福岡銀行グループが、どうやら地銀最大預金量の頂点に達しそうな気配だそうだが、バブル以後の九州域内での地銀合従連合にもようやく力関係の縄張りが一息つきそうな気配だ。FG本部の新設を急ぐ福銀の中には勝利感と次に控える都銀との金融戦争に対しての緊張感が混在しているだろうが、そこには10兆円の預金者の存在は業務量拡大と反比例して希薄化されている気がする。

金融の基本に立ち返れば、資金の融通であるのだが近代金融では資金資源の囲い込みに重力が注がれ、対峙する側の本来の資金の活性化はおろそかに成ってしまっているのがここ数十年の日本金融の実情だろう。海外へ進出し国内円資源を活性化して世界のメガバンクに躍り出たあの頃の気合いは今の銀行には無い。為替を含む金融は戦場で有るのは世界の常識であるが、事有るごとに日本の金融は静かな金融戦争に負け続けている。躍進する中国経済で国内消費が大きなウエイトを占めているのを観れば、中国には消費者が求めるモノが多いからに他ならないし、その欲求の連鎖は人口力に比例して拡大し続けるだろう。しかし、その後には天井をつけるのは明白である。日本はこの天井に打ち当たっているのに、未だに国内成長路線を唱える政治に庶民がついて行けない落差が有る。

格差是正、教育再生、憲法改正、お題目それぞれは「なるほど」であるがそれぞれがリンクして感じられない政策がある。これ等の政治にしても金融にしても国家の基盤を論じる論客が居ないのがこの国の不幸かも知れない。どんなに情報や資金を蓄積しても使い方を知らなければ、他のよだれを招くだけの労力に他ならないことを心配してしまう。イングランドに学ぶモノは未だに多い。

 

格差の根
ムササビ(2007年01月22日)
 

日銀は間違ったメッセージを市場に投じたようだ。円の存在を希薄化するかのごときメッセージは将来に禍根を残す事に成りわしないだろうか? 世界第2の経済大国と、もてはやされたのが昔々の語り草のようにも聴こえてくる。3人の反対意見論者の存在を次の布石に見せかけようとしているのだろうが、小手先のマジックにしか見えてこないのは私だけであろうか?そもそも日銀の独立性を放棄したかのようなリークが前日のNHkNEWSで報じられた時は、さすがにこれまでかと思ってしまった。円の国際化やアジア通貨基金などを論じるに値しない通貨へと成り下がってしまった気がする。

このような混乱に乗じ政治屋が国の根幹の価値を下落させる事には遺憾ともしがたいのだが、日常のマスコミでは主張する責任を感じている評論家にはお目に掛かれない現実がある。教育再生会議や金融特区など、思いつきで振り回される現場行政組織の官僚の気持ちも解からないではない気もするが、なんとも恥ずかしい内向きの論理で円の価値が決められようとしている。

これだけカネをジャブジャブに供給するにもなぜ、国内消費行動に活力が生まれないのかの真理はここに有る。多数の個人が消費するためには安心と安全の再生産が不可欠なのに、ほとんどの消費者にはそれを担保する政治の裏づけを感じないからであるし、貯蓄した価値が再生産されないからでも有る。こんな無利子で金融機関に貸し付け(預金)しても、元本1000万保証程度しか政治は責任を持たぬので有れば、せめて金利でも払うべきだろうと思っていた筈の庶民も、いつのまにか諦めてしまったようだ。とは言え、投信販売は過去最高の記録を続けているそうだから、余った人と足りない人の格差は広がるばかりだろう。まして、「ファイトイッパーツ」かのごときTVCMに出てしまう民主党3人衆には呆れて期待も持ち得ないのも仕方がない。保守王国宮崎県知事選挙結果を考えれば、いま庶民が政治に求められているのは何かを履き違えてしまっているようだ。

安倍内閣が世論調査に弱いのも同様に庶民の不安への核心を突いて居ないからだろう。しかし、世論調査が有線電話への調査結果だと知ると、これも実態を正確に反映していない気もする。何処に安心と安全を求めて庶民が苦悩しているのかを総理のブレーンが見極めると長期政権に繋がる道も見えてくるのだろうが、とてもその様な人影も見当たらないのは国民にとって吉か凶かいかがなものだろうか?。ふと、前任者の苦笑い顔が横切ってしまった。

 

本質再考
ムササビ(2007年01月17日)
 

国際常識からすると、さすがに恥ずかしいと思ったかは知らないが、財務省より日銀への助け舟とも思わしき「貸し」が出てきた。政策委員が真に、どう受け取るかは不明だが、円を国内問題と考える中川氏の考え方は国力としての通貨への信認を揺らがす事にも成りかねないと金融当局が跳ねつけたのであれば正解だ。

まして国際市場で起きているコンセンサスを無視するような事は、相当な自信が無ければ出来ない筈である。すべてを次期選挙に結ぼうとしたがる気も解からないではないが、国家の本質からすれば選挙は、ただの「歴史の通過点」程度のものである事に気が付く。その国家の基盤である通貨を管理する側には「大局」を見据えて頂けるものと信じてやまないのが、通貨の一部を利用し生活を営む者からの願望でも有る。円の蛇口が緩まることに慣れ、締まるべき時に締まる筈の筋肉が緊張感を失くしつつある現状を、政治は異常と感じていなければ、あらゆる混乱の仕掛け人となりうる事を歴史は教えている。

不二家や再リコールする三菱自工など、危機管理の本質が何かを大企業といえども手に負えない社会や政治家が出来つつある。時代です!と言われてしまえば黙るしかないが、この国に蓄積され続けてきた「資産の本質」が取り崩され行く事を観るに付け、少々嘆かわしい気もするのは団塊の愚痴の一つかも知れない。

 「企業は成長し収益を社会に還元し更に成長する事だ」と習った40年前は気概に燃えた時代だった。 いつの間にか成長とは収支の数字を追いかけて合併し走り続けている「怪物」にも感じてしまう事もしばしばである。そこには支える「人」は居ない。ましてホワイトカラー何がしとかの英語付けの政治には、へき易するし日本語で説明できない法律が、日本人に理解できるはずも無い。「美しい日本」の前に「美しく正確な日本語」が先決のようだ。防衛大臣との会見で、「してやったり」と観えたアーミテージ氏の後ろに、ドル支配者の壮大な戦略が観えてくる。

 

豊かさの麻痺
ムササビ(2007年01月08日)
 

例年どおり今年も東南アジアにて正月を済ませてきた。タイでのクーデター後のテロ騒ぎの影響が東南アジアの出入国の厳しさにも現実として表われていた。過剰とも思えるような身体検査にいたっては、最近では久し振りの体験だった。

現地のマスコミは、ASEAN首脳会議を主催するホスト国としてのアロヨ政権への信認低下に歯止めが掛からない様子があからさまに出ていたし、それに対してアロヨ大統領は国軍将校への訓示で「ガンバロウ宣言」とも思しき協力を仰いでいたのを観ると、タイの次に、もしかしたらとも考えられなくも無かった。東南アジアへの中国の覇権は凄まじいものが有るようだ。密漁漁船の拿捕問題を外交圧力を使って迫る中国に対して、フィリピン当局の姿勢はタジタジにも伺える。

相も変わらず、東南アジア諸国に於いての貧富の格差は是正される気配も無いし、それらの問題を直視して解決しようとする政治家も存在していそうにも無い。まして日本で問題になっている「イジメ」などの話をすると、目が点になる庶民が大多数であるのを観て、我が国の豊かさの根底にある土台が、堅牢な道徳感で敷き詰められていた事を、ふと思い出してしまった。「毎日を生き抜くことが生活です」と言う彼らには日本の現状は「夢の世界」に映ってしまうとの事を聴かされると、しばし、沈黙が続く自分が居た。

タイバーツを観ていると、イジメは国家間にも存在するのを感じてしまう。基軸通貨の魔力を知り尽くしているファンドに於いては、東南アジアの小国の独立性をも揺るがす事が意図も簡単に出来る事を再確認させてしまった。いつの間にか、あの香港ドルは深センでは元とレートが逆転しているらしい事を聴くと、政治力の裏付けに有る「通貨」の存在を思い知る。政治が不安定になれば、弱みを狙い済ましたかのような為替の実弾が飛び交うASEANの安定には、多重債務基軸通貨に対して平時の「円」の存在意義が問われ、今年もこの国の金融管理に予断を許されない緊張感を感じて帰路に就いた。

 

北極熊の目覚め
2006年12月03日
 

ここ数年の石油価格上昇が招いた結果は冷戦後の国家パワーを転換させるには十分な金額であったのだろう。12月27日にロシア上院は「大統領がいかなる国家や個人に対しても経済制裁を出来る」法案が可決に至った。益々権力の集中を合法化しようとするプーチン氏の思惑とは何であろうか。

ペレストロイカで民主主義が根付き、育ち、成長した結果に今のロシアがあるのだろうか、いや、冷戦後に一人勝ちと言われたスーパーパワーアメリカには、今では面影も薄まっているとも同盟国は感じている気がする。この大国間のパワーバランスの変化は何かを示しているのだろう。ベラルーシとガスプロムとのガス価格交渉も、つば競り合いの末に2倍にする事で鉾を収めた。思い起こせばロシア国民がこの15年で味わった焦燥感は相当な重みがあった。クレムリンの盟主がエリッインから情報官僚のプーチン氏へ変わったのは、今のところロシア国民には「大吉」、周辺国には「吉」もあり「脅」もある。我が国にとってどちらに成るかは今後の安陪政権運営に掛かっているだろうが、行く先々には外交への「鉄菱」が撒かれている。

最近のモスクワの対日への息づかいは、ロシア国境警備艇の動きに於いても解かるが、大胆に成っていると感じてしまう。東アジアの動静に翻弄され続けている内に北の国境警備は薄らいでしまい、国の権益にもジワジワと影響が出てきている。今後、内閣が新設しようとしている「情報機関」には、対外情報収集よりも、それらの問題に対処し分析する国内のネットワーク構築が最大の課題だろう。細々と各省で続けられている情報の山から「金」を探すかのような地道な作業がそれを支える事に成る。昔に観た映画「コンドル」でNYタイムスをも情報機関の一部にしているかのような場面が最後に出てきた時はリアル過ぎると感じた事が有った。

今日のロシアや中国などの隆盛には、反対側に冷戦後のアメリカにグローバル市場主義を押し付けられたと感じている西側の大衆が居る。政治が安定し経済が活発に成り資本が増殖する上ではそれ程問題は無いが、過度に増殖が加速すると多国間の価値を吸収してしまう一国集中主義が芽生え、価値の変形が始まる。この変化の際の危機の終着点が為替や株式などの形の無い相場で吸収される歴史が有った。

アメリカや日本の金融制裁に対して、今年から北の将軍はロンドン金取引を開始するらしい。どんな場面に於いても経済取引の妙味を配置しているシティーのエスタブリッシュ達には歴史に翻弄されない資本の哲学があるのだろう。ユーロが幅を利かせている裏には高額紙幣の偽札も有るらしいが、印刷される価値を留め置くことには限界がある。北の将軍やドルの支配者は形のある価値の存在を気にし始めていないだろうか。

 

世界一安いもの
ムササビ(2006年12月27日)
 

世界一高い生活費は東京だと聞いた日から見ると相当な時間が過ぎ去っている。世界一高い人件費の話や、世界有数の貧富の格差が少ない国など、今から思えば過ぎ去った時代は結構、住み心地がいい時代だった。世界一の借金大国もそろそろ返上かと思わせぶりのインフレの兆しが内閣府や地方からくすぶり始めている。

大方の人が気が付いていないだろうが、今年の初めくらいまで日本の木を代表する「杉」の立方メートル当たりの単価が世界一安かった事がある。今でもその余韻は残っているが、なぜ世界一安くなったかは色々な理由がある。その中で大きなウエイトを占めているのがユーロ円の問題である。ここ数年ほどの中国需要も大きな要因であるが、かなりの木を輸入している日本にとっては、やはり直接関わる為替変動が効いてくるのは仕方が無い。この世界一安かったはずの「杉」価格の一部に上昇速度の勢いがつきそうな気配が出てきている。

欧州材の輸入コストが余りに掛かりすぎて、建築コストへの吸収に限界があり、ここ半年前くらいからビイルダーの資材が世界一安い「杉」に方向転換を始めているのが一つの原因で、もう一つは、国有財産の国有林材価格が底値を這いつくばる事で、財務会計上の負債額が限りなく上昇し、手が付けられなくなり、政策投資の重い腰を国がここ数年に渡りばら撒いた結果、流通過程の変化が生じた事も原因である。大規模な工場生産は一長一短があるが、安値が続いた反動でロケーションコストが低いところは切り尽されようとしている山の現状を加味しなかった政策投資は、偶然にもユーロ円の助け舟で、政策効果が出てきたかのような評価が与えられるだろうが、為替の変動次第では将来の林政に危険な残渣を生む仕掛けを作るとも限らない。

国家間の為替の問題は、まさしく戦場そのものである事を庶民は知らされていない。マネーの実弾が飛び交い、ヘッジファンドの諜報戦や、年金基金師団の前線が時々に暗闇を照明弾で照らしながら前進している。そんなマネー戦争にすべてが絡み合っている世界に「世界一安い杉」が取り込まれようとしている。住宅事情は個人消費に於いては重要な指標であるが、その原材料の奥でインフレの兆しが芽生えている。そう言えば世界一安い金利も有ったか....。世界一安い杉や金利が返上される日も、そう遠い話では無いかも知れない。慣れとは恐ろしいものである、今年が嵐の前の静けさだったなんて話はゴメン被りたいのだが。八方塞の仕掛けに立ち向かう円のプリンスに気概は未だある筈と思いたい。

さて、年末は新しい総理への揺さぶりを払拭するには良いタイミングかも知れない。新年で気分一新と行けるかが今後の総理のリーダーシップの目安にもなる。保守合同以来、何度と無く想いを寄せていた「教育改革」「国防省」「憲法改正」の二つがするすると解決した。この歴史の転換点への反応に対し大方のマスコミは鈍感だと見える。確実に変化している内政、外交、金融の臭いへの反応を来年もTFJに期待したい。

 

遅れてきた劇場
ムササビ(2006年12月24日)
 

お隣の韓国で大統領と国軍幹部OB達との間の舌戦が熱をおびてきたようだ。元々は、有事に於ける韓国軍の指揮権を誰に与えるかの話である。大統領の12月に入って叫ぶこの問題への演説の内容は何処かで聴いたトーンのようだ。「私のすることに全て反対するのが正義だと言うやつらに惑わされては成らない」ここまで言いのけてしまった。あの郵政選挙前に小泉氏がぶち上げた小泉劇場の流れにそっくりである。しかも、時期は6カ国協議に関わる微妙な時期に何故かぶちかましたのだから穏やかではない。

ある時期を過ぎ去って歴史を振り返ると「情報の仕掛け」が観えてくるのが民主主義の良いところでもある。その反省に立ち返って軌道修正すれば政策や外交は取り返せる事もあるが、取り返しの付かない代償を子々孫々に長期配当する羽目にもなる。仕事に就いて1年ほど過ぎた冬に流れたNEWSの中に360円を 308円へと為替レートを変更する合意がワシントンで成されたと聞き、何でワシントン?と気に留めた記憶がある。まだTVで為替レートや東証株価の話が皆無の時である。中学生の頃に何となく聴いていたNHKラジオ株価情報の出だしは「平和不動産」からだったから今でも耳にこびりついている。

いつも同じ事を聴かされていると、覚えたくなくとも自然と染み付いて内包してしまうから「脳」とは危険極まりない世界でもある。盧泰愚大統領が何を聴かされて育ってきたかで国が動く仕掛けであれば、果たして民主主義と言える政治システムだあろうか? また、同様な疑問が小泉劇場にも問いかけられる。政治家OBの連中が殆んど小泉氏の事をとにかく昔から郵政原理主義者だと言っていた事を聞けば、彼に染み付いた衣の薄さもが観えて来る。しかし、報道はそれには触ろうとしないからこれも不思議な世界だ。仕掛けとは如何に危険な世界かがよく解かる。戦後 鳩山総理が日ソ共同宣言成立を仕掛けたが、寸でのとこで米国から「そんな事したら沖縄は返さない!」と怒られて断念した外交があった事を思えば、あの佐藤総理が果たした沖縄返還交渉は多大な裏の代償を払っていた事に成る。

お祭り騒ぎをしたがる報道にも限界が見えてきたようだ。淡々と持論をぶちかます「太田総理」に石原都知事もタジタジな姿を画面で見ると虚飾されない言葉の強みに出くわす事もある。まして、コーディアルと言いたがる会社は意味を履き違えているようだ。心から誠実と思って付けたかは定かでないが、別な受け止め方で「興奮剤や強壮剤」の意味がある。そんなレベルで市場と付き合って願いたくはないものだ。また仕掛けられた6者外交結果をマジで報道する人達には情報の英訳をインホメーション程度にしか捉えてないのだろう。「インテリジェンス」に置き換えて価値を見出す報道に来年は出くわしたいものだ。

 

松坂比喩
ムササビ(2006年12月14日)
 

最近の松坂トレード報道を観ていると日本の外交力を比喩しているとの見方が出来るような気がする。明治から続く西洋崇拝とも勘違いするようなトラウマが未だにこの国を覆いかぶさっているようだ。立ち止まって気を付ければ「彼らを見習っていれば間違いない!」、「彼らに任しておけば...」とも言わんばかりの心理の霞が掛かっている。かと言って、マジョリティーを否定するつもりは無いのだが、戦後の混乱時期に無くした「心棒」が未だに不安定でグラグラしているかにも見えてしまうからだ。

10年ほど前に聴いたNHKラジオ放送で解説者がポロッとぼやいた事があった。彼が英国特派員時代に、酒場で当時の金融エスタブリシュ達が「あいつらにはひたすら稼がせてやろう、使い方が解からないからね」と仲間内で話していた事を立ち聞きしてしまい、それが国際とは、国力とはと考える機会になって背筋が凍る想いがし、全てに通じる「弱さ」とはこんな事かと実感した、といった話だった。松坂投手の60億は本人には関係ない話で西武の取り分なのに、いつの間にか、マスコミは本人の価値に置き換えてしまっているし、Rソックスとの交渉は、彼のネゴシエーターとの成功報酬金額のやり取りであって、松坂本人の取り分は2の次が現実なのだが、やれ日本帰国か!とか言ってハヤシ立てる報道や高見の観客が居る。

こんな現象を観ていると、イラク多国籍軍援助判断問題や911以後に残る外交問題などは、問題の核心を松坂NEWSがミクロで表現している様にも見えて仕方が無い。外交こそタフなネゴシエーターの集団であって欲しいが、サハリンやイラン石油開発、などを含めてこの国の総合外交力の弱さが露呈している。 この弱さの心棒は何か?総理は、これを解決する原点が憲法改正に有ると感じているのだろう。どんなに唾を掛けられても改正に必要な「頭数」を確保し、体制になびく官僚を味方に付ける作戦を実行しているのだろう。それには「心棒」に繋がる「辛抱」に耐えるしかない。 

つい先日、米国ABCの政冶部長と話す機会が有ったが、「日米安保のボールが日本側にあるのは米国では常識ですよ」と聞かされ、「貴方次第では、政府は米国益に成らない事はやらない」とも言っていた。北核以後のライス発言や、韓国戦時指揮権など重要閣僚の罷免は、政権が振り子を降った後の話とも言っていた事を考えれば、自分達に都合の良い情報判断をしたがるマスコミには「渇!」と言いたいものだ。総理には「辛抱」の弱みを外交で逆手に取られない事が試されている。東銀OBの栃迫氏が起こしたMFICを見れば出資者の多くが日本人である。ワシントンDCで活躍する彼らのセンスが今の日本の外交力に求められている。真に報道すべき課題は山積しているのだが彼等は気が付いていない。

 

予知能力
ムササビ(2006年12月12日)
 

つい10年程前には盛んにTVで評論化諸氏が叫んでいた事の一つに、日本経済を身体の健康に例えた話があった。瀕死の状態だから血流を維持するための金融特例が必要だとか、とにかく銀行を立て直さなくては日本がコケルとか、賃上げどころか仕事が無くなるとか、なるほど、なるほどと頷くばかりの臨場感溢れる画面に多くの庶民が同化されて来た。はて、その後どうなったのであろうか?

大方の庶民が、この15年で手持ち預貯金は実質目減りしたのに、国民金融資産は数字の上では毎年、100兆円規模で増殖している。ハテ? デフレ100円ショップや24時間掛けて売る仕掛けの店舗の出現で安かろうが悪かろうの品質が定着してしまった。「勝ち組、負け組み」なる可笑しな言葉が世の中を「堂々」とかっ歩し始めている。確かに売れなければ仕事の価値はカネに変わらないし、何の生活の足しにも成らないのは分かる。チョット待て、そんなに本当はカネが必要だろうかと考え込んでしまう。身の周りを見渡せば「特にこれは要る!」と思しきものが幾つ有るのだろうか? いつの間にか、安そうだ!の誘惑に巻かれてしまい、買うことが出来る「一瞬の勝ち組感覚」に浸りたい庶民がチラシや激安商戦の罠に嵌ってしまっている。

劇場を見て感動し、使い捨てだと回りくどく切り捨てられたのは他ならぬ「選挙民」であろうが、過激すぎた劇場を押し出された当の選挙人達は新しい小劇場のホームドラマを期待したいのだろうが、世界劇場は予断を与えないような仕掛けが成されてきているのを気が付いていないだろう。高止まりする原油価格やクロス円の動き、OIL決済マネーの微妙な変化の兆しなど、世界経済へ与えそうなマグマが確実に蓄積され続けている。庶民の決済通貨「円」の異常に続きすぎたゼロ金利はその際たるものだろう。庶民が低利に喘ぎながら溜め込んでいる「円」が持ち主の手を咬むとも限らないと思うのは考えすぎであろうか。そんな円を生む仕掛けがこの国には仕掛けられているのだが、庶民のTV画面で観た事が無い。いつまでコケにされたら判るのだろうか?不思議としか思えない金銭感覚がこの国を覆ってしまっている。

 

男の顔
ムササビ(2006年12月02日)
 

相当な苛付き顔に映っていた。ブッシュ氏とイラク首相との共同会見での映像である。質問した記者に対して「撤退はいつか、いつか、いつか...とそれしか質問は無いのかね!」とついに本音が出てしまった大統領であったが、カメラはそのタイミングを逃さずに全世界へと知らしめてしまった。この場面を観て、ふと思い出したのが佐藤栄作元首相の記者会見でのハプニングだ。彼も対面していた記者諸氏にそっぽを向かれる発言をしたので、ついに記者達が退席し、誰も居ない会見場で、後に残ったTVカメラに向かっていた表情は全国民が観る羽目に成ってしまった。

中川幹事長の筋を通すと言う時の表情にも「凛」とした輝きは観えず、返って筋を通した平沼氏の方が「清涼感」が漲っていた。総理の会見での表情にもイマイチ「爽やかさ」がにじみ出ていない。奥歯にモノがひっついた感じであると庶民は観ているだろう。庶民に15年以上続いて伸し掛かっている閉塞感は相当なものだろうが、どうもこの社会の流れは固定しそうな雰囲気が見えてきた。たかだか2%程度のGDP成長で「いざなぎ越え」と騒ぎ立てているようでは、越えも峠を越したと考えられる。良いとこ無しでやがて来る金利上昇による不景気風にさらされると思うと釈然としない苛ツキがこみ上げてしまう。

福井総裁にしてみれば、早く3%程度に乗せておきたい公定歩合だろうが、選挙を控えた政治は譲ってくれそうも無いようだ。金利が上がり、消費税が上がり、所得が減っては、たまったものではない。まして円キャリーの帰還が大量に起きれば、国内景気や世界経済に波及する影響は如何ほどになるのだろうか? そう考えると福井総裁の気持ちも判らないでもない。ただ、リーダーは記者会見などカメラに向かう時ほど慎重な「ポーカーフェイス」が求められているのを肝に命ずべきである。カメラの後ろでは世界が観ている事を承知であれば、イラク首相の弱さもブッシュ氏の苛つきも出さずに済んだが、あの場面を観たイランもシリアも感じ得た事は大きかったかも知れない。

 

格の価値
ムササビ(2006年11月28日)
 

かつて隆盛を誇っていた日本のモノ作り文化に落胆してしまいそうな場面に出くわす事が最近多い。飛び上がっては落ちていた国産ロケット。自動車のリコール数の増加も新規販売台数を越えている時も有るという。そしてあのSONYも、である。人が働く産業を支えているのは、同じく生産されたモノを買うことで価値を付ける人がいるからである。どちらが先かは分からないがこの価値を下げようと働いている力が有るようだ。カネの価値を上げたデフレ経済はモノの価値を下げ続けている。カネが尺度の経済社会は街金融の片隅であって欲しいものだが、この失われた15年で、真から失ってしまったのはカネを手にして動かす時の「こころ」では無かろうか? 

なんと場違いなと思われるだろうが、カードやケイタイで価値の交換が成され始めると、マネーに出くわす機会が少なくなり、札やコインはバーチャルのモノに成ってしまう世界が来ているのかも知れない。札を手渡しで頂いたり、コインで支払う事で「手垢」にまみれた「価値」の存在を感じる事がある。たかが紙切れに摺り込まれた価値の「こころ」を感じてしまうのは変だろうか?

秒単位のダイヤを管理する事に躍起となってしまい、乗客と言う「価値」の存在をおろそかにしたJR。安全性よりも決算赤字を注視していたJAL。SONYにしろトヨタにしろ、モノ作りや人作りで安心と安全の信頼という無形の価値を創造していた日本は何処へ言ってしまったのだろうか。金融にしても、保険にしても、信頼なくしては成り立たない業界でも価値が失われつつある。どこかでボタンを掛け違っているのは確かであるが、その根元を嗅ぎつける為の政治の「格」が、いま問われている。

 

規範の信
ムササビ(2006年11月23日)
 

信ずる、信用、信頼...など「信」にからむ言葉が最近、身の回りから遠ざかっている。 どうしてだろうかと考えてみたいが、スッキリする答は中々見当たらないようだ。 IT氾濫以前の時代までは日常に接してなかった情報枠が、氾濫後に身の回りを険しく走り回り日常の感覚を麻痺させているのでは無いかと考える。 人間の身体に例えてみると如何だろうか? 健診が街医者で済んだ時代であれば、病気で死んでいくのも自然の摂理と受け入れられたのが、病気が発症する前のミクロの状態が見えてくるCTやPETなどの解析装置誕生で、今までとは全く別な感覚で身体を感じてしまう。 いわゆる人が持つ自然な感覚や感性が薄まっていないだろうかと思う日々である。

自然に受け入れられた事が、詳細を眼にした事で違和感を感じてしまうのは何故か? それは、大方で信じていた事が詳細を吟味すると、大方を支えていた土台に腐食菌のハビコリが目に付くから、将来の腐敗を連想し危機感を先物でリスクヘッジする事に成っているからではなかろうか。 参議院の委員会審議を聞いていても何ともスッキリしない。 各委員の論点はボヤケてしまい基本法の基本を論じている委員には、お目に掛かれない状態である。 イジメでもやらせでも詳細の話であるのに、何故、今、教育を議論する羽目になっている身体なのかを論じる事の方が有益で有り国会審議の信ではなかろうか? 

つい先日、近所の民事再生中の企業に林野関係の多額の新規事業補助金が注ぎ込まれる事になったそうだ。 チョット待て、新法施行後直ちに銀行団に債権放棄を迫り、身軽になって今度は補助金では、庶民は利子を剥がれ、血税をもぎ取る行為ではと嘆いてしまう。 庶民には「真面目」や「正直」が日常では理解されなくなってしまった時代である。 ましてや自治体までも破産するのだから国の根幹の「公」に異変が起きているのは間違いなかろう。 ここに消費が伸びない大衆のジレンマがある。 行き所の無いフラストレーションが地方に下町に蔓延しているからである。 TV画面には60億のトレード金、SBグループ80億の脱税疑惑、など雲の上を走り回る数字の世界である、この国の本体に信を問う「冷たい風」が吹き続けているのを感じている政治があると信じたいものだ。

 

予熱と余熱
ムササビ(2006年11月10日)
 

ディ-ゼルエンジンにはシリンダー内に発火装置が無いので、最初の爆発エネルギーを得るためにシリンダー天井に予熱プラグを仕掛けてある。理論上は一度爆発を始めると供給燃料を止めない限りに於いて永遠に爆発し続ける。ジェットエンジンの理屈も似たようなものだ。大きな図体を動かすためには何らかの予熱装置や井戸水を汲み上げるための「呼び水」のような作為を持った仕掛けが要る。

安陪氏が、どのような仕掛けを組閣に於いて配置しているかが問われ始めている。自信を持った組閣の仕掛けが有れば発生する諸問題に堂々と論理的に対応し、発言できるはずであるが、いまいちスッキリしない「やわさ」が目立ち始めてきた。

「私が任期中には消費税は上げない」と言って逆手で上げる約束を選挙で取った前任者の様なスリリングなコニュにケーション力が不足しているのだろうが、総理として過ごしてきた大方の人は角栄氏を除いて迫力に欠けていたから、そんなものかも知れない。今後は彼が官房長官時代に得た情報やネットワークの予熱が発火するかしないかに掛かっているだろう。劇場の2番煎じでは刺激が弱すぎるし、すぐに落ち目に成るだろう。

日経ダウは眼を凝らして彼のビジョンと国民感情との乖離距離を計ろうとしているようだ。ラムズフェルド解任は予期されていたから麻生氏の留任も予定どうりだし、駐韓米大使館内へ韓国系の外交担当者増派も予定されている北問題に予熱が貯められている。米が外交の舵を切り始めた頃から日本が持つ国益に陰りが見え始めている。アザデガンやサハリンなど苦汁を飲んでいる外交力が、この国の含み資産を減額し続けていることに問題は無いだろうか? 国際社会は余剰マネーが「うろたえる」影響を「予熱」を持って感じているだろうが、この国は、もういない前任者の「余熱」に未だうなされている国民と政治家が居るのが気に掛かる。遅れて届く情報には何の価値も無く、かえって予熱害が刷り込まれている事の方が多いのだが。

 

善意の被害者
ムササビ(2006年11月07日)
 

金融当局が地銀が敷いているREIT投資に関心を示しているらしい。行き場の無い地銀の預金残高がリスク管理されているのかを観たいのだろう。倉吉信金などが起こしている金融機関内のヘドロな話は、高校の履修問題と同様に関係者の間では、しごく当たり前の日常的な問題なのだが、ことルールを正確に当てはめてみると常識の世界からはとんでもなく乖離している事がある。

正直に履修していた学生や教師達は今回の問題をどう考えるだろうか?似たような話が金融にも起きていた。真面目に、こつこつと払い続けてきた銀行借入よりも、ゴメンで済む債権放棄の民事再生なる「裏技」があったし、税効果会計なる摩訶不思議な数字のマジックもある。史上最高の決算が聞いて呆れる話でもある。

正義とか道理とかが薄まってしまうとどうなって行くだろうか?まず持ち上がるのが「不」の乱世であろう。不正義、不道徳、など心の奥底を掻き回す「不の神」が激しく民衆の心を乱し、秩序や言語までもが節操も無い状態に陥るだろう。そんな時代に最近近付きつつ無いだろうか? 考えたくも無いがひしひしと周りの明かりも心なしか荒んできた。

               

信じることに裏切られた「善意の被害者」達が生産され続けられた時代が未だ終えていないこの国を美しくする方法が、どんな形で処方されるのかをジッと観続けている次の被害者もいる。政治がTV芸能化して誰が得をしたのだろうか?大衆はTV画面と決別してみると真実が映し出される事を試そうとしない。もはや思考回路は情報麻薬に蝕まれている。

 

リスク麻痺
ムササビ(2006年10月31日)
 

刺激も連続してしまうと「麻痺」してしまい、もっと過激な刺激にしか反応しなくなるのが世の常識だ。刺激の中身の変化を時間軸で眺めていると次にやって来そうな刺激も予知できる時もある。いわゆる「定点観測」する地道な仕事である。MNPでお騒がせなソフトバンクが如何にビジネスの基本に怪しい「インパクト価値」を置いているかが今回の取次ぎ停止で分かって見えてきた。SBの塀の上を渡るこの手法も限界に達しているような気がする。大人の商売を願いたいものだ。

そもそも、通信の価値は情報の安定した移送手段である事に他ならない。コンテンツは通信安定がもたらす副産物だが、その安定性のインフラに弱みが存在している事が露呈してしまった。SBは、もしかしたら弱みと感じていないのかも知れない。走りながらインフラの投資を考えて行きましょうと考えているのだとしたら、通信が何たるかを考えて無いことに成り、そら恐ろしい事態になるからだ。平時では考え付かない「情報通信価値」だが、一旦時代が揺れ始めてしまうと、情報伝播手段の安定性は平時には想像できない価値を起き上がらせる。 

40年前に航空工学の恩師が「政治は道路やモータリゼェションの時代だと言ってるが、ドイツがアウトバーンを作った時代に日本がやっと追いついてきたくらいだと言っている事を冷静に感じておけ。次の時代の事を考えれば「レール」が来る!」と講義してくれた事を思い出す。トヨタがやっとその「レール」に気が付いたかどうかは知らないが、環境が表の話であり、事業危機管理の裏が観えて来る。ジャストインで工場が回転しているうちはバイパスの必要性は感じないだろうが、このトヨタ方式が先鋭化してしまった今では、企業内に少しもミスタイムを発生できない事になり、その余裕の無さが返って余裕の無い経営へと発展しかねない。

               

資本の余裕が有ったとしても、それを回転して事業に生かせなければ「無駄銭」に他ならない。数値上の株主価値を最大限に追い込もうとするSBと、内部蓄積を戦略化しようとするトヨタとを観ていると今の日本が抱え込んでいる憂鬱が垣間見えてくる。いま中朝国境をまたいで起きている「危険物資」売買が何を意味し、北の揺れをどう感じているかが日経ダウにも地政学的なリスクとしてインパクトしてくる。盛んに「規範意識」を問いかけている総理が知覚する近未来はあまり明るくないようだ。ミサイル発射を繰り返すたびにに、いつの間にかマスコミは自分自身が麻痺してしまい、半島情勢をおろそかにし始めたている。

リスク管理は政治の手段であろうが、NHKに放送命令が出てくる時代になろうとは思いもしなかった。バブル崩壊以後に変わったのは経済ではなく、経済を支えている景気の「気」の変化のうねりである。動き始めた「うねり」に敏感に感じているのは、どの国の誰だろうか。韓国は「骨董品」だと言い張り「危険物資」とかわす中国外交部の苦悩が判るような気がする。

 

鬼門の角
ムササビ(2006年10月25日)
 

中国にとって北朝鮮が「風水鬼門」に当たるかは定かでないが、今の中南海にとっては、相当の問題になっているのは確かであろう。 上海閥の弱体化と国内格差問題に加え、常に存在価値を示そうとしたがる「北の将軍」には頭が痛い話である。これ等に潜む陰の主役は前任者の江沢民氏であることは間違いなかろう。

北へ改革開放の模倣を仕掛けて実利を得ようとしていた矢先に、経済制裁では温州商人にとって受け入れがたい。がしかし、これは裏経済で繋がる中露北の膨大なマネーには最大のチャンスかも知れない。本音と建前をうまく使いこなす中華にとっては「渡りに船」であろう。この機会に地下へ浸透しやがては、基軸通貨の存在を脅かす存在にへと成長しかねない。何が起きても不思議でない国家が存在するとこんな見通しも描けると言うものだ。ルールは強者の論理で変更される事を世界は戦後一貫して、一連のNPT問題やCTBTで思い知らされている。遠くはニクソンショック以後から激しさを増す米国のダブルスタンダード以上の怪しさであろう。

発行裏づけの無いドル紙幣が持つ「怪力」の裏技を掴み始めた将軍達に群がる列国の裏の指揮者達が表の経済と体制に「ゆさ振り」をかけてきているとは考えすぎだろうか。サハリンプロジェクトや古くはIJPCに始まるイラン石油開発など、コケにされ続けている事をこの国の庶民は大声で聞かされていない。この国の首根っこは明治以後から資源の「憂鬱」である事を裏の将軍達は熟知している。判っていないのは事もあろうに、そこに住む住民達ではなかろうか。蓄積した個人の資産を他人に平気でお任せできるくらいだから、危険極まりない話である。高校教科の必修に世界史と共に「金融史」でも加えてみたら資産運用の底力が産まれるのかも知れない。

 

情報へ櫛
ムササビ(2006年10月20日)
 

先の安保理制裁決議で核関連と「ぜいたく品」への監視が上げられた。はて、この関連にどのような糸が繋がっているのかがイマイチ不可解である。北にとって核がぜいたく品である!何てことではなかろうが、上手く説明する報道にもまだ出くわしていない。

南が行なっている「太陽政策」は前任者の金大中氏から継承したものだが、彼が東京でKCIAに拉致された時のNEWSは鮮明に覚えている。金東雲一等書記官の介在が早くから出ていたが、早々と当時の内閣で南と手打ち式をした。この処理には闇資金が大量に動いたと言われている。もし、この時に政治が「あいまい」に処理せずに、毅然とした外交処理をしていれば、その後の民間人に対しての北による拉致の誘惑は防げていた。外交の「凛」を捨てると国際的に表明した事が別の事件を誘発すると言う「悪循環」の罠にはまった事になる。

総理は「事態は刻一刻と変化する」だからこそ全てに目配せた対応が必要だ!なるほどだとつい頷いた。金大中事件の時とは明らかに変化している事に気が付く。しかしながら、今の政治システムに事態に対応しうる「予知能力」は十分であろうか?情報の大半が米国からの天下り情報だとすれば、いか様にも情報管理されてしまう危機がある。北が日本を相手にせず米国とメンチを切り合おうとしているのは、現実の日本を詳細に情報分析し、弱みともろさとカネの量を熟知しているからに他ならない。意外にも日本の危機は日本の中に在るのかも知れない。

               

平和の理想を語りながらも、独自で現実の事態に即応できる国には成っていない真実のもろさが露呈するたびに、経済学では計れない膨大なエネルギーが存在する事を周辺は教えてくれている。もしかしたら平和とは「ぜいたく品」なのかも知れない、この国はいつの間にか60余年もの間ぜいたくをしていたのだろうか?増殖し続けている帳簿上の国民金融資産は、国民の大多数へ空しさを増殖しているが、この国は無くし掛けているチーズに気が付いているだろうか?複雑に絡み合う情報へ「くし」を通してみたい。

 

38%の謎
2006年8月12日
 

財務大臣就任語録の中に、税金や社会保障国民負担率が先進国で38%は最低で、国の借金対GDP比150%は最高と言っているのを聞くと、なんとも不快感がこみ上げてくる。そもそも何を基準に測った数値かが意味不明だからだ。税金は消費税やら所得税など直接肌身に感じる実感税と、否応無く社会制度に仕組まれる入り合い税とがある事をご存知だろうかと首を捻ってしまった。車社会における複雑な車検制度や詳細な区分に分けられた運転免許制度、商用車への過度な維持経費を発生させる複雑な認可事項など、ありとあらゆる社会の仕組みに隠れた納税制度が有る。規制緩和とか言いながらも増殖していく公的財団法人や特殊法人などが関わるカネはすべて税金と言って過言ではない。ついこの前も労働基準協会なる天下り先から、訳の判らん「講習を2万円で受けてください、修了書を出します」との連絡があり、「受けないと検査に行きますから」と言い放った。

こんな隠れ税金を上げれば38%が実態では無い事を大臣は知らないのだろう。どんなに「いざなぎ越え」を言ってみた所で、いざなぎを知っている世代からすれば、とんだ勘違いだというのが庶民感覚だろう。「倒れた後でも再チャレンジより」も倒れるのを踏ん張れるセフティーネットの方が正しいと末端は考えている。ここ一番というときに、地銀などの金融機関から輸血がされずに倒れ行く業者を周りに観続けると、金融制度の根幹がどこかへ行ってしまったのかと思う。

REETや国債へ向かっていく資金循環は健全な社会の裾野を潤す金融の仕組みとは言い難いと思うのだが。健全な貸せる相手に恵まれないと言い訳する銀行に、金融の片棒を担ぐ資格は無い。そもそもリスクを取れない金融機関は金融とは言えないはずで「金遊帰還」が正しい表記だ。

経済の表面上の数値に踊らされていると、下にひしめくキシミ音もセレナーデに聴こえてくるのかも知れない。ゾッとしてしまう。あのプレスリー館で苦々しく談笑していたブッシュ氏が、安陪総理就任祝いの電話で「我々には良い妻がいる」と言ったそうだが、彼も前任者の「自己虫」に異感の想いがあったのかもしれない。リーダーに要求されるものが格段に先鋭化してきた時代には、仕入れる情報の選択に要する技術力が一転してリスクに早代わりこともある。常にアイドリングが掛かった状態での緊張感に耐えることが出来るクールリーダーが求められているのに、官僚から意図的に操作された情報に偏ってしまうレベルでは困ったもんだ。

 

喊声液状化
ムササビ(2006年10月10日)
 

常用外で「わめき声」をも意味するそうだ。キム氏が周辺国の情報分析でこの様な判断をしたかどうかは不明であるが、2005年から頻繁に韓半島への政治的刺激を繰り返し、遂に分水嶺に達した。北の外交戦略を眺めていると、国家も個の人間の感情も差ほどに変わりが無いことが伺える。日本の保守勢力にとって如何に今が戦後の歴史を変えるかに於いて、最高の政策転換日和である。戦後にコンクリートで張り巡らされた表面上は堅牢に見える憲法の地盤に液状化が加速する事態となった。

6カ国協議の影の主役が日本である事をようやく中南海は理解したが、青瓦台は未だに覚醒が遅れているらしい。日本が平和ボケと言われて久しいが、どうも韓半島南にいつの間にか伝染していたようだ。キム氏は韓半島のベトナム化を考えて居るのではないだろうか。サイゴンが陥落した時の状況が思い出される。まっしぐらに航空母艦へと逃げ惑う米国兵士や市民を写し出す映像は忘れられない。

韓国からの米軍早期撤退の布石は加速し、中北国境の緊張もこの数年で激変している事は、国家の地盤である国民意識に対し長年かけて同胞の心理を北向きにして来た成果をキム氏は収穫の時期と見なしているかも知れない。そこには手の打ちようが無い経済大国の液状化を見誤っている節がある。キム氏への情報が偏ったものに成っている証拠であろう。本音では南は北の核を願い、北は南の産業力とカネを願う。そこには同胞と言う2文字が「カスガイ」の働きをしている。北の事を、「窮鼠猫を咬む」と表現する人がいるが、北から見ればどちらが鼠で猫か判断に苦しむ。今回の実験はそう観えて来る。

               

米軍トランスフォーメイションは、ベトナムの歴史を学びこの危険地帯からの静かに撤退するべく行動に他ならない。かって世界2位の経済大国があったと言われないようにするための布石は、いばらの道であろう。その為のドルはどう使うべきかを静かに且つ冷静に論じる政治が求められている。わめき声に得する輩が布石を完成してからでは遅い。唯一の資源のドル価値が揺らぐ前に。

 

人間の底蓋
2006年7月30日
 

先ごろYS-11が日本の空から消えた。昭和46年に最終号機の主翼スパーを作り上げた頃を思い出して感銘に浸ってしまった。鳴り物入りで日本飛行機製造なる特殊会社が立ち上がり、戦後の航空機産業を後押ししようとしたが、常に米国の技術開発阻止の力を受けてきた。戦前の技術者の流れに沿って開発され唯一、輸出が認められ外資にさらされた旅客機であった。その流れを変形しながら輸送機XC-1の開発へと進んだが、官需に頼るこの世界では技術力維持の確保が困難であった事が思い出される。技術屋の歯がゆさは今でも続く。空港で時々観る空自のC-1はそんな思い出が蘇る。

教育再生なる、お題目が政治を賑わしているが、浮ついた言葉にしか映らないのは何故だろうか?やはりお題目に「信管」が欠けているからだろう。総理が総裁選挙で地方を練っていた時に、田んぼの稲を刈っていた光景があったが、アイロンが効いた上下の作業着に軍手だったのを思い出す。世話方が「刈り取りとはこんなものです」と言ったかどうかは不明だが、正しく神輿の上の人に観えた。

内閣人事でもメリハリが利いた人事とは言い難いと大衆は見ている。やはりここにも「信管」が欠けているからだ。極めつけは金融担当と財務大臣の人選だ。余りにもチグハグで何がしたいのか意味不明と感じてしまった。やたら肩書きが多い大臣も居る。これでは政治が持つ官僚へのガバナンスは極小化され、官僚はその上の存在の米国を意識し始めるだろう。ソフトバンクの孫氏が通信規制で米議会に申し出たような政治の真理がこの国に蔓延っている。

               

ロックフェラーセンターを買収されたあのJapan as NO1の時代に受けた屈辱を二度と受けたくないと言う気概が米国の戦略に伺える。それだけ日本の底蓋に有る技術力や教育力に恐れを成しているからだ。西へ西へと向かう事がアメリカの始まりであった事を思い出した。日本をまたぎ行くその真理は、いまだその途上にある事をこの国の多くが理解していない。最終の地はロイズだろうか?いまこの壮大な歴史の実験に立ち向かおうとしている「龍」が居る。この現実を見れば「美しい国」に響く言葉の遊びは芸術の世界だけにしていただきたい。来る党首討論では答弁書には無い想定外の論争を期待したい。戦う政治家に底蓋が有るか抜けているかは良く判るはずだ。相手を見据える言葉は自分の体内に有るものだけからしか出てこない。政治の現場に芸術は禁物である。術の使い方は前任者にお任せしたい。

 
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